人生は訳が分からない。生老病死の意味が理解できない。何故こんなにも苦しいのか、何故悲しいのか、何故?、何故?・・・・己の生がどこから来たのか、死んで何処へ行くのか、それさえ分からない。坊さんの言う事もある程度は納得できるが、どうも真実ではない気がする。確かなのは自分の目に見えた真実のみ。
プッサンの絵にはそんな人生の真実が描き表わされているように思う。ただし表面的にではなく隠し絵にされており、すぐには見て取れないようになっている。
ニコラ・プッサン 「フローラの王国」 1630~31年 アルテ・マイスター絵画館(ドイツ・ドレスデン)
フローラ(花)の女神が花を振りまき、空にはアポロン(太陽の神)が馬車に乗って駆けている。軍神マルスもいる。人々は花のアーチの下でくつろいでいる様子だ。
しかし花園の絵にしては暗い。地面が赤茶けた土色だからか。
じっと見続けるとこんな隠し絵が見えて来た。背後の暗い森が巨人の影と見え、その巨人は両手を突き出し指から糸を垂らしている。地上の人間たちはその糸に繋がっていて、操り人形のようになっている。
花の女神とこの巨人は、地上の人間たちを操ってコントロールしている。この世の真実を示唆している隠し絵ではないか。
人間は地球上において、万物の霊長ではなく、他の動物と同様に操られている生物のひとつにすぎない。その上に操っている者が存在する。人間自身にはその事を少しも知らされてない。政治家とか、歴史上の英雄とか天才と呼ばれる者とかが人々を牽引している。ほとんどの人が、ただ操られるだけの人生であるらしい。
ニコラ・プッサン 「人生の踊り」 1640年 ウォレスコレクション所蔵(イギリス・ロンドン)
人々は皆人生を楽しくおう歌すべく踊りを踊らされている。
ただ実際はどうか。
人々の頭上に浮かぶ雲、アポロンの馬車も見られるようだが、ピントをずらし、コントラストを強めるとこんな絵が出て来る。蛇の頭のような、オタマジャクシの顔のような、どちらにしても爬虫類っぽい巨大生物の顔が空に浮かんでいる。人々の方に口を付けようとしている。
人間はこいつに喰われるために地上に放牧された家畜なのか。
ニコラ・プッサン 「アルカディアの牧人たち」 1638~1640年頃 ルーブル美術館
墓の前で、牧童が意味深な言葉が刻まれているのを発見した。女牧場主がそれを見に来ている。
しかしこの女牧場主、身体が異様に太っていて、頭とのバランスが悪い。墓に刻まれているのは「私はここにもいる。」との意味らしいが、何のことか。
この絵の隠し絵を探ってみると、どうもこの絵は人間の生と死を表しているように思える。右の牧場主と青年が重なっているが、この二人はイラストのように性行為をしている。左の青年二人は槍でお互いを突き合っている。死をお互いに与えている。奥の青年は石の墓石の大きな女と性行為をしている(?)。手前の髭の牧童は文字を指し示しているのではなく、大きな女の腹にいる胎児を指し示している。神は胎児さえも食用にするらしい。
人物たちは生命を作る行為をしていたり、死を生産したりしている。そして彼ら全員を口に入れる巨大な蛇の神が描かれる。
人間は神の前で、子孫(食用肉)を作り育てる事に専念していればそれで良いと、ここでは言っている。
ジャン・フランソワ・ミレー 「種まく人」 1850年 山梨県立美術館
この絵の男は男性器を丸出しにして射精しながら歩いている。畑に文字通り種を撒いている図である。左手に掛かっているのはほとばしる精液であり、幸運の「ウサギのお守り」などではない。
ラファエロ・サンティ 「ロレートの聖母」 1508~09年頃 コンデ美術館 シャンティイ・フランス
聖母の下の幼児は、糸で操られる人間を示しているのかもしれない。聖母の冷血の赤い目、幼児の恐怖に満ちた表情、動きが、操る者操られる者の関係を良く表している。
ポール・ゴーギャン 「ファイヤーダンス」(部分) 1891年 イスラエル美術館
人間は所詮支配され、逆らえないのだと、諦めるしか無いのかもしれない。
下半身を喰い付かれた女を抱きしめる男、肩を寄せ合う男女、圧倒的な力の差を示す悪魔的な神に抵抗するのは無理なのだろうか。