最近信じられない様な事が多く起こって、この世界はもう・・・・と思ってしまう。中国・韓国・北朝鮮による日本本土侵略、政治家や国中枢部に入り込んだスパイ、日本国民から税金を巻き上げる事ばかりされる。外国人の不法移民による窃盗等の治安悪化も実感している。
僕の家にも空き巣が入り、犯人は警察に捕まりはしたのだがベトナム人で不起訴だったらしく、取られた金は返ってこなかった。先日の畑のハウスの中に置いておいた刈り払い機(草刈り機)とアルミの脚立が盗まれてしまった。こちらは被害届も出してない。自宅に現金を置く事も、畑に有用な農機具を置く事もしない様にしたいが、そもそも思考回路が全く違う外国人に対してどう対処して良いかが分からない。
不法移民による治安悪化が進み、デモとかになっているのは日本だけでなく世界中での事らしい。その国の文化を全く知らずに、それを理解しようともしない人間を、自国に受け入れる政治家は何の利益に釣られているのだろうか。聖書の中の「バベルの塔」の逸話のように、人々の言語がある日突然バラバラになり、お互いが理解できなくなってしまう。人間は「神」の高みに到達できそうなくらいに進化してしまったからなのか。「神」(悪魔)の指図に拠ってあえて言葉の通じない者を送り込んで文明を破壊させようと言うのか。
エドガー・ドガ 「風呂後の朝食」 1895~98年 バイエラー財団(スイス)
「神」の行為が人間にとって普段どんなものなのか、その食事風景が人間にとっていかに残酷で目を覆いたくなるような光景なのか、ドガの絵の中で見てみよう。
この絵はバレエの踊り子の入浴シーンであるらしい。踊り子がバスタブから出て来ている。衣装が置いてある椅子か何かに手を突いているのだろうか。奥にはティーカップを持ったメイドさんが立っている。入浴後に呑む習慣があるのだろうか。
バレエの衣装の置いてある辺り、まるで人間がそこに四つん這いになっているかのようであり、その左側にもより小さな人間が積み重なっているように見える。バスタブの右側にあるカーテンらしき物は、まるで裸の人間が吊るされているかのようだ。色もホルマリン漬けの標本のようだ。踊り子の背後の壁がU字形になっていて、上から降りて来た爬虫類の顔の形になっている。
この絵も爬虫類型の「神」が上から降りて来て人間を口に入れている図なのだ。
画面を変形させると、右側の吊るされた人間の形がよりはっきり見える。フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」と同様、カーテンの皺で貯蔵用人肉が描かれている。
エドガー・ドガ 「舞台上の二人の踊り子」 1874年 コートールド・ギャラリー(ロンドン)
踊子の背後に見える黄緑色の、何か分からない物。何かの舞台装置か、緞帳のような物か。しかしよく見ると、踊り子の背後に迫る巨大な蛇の顔に見える。この踊り子、上半身と下半身がずれていて、二個体が繋げられているか、または一個体の上下が切断されている。上半分を見せている踊り子の下半身は背後の巨大蛇の口の中に既に入っているのだろうか。
エドガー・ドガ 「バレーシーン」 1880年 ディクソン・ギャラリー・アンド・ガーデン(アメリカ・メンフィス)
舞台の上に海岸の波打ち際が再現されているのだろうか。それにしても踊り子の姿がゾンビか何かのように生気がない。
海の波を凹部でなく、凸部として見ると、巨大なトカゲが見えて来る。口先に踊り子を咥えている。この踊り子も上半身・下半身がずれていて恐らく腰の所で喰い千切られている。
エドガー・ドガ 「ダンサー」 1897~1900年 バルティモア美術館(アメリカ)
意味不明な部分が多く、抽象画に近くなっているが、画面全体を大きく捉えてみれば、やはり巨大な爬虫類(昆虫っぽくもあるが)が見えて来る。
エドガー・ドガ 「赤い衣装の三人の踊り子」 1896年 大原美術館(日本)
三人の踊り子に喰い付く(または巻き付く)巨大な蛇が見える。踊り子たちはこの巨大な爬虫類(すなわち「神」)の食糧となっている。
エドガー・ドガ 「ベレッリ家の肖像」1858年~67年頃 パリ・オルセー美術館
これもドガの作品。二人の女の子(手足が不足している)の後ろの家庭教師らしき女の手先に注目。後ろの棚の上にある置物(貝に見える)は実は大きな蛇の頭であり、その口先に女は手で何かを与えている。小さな人間の頭が見えるが、何だろう。
エドガー・ドガ 「イタリアの老婦人」 1857年 メトロポリタン美術館(アメリカ)
全画面を巨視的に見ると、巨大な爬虫類の顔が見え、その口の辺りに人間の形が見える。老婦人の膝の上、足元の地面にも人間が横たわっている。
エドガー・ドガ 「The Tub」 1889年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
ドガは晩年、粘土で塑像を作っているが、これもその一つ。バスタブ(たらい)の上に横たわる女なのだが、どう見てもこれは皿の上に置かれた人間の丸焼きに見える。
ポール・ゴーギャン 「死霊は見ている」 1893~94年 埼玉県立美術館
ゴーギャンのこの絵も同じく皿の上に置かれた食べ物としての人間の絵。
名画の中にこんなにも多くの示唆があるのに、「人間は「神」の為の食べ物」だと信じる事が出来ない。それは僕を含めて誰もその喰われている現場を目の前で見た事が無いからだ。しかし実際そんな現場を見た人間は生きて逃れる事が無い。