この不条理な世の中で、一体いつまで生き続けなければいけないのか。もう終わりでも良い、いやまだやり残した事がある。この世が精神の修行の場であるならば、まだ道は半ばだ。
中国共産党による日本侵略が進んでいるのでそれを阻止しなければいけない。またこのブログで追及している「神」(悪魔)による食人の実体ももう少し暴いておきたい。
僕も70歳になって体力が衰え、農作業も一日数時間しかできなくなってきた。賃貸の借家での生活も先が見えないので、田舎に中古のボロ家でも買って自給自足に近い生活をする事にしたい。人口が減り続けている山梨辺りで物件を探している。

ジャン・オノレ・フラゴナール 「読書する娘」 1775年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
この作者はフランス貴族の生活を良く描いており、僕は高校時代には好きな画家のひとりであった。ゆったりとした大きな椅子に腰かけて読書をする若い女の絵。身体もふくよかで、背中のクッションもふかふかで、明るい陽の射す室内の静かな様子にあこがれを抱かせる。小指を立てて読むのはどんな本なのだろうか。

拡大してコントラストを強めてみると、頬がやたら赤い。影になっているでもなさそうで、単に赤く汚れているような・・・・。下唇の赤さは異常なくらいだ。口に何か真っ赤な物を入れているのか。顎の下の首の影もおかしい。血の流れた跡?

この下唇の描き方はどうなんだろう。絵を遠目に見て赤い色をそこに置いて見て、全体的に色の調和がとれている・・・・のか。いや天才宮廷画家が唇の形をとれないはずが無い。やはり口から何か出ているに違いない。血の滴る赤い肉・・・・かもしれない。

目の描き方に特徴がある。白目が無い。目の中全体が赤黒い。長いまつ毛が一部だけに生えている。これじゃまるで死体の目のようだ。

後ろの壁を明るくしてよく見ると、こんな形が見えて来た。人間の尻をこちらに向けた形がある。男女が後背位で重なっているようだ。お互い透けているので分かりにくい。
こちらに向けた尻から、読書をする娘の頭が産まれ出ているかのような位置で描かれている。

画面の下半分、娘の黄色い服の身体の部分は、よく見るとこんな風に見える。娘の身体ではなく、小さな人間の身体が複数重なって山積みされている。背中のクッションはそれに喰い付く爬虫類の化け物らしい。

全体図で見ると、娘の左手と胸で表された逆さまの人間の頭が椅子の肘掛けの下にあり、血だらけになっている。娘の頭部は身体と繋がってない。そこには大きさも様々な人間たちが積まれており、その頂点に娘の頭部が置かれているらしい。
背後の茶色い壁は板壁ではなく、人間の上半身が吊り下げられているらしい。
娘の向こう側には、人間の創生が描かれ、爬虫類に喰われてバラバラになる終末が描かれている。

全体図。向こう側の男女交合図は、同時に巨大爬虫類の顔にも見える。口に人間たちを数体咥え、読書する娘をも口に入れようとしている。これがこの世の支配者の顔、「神」の真の姿であろう。地球上の家畜としての人間は、こいつによって数を増やしたり減らされたりしながら存在している。