最近の社会がよく分からない。永田町の政治家は誰が中国・朝鮮のスパイか区別が付きにくい。国民民主党の玉木代表も夫婦別姓を薦めて日本の戸籍制度を壊し帰化敵国人を区別しにくくするような事を言い始めたし、参政党ぐらいしか選ぶところが無い。
世の中の政治家・リーダーたちは全て悪魔に魂を売ってしまったのではないかとも思える。それともか思考をコントロールされている。7月の参議院選挙に不正が無ければ少しは良くなると思っている。
よく分からないと言えば、抽象絵画もよく分からない。

ジャクソン・ポロック 「ナンバー1,1949」 1949年 ロサンゼルス現代美術館
キャンバスを床において、緩く溶いた絵具を垂らして偶然出来た色と形の組み合わせを良い物として愛でるなど考えられない。これがアメリカの美術館に大事に保管されている(国民の税金でもって)。それに意味があるのか。
確かに色で繋がった線と、色と色のコントラスト、リズム感などで何となく心地よいと言われれば心地よく思えたりする。しかしこの絵の前では誰しもが首を傾げるだろう。ただ「有名な絵なのだ。」「価値のある絵なのだ。」「評価されているのだ。」から自分もそう思わなくてはならないと思ってしまう。

この絵も、遠目で見れば何かが見えて来るかも知れない。目を細めたり、ぼやかして見たり、意識を大雑把にして全体像をつかもうとすると、次第に何かが見えて来る。
色と色の繋がり、濃い部分と薄い部分の区別としてみると、画面の中に凹凸が見えて来る。単に絵具を巻き散らかした物では無いようだ。

僕の目には、大きな顔が見える。正面を向いた目の大きなカマキリの顔みたいのが見えている。カエルのようでもある。(色盲検査ようだ)

また別の見方も出来る。楕円形で下端が少し尖っている、蛇の頭の様な形が所々に見付けられる。このイラストの形以外にも上から降りて来た蛇みたいなのが捉えられる。それらの口先には、後ろ向きの裸の人間が見える。
どうやらこういう抽象画でも、従来の古典絵画でも、テーマは同じらしい(上から降りて来た蛇神が画面下にいる人間たちを口に入れている)。

こんなイラストのようにも見える。
人間は所詮「神」の食糧にすぎない、偉そうなことを言っても「神」の前では何の抵抗も出来ないちっぽけな取るに足らない生き物なのだと、全ての絵画で訴えている。
大部分の人間が、自分が生まれて来た理由も目的も何も知らないままに死んで行く。また、自分が家畜として生まれ死んで行くなど信じることも出来ない。それは知らない方が良い事なのかもしれない。考えなくても良いのかもしれない。生と死を何度も繰り返し、次元を少しずつ高めて行けばいつかは真理にたどり着けるのだから、周りに惑わされずに素直に生きて行こう。
とりあえず絵画の中に隠し絵が見えると、言い続ける事しかできない。