名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

アングル 「グランド・オダリスク」 神の食卓テーブルの光景

人間にとって、この世はとてつもなく残酷なものなんだろう。人生何をやってもうまくできなくて、世界には悪い人ばかりがいるように感じるのは当然だ。それは世界の頂点に立つ存在が人間を食い物として創り出したからだ。国が増税して国民の生活を出来なくしているのも、ワクチンで人を無差別に殺しているのも、そういう観点から見れば当然。何をいまさら驚く事があろう。

この絵にもそんなおそろしい現実がありありと表されている。

ドミニク・アングル 「グランド・オダリスク」 1814年 ルーブル美術館

この背中の異様に長い女性の肖像画。誰でもが観ることが出来る有名な絵で、ルーヴル美術館に至宝のごとく飾られている。その実何故こんなに背中が長いのか、納得のゆく説明が出来る人はいないだろう。

尻から背中にかけて、こんなに長い人は実際にはいないはずだ。右手も長い。ベッドの上のシーツもくしゃくしゃだ。右隅にアヘンの吸引セットが煙を吐いている。こんなふしだらな、不道徳な、しかも形の変形させた女を描いたアングルと言う画家、そのネームバリューだけで美術館も認める所があり、名画としているのだろうか。

絵全体の統一感の為に一部を変形させると言う描き方はある。この絵の場合、異国の王に仕える女の身体の色つやを表す為に肌の露出部分を強調させようと長くしたのか。ハーレムに置かれたアヘンの煙による幻覚を女の身体の変形で表したのか。

いやいや目的は違うだろう。

オダリスクとはイスラムの王スルタンに仕えるハーレムの女の事。その女の顔を拡大してみた。

顔の半分が暗い所にあるが、口の向かって右側に何か飛び出ているものがある(上図下)。鼻から口、顎、首にかけて血が流れているようにも見える。

左目の黒目がおかしい(上図上)。黒目部分からダンゴムシが這い出て来ているように見える。何だろう。

首の後ろの筋肉が異様に盛り上がっている。その筋肉と頭部との境目が割とはっきり見える。胴体に首を上から突き刺したような不自然さだ。ちょうどひな人形に首を突き刺したような格好だ。

左手と胴体の境目も割とはっきりわかる。取って付けたような左手だ。

右手も胴体と色が違うので取って付けたようだが、ここは境目がはっきりしない。

光は背中側から当たっているはずだが、女の背中はやたら汚れて赤黒い。

右足の太ももの上に孔雀の羽で出来たうちわが置かれているが、その辺りどうも納得できない表現が多々ある。

団扇の左上にある赤い陰、光の方向からしてあり得ない。右足と重なる部分の陰も変に汚れている。これらは血が付いている表現ではないか。

右足の踵には光が当たってもう少し白くなりそうなものだ。

左足の膝裏には、うっ血があるのか。この部分には血が流れているとは思えない。

両足とも、切断されているのではないか。

尻から腰、背中にかけて。形もおかしい。尻えくぼは二つあるはずでは? 

絵の中心部の表現だから、作者の意図がこの辺りに込められているはず。

長い時間を掛けて、何度も繰り返し見て、イラスト化しながらさらに注意深く凝視する。何年後かにまた見直す。そうこうしながらこの部分に隠されたものをイラスト化してみた。

背中から尻に掛けて、小さめの人間が二人ほどいた。一人は背中にいる。尻えくぼの上あたりが尻になる。もう一人は尻の所にいる。四つん這いのような姿勢で左足を曲げ、右足を後ろに伸ばしている。その伸ばした右足が途中で切断されている。孔雀のうちわは足の切断面を表している。

この女の身体は複数の人間の身体で組み立てられている。

首、右手、左手、右足、左足はまた別の人間のパーツであろう。

ベッドの上にも別の人間が転がっている。名画の中の人物は大抵こんな感じで、人肉の積み重ねとなっている。

上方から巨大な爬虫類「神」が降りて来て、これらの人肉を口に入れる。名画は人間のこんな悲しい現実を突き付ける。「神」にとっては何も残酷な光景ではなく、日常の食卓風景でしかないのだ。

 

ダヴィッド 「サン・ヴェルナール峠を越えるボナパルト」 悪魔に背中を押された英雄

この絵では隠し絵を見つけ難かった。

幅2730センチ×縦2710cmと、大きな作品であり、隠し絵が丁寧に隠されているように思えた。

 

ジャック・ルイ・ダヴィッド 「サン・ヴェルナール峠を越えるボナパルト」 19世紀 ヴェルサイユ宮殿 

ナポレオン・ボナパルトは、イギリス海軍にトラファルガーにおいて大敗を喫したが、陸軍は連戦連勝で、アルプス越えでイタリアにいる敵オーストリア軍に奇襲をかけて勝っていたりする。軍事的天才でフランスの英雄。後に皇帝にまでなっている。

同じテーマの絵が5枚ほど描かれている。

ナポレオンは小男だったと言われているが、英雄として描かれたこの肖像では実物よりかなり大きく描かれている。サラブレッドに乗った競馬の騎手の写真を並べてみたがどうだろう。実際のナポレオンはこんなに足が長くなく、馬の胴も絞められなかったのではないか。彼は馬を嫌い、普段は騾馬に乗っていたとも聞いている。

右は同じ作者の別のナポレオンの肖像画。比較になる物が近くに無いが、それとなく小男で足も短いのがよく分かる。

随分美化された顔。それは仕方ないが、この口がおかしい。真一文字に引き締められた凛々しい口元を拡大してみると、口から赤い物が出ているようだ。

例によって彼も人間を食い物にする巨人族の一人なのか。

馬の乗り方は良く知らないが、手綱がこんなに緩んでいて良いのだろうか。それにナポレオンは左手で手綱を絞ってないのにどうやって自身の姿勢を保っているのだろうか。たてがみを鷲掴みしている? または追い風に煽られてうまく姿勢を保っている?

背後の雲の中に巨大な爬虫類の頭が見える。同じくらいの大きさのそれがほぼ二重に重なっている。ナポレオンが肩に掛けた赤いマントは人間であり、ナポレオンが乗る馬自体も別の人間の身体で組み立てられている。それらがすべて空の「神」(爬虫類型生命体)に捧げられた生贄である。見れば峠の地面にも人間が敷き詰められている。やはりここも生贄の祭壇なのだろう。

全体図。右上の雲の中に何か別の物が見え出した。

右上に見えるのは恐らくUFO。「神」の乗り物らしく、その一機から大蛇が飛び出して人型の物を口に入れているようだ。

ナポレオンはこんなUFOに乗った「神」に押されてアルプス越えその他の行動をし、連戦連勝をしたに違いない。「神」への感謝の表現として人間の生肉を身に纏って捧げている。「神」は「悪魔」と違わない。「悪魔」との契約をして「英雄」になったと言う事である。

 

フラゴナール 「読書する娘」 おいしそうに盛り付けされた食卓の光景。人間の身体が食材

非常に巧妙に隠された物が存在する。それは奴らの食卓風景。生肉の盛り付け。生贄の祭壇に置かれたその肉を、奴らは空から降りて来て喰う。

この絵にそんな秘密が隠されているとは誰が思うだろう。一見して読書をする若い娘の静かな横顔が描かれた絵だとしか思えない。

ジャン・オノレ・フラゴナール 「読書する娘」 1775年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

おかしな点と言えば、椅子の構造がよく分からない。肘掛けが長すぎるし、右側の肘掛けが見えない。

肘の下にある布のたるみは何なのか。スカートがまくれ上がっているのか。

本を持つ右手の指が蛇のようにぐにゃりと曲がって関節が無い。

これらを踏まえても全体的にふわっとした感覚で見れば良い絵だと思うのではないか。若い娘、美人で胸もふくよかで魅力的だ。黄色い服が目に心地よい。真剣なその表情から思わず鑑賞者も本の中に引き込まれてしまいそうだ。

81.1cm×64.8cmと小さな作品のせいか、油彩の筆跡が荒々しく残っている。頬が赤らんでいるのは、恋愛小説でも読んでいるからか。

上図左、この目はどんなものだろう。黒目が無い。彼女が空想の世界に入って現実を見ていないことを表しているのか。または瞳孔が開いた死体の目か。

上図右、下唇が異様に赤い。しかも形が普通では無い。遠目には健康的な若い唇に見えたが、こうして近くで見ると、これは唇ではない。口に入った赤身の肉だ。

椅子の肘掛けから下の、何かくしゃくしゃした部分を詳細に見た。小さな人間の身体が幾つも見える。クッションやスカートの皺がこんな風に人間の尻の形になる事は実際には無い。下に行くにつれて血のような赤色が強くなる。

食糧としての人間の生肉の山。娘の頬や下唇が赤いのはこの生肉を喰っているからだろう。

娘の肩から下の形においては、正に逆さになった人間(娘とは別の)が置いてある。最下端にあるのは血だらけになった頭であるらしい。

絵の上部、背後の壁に目を向けて画像を目いっぱい明るくすると、そこにこんな形があった。人間の男女が性行為をして子供を作っている。身体が半透明なので男の向こうの女の尻も見えている。

名画にはよく性行為の隠し絵があるが、これは消費した人間を補充する為に新たに子供を産み増やさせるのが狙いなのだろう。名画を美術館で鑑賞した人間は、知らずにこんな隠し絵を目に入れておのずから繁殖行為に励むと言う寸法なのかもしれない。

ここでは性行為する人間の頭が右側に見ているが、これを反対に頭を左側に見ても同じような性行為画像が見える。

こんな風にも見えた。読書する娘を尻から産む形での人間の姿の隠し絵。

名画の登場人物は皆巨人族だが、これは「神」が宇宙から来て地球上に最初に創り出したものだろう。自らの遺伝子を地球に元々いた猿人の遺伝子に混ぜて創ったが、産むときは地球の猿人の雌に産ませた・・・・と言う事を表しているのか。

娘を産む雌も、良く見れば性行為をしながら同時に出産しているのが見えて来た(異時同図描写法)。雄の身体の向こうに雌の身体がある。

それと、背後の壁に吊り下げられた女の身体も見えて来た。右側の壁である。胸の膨らみの小さな女の身体があるが、これが読書をする娘の本当の身体かもしれない。つまりこの娘は首しか無く、胴体部分には別の人間の身体が逆さまに置かれており、本当の身体は壁に吊り下げられている。

背中のクッションは背後から飛び出て来た大蛇であるらしい。逆さまの身体に喰い付いている。

背後の壁はこう見る事も出来る。巨大な爬虫類型生命体(「神」)の顔が娘に迫っている。その口には人間の身体が咥えられているようだ。

 

ブーシェ 「ヴィーナスの勝利」 ヴィーナス・ニンフはキューピッドを喰う

フランスのロココ時代の巨匠ブーシェは、王宮で暮らす貴族たちの富貴な暮らしぶりを見せる、僕にはあまり好きになれない画家だが、ギリシア神話を題材にしたこんな絵を描いている。

フランソワ・ブーシェ 「ヴィーナスの勝利」 1740年 スウェーデン国立美術館(ストックホルム)

130cm×162センチと、思ったよりも小さな作品である。登場人物が多く、大構成となっている。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」と同じテーマ。ヴィーナス(ギリシャ神話ではアフロディテ)が海の泡の中から誕生する。最初キュテラ島に立ち寄り、次にキプロス島に上陸する。絵の右側にある岩場がキュテラ島だと言う。

ボッティチェリのそれは、浜に到着した瞬間を貝の上に乗って表されたが、この絵では、ヴィーナスがニンフやイルカ、トリトン(ほら貝を吹いている)たちに持ち上げられており、空にキューピッドが舞い遊んで喜びを表している。空に飛んだピンクの布はヴィーナスの日よけで、キューピッドが戯れてこんな形になっているらしい(Wikipedia)。

画面中央の、ひときわ肌の白い女性がヴィーナスであるらしい。人間の愛と情熱を支配したと言うだけあって肌が魅力的だ。横にいるニンフが真珠のネックレスを見せているがそれに目を向けているのか。誕生したばかりのはずなのに、髪に飾り物を付けている。

周りはニンフ(精霊)たちが囲っている。皆魅力的な肌、尻をしている。

左側のニンフの後ろにもう一人のニンフがいて(上図左上)、その股の間に白い鳩(性行為を意味している)を置く。

ヴィーナスの顔。拡大するとその表情が独特だ。愛に満ちた顔、ではなく、冷酷な目だ。ちょうど聖母子像で見るマリアの目のように、幼児に向ける目が冷たく、獲物を見る目のようだ。画質がこれ以上良くならないので良く見えないが、唇が血のように赤く、何かを咥えている様であり、目が向いているのはニンフの持つ真珠ではなく、キューピッドの方ではないか。

この二人のニンフの口、少しおかしくないか。白い牙のような物が見え、何かを喰っているようにも見える。

キューピッドと言えば可愛らしい幼児で表されると思うのだが、これはどうだ。皆険しい顔をしている。身体に損傷を与えられたかのような、苦し気な表情である。

鳩を股間に当てたニンフ。左手に何か持っている。拡大して良く見ると、身体を丸めた小さな人間ではないか。ニンフも巨人族の女神だから、小さな人間を捕まえて喰っている図かもしれない。そう思うとこのニンフの口から頬、のど、胸に掛けて血が付いているようにも見える。

巨人族の神々は人間の幼児を好んで食するらしい。空中に飛び回るように見えるキューピッドは、上から降りて来た目に見えない「神」の口に咥えられて飛んでいるように見えているだけのようだ。日よけの布も人間の形で組み立てられているから、これも「神」の食糧であろう。

異次元の存在である「神々」が空中に集まって来ている。折り重なってたくさんいる。ヴィーナスは「神」の鼻先に乗っているが、その他の人型の生命は全て「神」の口の中に呑み込まれる。

画面全体に大きく表されるのが「神」の中の「神」。ギリシア神話で言うゼウスの姿だろう。

 

ティエポロ 「ヴィーナスとヴァルカン」 神話の世界はかつての人間の悲惨な人生を表す

ギリシア・ローマ神話で語られた物語は、半ば真実の話だったのではないか。

巨人族がいて、神々がいる。神の父ゼウスがいて、美の女神ヴィーナスがいる。彼らが実際に存在していて、小さな人間を狩り集めている。そんな世界が本当にあったのではないか。時間が経ち、想像上の話が加えられたが、基本的には巨人族が「神々」として世界に君臨していたに違いない。人間は小さく弱く、「神々」には逆らえない。ただ指図に従うだけの存在であり、その肉や血を「神」に与えるために存在していたのではないか。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ 「ヴィーナスとヴァルカン」 1765年 フィラデルフィア美術館

二人の息子ともども画家であり、18世紀イタリアを代表する偉大な画家と言われている。そのティエポロの描くギリシア神話の一挿話、ヴィーナスが元の夫ヴァルカンに鎧兜を作らせる場面である。鍛冶屋の仕事場らしくかまどがあり、おやじや若者がいる。手前に盾や兜、鎧が置いてある。

画面を明るくしてみる。おやじたちが手に持っているのはハンマーだろうか。地面にも同じ物がある。

この絵でおかしな所は、ヴィーナスとヴァルカンがいるベッドが変に盛り上がっており平たくない事と、二人の背後にいる横向きの顔を見せる、剣を持った女(鍛冶場の使用人?)がいる事である。

ヴァルカンの身体は一見向かって右下に流れているように見える。ヴィーナスは右手を背中に回して一種恍惚の表情をしている。

この二人、セックスをしているのではないのか。

ヴァルカンの左手に小さな人間が数人掴まれている(毛皮にも見えるが)。ヴァルカンの身体はこの下ではなく、ヴィーナスの背後、画面に向かって左側に流れているらしい。ヴィーナスは上体を気持ち前のめりにして尻をヴァルカンの方に付きだしてないか。多分この二人はヤッている。

二人の身体の下には小さめの人間がたくさん積まれている。巨人族に狩られた人間たちが山盛りになって集まっている。人間は「神」の食糧だから、二人の「神」は食糧の上で性行為をしていると言う事になる。酒池肉林のお気楽な世界か。

鍛冶屋のおやじや使用人の若者たち。竈に鉄を入れ、ハンマーで形を整えているように見える。しかしよく見るとそうではない。鎧兜に見える人間たちをハンマーの柄で突き刺しているのではないか。小さな人間たちを棒で突き刺して集めてヴィーナスたちのいるベッドに積み重ねようと言うのだろう。ヴィーナスの背後にいる剣を持った女は、小さな人間をそれで突き刺しているらしい。

小さな人間たちは小さいがゆえに巨人に抵抗する事も出来ず、ただ狩られ、棒や槍・剣で突き刺され、集められて巨人たちの食糧となるしかない。

人間にとってはこれは地獄絵図だ。しかし巨人たちにとっては普段の食事風景でしか無いのだろう。食卓の上に肉料理が並んでいる光景でしかない。今の人間は家畜のと殺を人目にさらす事無く、肉を切り刻んで火を咥えて全く別の形にして器に乗せているが、「神」は生食が基本らしく、その場でと殺し、血も肉もそのまま見える形で喰うらしいから、この絵は彼らにとって御馳走が並んでいるように見えるのではないか。

ヴィーナスとヴァルカンは、蛇型生命体である「神」が自らの遺伝子を加えて地球上に創りだしたものだが、「神」自身の姿も絵の中に隠されている。異次元の存在だから人物・器物の輪郭線・陰影を繋ぎ合わしてやっと見えて来る。

「神」はヴィーナスとヴァルカンを頭の上に乗せて、小さな人間たちを口に入れる。空中に「神」はいくらでもいる。

画面全体で表された最も大きな「神」の姿が見える。天の父なる「神」、神話ではゼウスとか、ヤハヴェとか、天照とか、大日如来とか、色々な言い方で呼ばれる存在である。こいつが地上のすべての有機生命体を吸収して地球を支配している。存在は一つではあるが、無数でもある。恐らくいつかはこの生命体もより大きな地球外生命体(宇宙生命体とでも言おうか)に吸収される時が来るのかもしれない。