名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

モロー 「出現」 ヨハネの首を要求したサロメ、彼女が「神」に喰われている。

この画家は初めて調べる。

調べてみた結果、いつもの主題が隠し絵になっている事が見えた。人間を喰う「神」の姿がそこに隠されていた。

いつもながら陰謀論のような、オカルト説のような、荒唐無稽と思われるかもしれない内容が浮き出て来て、絶望感に陥る。

ギュスターヴ・モロー 「幻視(亡霊・出現)」 1876年 オルセー美術館(パリ) 水彩画

聖書の物語にあるサロメの話が絵になっている。ガリラヤの王ヘロデ、その息子の誕生日に踊りを踊って気に入られたサロメは、王の息子に洗礼者ヨハネの首を要求する。ヨハネは首を切られたのだが、彼の亡霊がサロメたちの前に出現したらしい。王の息子や従者たち、首を切った剣士と共に、ヨハネの首が空中に浮かんでいる様子が絵になっている。時間関係が前後ごちゃ混ぜになって分かりにくい。何とも幻想的な絵だ。モローは同じテーマを何枚も描いている。

サロメはヨハネの首の出現を手で指し示して驚いているらしい。そのヨハネの首は今切られたばかりのように血を下に垂れ流して生々しい。

首の横に立つ剣士。その目は首の方を見ているのか。どうも不明確な描き方だ。

立てた剣先にある金の盆の向こう側に小さい人間が横たわっているように見える。

頭を向かって右側に向けて一人、その下に組み伏せられるようにうつ伏せになっているもう一人人間がいる。性行為をしている?

サロメは驚いていると思ったが、良く見ると苦悶の表情である。目が白眼がちで口から血を吐いている。被っている冠が大蛇の頭なのかもしれない。大蛇に喰い付かれて苦しいのかもしれない。肩に別の蛇が乗っているし、これは断末魔の表情と見える。

サロメの下半身が微妙にずれていると思わないか。この部分、僕にはこう見える。

上から巨大な蛇が降りて来ていてサロメの上半身を呑み込んでいる。下方からも大蛇が何匹も迫り、彼女の身体に噛み付いている。尻の所で噛み付き、腹の所でも噛み付き、よじ登って彼女の頭に噛み付いているのもいる。

ヘロデ王の息子、妃(?)、楽器を持った召使。何故か皆ヨハネの首の出現に驚いている様子が無い。無関心でそもそも存在感が無い。

アーチ形の建造物。凹んでいると見せかけて実は突出している。黄色っぽい巨大爬虫類の顔がそこにある。口には人間の形に見える物をいくつも咥えている。

ヨハネの首のあたり、目を大きく開いて見る、輪郭線、陰影を繋げて目を細めて見る。そうするとこんなイラストのような巨大蛇の形が見えて来る。楽器を持った召使と剣士がそいつの目になっている。床を良く見ると、人間の身体が長々と横たわっているのが見えて来る。ここだけで3~4人いる。巨大爬虫類は上から降りて来てこれら横たわった人間たちを喰いに来たらしい。剣士が剣先に捕まえた小さな人間も喰われている。

全体図。あらゆる空間から巨大な爬虫類が飛び出て来ている。これが「神」の真の姿だ。一番大きなヨハネの首の辺りにいるのが「神」の中の「神」。ヨハネの首はこいつの頭の上にあり、別の「神」の口に咥えられているので空中に浮かんでいるように見えているだけ。サロメも「神」に喰われる肉塊のひとつにすぎない。ヘロデ王の息子や妃、召使たちは「神」の姿を作る為にそこに置かれているにすぎない。

右上のヨハネの首の背後に、より大きな骸骨のような頭が見えて来た。ヨハネの首がそいつの口の部分にある。ヨハネの亡霊はこっちの方が本物なのか。黄色い部分は脳であり、サロメたちに幻覚を見せているのかもしれない。

サロメの方がヨハネに喰われる図では無いのか。

何だかよく分からない絵で、まだまだ研究の余地がある。

 

クールベ 「アトリエ」 非現実的な絵、しかしやっぱり神の食事風景

この作品はクールベの代表作のひとつであり、横幅が6メートルもある大作である。彼のアトリエに大勢の人が入り込んでおり、何か非現実的な光景である。

ギュスターヴ・クールベ 「画家のアトリエ」 1854~55年 パリ・オルセー美術館

中央で絵を描いているのがクールベ自身。キャンバスには風景画が描かれているのに、何故か裸婦モデルが背後に素っ裸のまま立っている。子供や犬まで入り込んだ雑然としたアトリエである。この混とんとした感じ、レンブラントの夜景を思い出す。

画面右側に描かれているのが富裕層の人たち。端で本を読んでいるのが詩人のボードレール、椅子に座った男が批評家のシャンフルーリーだそうだ。その他美術愛好家たちが立って見学をしている。窓際で抱き合っている男女は自由な愛を表現しているそうだ。画家の絵には皆無関心だ。

画面左側に描かれているのは、貧困層の人々。服装が貧相で、皆うつむき加減に描かれている。

画面を明るくしてみるとより良く見える。人々の間にドクロもあり、赤子を抱いた女、物乞いの少女などもいる。キャンバスの裏側にあるのは彫刻だろうか、イエス・キリストの姿と思える。寓意的に人生の貧しさ、苦しさ、生と死などが描き込まれている。

 

画面中央部分。画家とキャンバス、裸婦と子供、猫等、アトリエに関係ある物を集めて描き込んである。実際の光景ではない。

裸婦の脱ぎ捨てた服にしても変な描き方で、普通こんな風にはならないだろうと思う。クールベの姿自体もどこかおかしくて、両手先が千切れて血を噴き出しているように見えるし、右足も膝から先が切れている。キャンバスの中の樹の形は上から降りて来る巨大な爬虫類の頭になっていて、クールベの右手に噛み付いている。

裸婦の脱いだ衣服はごちゃごちゃで、まるでマネの「草上の昼食」の画面左下の散乱した昼食のようだ。良く見るとこの中には、人間の形がいくつか見えて来る。

画面右側。人々の輪郭、陰影、絵具の明暗を辿って行くと、上のイラストのような上から降りて来る巨大爬虫類の頭が見える。画面下の方の人型を口に付ける形になっている。

画面左側。同じように巨大な爬虫類の頭が上から降りて来ている。同様に人型の生贄を口に入れている。

全体図。広い壁の面の中に、巨大な爬虫類(神の姿)が見える。貧しい人々を喰う神、富裕層の人々を喰う神、そして画面全体に大きく、全てを呑み込む神が隠されていた。画家自身も例外でなく、神の口の中に入る。

壁の中にいっぱいに描かれた巨大爬虫類がいて、その頭の上にやや小さめの巨大爬虫類の頭が乗っている。

現実の人間世界も、このような貧富の格差あり、色々な性格の人あり、宗教の違いありの雑多な混ぜこぜの世界なのだろう。言ってみれば家畜の小屋の中と変わりが無い。

広い壁の中にもう一つ、人間の性行為の隠し絵も含まれている。画家の真上に尻に見える部分がある。画面左上の端に人の頭と目と思える形がある。辿って行くと性行為をしている男女は二組ほどおり、連続して後背位を採っているのでどこかおかしな事になっている。鑑賞者に繁殖を促す隠し絵である。

 

この絵の解釈はまだ足りない。今後時間があればより深く研究して行きたい。

全ての絵画は観る毎に深く見れる。前回よりも深く完成度を高めつつ明らかにして行きたい。

 

 

マネ 「草上の昼食」 洗脳された人間にはこの隠し絵が見えない。

サロンに落選したマネの作品、「草上の昼食」は当初、「水浴」と言う題だったそうだ。画題が何にしろ、裸の女を伴い、森の中で昼食を採る紳士の図など、世間が受け入れるはずが無いだろう。商売女を連れて森の中に入るなど実際にあったのかどうかも分からない。マネは何のためにこんな不道徳な、あり得ない画題を選んだのか。そして現在この絵が世間に受け入れられているのはどうしてか。

エドゥアール・マネ 「草上の昼食」 1862~63年 オルセー美術館(パリ)

暗くしてごまかしてある部分も、ソフトで明るくしてみれば明確になる。

男が二人向き合って座っている。裸の女が一人の男の横にいる。娼婦だろうか。もう一人の男はコートを着るほどなのに女は裸で寒く無いのだろうか。青い布が尻の下にあるが女の衣服は画面左手前のフルーツバスケットのある辺りにまとめて置いてあるようだ。

女の一人は奥の泉で水浴している。石鹸もタオルもそこに見えず、素っ裸でもない。湯あみ着なのか薄い布を纏ったまま水を浴びている。

画面左手前の昼食の散乱具合は異様だ。女の衣服らしきもの、バスケットと麦わら帽子、フルーツにパン、酒瓶と思われる物もある。何故こんなに散乱しているのか。バスケットを蹴飛ばして、衣服の上を転げまわってもこんな形にはならないだろう。乱れつつも山盛りにされているのがおかしい。

この女の身体、あり得ない形をとっている。左足は足裏を見せて寝かせてあるらしいが、足の付け根とうまく繋がらない。もっと膝が立ってなければこの形にはならない。左手は全く見えないが、尻の後ろあたりで支えなければ姿勢をこんなに真っ直ぐ維持できないのではないか。(尻の辺りに手指が見えるが、これは横の男の手先と思われる。少し手が長すぎるが・・・・。)

首を強くこちらにねじっており、少しねじりすぎの感がある。首にしわが二本も出ている。右手で首のねじれを押さえているようだ。

右手の中に小さな人間が掴まれている。中指と小指、人差し指ではない。

唇が赤く塗れていて、頬の左側が血が付いたように汚れている。

奥の女も手足が胴体とうまく繋がってない。異様に大きな尻は大蛇であるようだ。二匹ほどの大蛇が女の手足や首を咥えて立ち上がっている。

女の首の描写、首が切られてそこに置かれた感じに描かれている。首から大量の血が流れており、女の顔にも血が付いて汚れている。

とにかく画面左下の、この部分がおかしい。

裸の女の尻の下あたりを見ると、瓶の横に人間の足首が転がっている。切断面をこちら側に向けている。瓶の蓋が右側にあるのではない。瓶の口は反対側にある。女の左足だろうか。

尻の下に人間の手らしき物も見える。

この左側に見える麦わら帽子は、良く見ると麦わら帽子ではない。人間の片足に黒や青のリボンを巻き付けて巧みに帽子っぽく見せた物だ。誰の足だろうか。

いろんな物が散乱した様子で描かれたこの辺り、何度も見直して、描き直してその結果、こんなイラストになった。人間の千切れた手、足、首等が山積みにされている。

絵に描かれた女と男四人分の手、足、首かもしれない。どこかから調達して来た別の人間たちの手、足、首かもしれない。どちらにしても画面最下端に描かれた物は、生贄の祭壇に捧げられた生肉と言う事になる。

地球を支配している「神」の、真の姿はこんな蛇の頭を持っており、名画の画面いっぱいに隠れている。上からやって来て一番下の生贄を喰う。

見方を変えれば、こんな風にも見える。ここでは「神」は二匹ほどいる。

遠目に見るとこんな風に見えたりもする。

いずれにしても「神」が人間を家畜として地球上で飼い、食糧として喰う事が説明されている。

自分たちが普段生きていて、仕事が辛い・人生が苦しい・病気が怖いとか思うのだったら、こいつらのせいだろう。老いて涙もろくなってきたと思うならば、こいつらに逆らえない人生が悲しいからだ。

美術館に行けばこんな名画だらけであり、人食いの化け物の絵を大事に保管させる者がいまだにいる。産まれた時から洗脳されている人間には気付くことが出来ない。ただ穴のあくほど名画を見続ければ、真実の隠し絵を見つけることが出来るから一歩前進だ。

 

ドガ 「二人の踊り子」 「神」の本来の姿はこんなにもおぞましい

ドガの絵には色々と驚かされる事が多い。「神」の食事の仕方の残虐性や、「神」の姿そのものもドガの絵にははっきりと見える。

エドガー・ドガ 「舞台上の二人の踊り子」 1874年 コートールド・ギャラリー(ロンドン)

舞台袖から二人の踊り子の練習を見学しているのだろうか。床に引かれた二本の線は舞台装置を動かす為のレールなのか。それがこの角度で見えると言う事は、正面ではなく側面から覗き見ていると言う事らしい。左端にドレスの一部が見えている第三の踊り子もいるようだ。

ドガと言えば踊り子(バレリーナ)の絵だが、どの娘もあまり美人ではない。ウソでも良いからもう少し美人に描いてあげれば良いのにと思う。

この二人は唇を異様に赤くし、突き出した顔で描かれている。目の辺りも赤い。

首に巻かれた布が首の切断面にも見える。

中央のダンサー。腹から上と下の足がうまく繋がってない。左足をこんな風に真横に回して前に出すなんてことが実際に出来るのだろうか。

腹から上の身体と、二本の足が分断されている。

向かって右側のダンサーも同様に、足が繋がってない。右足を真横に曲げ、左足を斜め前に突き出すには左足の膝を深く曲げなければ出来ないと思う。両手も取って付けたような感じがする。腹の辺りから広がる赤黒い部分は血か。腹で切断されているのか。

画面上部を良く見ると、背後の舞台装置が巨大爬虫類の頭になっている。二人のダンサーの腰を口で咥えて噛み切っているのではないか。だから二人とも足が変な方向に向いているのだ。

右のダンサーには別の巨大爬虫類が噛み付いている。

こんなにはっきりと巨大爬虫類の顔が描かれているのは珍しいのではないか。これが「神」の本来の姿。「神」はミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画に描いた白髪の爺さんではなく、こんなおぞましい蛇の姿をしているのだ。

彼らも生きるために人間を定期的に喰っている。生贄として捧げものとして用意された人間を喰っている。その真実をこんな形で美術館の絵画の中に隠し絵として語っている。大抵の人間は気付かない。

全体図。

コントラストを強めると、床に染みた血の赤色が見える。ここは生贄の祭壇なのだ。

信じたくないが、これがこの世の真実。これに一生気付かず、ひたすら子孫繁栄に、子作りに励む一生も良いが、気付いてしまったら受け入れるしかない。他の生命体に援助を頼むか、戦うか、あきらめてしまうかの選択をしないといけない。僕はこの秘密を世間にばらす事で奴らの力をそぐ事になると思っている。

 

ルノワール 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」 神の食事会

ルノワールの代表作と言えばこれではないだろうか。大きさは131センチ×175cm。

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」 1876年 オルセー美術館(パリ)

モンマルトルにあるダンスホールに人々が集まり、踊っている。屋外であり、木漏れ日が人々の身体に点々と落ちている。良く晴れた日であり、お酒も入って皆楽しく過ごしている様子が描かれている。

ただルノワールの絵は時々ホラー映画並みの奇怪な部分が見狩られるので注意してもらいたい。

画面中央の姉妹、顔を拡大しコントラストを強めると、口の周りが赤く汚れている。唇の間に何かが挟まっているようだ。目の周りが赤くはれぼったいのは酒が入っているからか。

その他主要人物たちの顔を拡大してみると、皆口が赤い。口から赤い物を出している者もいる。赤ワインを飲んだと言うよりも、赤い生肉を喰っているように見える。

上図左。このカンカン帽の男の手は口に当てられているが、なぜか指二本だけ色が違う。小さな人間を口に入れる所だろうか。

上図真ん中。男の肩にこぼれ日が当たっているが、それがまるで死神の顔のようになっている。

上図右。丸い帽子をかぶった女性の後ろ姿らしいが、その帽子の色が異様に濃い。多分全体の中でこの濃い色は別の物を表現しているに違いない。

ダンスホールなんだから男女が抱き合って踊るのは当然なのだが、皆くっ付きすぎ、情熱的すぎないか。

画面右奥の表現など、もうどうなっているのか分からない。男女が顔をくっつけ合っているのだろうか。

中央の姉妹の上奥の表現。色と形が入り混じって何が何だか分からない。人間とは別の物が見えて来そうだ。

画面を左、真ん中、右の三つに分解して観る。これは左部分。紺色の所と地面の水色の部分で輪郭線が出来、そこにこんな巨大な蛇の形が見えて来た。踊る男の腰の辺りと、少女に向き合う青年の顔が巨大蛇の両目になると思う。少女の身体と、ベンチの背もたれに別の人間(生贄の)がいる。蛇の形をした「神」に喰われている。

真ん中部分。事物の輪郭線を繋いで行くと、そして目を細めてぼやかせて見ると、こんな形で、巨大な蛇型の「神」の姿が見える。イラストで青く囲んだ蛇の頭と、緑で囲んだ蛇の頭が二つ見えたりする。ここは青のだけで良いのかもしれないが、後ろを向いた女の被った濃い紺色の帽子が緑の蛇の目になっている事を説明する為にあえて二匹を描いた。

青い巨大な蛇神の口先には、ベンチの背、女の白いドレス、椅子に座った男の身体があり、喰われる別の人間を表している。

右側部分。ここにも上から降りて来る巨大な蛇神が隠れていて、上のイラストのような形になっている。僕に見えたのはこのイラストの通りだが、別の形に見える人もいるだろう。何通りにも見えるように描かれているからだ。

手前の男たちの身体に別の小さい人間がいて喰われている。

大雑把に見て、巨大な三匹の蛇型の「神」の姿が見える。

見えない人には見えないだろう。絵の中の人物・事物に囚われていてそれから抜け出せない人にはいつまでたっても見えない。物事の味方を180度変えて色と形がそこにあると思って考える事無しに素直な気持ち・無垢な気持ちで見ると見えると思う。

人間と言うものは「神」の食い物にすぎないと、ここでも語られている。

そして地球上の人間牧場を繁殖させる為に、こんな隠し絵も同時に存在する。目を細めてボヤーっと見ると、確かに人間の性行為をしている姿が見える。奥の方に人の目を表す形も見えて来る。椅子に座って背を見せる男の腕は男性器となり、その先にある女の白いドレスは精液、または産まれ出る子供となる。

また、こんな風に見えるのは僕だけだろうか。絵から色を抜いて見ると、黒っぽい女の身体が見え、それに覆いかぶさる黒っぽい男の身体が見える。二人は子作りをしている。「神」に喰われた人間をその分だけ増産しなければいけない。