名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは蛇の形をしており、人間を喰っている。

Twitter の方が反応が良い

ブログの更新が出来てない。Twitterの方に一日4回ほど投稿している。スマホでTwitterを見る人の方が多いようで、反応がある。今までの記事を1ポイントに絞って分かり易くし、イラストも描き直したりしているので、ぜひそちらを訪ねていただきたい。

「curlmiyabara」 の名で検索してもらえれば良い。

ルノワール 「森の小道」 人間を喰いに来た巨大蛇

最近Twitterでつぶやき始めた。パソコンブログよりもスマホのTwitterの方が見てくれる人が多そうだから。「Curlmiyabara」と言う名で、一日2回くらい投稿している。今までこのブログで丹念に調べた「隠し絵」の最も分かり易いと思う所を、1ポイントずつ短く説明している。

ブログの方の今回の題材はこれ。

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「森の小道」 1874~77年 バルベリーニ美術館(ポツダム・ドイツ)

一見モネの絵によく似ている。しかしルノワールらしく、木漏れ日を丹念に描き映している様子だ。

元の絵と、明度・コントラストを高めた絵。こうしてみると森の中の小道に陽が当てっていると言うよりも、全体的に見た時に浮かび上がる形の方に目が行く。

大きな爬虫類の頭が大きく隠されている。その口先には人間が二人くらい充てられている。地上の人間を空から喰いに来た巨大な蛇を描いてあるようだ。

さらにこういう風に見る事も出来る。

 

ブログでは引き続き名画の端から端まで丁寧に調べてイラスト化する。そこで発見したところの物をTwitterで日々発表する。(本当はYou Tubeで発言するのが最も効果的と思っているのだが、やり方が分からないのでこんな形になっている。ブログの内容をしっかりとまとめて書籍化するのも良いのかもしれない。)

 

 

ルノワール 「デュラン・ルュエルの娘たち」 神へ血と肉の捧げものをする

観た瞬間は「ああ、いい絵だな。」と思う。人の感性を喜ばせる心地よさがある。しかしその絵を10分、20分と見続けるとまた別の物が見えて来る。普通美術館では一つの絵にそんな時間を掛けずに見るので気付かないが、自宅でネット上の高画質画像をじっくりと見ることが出来るので、絵画芸術の「アラ」と言うか、「根柢の気味悪さ」のような物が見え始めた。

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「デュラン・リュェルの娘たち」 1882年 クライスラー美術館(ノーフォーク・アメリカ)

木陰のベンチで休む少女たち。その白い服には木漏れ日がチラチラと降り注ぐ。夏の日の清涼感のある絵である。左の少女のひざ元にあるのは花だろうか。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は1876年の作品だから、これはその5年後の作品。木漏れ日の表現がより一層強調されてそれがゆらゆらと動いて見える気さえする。ルノワールやモネならではの表現であり好ましい。

丸顔の美人の姉。ただ口がほんの僅かに開いている。歯が見えているのではなく、何か焦げ茶色の物を口に入れているように見える。

背後の森を合わせてイラスト化するとこんなになった。巨大な怪物が彼女を襲おうとしている。そいつの口には既に別の人間が咥えられているらしい。この状態でさらに少女を口に入れようとしているのか。

向かって右の小さめの少女は妹か。口をぴったりと閉じている様子だが、頬が膨らみ何か口に含んでいるのが分かる。

やはり背後には巨大な化け物が見えている。別の人間を咥えながら少女をも襲おうとしている。化け物は恐竜のような爬虫類っぽい。

二人の少女の身体は、微妙にバランスがおかしい。例えば足。二人とも上肢(ひざ)が異様に長いのだ。垂直に下がって来た胴体と足がうまく繋がらない。

姉の手は上腕が異様に長いのか、または肩で切れて繋がってない。妹の手も肩の位置が本来の位置とは違うのではないか。

姉の腹を絞める真っ赤なリボン。リボンではなく、胴体切断の断面が見えているのではないのか。

姉妹の下半身が無い代わりに、別の人間の身体がそこに置いてある。背後の爬虫類への捧げものであるかのように。

左の姉が膝に広げているのは、血だらけの肉塊に見える。右の妹が手で押さえているのは、人体の一部(足?)かもしれない。

イラスト化しながらさらに詳しく見る。姉の膨らんだ腹は腹ではなく、小さい人間のようだ。数体の小さな人間(大きさもまちまちである)を手で裂いて口に入れて喰っているのではないか。

人物が小さな人間を喰いながら、己自身も大きな爬虫類に裂かれ喰われる図になっているのは他の名画と変わらない。絵の中には時間が存在せず、過去も現在も未来も同時に表現される。

画面右下の拡大図。形がはっきりせず、うまく捉えられない。しかし例えばこんな形が隠れているのかもしれない。姉の失われた二本の足が置いてある。地面には人間の肉体がいくつも転がっている。

全体図。

二人の少女は巨大な蛇の頭の上に位置し、その巨大な蛇は画面下方の人間の身体のパーツを喰い漁っている。

蛇神への生贄現場の絵である。

 

ルノワール 「花と少女」 家畜の肉の看板

自分の目に見える物を、正直に他人に伝えたいだけなのだが、相変わらず反響が少ない。僕の目に映る名画の中の隠し絵があまりにも荒唐無稽な、現実離れした事柄だと判断されるからだろう。蛇を好む人も人肉食の話題を好む人もあまり多くないに違いない。僕自身も身震いするほど嫌いだ。しかしそんな状況があえて作られているとしたらどうだろう。人は蛇にかつて襲われた記憶が脳裏に残っているからそれを嫌う。仲間が喰われた記憶があるからそれを恐れる。前世の記憶か、先祖からの言い伝えか、何故龍神伝説や人身御供の話は残っているのか。鬼や悪魔・吸血鬼に血を吸われ、肉を喰われる恐ろしい話が何故こんなに広まっているのか。その疑問の答えが名画の中に隠し絵となっている。その事に僕は気付いてしまった。気付きは確信へと変わりつつある。

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「花と少女」 1888年 サンパウロ美術館(ブラジル)

蛇の形をした神は人間の少女の柔らかい肉が好みらしい。この絵の少女はまるで肉屋の看板のように、奴らの食欲を掻き立てるように描かれている。コックさんの帽子をかぶった豚のマンガと共に「トンカツ」の文字が書かれている看板。昔街中のどこかで見たような記憶がある。それと同じ。マンガの豚の横の吹きだしには、「おいしいよ!」とかの言葉もあったかもしれない。喰われる豚が自分の肉をおいしいとか、全くあり得ない。しかしこの絵の少女は・・・・。

原題は「Girls with Flowaers」とあるので、ひざ元に集められているのは「花」らしいが、何の花なんだろう。ずいぶん地味な花である。花びらがどれか分からない。黄色っぽいのか、赤っぽいのか。少女はスカートのすそをたくし上げて「花」を持っているのだが、その手に赤いひものような物を持っていてそれも何かよく分からない。スカートの縁取り装飾なのか。

丸顔で、目のぱっちりとした可愛い娘なのだが、例によって唇が口紅を塗ったように赤い。ほんの少し口が開いていて、顎の辺りが変に赤っぽい。

口の部分を拡大してじっと見続ける。すると次第に微妙な変化が見え出して来る。イラスト化するとこんなになった。唇の、左側に飛び出ているのは、小さな人間の手か、足か。口の周りが血で汚れている。

スカートの縁と思える赤いひもを少女の両手がしっかりと掴んでいる。蛇を捕まえているとも思えるが、赤い蛇などいないだろう。もしかして彼女自身の腸?

首は本来の位置から少し後ろにずれている。両腕も同じように本来の取り付け位置から上か下に少しずれている。肩ひもが変に赤く、どこかおかしい。

この少女の首、手は胴体と繋がってない。切断されてその位置に置かれているだけではないか(切断面を見せながら)。腹の位置の「花」も「花」ではなく別物だろう。

ラファエロ・サンティ 「ひわの聖母」 1506年 ウフィツィ美術館

洗礼者ヨハネの左足。毛皮の着物のように見せているが、実は足の切断面である。切られた足がそれらしい位置に置かれているだけである。

同じくヨハネの左手も同様に切られて切断面を見せている(こっちは少し分かりにくいと思うが)。ヨハネは口から血へどを吐いている。

ラファエロの絵と同じように少女の手足が切断されている。そしてその背後には巨大な爬虫類の顔が見える。口を大きく開けて少女を丸呑みしようとしている。

全体図。人間の少女が解体され、パーツになって巨大蛇に呑まれる図である。奴らは生を好み、人間のように肉を調理したりしない。呑み込める大きさに切ってそれを丸呑みする。

「花」の部分が小さな人間が捕まっている様子を描いてあるらしいのだが、よく見えない。少女の腹の部分にいる小さな人間を両側から大蛇が喰い付きに来ているらしいのが見えるが、同じところがまた別の見方が出来るのだろうか。

少女の下半身も切断されているらしい。その下半身(イラストでは水色)が少女の服のごとくに首の下に置かれているのかもしれない。

少女は腹の所で切断され、その際周りに飛んだ血しぶきが「花」のように見えているのだろうか。彼女の両手に掴まれているのはやはり彼女自身の赤い血の付いた腸なのかもしれない。

人間から見ればこんな残酷な絵は無い。しかし肉屋の豚のコックさんのマンガ看板を考えれば、家畜がその主人に自分をおいしそうに見せて描くのは、喰う側からしてみればおかしくない事なのかもしれない。