名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

地獄草紙 奈良博本 作者が伝えたいのは地獄の苦痛ではなく、神が与える苦痛

ナスとトマト、マクワウリ、ニンニクの出荷が忙しい。炎天下での作業が多く、参っている。ブログ作成など、放り投げてしまいたいほどだ。しかし生活費を今稼がなければならないので頑張る。

国宝 地獄草紙 12世紀 奈良国立博物館

右から

屎糞所、函量所、鉄磑所地獄の7図のうち、今回は右3図のみを調べる。

屎糞所地獄。糞尿とハエのウジ虫が溜められた池に落とされるとは、いったいどんな悪行を生前にした人だろうか。綺麗好きな人にとっては最悪な地獄だ。

左側が元絵、真ん中がコントラストを強めた絵、そこから見えて来た物をイラスト化したのが右側の絵。上空の黒い部分に、良く見るとこんな下向きの爬虫類の頭が見える。左右の目を捉えられれば頭全体が把握できるだろう。池の表面に浮かんでいる人間たちを口に入れている。

函量所地獄。火の周りに座った三人は、函状の物を持っていて、燃え盛る火の中に手を突っ込んで何かを拾い、函に集めているようだ。この苦行を三つ目の鬼が見張っている。三人の亡者は、熱さや痛みを感じるのだろうか。死んでもなお苦痛を与えられるのだと、説法されるらしい。

この絵の上空にも、巨大爬虫類の頭が見える。火の中にあるのは、赤い血で染まった別の人間かもしれない。

鉄磑所地獄。下の二人の鬼が引っ張っているのは鉄の臼を回す為の紐。立ち上がった鬼が小さい人間を上からほおりこんでいる。人間をすり潰しているらしい。大豆やゴマのようにすり潰されて臼の下からはバラバラになった手足が飛び出している。右の鬼がその人間だった物を箕で振るって捨てているらしい。地獄に行くと、こんな残酷な苦痛が限りなく続くのだと、坊主が脅かす為に描かれたと思われる。だから仏を信じて善行を重ねなさいと言っている。

この絵の隠し絵は右のイラストのようだと思える。絵の中の登場人物(鬼であれ人間であれ)全てがこの巨大な爬虫類の呑み込まれる。

別の見え方がする人もいるだろうが、僕にはこう見える。

名画の中には必ずと言ってよいほど隠し絵があって、巨大な蛇神が人間を口の中に入れる構図になっている。人間はこんな蛇神にとって家畜であり、食糧にすぎない・・・・と、こう言っても信じてくれる人は少ないと思う。しかしこう考えなければ名画の中の隠し絵の説明が付かない。

奴らはいつも人を恐怖に陥らせるか、畏怖の心を持たせるかしてコントロールしようとする。名画の中に卓越した技量等を見せて鑑賞者を魅了し、引き込ませて行く。奴らの目的はその魅力的な表面的な巧みさではなく、その奥に隠された洗脳計画である。人が産まれた時から施された洗脳を解いて、心の目で真実を見なければいけない。

 

地獄草紙 東博本 「神」に従えと恐怖を植え付ける

自分たちが生まれてこの方、正しいと教わってきた物、教科書に載っていて博物館に国宝として税金で大事に保管されている物は、本当に価値のある物なのだろうか。人間を家畜として教育する為のプロパガンダでは無いのか。人間の知能を低いまま保たせ、絵の表面的な所に感心させ、その奥に本当に教えたい事柄が隠れている事に気付かせないのではないか。

国宝 地獄草紙 12世紀 東京国立博物館・奈良国立博物館その他

上段が東博所蔵の物。絵巻物なので、右から読む。

髪火流地獄、火末虫地獄、雲火霧地獄、雨炎火石地獄。の4図。

下段が奈良博所蔵。右から

屎糞所、函量所、鉄磑所、鶏地獄、黒雲沙、膿血所、狐狼地獄の7図。

 

この他に写真は揚げないが、巻物が分散所蔵(切り張り)されて、旧益田家本甲巻として、火象地獄、咩声地獄、飛火地獄、剥肉地獄、沸屎地獄、解身地獄、鉄山地獄の7図もある。

まず東博の4図から見てみたい。庶民を仏教説話として地獄に落ちたらこんな苦痛が待ち構えているとして、脅かしながら教育している。

髪火流地獄。絵の右側に書いてある詞書が読めないのでよく分からないが、髪を鳥らしき物に突かれ、足を犬か何かに噛まれている男の図。血を流している。その血が大量に流れ川のようになっていると言う事か。

絵のコントラストを強めると、男の頭上に巨大な爬虫類の頭が現れる。男の頭に齧り付いているのは鎌首をもたげた大蛇ではないか。

火末虫地獄。死体が2体、腐乱してウジが湧いている。ウジに喰われる様がおぞましい地獄だ。

この絵もコントラストを強めると、死体の周りをとぐろを巻くようにして囲み、複数で襲い掛かる巨大蛇が見えて来る。先を争って食い物を奪い合う「神」たちの醜い争いの場面。レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」の隠し絵を思い出す。

雲火霧地獄。火炎の中で焼かれる苦しさを想像させて庶民を恐怖に陥れる。こんな事をした人は、こんな地獄の業火に焼かれ続けて苦しみが永久に続くのだと脅す。

しかしこの絵も全体で見るとこんな隠し絵になっていた。上空から降りて来て地上の人間たちを喰う巨大爬虫類。(巨大爬虫類の目の位置はイラストの様かもしれないし、あるいはその下の白い部分かもしれない。)

雨炎火石地獄。火山の噴火で火山弾が落ちて来る地獄。現実世界でもありそうだ。右下は溶岩流に流される人々だろうか。

隠し絵がよく見えないが、恐らくこのイラストのような感じなのだろうと思う。いづれにしろ、巨大爬虫類(蛇型生命体=神)が人間を食い物としている図。

 

人間は家畜だから支配層に素直に従っていれば良いとのメッセージ。

最近You Tube等で政治家の不正が盛んに糾弾されているが、名画の隠し絵を探る内、これは過去何千年、何万年と続けられて来ている事が分かってきた。今更驚く事でもない。飼い主が家畜を家畜として従わせようとしているだけなのだろう。

 

国宝 釈迦金棺出現図 「神」に従う家畜たち

自分の目にはこう映る。こんな隠し絵が見えてしまう。名画の主題とは関係なく、常識では考えられない様な内容がそこにある。いくら見えると言っても信じてくれる人は少ないようだ。大抵の人は素直に解説者の言う主題通りに読み解こうとするから、それ以外の図像が目に入っても認識できない。目はそれを見ていても脳が認識しないのだ。

何十年か前の映画に「They Live」と言うジョン・カーペンター監督の作品があったが、その中では主人公が特殊なメガネを掛ける事で、世の中に人間以外の生命体が存在しているのが見える。世界を支配している宇宙生命体で、電波を持って人間には普通の人間に見えるようにしている。ビルの上の看板も、雑誌の表紙も全て「従え!」「眠っていよ!」とかの隠れた命令が眼鏡によって暴かれる。この映画は世の中の真実を一面において表していた。

人間は生まれた時から洗脳され、教育によって見当違いの事を教えられ、毒入りの食事や薬の摂取をさせられ、知能がある程度の所で止まるようになっている。真実に気付かせず、奴隷のように働き、「神」に素直に従って、子孫の繁栄だけを楽しみに生き、死んで行くように仕向けられている。家畜だからだ。

国宝 「釈迦金棺出現図」 11世紀(平安時代) 京都国立博物館 

縦160cm×横229.5cm

「キリストの復活」ではない。しかし同一のテーマだ。

解説(e国宝)によると・・・・釈迦は入滅時に遅れて来た釈迦の母「摩耶夫人」の為に棺桶から起き上がって姿を見せたそうだ。

キリスト教と仏教とは同じ物の別解釈だと、素直に認めたい。釈迦はイエス、摩耶夫人は聖母マリアだ。

損傷が激しいのでよく分からない部分が多いが、起き上がった釈迦の目線の先に、母親の姿がある。釈迦の親孝行の一面を表していると解説される。

摩耶夫人。身体も顔もふっくらとしている。平安時代の女性としては相当官位の高い、理想的な形なのかもしれない。ただ左手に抱えているのは、大きな男性器(?)にも見えるが、人間の子供かもしれない(よく分からない)。現代人である自分から見て、あまり魅力的な夫人には見えない。

全体を見て隠し絵を探る。例によって上方から降りて来る巨大な爬虫類の頭。その口先に人間の形をしたものがたくさん見える。巨大爬虫類は少なくとも三匹いて、重なり合って互いに透けて見える。一番大きな爬虫類の頭の真ん中に釈迦が位置している。

摩耶夫人は画面下端の喰われる人間たちと同列にいて、この画像は釈迦の母親と言うのではなく、単に「神」への生贄の人間たちと変わらない存在。

元絵をコントラストを強めたり、明るくしたりして、隠し絵を探るのだが、それでも見えて来ない人もいるだろう。目を細めてわざとぼやかして全体的に見ると見えると言っても、一般常識に引きずられて、画題に引きずられて隠し絵を受け付けない人も大勢いる。それはよほど強い洗脳を施されてると思わなければならない。自分の目に映る物を素直に正直に把握しなければいけない。たとえそれが一般常識から考えて信じがたい内容であったとしても・・・・。

 

広隆寺 弥勒菩薩半跏思惟像 「神」の支配を知らしめる為の広告塔のような彫像

国を挙げて大事にし、博物館等や寺院で税金を投じて保管されている国宝と言う物。それらは本当に価値のある物なのだろうか。

日本では国宝指定第一号のこの彫刻を調べれば調べるほど胡散臭い事甚だしい。ルーブル美術館のサモトラケのニケと同様な胡散臭さがある。これらは造りが素晴らしくて人を魅了するだけでなく、人間を洗脳する為に好都合な、象徴的な造り物の気がする。地上の支配者が人間を教育する為に、人間を睨みつける悪魔の彫像だと、僕には思えてならない。

国宝 弥勒菩薩半跏思惟像 飛鳥時代7世紀 京都太秦 広隆寺新霊宝殿

片足を上げて片手で頬杖を突く、その指の形、少し前かがみな姿勢が見られる。

仏教の教えでは、仏陀の次に釈迦になるために存在し、56億7千万年後に表れる未来仏と言う事である。今は兜率天で修行しており、物思いにふけるようなポーズを採っている。

慈愛に満ちた、口元に微笑みさえ浮かべる表情が人を惹きつけるのだろう。

上の白黒写真は右手の薬指が京大生によって折られる事件の前の物のようだ。カラー写真の方は修復後の写真だろうと思う。

指に関節が無いかのようで蛇のようなのは元々だったらしい。人差し指と中指は重なって一本に見えているが、それにしてもひょろ長い。

左手も蛇っぽい所がある。僕にはこのイラストのように見える。上腕の外側にある木目が蛇の目のようであり、手の甲が凹んでいるのは、そこに喰われる人間(二体ほど)が表されているからだ。

足においても同様に蛇が人間を呑み込もうとしているように見える。足先が人間だ。

この像もサモトラケのニケと同じように大蛇が複数絡み合って出来た像かもしれない。

台座の形が、とぐろを巻いた蛇そのものだ。

それとこの菩薩、胴回りが異様に細い。修行中の身だから痩せているのは仕方ないが、この胴の細さはどうだ。あばら骨が浮き出ている訳でもなく、顔や胸、二の腕などむしろふっくらしているのにこの身体の細さは、まるで蛇の胴のようだ。大蛇が下から立ち上がって口に人間の頭を咥えているのかもしれない。

真正面1枚、斜め後ろから見た図2枚。

胴が異様に細い事が確認できるだろう。台座が蛇のとぐろっぽい所もよく見える。

胴回りが細い割に、尻が左右に大きく這っているから、実はこんな風にとぐろを巻いているのではないかと思っている。尻のすぐ下にあるクッションのような段差も、実は蛇の胴体の一部なのだろう。

尻の所で左右に分かれているのは、この像が複数の大蛇で出来ている所以だろう。

右足、左足を構成する二匹の大蛇が尻の所で重なり合い、肩の所で口先を合わせているのか。

手足の部分でも大蛇の頭を作り、人間らしきものを咥えているので、肩先が頭なのか、足首が頭なのか、よく分からない。しかしこの像が蛇の化身である事は分かる。

 

結局「神」の支配を人間に知らしめるための、広告塔的な役目を負った物かもしれない。至る所に「この世は我々が支配している。お前たちは家畜にすぎないのだ!」と言っているのだろう。この地上は人間家畜が飼われている牧場である。

「阿弥陀浄土曼荼羅」 浄土の入り口?

最近は主に日本美術に関して探求している。

この絵などは非常に古い時代の掛け軸で、「浄土の入り口」に阿弥陀如来やたくさんの菩薩たちが死者を迎え、極楽に導く事を説明する為に描かれたものらしい。

仏教信者を前にして坊さんが説法をするのだろう。

しかしあの世もこの世もかなり厳しいものだと隠し絵で言っている。

重要文化財「阿弥陀浄土曼荼羅図(伝清海曼荼羅)」 平安時代・12世紀 奈良国立博物館

損傷が激しく、画面下部の中央などは何が描かれているのか分からない。上方には釈迦如来が描かれているようだ。

これだけ損傷していても、全体的な把握は出来る。恐らくこの絵は極楽浄土の入り口で死者を待ち、導くために仏さまが待ち構えているのだと、説明されるのだろう。どんな人でも仏は救ってくれて、必ず極楽に導いてくださるのだと。

画面を小さくして、色を抜いてみた。こうして見ると、何となく顔のような物が見えて来るのが分かるだろう。「鬼」のような顔がこちらを向いている、犬の顔が見える、「悪魔」の顔だ、蛇の正面顔だ、と見る人によっていろいろに見えるに違いない。

僕にはこう見えた。

お釈迦様を頭に乗せた巨大な蛇の化け物がいる。画面下部にいる人々を全て口の中に入れるかのように口を大きく開けている。

その背後にもう一匹巨大な蛇の顔が見える。釈迦を中心にして左右に居並ぶ衆生たちを大きな口を開けて呑み込もうとしている。

釈迦の背後に巨大な蛇の化け物の顔が見えるならば、ここは極楽浄土の入り口などでは無い事が知れる。「神」と呼ばされている巨大蛇型生命体の口の中が、人々の最終的な行き先だ。つまりこいつに喰われる事が目的なのである。

仏教も信者をこの入り口に導く事を目的としている。素直に口の中に吸い込まれるのが良い信者である。何も考えてはいけない。ただ教わった通りに素直に飛び込めば良い。

 

最近政治家の横暴が目に余るが、これは今に始まった事ではない。ただネットやSNS の普及で表立って目に付きやすくなっているだけだと思う。政治家たちもより大きな存在に脅されて、恐怖感を持つあまり無理やりやらされているようにも思える。

コロナウィルスという架空の存在で人を脅し、ワクチンを打たせて死に追いやっている。世界的に大いなる存在がより活発に動き始めている。