名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ゴーギャン 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」

この作品は何度も調べている。ゴーギャンの代表的作品であり、主題がこのブログの主旨と一致しているからだ。139.1cm×374.6cmの大作である。

ポール・ゴーギャン 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」 1897~98年 ボストン美術館

タヒチの人々の死生感、「神」への対処の仕方が表れている。

画面は手前で三つの群像に分かれている。右端は人の出生。若い女性と赤ん坊が描かれる。

真ん中は青年が樹から実を収穫して働いている。左側にその実を食べる子供。盛んに食って働く青年期を表している。

左端には老人。「死」を恐れるかのように顔を手で覆っている。アヒルは「死」の象徴か。隣の息子のような青年に慰められているのか。

もう一度右端に戻って赤ん坊を見る。この子は石の祭壇の上に放置されている。若い女たちが母親であるなら、どうして布で包んで抱いてやるなり出来ないのだろうか。

この子はまるで死体のようだ。上半身・下半身がうまく繋がらないし、首、右手、左足はどうやら胴体に繋がってないようだ。身体の下に見える影は血だまりのようだ。

石の祭壇、または大きな蛇の頭に乗っているように描かれている。

真ん中の青年。マンゴーだろうか、樹の枝も無いのに(左右ににオレンジ色の不思議な葉が見えるが)、ハサミも持たずに収穫している。いや本当に収穫だろうか。

青年の胸の下、手の平、足の甲に聖痕があるように見えて仕方がない。

ポール・ゴーギャン 「黄色いキリスト」 1889年 オルブライト=ノックス美術館(ニューヨーク)

8年ほど前に描いたこの絵のキリストに色遣いや体形がよく似ている。

真ん中の青年はイエス・キリストであり、天の「神」に捧げものをしているのではないか。

座って木の実を食べる子供と、変な形の猫。猫の向こうに見える肌色の塊は何か。所々切断された人体のパーツではないか。切られた断面が赤い。子供が口にしているのもひょっとして小さな人間か。

真ん中の青年が捧げる赤肌色の丸い物はやはり人間? 

左端にいる老婆(だと思うが)。顔の左右や首の辺りを損傷しているのか。赤黒い血が溜まっている。これは単に「死」を恐れて顔を覆っているのではなく、実際に傷つけられているのではないか。何者かによって傷つけれらている真っ最中なのかもしれない。尻の下にある影は血だまりか。

画面左側後ろの「神」の像。右に巫女のような女が直立しているが、左側にある黄色い物は何だろう。暗い穴に吸い込まれる人間にも見えるが、逆に穴から出てくる人間にも見える。

「神」の像は良く観ると明らかに大蛇が形作っている。大蛇がとぐろを巻きつつ、蛇腹を見せながら像の頭の後ろに回って大きく口を開けている。

この左側にも別の大蛇がおり、鎌首をもたげている。そいつの腹に先ほどの穴から出る人間がいる。すなわち「神」は大蛇であり、その大蛇の身体から人間が生まれ出たとでも言っているらしい。

真ん中の青年の右後ろにいるこの二人は何だろう。収穫の手伝いをするわけでもなく、女同士で肩を寄せ合って歩いているだけ。

二人の口の周辺には小さい人間が見える。食事中か。さらに背後にこの二人を呑み込もうとする巨大な爬虫類が見える。人間を巨人族が喰い、それをさらに大きな爬虫類が喰う。この世の摂理を説明しているのか。

全体図。ごく大雑把に見て、画面の中に三匹の巨大な爬虫類型「神」がいる。

普通形を目で追い続けても見えない。こんな生物がいるはずが無いから、心を無にして素直な気持ちでなければ見えて来ない。目を細めて大きく捉える。他の物、木の幹の線・風景の色の変化等を自然に繋いでその形を見る。異次元の生命体らしいから簡単には見えない。特に生まれてこの方テレビや何かに洗脳され続けてきた人には見えない。

また同時にこんな隠しが施されているのが見えて来る。人間家畜の繁殖を促す隠し絵である。山の青い部分の中に人間の男女の性行為している所が表されている。男が上で青、女が下で赤、身体が透けているので重なって見える。男の尻からも女の尻からも子供が産まれ出ているようだ。

下の段にももう一組、性行為中の男女がいる。

また山の中には頭を右に向けた男女交合図も併せて表現されている。

 

我々はどこから来たのか・・・・宇宙からやって来た爬虫類型生命体によって地球上に生まれた。

 

我々は何者か・・・・その爬虫類型生命体が生きるために、地球に元々いた生物と自らの遺伝子を混ぜ合わせて、食糧として創った。

 

我々はどこに行くのか・・・・爬虫類型生命体を人間には「神」と呼ばせ、「神」に従う事(素直に喰われる事)のみを目的とする。