名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ティエポロ 「ヴィーナスとヴァルカン」 神話の世界はかつての人間の悲惨な人生を表す

ギリシア・ローマ神話で語られた物語は、半ば真実の話だったのではないか。

巨人族がいて、神々がいる。神の父ゼウスがいて、美の女神ヴィーナスがいる。彼らが実際に存在していて、小さな人間を狩り集めている。そんな世界が本当にあったのではないか。時間が経ち、想像上の話が加えられたが、基本的には巨人族が「神々」として世界に君臨していたに違いない。人間は小さく弱く、「神々」には逆らえない。ただ指図に従うだけの存在であり、その肉や血を「神」に与えるために存在していたのではないか。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ 「ヴィーナスとヴァルカン」 1765年 フィラデルフィア美術館

二人の息子ともども画家であり、18世紀イタリアを代表する偉大な画家と言われている。そのティエポロの描くギリシア神話の一挿話、ヴィーナスが元の夫ヴァルカンに鎧兜を作らせる場面である。鍛冶屋の仕事場らしくかまどがあり、おやじや若者がいる。手前に盾や兜、鎧が置いてある。

画面を明るくしてみる。おやじたちが手に持っているのはハンマーだろうか。地面にも同じ物がある。

この絵でおかしな所は、ヴィーナスとヴァルカンがいるベッドが変に盛り上がっており平たくない事と、二人の背後にいる横向きの顔を見せる、剣を持った女(鍛冶場の使用人?)がいる事である。

ヴァルカンの身体は一見向かって右下に流れているように見える。ヴィーナスは右手を背中に回して一種恍惚の表情をしている。

この二人、セックスをしているのではないのか。

ヴァルカンの左手に小さな人間が数人掴まれている(毛皮にも見えるが)。ヴァルカンの身体はこの下ではなく、ヴィーナスの背後、画面に向かって左側に流れているらしい。ヴィーナスは上体を気持ち前のめりにして尻をヴァルカンの方に付きだしてないか。多分この二人はヤッている。

二人の身体の下には小さめの人間がたくさん積まれている。巨人族に狩られた人間たちが山盛りになって集まっている。人間は「神」の食糧だから、二人の「神」は食糧の上で性行為をしていると言う事になる。酒池肉林のお気楽な世界か。

鍛冶屋のおやじや使用人の若者たち。竈に鉄を入れ、ハンマーで形を整えているように見える。しかしよく見るとそうではない。鎧兜に見える人間たちをハンマーの柄で突き刺しているのではないか。小さな人間たちを棒で突き刺して集めてヴィーナスたちのいるベッドに積み重ねようと言うのだろう。ヴィーナスの背後にいる剣を持った女は、小さな人間をそれで突き刺しているらしい。

小さな人間たちは小さいがゆえに巨人に抵抗する事も出来ず、ただ狩られ、棒や槍・剣で突き刺され、集められて巨人たちの食糧となるしかない。

人間にとってはこれは地獄絵図だ。しかし巨人たちにとっては普段の食事風景でしか無いのだろう。食卓の上に肉料理が並んでいる光景でしかない。今の人間は家畜のと殺を人目にさらす事無く、肉を切り刻んで火を咥えて全く別の形にして器に乗せているが、「神」は生食が基本らしく、その場でと殺し、血も肉もそのまま見える形で喰うらしいから、この絵は彼らにとって御馳走が並んでいるように見えるのではないか。

ヴィーナスとヴァルカンは、蛇型生命体である「神」が自らの遺伝子を加えて地球上に創りだしたものだが、「神」自身の姿も絵の中に隠されている。異次元の存在だから人物・器物の輪郭線・陰影を繋ぎ合わしてやっと見えて来る。

「神」はヴィーナスとヴァルカンを頭の上に乗せて、小さな人間たちを口に入れる。空中に「神」はいくらでもいる。

画面全体で表された最も大きな「神」の姿が見える。天の父なる「神」、神話ではゼウスとか、ヤハヴェとか、天照とか、大日如来とか、色々な言い方で呼ばれる存在である。こいつが地上のすべての有機生命体を吸収して地球を支配している。存在は一つではあるが、無数でもある。恐らくいつかはこの生命体もより大きな地球外生命体(宇宙生命体とでも言おうか)に吸収される時が来るのかもしれない。