名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

神の食事を補助する者

空からやって来た蛇神が人間を喰う時、その補助をする者がいる。今回は彼らの姿を追ってみた。

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ポール・ゴーギャン 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」部分 1897~98年 ボストン美術館

画面中央のこの青年、木から果実をもいでいる格好をしているが、実は上空の巨大蛇に小さな人間を与えている姿である。青年はハサミも収穫籠も持っていないし、果実自体も木に繋がって生っているようには見えない。果実を収穫する姿だとしたら何故画面中央に描かれているのか意味が分からない。神に生贄の人間を捧げる巨人の姿である。

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レンブラント・ファン・レイン 「聖ステバノの殉教」部分 1625年 リヨン美術館(フランス)

聖人に石をぶつけて殺してしまおうとする人々を描いてある。しかし空に向かって振り上げた手の先にある石は小さな人間である。それを上空から降りて来た巨大蛇が口に当てている。

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ポール・セザンヌ 「大水浴図」部分 1894~1905年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

この寝ころんだ裸の女は異常に太っているが、どうやら奥と手前の二人の女がほぼ重なっているらしい。尻や背中の線が二人分ある。二人とも両手を揃えて上から来た神に捧げ物をしている。手に持つのは(形がよく捉えられないが)小さな人間であろう。

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サンドロ・ボッティチェリ 「プリマヴェーラ(春)」部分 1477~1478年 ウフィツィ美術館フィレンツェ

上に向かって上げられた手の先に小さな人間がいる。彼らはどこかで狩ってきた人間たちを衣のように身に纏い、髪の毛のように頭にかぶり、上空で控えている蛇神たちに生贄を捧げている。

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エル・グレコ 「ラオコーン」部分 1610~14年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

絵の画面右上にいるこの人々は神話上の神らしい。上空の蛇神に手先や頭の上に乗せた小さな人間を与えている。一番右の人物の顔がおかしく見えるのは恐らくこの部分が生贄の人間の塊で出来ている事を鑑賞者に気付かせる為にわざとおかしく描いていると思われる。彼らは素っ裸のように見えるがよく見ると小脇に人間を挟んで持っている。また彼ら自身も人間を常食している事を示すように、空らの身体は人間の身体の組み立てで出来ている。人間を構成していた有機物が彼らに吸収されて彼らの身体になっている事を示しているのだと思う。

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ギュスターヴ・クールベ 「もの思うジプシー女」 1869年 国立西洋美術館

女の肘をついた左手には小さな人間が髪の毛のふりをしながらたくさんいる。それを空から蛇神が喰っている。また彼女の目線の先、画面の左下にもトカゲの横顔のような蛇神が一匹いる。うっすらと気付かれにくいような微妙な濃淡で描かれている。そいつも女の右肩に乗った小さな人間(髪の毛に見える)に口を付けている。

この絵では女(巨人)自身も喰われる運命にある事が暗示されている。女の頭に喰い付く巨大蛇神が壁の中にいるし、女の下半身が右の奥にブラ下がっているからだ。壁の右端の茶色い部分は降りて来た神にも見えるが、女の横向きの下半身にも見える。右手の肘から先の色も変わっているし左手の胴体との繋がりも不明確で、首自体も色が変わっていて赤っぽくなっている。この女は身体をバラバラに分解されて喰われる運命を示唆しているのだろう。

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ピエール・オーギュスト・ルノワール 「大水浴図」部分 1884~87年 フィラデルフィア美術館

両手の先に持った人間を上から来た神に喰わせている。

手前の女にさえぎられて分かり難いが、この女の足は異様に長い。切られた足がそこに置かれている感じで、恐らくこの女も手足を切られて呑まれるのだろう。

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ポール・ゴーギャン 「楽しい島(Te Nave Nave Fenua)」部分 1982年 大原美術館

この女の右手先、左手先をよく見るとはっきりと何かを持っているのが分かる。背後の巨大蛇神に人間を喰わせている様子が描かれている。

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ピーテル・パウルルーベンス「ヴィーナスの戦車」部分 1630年 スウェーデン国立博物館

ヴィーナスの銅像と見せて実はヴィーナスその物であろう。右手に持つのは蛇神を呼び寄せる通信機とも見えるが、単に小さな人間かもしれない。左手の先、右手の肘の辺りにも人間がいる。左手と身体でも人間を挟んで持っているらしい。おなかがぽってりと膨らんで見えるのはそのせいだろう。

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エドガー・ドガ 「ベレッリ家の肖像」部分 1858年~67年頃 パリ・オルセー美術館

黒い衣服の家庭教師(?)の左手が裏返っている。後ろの棚の上にある何か分からない大きな貝殻のような物は大蛇の頭である。左手にある人間をこの蛇に与えている。肩に二つの足を乗せているが、これは手前の二人の女の子の足であり、これも蛇に与えるのであろう。この家庭教師の女のような人間の姿をした蛇神の協力者が、現在でも政治家とか、指導者とか、有識者とか言った形で社会の中に紛れ込んでいるのだろう。もちろん大昔のような巨人ではなく人間と同じサイズで・・・・。

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レンブラント・ファン・レイン 「キリストの説教」部分 (ハンドレッド・ギルター・プリント) 1646~50年 リンクス美術館(オランダ)・メトロポリタン美術館アメリカ)等

病気の赤ん坊を掲げてイエスキリストに見せようとする若妻。この部分図ではイエスの右手辺りも見えている。イエスは別の子供を小脇に抱えており、またこの赤ん坊を若妻から受け取って神に捧げようとしているのだろう。この若妻自体は赤ん坊の母ではなく、どこかで人間狩りをして来たイエスの仲間であろう。

現在の世界で行方不明者・失踪者・蒸発者とかがたくさんいるらしいが、彼らはこう言った神の協力者にさらわれているのだろう。戦争時の戦場・疫病流行時の病院内においてさらわれる人間がいて、この絵のように神の子や神に生贄として捧げられているのだろうか。児童養護施設と言うのも怪しい。

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ポール・ゴーギャン 「イア・オラナ・マリア(我マリアを拝する)」部分 1891年 メトロポリン美術館

女の肩に乗った子供は神への捧げものである。この子の他にも女は別の人間を両脇に抱えている。

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エドゥアール・マネ 「鉄道」部分 1873年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー 

右の女の子はどこからかさらわれてきた子であろう。右手が無い。左の夫人がこの子を捕まえて来た。この女の左手は膝の上の本の所には無く、背後の鉄格子の奥で女の子の右手を持ち、白っぽい巨大蛇神に喰わせている。(女の左手の一部を肌色の小さい人間とおもえる物が隠しているので手っぽく見えないように描いてある)

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖アンナと聖母子」 1508年頃 ルーブル美術館

聖母が手を掛けている子供はイエスではなく、神の食糧となるその辺で捕まえて来た子供であろう。この子の手の中の羊は小さな人間で組み立てられている。画面右上から大きな蛇神が喰い付いている。羊型にまとまった人間たちに喰い付く地上を這う大蛇もいる。聖母とその母アンナは生贄を少し横取りして喰いながら口から血を滴らせている。神に人間を与えながら自分たちもそのおこぼれにあずかって喰うと言うのも協力者たちの特徴である。奴らは冷血動物の血が濃いから道義も礼儀も無いし、ましてあたたかい感情など全く無い。

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ポール・セザンヌ 「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」 1904~1906年頃 ブリジストン美術館

手前に人間の女が横たわっている。股を開いて出産している。助産婦が一人の赤ん坊を取り上げ、上方に掲げている。赤ん坊は真っ黒である。死産だろうか。こんな赤ん坊さえ蛇神は上方から喰いに来る。

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ヴェロネーゼ 「ルクレティア」 1580年代 プラド美術館(スペイン・マドリード

剣で胸を突くローマの貞淑な妻ルクレティア・・・・と見せて実はこの女、出産したばかりの赤ん坊を神に喰わせている。画面右下に四つん這いで出産している女がいる。椅子の背に衣装を掛けているのではない。出て来た赤ん坊を左手で持ち、右手の剣でその子を突き刺している。ルクレティアの視線は左下に注がれているが、そこに蛇神がいる。ここでは上方からでなく下から大きな頭を持ち上げて口を開いて赤ん坊を呑み込もうとしている。

画面右上のカーテンは大きな女の尻にも見え、彼女が左手で持っている赤ん坊はここから出て来たようにも見える。

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ニコラ・プッサン 「アルカディアの牧人たち」 1638~1640年頃 ルーブル美術館

 まだ出産されない胎児の状態でも喰われる場合がある。

この絵では牧場の主人が若い牧童を後ろから性交してして繁殖行為をしている。墓石に見える大きな女の身体(四つん這いになって尻をこちらに向けている)の中に胎児(墓石を指さすしゃがみこんだ男の手の向こうに影があり、それが胎児の形になっている)がいて透けて見えている。それを牧童たちは指さし示している。胎児と四人の人物を巨大な神が全て呑み込むように被さっている。人間がニワトリの卵や魚の卵を喰うように、神も人間の胎児を喰うのだ。

墓石に描かれた銘の意味は、「神は出産前の胎児の肉体でさえも喰う」と言う事だと思う。

この絵に描かれた四人の人物は神への供物を調達し指し示す協力者である。