ルーベンスの絵、と言えばまず思い浮かべるのは、アントワープ、聖母マリア大聖堂の「キリストの降架」「キリスト昇架」「聖母被昇天」の三部作かもしれない。フランダースの犬の最終回で有名だ。
しかし今回はルーベンスの絵の中で「蛇」がそれらしく描かれているものを挙げた。
僕は蛇が嫌いだ。同じ思いの人は多いだろう。手足が無く、地面をくねくねと這う様子が嫌い、と言うかそれは死んで動かなくなっても嫌いで、手に触りたくもない。
考えてみれば人間も蛇も、口から肛門まで一本の管で繋がる生物と言う点では変わりが無い。大きな違いは、手足があるか無いか、関節を用いて身体を動かすかどうかだけ。
見るだけでも背筋に悪寒が走るほど嫌うのには訳があるのだろう。恐らく僕は前世で「蛇」に殺されている。その事を体のどこかで覚えているらしい。
ピーテル・パウル・ルーベンス 「カリュドーンの猪」 1611~12年頃 ザ・ジェイポールゲッティ美術館(ロサンジェルス)
ギリシア神話の中の一挿話。化け物のように大きな暴れ猪を、神々が協力して退治する。
この大猪、最初絵の中に溶け込んでいて見つけられなかった。画面右下に、ライオンのようなたてがみを持ったそれがいる。既に犬や人を倒して踏みつけている。
こいつを神々が槍や弓を持って討ち取ろうとしている図であるが、どうもこの猪の形に違和感があって受け入れがたい。
大猪を拡大して、詳細に見て行くと・・・・、これは人間の積み重ねで出来上がった形ではないか。大きな人間、小さな人間が大抵後ろ向きに重なって猪に見えるように山積みになっている。
この人間の塊の大猪は「神」に喰わせる為の貢物らしく、画面全体を引いて見ると、こんな「蛇」が見えて来た。上から降りて来る蛇型の生命体。二匹ほどが見えた。
神々の身体の輪郭を繋げる、馬や犬、その他の黒い部分を繋げると次第に見えて来る。目を細めると見やすいかもしれない。半透明の存在。異次元の生命体を示すような表し方で「蛇神」が見えた。
日本の「神」も龍神とか言って蛇型だが、西洋でも同じ爬虫類系ドラゴン伝説を通じて話が伝わっている。「龍神伝説」は創作された架空の存在では無さそうだ。現にこうして名画の中に隠し絵として存在している。見える人には見えるだろう。「神」は蛇の形をした存在なのだ。そして人間を喰う。受け入れがたいがそれが現実らしい。
拡大図を小さくしてみた。「神」の姿が見やすくなっただろうか。
こんな「蛇神」に、我々の御先祖様は喰われ続けていた。この絵のように槍や弓で襲われて捕まって「神」に捧げられ、その口の中へ。だから末裔の自分たちも蛇が嫌い。
こんな時代が何万年か続いていたのだろう。今ではすっかり昔の事を忘れ、歴史もきれいごとに改ざんされて、こんな残酷な歴史は無かったかのように生活している。人間は家畜として存在し、巨人の神々に狩られ、空の「神」に捧げものとして生贄になる運命の、惨めな存在にすぎなかったのだ。
そしてそれは今でも同じ。
ピーテル・パウル・ルーベンス「ヴィーナスの戦車」1630年 スウェーデン国立博物館
ルーベンスの別の作品。空にアポロン神が走っているが、そんな事は画題にあまり関係ない。
ヴィーナス像の飾られた谷間にキューピッドがたくさん集められている。
画面を全体的に大きく見る。すると、空や木を含めた事物の中に、巨大な蛇の頭が見えて来る。キューピッドを口に入れて喰っている。ヴィーナスの集めた人間の幼児たちを喰いにそいつはやって来たのだ。時々次元を超えてこの世界にやって来て食事をする。
生贄の祭壇上に人間の肉を豊富に用意する役目の人物がいて、ここではヴィーナスがそれだ。
この巨大生物の頭は明らかにトカゲかヘビかの爬虫類に見える。
ピーテル・パウル・ルーベンス 「最後の審判」 1614~16年 イングリッシュ・ヘリテッジ(イギリス)
ここにも蛇型の「神」がはっきりと存在している。
イエス・キリストの背後にいる蛇は、鎌首をもたげて口を開けている。
その下にも、上にもさらに巨大な「蛇神」の顔が現れている。天にいる「神」だの、「神」の子イエスだのと言っても、結局こんな醜い生命体がその正体である。
ピーテル・パウル・ルーベンス 「キリストの埋葬」 1615~17年 アムステルダム国立美術館(オランダ)
紙に描かれた素描だが、これにも「蛇神」が見えている。
「キリストの埋葬」図だが、目を大きく開いて大雑把に見るようにすると、画面全体に何か、化けものじみた顔が見えて来ないか。
ニヤついた蛇の顔があり、その後ろにも別の蛇が迫って来ている。どちらも人間よりも大きく、顔の大きさが人間の身長ぐらいある。手前の蛇はイエスの身体を鼻の先に乗せてこちらを向いてほくそ笑んでいる。
「神」は蛇の形をしていると言い続けているが、少しは納得していただけただろうか。