自分の残りの人生もさして長い物では無いと思える。後6年ほど生きれば払った年金が全て回収できる計算であるからそのくらいか。いや出来ればもう少し生きてこの世を見続けたい。
人間は地球上に放牧された家畜なのだから、死んだら肉として出荷されるのか。神への供物として提出されるのか、まあその辺はよく分からないが、どうでも良い。肉体は滅んで元素に帰るのは構わないが、魂だけは誰にも奪われたくない。
名画に描かれた地獄極楽図の周辺には、必ず蛇神の脅しがある。
ルドルフ・アッカーマン・ウィリアム・ブレイク 「(墓からの)審判の日」(ロバート・ブレアの詩より) 1813年 メトロポリタン美術館
ミケランジェロの壁画よりも後に描かれた版画。中央に椅子に座る神の子イエス。向かって右側には地獄に落ちる人々、左側には天国に昇る人々が描かれる。中央下段に立つ三人の天使はイエスの決定を実行させる役目を持っているらしい。剣を持ちラッパを吹いている。
画面全体を大きく目を見開いて見ると、こんなイラストの様に見える。
天国も地獄も無い。ただ巨大な蛇が大口を開けて人間を呑み込もうとしてる。
東洋ではイエスの役目を「閻魔大王」がする。差し詰めこの世での所業を目の前に突きつけて裁かれる場となっているのだが、見方を変えればとてつもなく大きな蛇に人間たちが逃げ惑っている様子の絵にも見える。
画面下端の岩のような物は、生贄の人間を積み上げた物。死後の人間はこんな化け物に喰われるぞと脅している。
実際に喰われるかどうかは分からない。人間を脅して恐怖心を抱かせる事で、生前のコントロールをしようとしているのか。
人を恐怖させコントロールすると言うのは、コロナワクチン騒動でも使われた手口だった。コロナウィルスは恐ろしくて死ぬ事があるぞと脅して毒ワクチンを多くの人に打たせた。結果エイズの時と同じように、ワクチンを打った人から病気が広まって行った。テレビコマーシャルでも、この商品を早く買わないと損するよと、焦らせ・脅す事が行われる。奴らの人間制御の定番手段だ。
名画の中の人喰い巨大蛇の隠し絵は、全てこの世に今生きている人を制御する為の物なのかもしれない。映画「ゼイリブ」の街中の看板「OBEY(従え!)」と同様のメッセージかもしれない。
イエスの背後にも大きな蛇神がいる。神は蛇の姿に似ている。
遥か昔に宇宙を旅し、地球に到着した蛇に似た姿の生命体は、地上の人間を食料にした。人間には自分たちを「神」と呼ばせて敬うようにさせた。今ではその当時の記憶を持っている人はいない。
ミケランジェロ・ブオナローティ 「最後の審判」 1537~1541年 システィーナ礼拝堂(ヴァチカン)
この絵を遠くから薄目で見る。目を半開きにしてわざとぼやかせて見る。すると、上図右のイラストのような絵が見えて来る。ミケランジェロの絵は群像で隠し絵を表している。一人一人の人間像ではなく、何人かの人間像を繋げて陰影だけ、色合いだけを繋げてみるとこんな絵になる。そうは見えないと言う人も大勢いるだろうが仕方がない。僕にはこう見えるとだけ言っておく。
国宝「高野山聖衆来迎図」絹本著色 三福 平安~鎌倉時代 有志八幡講十八箇院蔵
日本では人の死に際には、お釈迦様が西の空からお迎えに来るとか言われているが。この絵を良く見ると(人や雲の形を繋げて大雑把に見ると)、全く別の物が描かれているのが分かる。三匹ほどの巨大な蛇神が空から降りて来て地上の人間をその口の中に入れている。真ん中の蛇神の鼻先には釈迦(西洋ではイエス)が乗っかっており、その膝の上には生贄の人が乗っている。地上の岩らしき物は人間を積み上げた物。
山肌が色とりどりになっており、岩だか樹の根だか分からない。よく見れば裸の人間が無造作に積み上げられているらしい。画面全体を大きく見れば、空から降りて来る巨大な蛇神が見える。釈迦の足元にある雲の表現は、吸い上げられた人間の魂か。
重要文化財「阿弥陀浄土曼荼羅図(伝清海曼荼羅)」 平安時代・12世紀 奈良国立博物館
選別されて極楽浄土に行った人々が見る光景。豪華な建物から煌びやかな聖衆が大勢で出迎えてくれる・・・・のか。いややはり巨大な化け物蛇の口の中に誘導されているじゃないか。
重要文化財 「大仏頂曼荼羅」 12世紀(平安時代) 奈良国立博物館
大日如来と釈迦如来、上下に並べて描いてあるが、その正体が背後に隠れている。
国宝「地獄草子」平安時代12世紀 奈良国立博物館 八大地獄のひとつ「鉄磑所地獄」の図
死後の地獄の光景。人間が臼の中に放り込まれ、二体の鬼が紐でその臼を回す。すると人間がバラバラになって下から出て来る。地獄ではそんな苦しみが繰り返されずっと続くと言う。残酷な表現に目を奪われるが、全体的に見ると、こんな蛇神の頭の絵が見える。
国宝「地獄草子」平安時代12世紀 奈良国立博物館 八大地獄のひとつ「糞尿泥地獄」の図
糞尿の溜まった池にウジ虫と一緒にほおり込まれるとは、考えるだけでもおぞましい。生前にどんなことをした人がこんな地獄に落ちるのだと説明があるのだろうが、画面上方に巨大生物の顔が見える。
国宝 「地獄草紙」平安時代12世紀 八大地獄のうち「雲火霧地獄の図」
地獄の業火に焼かれるとはこんな感じなのだろうか。獄卒の鬼に追われて火の中に入るほかない。
しかしこの業火、全体の形が上から降りて来た蛇神様の顔ではないか。
博物館に保管されているいわゆる名画には、サラッと見ただけでは見えて来ない隠し絵がある。表面上の色や形だけを見て、ただ「美しい、感動した。」と言っている人は馬鹿だ。僕も昔(高校生の頃)、モネやゴッホに魅かれ美術の道を進んだが、名画の中におかしな表現が隠されている事に気付いた。爬虫類っぽい、蛇っぽい造形が至る所に見受けられたのだ。その後長い時間を掛けて作品を見続け、最近10年くらいになってネットで高画質画像を見る事が出来るようになって、さらに画像処理ソフトで質を変える事で暗い部分も見えて来た。名画の中にこの世の真実が隠されていると思えて来たのだ。
人間の創生から人生の支配者の存在・生死の制御まで、人間自身が知りえない真実が無限にあるらしい。人類の歴史も、自分たちが学校で教わった物とはまるで違うのかもしれない。死後の世界も巷で言われているのとは全く違うのだろう。
死後の世界を名画の隠し絵で「巨大爬虫類に喰われる人間」として表されるのだが、その意図は善から来るものなのか、悪から来るものなのか。天使は悪魔か。神と悪魔は同じものか。