名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

日本美術における「龍神」

人間にとって不都合な現実を目の前に突きつけられることほど不愉快な事は無いだろう。僕のブログ読者が一向に増えないのはそのせいだろう。人間、楽しい事、夢のある事、癒しになる事は少しでも多く受け入れたいが、「お前は家畜だ。喰われる為に生まれて来たのだ。」などと言われて誰が気持ち良い思いを抱くだろう。

もう少し誰でもが受け入れやすい形で情報を発信して行けたら良いのだが、それが思いつかない。ただ自分の目には名画がこう見えると、事実を言い続けるしか無いのが僕の能の無い所だ。

歌川広重 「阿波 鳴門の渦潮」 1853年 アジア美術館(サン・フランシスコ)

北斎の「神奈川沖浪裏」のように波が高くうねっている。そしてこの中に「龍神」の顔がよりはっきりと見えている。

画面上半分が「龍神」の顔。下半分が生贄の人間の姿。人間の尻の中には、子宮(生命が生まれる所)が渦の形になって透けて見えている。

こんな風に古今東西の名画には人を食い物にする「龍神」が隠れていると言い続けているのだが、なかなか信じてもらえないらしい。

実際に自分の目で見たのでなければこんな事を受け入れがたいだろう。僕自身も目で見た分けでは無いので、今一つ自信が持てない。ただどこの名画を見ても必ず「人を食い物にする龍神」が見えて来るので、疑う事も出来なくなっている。「蛇の形をした神の生贄伝説」・「人間は日本だけでも年間何万人も行方不明になって帰って来ない。」等を考え合わせて、「神による人喰い」が最も整合性がある。世界の数パーセントのトップ層が、大部分の庶民を奴隷化・家畜化・社畜化している理由は支配層がそういう「神」に誘導されているからと考えると納得が行く。

東洲斎写楽 「市川蝦蔵の竹村定之進」 1794年 アムステルダム国立美術館

この肖像画の背後に、巨大な爬虫類の顔が見える。今にも人物に喰らい付きそうな感じでそこにいる。この絵はムンクの「地獄の自画像」とよく似ている。

ただこれは浮世絵であり、背景は一色で刷り師が刷ったと思えるのだが、どうしてこんな隠し絵が浮かび上がるのか分からない。未知の技術だろうか。

歌川広重 「東海道五十三次 蒲原 夜の月」1833~34年 メトロポリタン美術館

昔は「安藤広重」と言われ、永谷園のお茶漬けのおまけとして入っていた懐かしい絵のひとつ。うんと引いて絵を全体的に捉えて大雑把に見ると、別の物が見えて来る。

トカゲか蛇の尖った口先が画面いっぱいに見える。家も木も雪も山も関係なく、ただ物の陰影・輪郭を繋げると見えて来る。空から降りて来た巨大な爬虫類。その口先に人間が咥えられる。雪の地面も喰われる人間の姿を作っている。

これがこの世の真実なのだと、名画たちは繰り返し教えてくれる。国の違い、時代の違い、作者の違いなどは無い。皆支配者である「神」に誘導されたかのように同じテーマを繰り返す。

国宝 雪舟等揚筆 「紙本墨画秋冬山水画」 2幅の内「冬景図」 15世紀末~16世紀初(室町時代) 東京国立博物館 

日本の誇る天才絵師。水墨画において他の追随を許さない孤高の存在。雪舟。

この有名な絵には画面の真ん中に直線が天に向かって伸びている。これを雪山における厳しい寒さの為に割れた氷のヒビのように感じさせている。真ん中右側は霜の断層のようだ。解説者によっていろいろに説明されるだろうが、どうやら真実は以下のようであるらしい。

空から大小二匹の巨大な蛇が降りて来ている。小さな蛇は大きな蛇の手前にいる。二匹の境目が空に向かって走る垂直線となって見えている。

小さな蛇はその口先に建物横に積み上げられた人間の山を当てている。大きな蛇は手前の雪の地面に折り重なって寝ている人間に口を当てている。

二匹は上空からこの生贄の人間の山を喰いに降りて来たのだ。

「神」は人間とは違う次元の世界にいて、食事の時だけこの次元に姿を表すのだろうか。現実世界ではこの異次元生命体は見ることが出来ない。ただ名画の中に隠し絵としてこうして見える人には見えるように描き込まれている。

僕自身は簡単に隠し絵が見える訳ではない。例えば 「Google Arts &Culture」 の画像を眺めて、それらしき、疑わしき絵を見つけ、画像ソフトにコピーし、画質を変えたり小さくしたり、イラストにしてさらに良く見たりしている。時間を掛ける。そしてしばらく時間をおいて(時には数年)もう一度見直す。それでやっと確信の持てるイラストが出来上がる。日本の美術は 「E 国宝」 や「Wikipedia」で探したり、他の人のブログとかにある画像を調べる。出来るだけ高画質な画像を調べると発見する事が多い。

美術館・博物館に行くと、一つ一つの作品には数分しか見ないだろう。長くても数十分だ。自宅のパソコンで高画質な画像を得られる良い時代になった。昔は図書館で画集を観たものだが、どうしても色のドットの並んだ印刷物でしかなかった。今は筆の跡まで辿る事が出来る作品がある。僕のように名画の隠し絵に気付く人が一人でも増えれば良いと思っている。気付いたら気付いたであまり気持ちの良い物では無いのだけれども、この苦しい人生の何らかの改善策に近づければ良い。