名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

明治の日本人画家の隠し絵

明治・大正時代の日本人は、盛んに西洋留学して学び、文化を真似る事に専念した時期があった。画家たちにおいても同じで、西洋的な油絵をたくさん描いた。ただ単に日本画、浮世絵から油絵にと技法的な変化はあったが、その真意に変化はあったろうか。

隠し絵においては何も変わってないと思う。

重要文化財 岸田劉生 「麗子微笑」 1921年(大正10年) 東京国立博物館

自分の娘をこんなに暗い画面で、しかも不気味ささえ漂うこんな絵にする父親がいるのだろうか。ドイツのデューラーに憧れて物事の真を捉える事に徹した劉生は、絵の中につい力を籠めすぎて不気味になってしまったのだろうか。それにしても麗子の髪の量の多さ、幼い女の子にしては顔のしわが多い事に驚かされる。

画面を明るくして、コントラストを強めると、こんな風に見えた。

背後に「龍神」がいる。麗子に喰い付きそうなくらいに口を大きく開けている。麗子は首が切れているようだ。顎の下が異様に赤い。身体は別の人間の身体で組み立てられており、毛糸の肩掛けの下端にはまた別の人間の手や顔が見え、しがみついているようだ。右手に持つのは小さい人間であり、それに喰い付く赤い蛇である。

人間は「龍神」の食い物である事がここでも示される。

絵画は結局「神」の生贄を食する現場を描いた物である。

背後の「龍神」の両目、麗子の首の血、髪の毛の中の蛇に喰われる人間の足が見えないだろうか。

黒田清輝 「舞妓」 1893年 東京国立博物館 重要文化財

東京美術学校(現芸大)で明治美術会を牽引した黒田清輝の作品。舞妓の若々しい張りのある顔が女の子の不明瞭な描き方の顔と比較されて際立つ。

ただよく見続けると、舞妓の下半身が下方に位置しすぎていて、胴長になっている。女の子の着物がどうなっているのかよく分からない。これは作者が訴えたい部分のみを際立たせたいがためにわざと他の部分を変形させたりしているのか。

長い事この絵を見続けていると、イラストのような、上から降りて来る巨大な爬虫類の頭が見えて来た。舞妓の袖から膝上、女の子の袖に至る輪郭線が下向きのアーチ形に繋がる。これが巨大爬虫類の輪郭となる。

舞妓の足が下方にずれているのは、そこに別の人間が隠れているから。巨大爬虫類の口に当たる生贄の人間がそこにいる。二人ほど折り重なっているようだ。こちらに向けた足は途中で切れていたり、骨が見えたりしている。血の赤が生々しい。女の子の変な形の袂にも生贄の人間がいる。舞妓の足元にも人間が横たわっている。舞妓の尻横には切断された人間の身体のパーツが転がっている。背後の「龍神」に生贄の肉を与えているようだ。

青木繫「黄泉比良坂(よもつひらさか)」1903年 東京芸術大学美術館

死んだイザナミに会いたくて黄泉の国まで来てしまったイザナギ。そこで腐敗した身体を持つイザナミを見てしまい、恐怖の為頭を抱えて黄泉の国から逃げ出す。イザナミは腸が飛び出すほど崩れて原形を保っていない。他の女たちがイザナギを追っている。

ただ神話の一場面を絵にしただけのように見えて実は違う。画面上半分に巨大な爬虫類の頭が隠れている。人間の形をしたものは黄泉の国の死体であろうと何だろうと口に入れてしまう。人間が家畜である事を説明するためだ。

浅井忠 「縫い物」 1902年(明治35年) ブリジストン美術館

留学中のフランスで、縫い物をする婦人を絵にした一見おとなしい作品。しかし実際はとんでもなく恐ろしい作品である。

婦人は椅子に座っているのか、その椅子が良く見えない。黒い靴を履いているのだが左足先がやたら長い。床が汚れているのか、影が出来ているのかよく分からない。

床は血だらけである。青いスカートの下には小さい人間が山積みにされている。足が切れている人がいて、その切断面が向かって右側に見える。婦人の尻の下あたりには血だらけの顔が見える。婦人は手に小さい人間を持っており、背後の「龍神」に与えるつもりなのか。婦人の口が血の色に染まっているのは彼女自身も小さい人間を喰っているのか。

隠し絵の真意は明治以前と変わらない。西洋画に接してより残酷な表現が増えたかもしれない。