名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ゴヤ 「恐怖心」を起こさせて人間を支配する。

人を支配する際に最も有効な手段は、その人に「恐怖心」を抱かせる事である。

悪いウィルスが発生し、死者を調べたらそれに感染していた。だから「死のウィルス」に違いないから全国民がワクチンを打つ必要がある。治験もまだされて無いが非常事態であるから接種会場に何回も打ちに来なさい。・・・・とか。もっと身近な例で言えばテレビ・ラジオのコマーシャル・・・・「まだこれを使ってないのですか。今なら先着何名様にお安くできます。」・・・・とか。最近の気象庁発表も、最初は思いっきり悪く言っておく。政府も環境悪化だ、異常気象だ、温暖化だ、プラスチック削減だ、太陽光発電だ、とか言っているのは全て人を怖がらせて税金を巻き上げる理由でしかない。

「恐怖」に囚われた人間はいくらでも金を出す。人の言いなりになる。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「我が子を食らうサテゥルヌス」 1819~23年 マドリードプラド美術館

神話を、観る人が怖がるような形で描いてある。しかしこの絵の真意は、我が子を喰う父親の姿を鑑賞者が見て怖がらせるだけではない。

巨人の肩から上腕にかけての表現がおかしい。右膝も長すぎる。首を齧られ、赤い血を見せている人間に目を惹きつけられて普通見えて来ないが、この巨人の身体、イラストのような巨大な蛇の首になっている。巨人の右足に見えるのはそいつに喰われる人間である。巨人の頭や喰われかけの人間は単にそこに置かれているにすぎない。巨人の左わきあたりの黒っぽい所が巨大蛇の目である。

呑まれる人間が二人が重なっており、後背位で子作りをしながら喰われているように見える。地面にも人間がたくさん横たわっている。

ジョルジュ・スーラ 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」1884~1886年 シカゴ美術館

全体図の中に丸印を付けた所を見ていただきたい。河の方を見つめる婦人は実は化け物のような顔でこちらを見ている。画面中央の子供は目と口を大きく開き、苦悶の表情である。何者かによって殺されるような「恐怖」を味わっている様子だ。

ウィリアム・ブレイク 「(墓からの)審判の日」 1813年 メトロポリタン美術館

イエス・キリストの座る玉座の下、その後ろ、そしてイエスの周り(画面いっぱいに)には悪魔のような恐ろしげな顔が見えている。人間は死後こんな悪魔のような奴に裁かれて天国行きか地獄行きに分けられるのか。これも「恐怖」でしかない。だから何も考えずに、ひたすら「神」を信じて従うしかない。理解出来なくても素直に信じる事が大事だ。

国宝「千手観音像」絹本著色 平安時代12世紀 掛軸 東京国立博物館

左が全体図、右が部分拡大図だが、この絵は国民の税金で東博に大事に保管されている。古い千手観音の絵だと言われればそう見えなくはないが、遠目に、素直な目で見ればこれはこちらを睨みつける鳥頭の化け物の絵である。

口から先の割れた舌をちょろちょろと出しているのでこれは鳥の先祖の爬虫類である事が分かる。鎌首をもたげた巨大な蛇にも見える。

博物館の閉館後、この絵を遠目に見る事があった人(学芸員か警備員)は、気が付かないのだろうか。そんな化け物の絵があるはずが無いと、最初から思い込んでいる人には視界に入っても見えないのかもしれない。

国宝「高野山聖衆来迎図」絹本著色三福 平安~鎌倉時代  有志八幡講十八箇院蔵 

阿弥陀様が眷属を従えて西の空からお迎えに来る。そんな絵の左下隅、どうなっているのか。岩山に樹の根が絡みついて所々に樹の花が咲いているのか。

そうではない。阿弥陀の来迎と共に、地上では大きな蛇が生贄の人間を喰っている。手も足もバラバラになった人間を咥えている。「阿弥陀」の「陀」は蛇の意味。巨大な蛇の化け物のような生物が空からやって来て人間を食い物にする。

人間は「食い物にすぎない」と言うのが真実なのか。

信じがたいが、絵の中にそれが描かれているのを発見してしまった。「恐怖心」と「信じたくない心」とのせめぎ合いが僕の内部でも起こっている。