ラファエロ・サンティ 「カウパーの小聖母」 1505年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
「ボケて」が好きで、You Tube で「殿堂入りボケて」を良く見て笑っている。この絵がお題にされていて、「電車の優先席に座っている若者の前で、威圧感を与える母子」だとか。確かに母子揃って座っている人を見下げる感じがよく出ている。
首を傾けていかにも文句がありそうな母親であり、決して慈愛に満ちた聖母の顔とは違う。有名なラファエロの描いた聖母だと思って、愛にあふれたマリア様が描いてあるのだと自分に言い聞かせて初めて有難い絵だと思えて来る。物事を皮相面だけで見ている人はそれで満足するのだろう。
輪郭が揺れる線で微妙にぼかされているが、口に何か赤い肉片のような物を含み、頬も少し膨らんでいるのは他の聖母像と同じ。
何故か素っ裸のイエス。聖母が膝に外套を掛けているにもかかわらず、この子は一糸まとわず。外で幼児に服を着せない母親がいるのだろうか。大人びた顔つきのイエス。顎の下も血で真っ赤だ。
その口には何か咥えられていると言うよりも、血を吐いているのかもしれない。聖母と共に描かれる幼児イエスは大抵食糧としての肉体として存在する。
画面上三分の二。背景の空に「蛇神」の目が見える。幼児は彼への貢物なのだろう。人間の幼児の身体は首・手足がバラバラで、マリアが手で押さえる事でかろうじて形を保っている。だから聖母子像の幼児は身体に形がぎくしゃくして不自然な物が多い。首も尻も微妙に位置がずれている。
この絵ではマリアの身体も別の人間で組み立てられているようだ。右肩から右胸辺りが後ろ向きの人間の尻そのものだ。
画面下三分の二。膝に掛けた外套は、皺を良く見るとそこに人間が何体も積み重ねられている。巨人族のマリアに対して小さな人間だ。
全体図。背後の巨大な爬虫類に喰われる人間の図。人間はと殺され、解体され、呑み込みやすいようにされる。
芸術・名画・音楽・文学、それに最近ではテレビ・看板・ポスターその他の媒体にこういった真実が隠し込まれている。地球の支配者が何故わざわざ真実を露出させるのか。それはその支配者が血の通った人間ではなく、宇宙から来た変温動物である蛇に似た生物だからだ。人間はウソを付けるが、奴らにはそれが出来ない。人間より高い知能を持っていて、同じ遺伝子をもって創造した人間にはいつかそれを知られる時がやってくるのを知っている。だから隠さない。長い時間を掛ければ徐々にそれが見えて来る。