名画の中の人喰い蛇

美術館にある名画には蛇の隠し絵がある。その蛇は人間を喰っている。

ルノワール 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」 蛇神の食事会

見える人には見える。見えない人には見えない。

絵画は自然物を二次元に写し取った物であり、写真同様の物であると思っている人はそれ以外の見方が出来ない。視覚は脳を通して認識されるものだから、脳での思い込みしか無い人には見えない。学校でよく教育された人ほど思い込みが激しい。NHKテレビで洗脳がよく施された人には絵画は教養として身に付けるべきものとして受け入れさせられる。何も考えずに、自分の目がどう見えていようとも、この絵はこう見るのだと教え込まされる。いやテレビや画集や何かの評論には、その作品の内容に関してはほとんど説明されない。作品の由来・作者について・技法はこうであるとの説明があっても、何故その作品が美術館で大事に保管され、オークションで高値取引されるのか、その理由が説明されない。解説者はただ「この作品は良い。感銘を与えられた。」とかの感覚を言うばかりで根拠を示さない。

美術館で大事に保管されている名画は、それを鑑賞者に見せる事で人間を支配しているのである。人間の感性の受け入れ安い部分に働きかけて、脳内の深い所にこの世の残酷な真実を示している。宗教と同じように、最終的には「自ら考える事をやめて私に従いなさい。」と服従させる事を目的としている。

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ピエール・オーギュスト・ルノワール 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」 1876年 オルセー美術館(パリ)

この絵の中にも、この世の支配者の姿が隠れている。

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中央の美人二人が際立っていて、男たちの視線もこの二人に向けられている。それゆえに他におかしな描写がある事に気が付きにくい。

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上図左は、画面手前の椅子に座る男の背中。木漏れ日を浴びた自然な描写と見る人が多いだろう。僕も昔家族で山梨のブドウ狩りによく行ったので、ブドウ棚の下の木漏れ日はこんなもんだったなと一瞬納得しそうになる。しかし木漏れ日がこれほど規則的に並ぶのはおかしいのではないか、木漏れ日が立体的にボコボコしているように見えるのもどうだろうか。

上図右はこの男の奥。少年の顔が意味ありげにこちらを振り向いている。頭の後ろから何かわけのわからない茶色い物が被さっている。また少年の顔の前に別の紳士の肩があるのだが、そこに日があたっているせいか変な形が浮かび上がっている。外套を被った死神のような者の顔が見える。さらに手前の婦人の頭の上の丸い帽子、ひどくはっきりとした紺色で、形も黒豆のように丸い。自然な描写ではなく、何か意図的なものを感じる。

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画面左側三分の一に、こんな形が見える。普通に見ていると、ベンチに座る少年と少女、踊りを踊る男女の姿ではあるが、絵を色と図形だけで見、人物を無視して捉えると別の物が見えて来る。ダンスを踊る人の地面は何故か雲の上の様で白く描かれているのだが、その白っぽい地面の輪郭を辿って行くとイラストのような蛇の頭を上から見た形になっているのが見える。この部分図を遠くから見たり、目を細めて見ると見やすいかもしれない。

この巨大な蛇の右目は少年の顔で出来ている。少女の頭は巨大蛇の中に入り込んでいて、その表情に生気が無い。

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画面の真ん中にはこんな巨大蛇の頭がある。奥の少年の顔が左目、手前の娘の顔が右目を形作っている。椅子に座る男を口に入れているようだ。

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画面に右端にはこの巨大蛇が見える。手前の若い男二人を喰っている。

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全体図で見るとこうなる。三匹の巨大蛇が上から降りて来て人間を襲っている図になっている。違った見え方をする人もいるだろうが、一応僕の見え方を示した。また僕自身も同じ絵を何回も見直すと、見直す都度違って見えたりする。実際今イラスト描いている時には見えなかったより巨大な蛇の頭(左上から斜めに降りて来ている)が見え始めたりしている。

またこの同じ絵が、人間男女の交合図になっているのも以前示した(検索してもらうと過去記事が出るはず)。

名画と言われるものには必ず複数の隠し絵が重ねてあるので分かりにくい。