この作品にも神の姿がはっきりと見えている。
ラファエロ・サンティ 「キリストの変容」 1520年 ヴァチカン美術館
福音書によると、イエスは高い山に弟子たちと共に来て、そこで予言者モーセやエリヤと共に光り輝きながら語り合う様子を見せたと言う。ラファエロのこの絵には画面の上半分にそれらしき人物が明るい光の中で浮かび上がっている。この絵を調べるのは2回目であるが、蛇神の顔がはっきりとしている物としてもう一度見る。
真ん中のイエスの後ろに巨大な蛇の顔が見えている。
色を抜いてほぼ白黒にしてみた。イエスの左右にいる予言者たちの片足あたりが巨大な蛇の目になっている。そいつの口元には生贄の石の祭壇があり、捧げられた人間たちが横になっている。
画面の上半分だけを切り取って小さくしてみた。こちらを向いている巨大な蛇が見えるだろうか。
イラスト化すると上図右のようになる。
約束のように決まりきった表現方法がある。巨大な蛇神は上方から降りて来て口先に人間を咥えている。生贄の人間は岩棚のような所に置かれている。イエスやマリアのように神の補助をする人物が巨大蛇の頭の上か目と目の間辺りに乗っている。
生贄の祭壇を作っている岩棚は、ここでは2匹目の巨大蛇神の頭になっている。下方の巨大蛇神は下端の人間を喰っているが、真ん中の女(マグダラのマリア?)が肩に人間を乗せて運んだりして食事の手伝いをしている。
テレビやあらゆるメディアが無かった16世紀のこの時代は、教会の祭壇に飾られる絵などにこう言った隠し絵をして人間たちを騙していたようだ。聖書の教えを正しく描き、有難い絵として坊さんたちが説教の道具として使っていたのか。
実際気付いてしまえばもうそれにしか見えない。この絵を見てイエス様は奇跡を起こせる神の子なのだと、信仰心(やみくもにただ信じる心)を掻き立てられる人はもういないだろう。病気が治ると思い、この絵のイエスに願をかけて祈る人もいなくなるだろう。この神の子を信じる人は仮想現実に迷わされた哀れな家畜である。