名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ブリューゲル 「雪中の狩人」 絵画芸術の目的

名画は何故名画なのか。多くの人がその作品を賛美し、美術館で大事に保管されているから名画なのか。Wikipedia等で解説を見ても、その作品の概要・周辺情報は詳しく書かれているが、何故それに価値があるのか、素晴らしいのかが書かれる事が無い。感覚的に色彩が良いとか、形のリズムが良いとかは解説ではない。何となく感動した・・・と多くの人が言っているからとか、有名な学者が評価しているからとか、文化財に指定されているからとかで皆訳が分からないまま有難がって鑑賞しているのではないか。

絵画芸術の目的は何だろうか。何となく感覚的に賛美する対象として必要なのだろうか。この絵などは確かに写真のように細かく自然を写しているし、結構大きな絵であり、作者も力を入れて描いたのだろう事は分かるが何を目的にしたのかが分からない。

ピーテル・ブリューゲル 「雪中の狩人」 1565年 ウィーン美術史美術館

117センチ×162センチ

猟師が三人狩りから帰ってくる。獲物は狐一匹だけ。やせ犬たちも猟師も皆うなだれている。冬の景色の寒さが身に染みる。人々はスケート場で遊びほうけていたり、焚火をして温まっているのに自分たちは今夜の食い物も無い。空にはカササギが寂しく飛んで一層の悲しさを感じさせる。

この絵は単に現実の生活の厳しさ・寒さを描いた物なのだろうか。

猟師三人がうつむきながら山道を下る姿。狐一匹しか獲れなかった。毛皮にでもして売って金に換えるしかない。しかし今夜の食い物はどうしよう。

面白いのは猟師が担いでいるのが、鉄砲ではなく、「槍」である事だ。この絵は1565年の物。日本の種子島に鉄砲が伝来したのが1543年とされるから、鉄砲の本場のヨーロッパで、いくらネーデルランドの貧しい農民であっても鉄砲くらい持っていてもおかしくないのではないか。この猟師たちは他にナイフと縄くらいしか持ってない。美術解説者はこの事の理由を教えてくれない。

太古の時代の狩猟を描いているのではないか。

とぼとぼと付いて行くやせ犬たち。子犬なのか、小型犬なのか、小さいのも一緒にいる。犬種も雑多であり、いかにも下手な猟師のイメージがある。

丘の下の氷結した河では、人々がスケート、カーリング等で遊んで楽しそうだ。

寒々しい冬景色。全てが雪で白くなっており、空に飛ぶカササギが寂しさを増させる。カラスよりも少し小さく、尾が長く、腹が白くなっているこの鳥は、西洋ではカラスと共に不吉な物を示唆する。

猟に失敗した彼らに待つ今後の生活を暗示しているのかもしれない。

画面左の家は教会関係の家なのだろうか。聖人の描かれた看板が外れかかっており、神に見放されたことの暗示だろうか。カササギの羽もあまりきれいに揃ってない。

キツネの脚を束ねて逆さ吊り、槍に乗せて背負っているらしいが、このキツネ、拡大してみるとどうもキツネでは無いようだ。尻尾の所に目鼻が見える。キツネの顔がトカゲにも見えるし揃えた脚にも見える。イラストで描いた様に小さな人間なのかもしれない。

さらに拡大するとより良く見える。これは小さな人間が二人、背負われている。尻尾の所に顔を見せる一人と、もう一人は・・・・顔が無い。両手を上に挙げている。この人間の顔は、背負った人物の腰の辺りにぶら下がっている。尻にナイフがあるが、これで首を切り落としたのだろう。

猟師たちは獣を狩っていたのではなく、人間を狩っていた。太古の昔そのままの形で、槍やナイフを用いて狩り集められている。

この絵はこの時代の獣の狩猟を描いているのではなく、人間が誕生したころから続いている方法での狩猟(人間狩り)が描かれている。

狩猟の目的はもちろん「神」に捧げるため。

全体図の隠し絵でも、登場人物たちも獲物も全て「蛇神」の口に入る様子が描かれている。

狩人たちが歩く丘は巨大な人間の尻の上であり、その尻の間から人間の子供がたくさん生まれる様子が表現されている。人間は「神」に喰われ、数を減らした分だけ産み、増やす事が望まれる。つまり「神」によって家畜として飼われていると言う事である。

また。こんな隠し絵も見えたりする。大股を開いて子供を産む女性の図である。目を細めて狩人の上の樹々を見ると、イラストのような人の顔が見え、右下の河に架かる橋の辺りから産まれ出る子供が見える。

名画と言うのは、家畜としての人間を指導する指南書のような役目を負っており、いわば家畜を洗脳して増産を促す為のものである。名画を見た人間は知らず知らずに生殖し、子供を産んで子孫を増やしている。「神」の為に肉と血を生産し続けている。