名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

アンドレア・デル・サルト 「聖母子と幼児の洗礼者聖ヨハネ」 幼児の身体を捧げるマリア

ダヴィンチより少し後の、フィレンツェの画家。夏目漱石の「吾輩は猫である」に出て来る名前「アンドレア・デル・サルト」。

西洋観音マリアと幼児イエス、幼児洗礼者ヨハネの描かれた絵である。

アンドレア・デル・サルト 「聖母子と幼児の洗礼者ヨハネ」 16世紀後半 ダルウィッチ・ピクチャー・ギャラリー

若いマリアとその膝の上で足をピンと伸ばして元気そうなイエス、それとどこを見ているのか分からないヨハネがいる。マリアはヨハネを見つめる。

この絵で最初に気付くおかしな点は、ヨハネだ。毛皮の服を着、十字架を背負っているのはお約束通りなのだが、顔が無表情で死んだような目をしている。

虚ろな目。それと口から何か赤い物が出ていないか。顎から首にかけても変に赤い。

背後にある十字架の為に髪の毛が変な形に乱れている。ひょっとしてこの十字架棒、ヨハネの頭に突き刺さってないか。そして右の顎下あたりに突き出ているようにも見える。十字架の棒が上と下で色が違うのは、下に突き出た部分が血で染められているからか。

イラスト化してみた。顎下に吹きだした血があるように見える。口から出ているのは血反吐? 

毛皮の服を良く見ると、いやに赤い。この子の肩から下は無くなっていて、断面が見え、肉がめくれ上がっているのではないか。

幼児イエスの方。拡大してみると何かを恐れているような表情をしている。

この子も口から赤っぽい物を出している(おっぱいを呑むには大きすぎるからよだれ?・・・にも見える)。それと手が赤すぎないか。コントラストを少し強めただけなのだが、手が血だらけのように見える。

幼児の身体を支えるマリアの手に触れている部分だけ、幼児の身体が赤くなっている。血が付いているようだ。左手の先には幼児の太ももがあるが、指先で突かれたような損傷がある。

この幼児の身体、バランスが悪い。足が大きすぎるし、頭が小さく、身体と繋がってない。手足バラバラのパーツをマリアが組み立てて支えているように見える。

マリアの身体にも、別の小さな人間が数体見ることが出来る。わきに抱えたり、足の所に置いたりしていて、それでマリアの服のように見せている。

マリアの顔。拡大してみると、目の冷たさがよく分かる。ヨハネを見るその目には何の愛情も感じられない。

右頬が若干膨らんでいるのは、何かを口に入れているからか。

解像度が今一つ足りなくて分かりにくいが、上下の唇に挟まれた赤い部分に、牙のような物が見えないだろうか。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖アンナと聖母子」(部分) 1508年頃 ルーブル美術館

ダヴィンチの描いたマリアの顔。こちらの口にははっきりと牙が見えている。ちょうど蛇の毒牙のようであり、マリアが蛇の遺伝子を強く受け継いでいる事が伺える。

アンドレア・デル・サルトのマリアもこんな牙で幼児の身体を切り刻み、口や顔を血だらけにして喰っていた事が表現されている。

マリアは「蛇神」にとって三次元上での食糧調達係、人間の洗脳・教育係だと思う。異次元の生命体であり、あまりにも巨大な生命体である「蛇神」が、小さな人間を家畜化する為に創ったものに違いない。

この絵でも、マリアは人間の幼児たちを捕まえ、その肉体を解体し、背後に来ている「蛇神」に与えている。彼らにとって人間は食い物だから、頭に棒を刺したり、肩から切断したり、手足をバラして分解したりするのも、別に残酷でも何でもなく、普段通りの食事風景なのだ。