蛇に睨まれたカエル。人間の存在は正にそのカエル状態。生まれてからずっと嘘を教えられ、何者かの強大な力に押さえ付けられ、目指す方向は決められている。「神」を信じること、ただ素直に信じる事。学問し、労働し、税金を納める事が義務である。そして結婚して子孫を増やし、幸せな家族を作る事が至上の目的とされる。
これで良いのか。これでは家畜と変わらないのではないか。何者かにコントロールされているのではないか。
ジョバンニ・ベッリーニ 「聖母子」恐らく1480~1500年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
冷たい眼差しの聖母マリア、体形がどこか不自然で生気の無い幼子イエス。窓の外に見えるのは、子供を閉じ込めておくための洞穴。いわば人間の貯蔵庫。
イエスは生きているのか死んでいるのか分からない。暴れず喚かずおとなしくしているのは、死にそうになっているのかもしくは催眠術のような物を掛けられて心がそこに無い状態なのだろう。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖アンナと聖母子」 1508年頃 ルーブル美術館
聖母がその母の足に尻を乗せている。おかしな母娘だ。二人とも羊を捕まえたイエスの方を見ている。口からよだれだか血だか分からない物を垂らしている。羊と戯れるイエスを微笑ましくあやす二人の絵では決して無い。
イエスの左目は瞳孔が開いてしまっているのか。右目は逆に瞳孔が閉まって小さくなっている。死体のような目だ。もしくは目くらましによって幻覚を見せられているのか。イエスの左手はナイフを持ち、子羊の頭を刺している。聖アンナと聖母マリアの二人にコントロールされているのか。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 「サルバトール・ムンディ(救世主)」 1500年頃
現在、たしか中東の大富豪が私蔵していると聞く。
大人になったイエスの顔、その目。左右の瞳の大きさが違うのは先の幼児イエスと同じ。ただこの目は、幻惑させられている目ではなく、他を幻惑する方の目だ。催眠術師の目。キリスト教と言う悪魔教を信じさせようとしている目。詐欺師の目。
ミケランジェロ・ブオナローティ 「サウルの改宗」 1542~1545年 ヴァチカン・パオリナ礼拝堂
異教徒であったサウル(パウロ)を「神」が空から光を当てて盲目にしてしまう。その後目から鱗が落ちるように目が見えるようになる。
地上の人々、空の神々を群像として捉え、輪郭線を繋いで大きく見ると、こんなイラストのようになる。地上に仰向けに転がった人間が見える。天の「蛇神」の目から地上の人間の目に向けて光が発射される。
これはキリスト教の教義の伝達だろうか。テレパシーを飛ばして人間に教義を一瞬で伝えられる技術があるのだろうか。
「蛇神」の目から光が出ている。「幻惑光線」とでも言えそうだ。蛇に睨まれたカエルは正にこれに当たるのかもしれない。
ピーテル・ブリューゲル 「盲人の寓意」 1568年 カポティモンテ国立美術館(ナポリ)
盲人が盲人に捕まり歩いている。先頭の盲人が池に落ちると・・・・。
この絵を解析すると、先頭の盲人が落ちているのは池ではなく、巨大な爬虫類の口に中である。地面には別の人間がたくさん転がっていて、正にここは生贄の祭壇になっている。上方からも巨大な爬虫類が降りて来ている。
盲人たち。皆知性が無さそうな顔立ちである。我々もこの男たちと大して変わらない。
小さい頃から家や学校で間違った教育を受け、間違った歴史を習い、テレビでも国民の白痴化を図られ、毒入りの菓子を与えられ、知能が働かないようにさせられている。
僕自身「お前はいつもボーっとしている」とか言われ続けていた。この絵の盲人と変わりない。そして導かれる所は、巨大爬虫類の腹の中。
この家畜生活パターンを何とかして打ち破りたいものだ。