名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ゴヤ 「マドリード 1808年5月3日」 人間世界の残酷な現実を絵にしたのではなく、それによって人間家畜の真実を描く

フランシスコ・デ・ゴヤ 「マドリード 1808年5月3日」 1841年 プラド美術館

画題は別名で「プリンシペ・ピオの丘での虐殺」。マドリードにおいて市民の暴動を鎮圧したフランス軍銃殺隊が400人以上の市民を虐殺した事件を描く。

中央の白服の男にスポットライト(地上に置かれたランタンの光)が当たって視線が集まるようになっている。男の両手の平に聖痕があるのは、殉教者イエスに見立てているのか。

銃剣の先にいる三人ほどの人の挙動がおかしい。イラスト化する過程で元絵を良く見てみると、この三人は小さな人間を口に入れているようだ。

誰も銃殺される彼を直視することが出来ない。何の罪もない市民を殺す事に罪悪感を持っているからか。それにしても兵隊の外套の色・帽子の色・背中に背負った毛布(?)の色がすべて違うのは何故か。軍隊での支給品ならば同じ色だと思うが‥。意にそわない殺しをやる兵隊を描くならばもっと色を押さえた方が良いと思うのだが…。

それとこの背中の毛布みたいな物、手足を切断した人体にも見える。腰の辺りが血に染まってないか。

腰のサーベルが地面に着いてしまっているのもおかしい。これでは走れないのでは…。銃を担いでサーベルをズルズル引きずって走るのか。

ランタンの後ろの男、黒い化け物蛇に咥えられて首だけになっているようだ。

兵隊の足下の地面には別の人間がたくさん横たわっている。銃殺された人間ではなく、別の生物に捧げるためにそこに置かれているのだろう。

無実の市民が虐殺される場面、上官の命令で仕方なく銃殺刑を執行する兵隊、それらの人間模様を描いた劇的な場面の作品・・・と見えるが実はそうではない。こういった地上での人間模様のその奥には別の大きな前提がある。地上の人間の生き死にを制御する「神」の存在を表しているし、「神」が人間を何のために存在させているのかも絵の中に表している。すなわち「神」の喰い物になるために人間が存在している。人間は「神」の為の血と肉の提供者でもあるし、労働の対価としての富をも「神」に捧げさせられる。

この絵の全体図では、暗い夜の空の中に何匹もの巨大な「神」の姿が見えているし、画面左方向から巨大な爬虫類のような顔がせり出て来ている。魚の頭のようであり、市民たちを一呑みにする。画面右側には銃殺隊を口に入れる巨大爬虫類の正面顔が見える。左右の「神」の顔が中央で重なっている。「神」は3次元では捉えられない別次元に存在しているようだ。ただ人間と言う有機物を摂取するのだから3次元空間とその別次元を行ったり来たりしているのか。