世の中の人はこの美少女の肖像が絵画芸術の中で好感度ナンバーワンのように感じているかもしれない。美しい物をより美しく絵にし、人々を魅了するのが絵画芸術であると思うのは当然だと思う。しかしその美しさで人々を虜にし全く別のメッセージをも込められているとしたらどうだろう。あたかもテレビのように視聴者の目を引き、感じ入らせてからコマーシャルを見させる手法に似た物がここにも見られる。
ヨハネス・フェルメール 「真珠の耳飾りの少女」 1665年頃 マウリッツハイス美術館(オランダ・ハーグ)
前回この絵を調べた時、蛇型生命体が人間を喰う事はもちろんの事、この少女も神の食糧として解体されている姿が画面のあちこちに見られた。
頭のターバンの所には、画面を縦に縮めると見えて来る人間像があった。その人間は上にいる蛇の口に咥えられている。
全体図で見ると、この少女の顔から服に至るまで大小の人間が積み重ねられている事が分かった。背景も均一な黒ではなく、微妙な明暗で人体のパーツが散らばっていた。上方の大蛇がそれらを喰っている。
今回は背景の部分をより良く見てみたい。全体を明るくしてみた。
そこに筆の跡や絵具の色むらとは思えない陰影が浮かび上がる。ここを長い時間を掛けて見続けると次第に形が見えて来る。人間の尻の形、大蛇の頭等が見えて来る。
また話はずれるが、こうして極端に明るくすると背景では無いがこの少女、ひどく猫背で(せむしと言っても良いような背中の曲線を持つ)おかしな体形をしている事がよく分かる。
全体のイラストを背景中心に描き直してみた。画面向かって左側に下半身が見えるのは同じである。腰の所は恐らく切断面。少女の額の前に手が見える。その左には仰向けになった子供っぽい人間の顔。上の大蛇に襲われている。さらに少女の首の後ろにはターバン越しに人間の顔。逆さになっているらしく、その左腕も下に向かってだらんと垂れている。この人間も上の大蛇に呑まれている。
(背中が変に膨らんでいるのは肩に小さな人間を担いでいるからのようだ。)
またこんな風にも見えた。画面左下隅。少女の下半身、尻から下が見えるが、逆さ吊りになった人間の顔が大きく描かれているようにも見える。口らしき所、歯らしき所も見える。その右側には大きさの違う人間の下半身がある。一つの絵の中にこうして複数の隠し絵が含まれているのでなかなか気付きにくい。
フェルメールの絵の中には逆さ吊りの人間がよく見つかる。「窓辺で手紙を読む女」では手前のカーテンの中にあり、人肉の吊るし保管の状態が想像できる。「取り持ち女」ではテーブルクロスの中に逆さの女がいるが、これは大蛇の体内の既に呑み込まれた人間を表していた。どちらにせよ人肉は喰われる為にある事を伝えている。
絵画芸術も現在のテレビのように蛇神の洗脳装置であるらしい。「蛇神に従え」「眠ったままでいよ」「繁殖せよ」等のメッセージを伝え、家畜である事・肉を増産する事(子孫を増やす事)を人間の目に焼き付けるのを目的としている。
最近もテレビで気象庁が「数年に一度の寒波が来る」とか言っている。「数年に一度」? それは普通じゃないのか。今までもあった事をことさら大げさな表現で言って人々に恐怖心を起こさせている。
蛇神の中にも色々な性格の者がおり、人間に同情的な者もいるらしい。そう言う者が時々真実を人間に伝えたりする。画家の中にもいるはずである。フェルメールはことさら残酷な隠し絵を込めているから違う。ダヴィンチか手塚治虫辺りがそう言う者かもしれない。