名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

スルバラン 「聖母子と洗礼者ヨハネ」 人間は神の喰い物 人生は修行の場

 

また一つ一つの作品を手探りで調べて行く毎日を始めた。

それがこの世界の真実を探る事になる。自分の目を信じて、見える事を素直に、勇気をもって見えると言って行きたい。

フランシスコ・デ・スルバラン 「聖母子と洗礼者ヨハネ」 1662年 ビルバオ美術館(スペイン)

画面が非常に暗い。ニスの厚塗りしすぎか、絵具の劣化か。元絵を画僧処理して明るくして調べる。

聖処女マリアの顔。何だか性格がゆがんでいそうだ。この目つきの悪さは万人が崇める聖女の顔とは思えない。左目はイエスから目をそらしているが、右目は鑑賞者の方をしっかりと睨みつけている。何か真実を隠している、そんな表情だ。

聖母マリアの口、右端に飛び出しているのは何? イカのゲソか何かの肉片ではないのか。上唇と下唇の間にも良く見ると何かが描かれているようだが良く見えない。小さな人間が口から出ようとして手だけ飛び出しているようにも見える。口の周りが血の赤に染まっているような・・・。

幼子イエスは何故か裸だ。マリアもヨハネも厚手の服を着ているのに、イエスだけは白い布を引っ掛けただけ。この母は子を大事にしてない。それとイエスの身体は変に縦長で大きい。赤ん坊だったら身体に対して頭がもう少し大きいと思うのだが。可愛くない。

イラスト化しながらよく観察すると、この子の身体は首・胴・手・足全てがバラバラである。うまく繋がってない。身体のパーツをそこに並べてマリアとヨハネが支えているだけ。

目が死んでいる。可愛くない。この子を救い主として拝めと言うのか。

血抜きされた家畜肉のように見える。

このヨハネはイエスの手にキスをしているのか。普通キスは手の甲にするのではないのか。ヨハネの口の中に牙にも見える歯が見え、まるでイエスの人差し指を齧った様な表現になっている。

聖母の背後に何故か果物がある。机の上に銀の皿。その上に洋梨、桃と思える物が置いてある。どちらも同じような色合いなのが不思議だ。人の肌の色と血の色が施されている。小さな人が丸まっているのか。6個あるが右奥の1個は髑髏ではないか。

この果物は空から降りて来る神への生贄の人間ではないのか。

全体図を見ると、背景に巨大な「神」(蛇の正面顔をしている)が迫っている。

聖母マリアはどこから集めたのか、人間たちをたくさん積み重ねて膝のように見せている。イエスもそのうちの一人で、神の子などではなく単なる喰い物としての肉塊である。ヨハネはイエスに喰い付くが、自身も大蛇に体半分呑み込まれた生け贄にすぎない。左下の羊ももちろん人間の積み重ねである。

 

名画は「人間は神の喰い物」だと隠し絵で言っている。神が地球外生命体であり、地球上に自分の遺伝子を既存の地球生命体に加えて人間を創り、それを摂取して生命を維持しているとしたら、それはそれで宇宙の生命の真理に基づく正当な行為であるかもしれない。ただ喰われる人間としては悲しみ・苦しみ等憎悪の感情が湧くのも当然である。人間に喰われる牛豚鳥の家畜たちに言葉が吐けたなら、それは人間に対する激しい憎悪の言葉になるに違いない。人は誰もこの悲しい人生を終えてみないと分からない事かもしれない。人生は「修行の場」と考える事が正しいと思える。