名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ミケランジェロ 「原罪と楽園追放」 知恵の実をくれた悪魔は天使?

僕が主張している「名画の中に人間を喰う蛇が隠されていて、その蛇は人間を喰い、人間を今でも支配している存在(人間には「神」と思わせている存在)だ。」などを信じてくれる人は少ないらしい。ふざけたオカルト説だと鼻で笑われているのかもしれない。僕は自分の目を信じて訴え続けるしかないのだが、手段が悪いのかなかなか伝わらない。試行錯誤しながら続けて行こうと思う。

ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画、今回は「原罪と楽園追放」

真ん中の「イヴの創造」、隣に「アダムの創造」、反対側にこの「原罪と楽園追放」が描かれている。この絵自体は中央に蛇の絡みつく「知恵の実の樹」があり、左側が楽園の中のアダムとイヴが悪魔の蛇に「知恵の実」を与えられている場面、右側に天使によって追放される二人が描かれている。時間的ずれを同時に一画面の中に描いている。

悪魔は上半身が人で、下半身が蛇になっている。

この絵で特に感じる事は、イヴが男っぽい筋肉質な身体を取っている事である。若々しく、健康的なイヴに見惚れて他の物があまり目に入らない。

前々から疑問に思っていたのだが、このイヴ、アダムの股間の物を目の前にして、悪魔に「知恵の実」をもらうために振り向く前は何をしていたのか。どうもエロい想像をしてしまう。

イラスト化してみた。細部までよく見える高画質の画像が手に入らないのでよく分からない。ただ顔がやたら赤いのが気になる。それに首が異様に長い。

アダムの方は顔がよく見えない。口から何かが出ているように見えるし、髪の毛が大蛇の頭に見える。

「知恵の実」はここではイチジクのようだ。しかし実も葉も全て灰色で生彩が無い。食べてはいけない実だから灰色で描いたのか、人物たちを目立たせるために色を取ったのか。

ネットで拾ったイチジクの写真。左から葉・主枝・実。絵は確かにイチジクだが、幹が非常に太い。人が乗っても平気なほど育った自然木なのだろうか。

悪魔の蛇は実を片手でまとめて三個くらい手渡しているが、どうだろう。こんな渡し方は出来ないと思う。イチジクの実は枝に直接生っているから取ってこんな風にまとめて持とうとすると下に落ちてしまう。前に育てた事があるので知っているが、イチジクはまとめて持つことは(手の平を上にするのでなければ)出来ない。

これはイヴが悪魔に生贄の小さな人間を与えている様子だと見れば納得できる。

イヴの右手が変だ。真ん中の指だけ色が違う。まるで「葉巻」を持っているようだ。手首と腕の境界もはっきりしすぎている。これはイラストのように、小さな人間が折り重なって形を作っているのではないか。だとするとイヴの右手はここには無い。

画面左側はエデンの園であり、緑豊かな、食べ物も豊富にある南の国の楽園のような所かと思いきや、この絵では岩と枯れ木の荒涼とした無味乾燥地帯である。唯一緑っぽい物はイチジクの樹なのだがそれも暗い灰色で描かれている。聖書の記述とはずいぶん違うではないか。この辺は誰も疑問に思わないのか。

・・・・後ろの枯れ木は人間の足(切断された)である。イチジクの樹の根元の蛇の尻尾は人間の腕である。よーく見ていただければわかると思う。

樹の根元の赤っぽい部分も人間の身体のパーツであろう。他にもあちこちに人間が転がっているようだ。

下半身が蛇になっている悪魔。とは言いながら表情が死んでいる。下半身を大蛇に呑まれた人間ではないのか。

右の天使、足先が不明確だが、この赤い足はどうやら大蛇の胴体であるらしい。大蛇に巻き付かれて下半身を呑まれた人間だろう。苦しそうな顔をしている。

悪魔も天使も同じように大蛇に繋がっていて、同じように樹に絡みついている。悪魔も天使も同じ物の裏表と言う事なのだろう。

楽園を追い出された二人に、既に若々しさは無い。特にイヴの身体の肌の艶は失せ、老婆のようだ。楽園を追放され、二人は老い・病気・死に悩まされ、男は戦いによる痛みに耐え、女は子を産む苦しさを耐え、ありとあらゆる艱難困苦に見舞われるのだろう。

楽園のアダムとイヴ。隠れている部分は全て切断されて地面に転がっていたり、突き刺さっていたりする。この二人は神の食糧として創造された事がこういう形で説明される。「知恵の実」を食べる前の二人には恐怖も悩みも何も無い。ただ黙々と生き、食べられるだけである。

画面左の二人に覆いかぶさる巨大な「蛇神」が見えて来た。画面右側の二人の背後に性行為をしている人間の隠し絵が見えて来た。追放された二人の背後が平たんな地平線で穏やかな様子を見せているのが面白い。

「知恵の実」を食べる事が原罪とされるのはどうしてなのだろう。「知恵の実」を食べて気楽な楽園生活をやめ、生老病死の苦しみに向かい合う事は、同時にそれを克服した暁にそれなりの喜びを知る事になるのではないか。餌を無条件で与えられる家畜小屋にいるよりも、自ら苦労して食物を生産し、自らの意思で繁殖する方が喜ばしい。「知恵の実」を与えてくれた悪魔は天使であるかもしれない。