名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ミケランジェロ 「ノアの燔祭」 人肉食のエロジジイ

システィーナ礼拝堂天井画のメイン画題創世記の9場面のうち、「ノアの燔祭」に注目した。

この写真では右から順に、「光と闇の分離」・「太陽・月・植物の創造」・「大地と水の分離」・「アダムの創造」・「エヴァの創造」・「楽園追放」・「ノアの燔祭」・「ノアの大洪水」・「ノアの泥酔」の順番で描かれている。左から数えれば三つ目。「ノアの燔祭」は洪水の後、水が乾いた地上で神に感謝して生贄を捧げたのだが、この天井画では何故か洪水より先に位置している。

逞しい青年裸像に囲まれて小さめに描かれている。人物はノアとその妻、三人の息子たちとその妻たちだろう。ノアが竈(かまど)のような物の前で火で何かをあぶっているらしい。息子たちが薪を用意し、かまどの火を見、生贄の羊を切り裂いて内臓を取り出して妻に渡している所らしい。ノアはそれを焼いているのか。窓の外には箱舟に乗って生き延びた善良な牛・馬たちがその光景を覗いている。

生贄の祭壇にしては火力が弱すぎる。炊き初めか。五徳も何もなく、不思議な竈である。

向かって左側にいる、恐らく息子の若い嫁がノア爺さんの股間の物を握っているように見える。ノアはこの時601歳。

この爺さんは950歳まで生きたというからまだまだ元気だ。気持ちよさそうな顔をしている。横の(おそらく)妻の表情が面白い。「ねえ、あんた。若い女に握ってもらって気持ちいいかい。」とでも言っていそうだ。

竈の手前で息子が羊をさばいている。何故か素っ裸である。羊の喉を切り裂いて内臓を取り出したのだろうか。だとするとおかしい事がある。ナイフのような刃物をこの青年は持ってないし、羊の首あたりの形が変だ。頭の毛がノアの祭壇の火と重なって見える。ひょっとしてノアはこの青年の頭に手を突っ込んで肉として喰っているのではないか。青年の左足は切れていて、足先が羊の顔になっている。

青年の腹に横に二重線が有り、青年はそこから内臓を取り出し、横の婦人に渡しているのか。レオナルド・ダ・ヴィンチの「荒野の聖ヒエロニムス」は自身の心臓を取り出して血を絞って桶に入れて捧げていたがそれと似ている。

女に渡しているのは羊の内臓と言うよりも、ヒトの腸ではないか。ずいぶんと赤い。

火加減を見る息子は顔を近づけすぎてやけどしそうだが、この頭、蛇の正面から見た顔に見える。生贄台の窓から顔を覗かせて青年の頭にぱっくりと喰い付いた蛇ではないか。

イラスト化するとこう。己の腸を持つ青年の右手も既に切断されており黒ずんでいる。

生贄台の手前にいる三人。皆足を切られており、なおかつ性行為の途中である。

奥の婦人の腹には大きな一物があり、手前の青年を背後から犯そうとしている。羊の跨った青年は物を自分でしごいている。「楽園追放」のアダムのようにエヴァの顔の真ん前で一物をさらしている。この羊の顔も右の青年の足元の羊と同様に、青年の足であろう。右足が切断され、逆さになって足先が上になって羊の顔に見えていると思う。

全体図。羊に跨る青年も腹に二重の切り傷があり、四つん這いの青年も荒の辺りが不自然である。裸の青年三人は皆腹から内臓を取り出してノア爺さんに喰わせているらしい。

また皆片足が切断されている。向かって右の青年も片足が切れているが、手に束ねて持っているのも人間の足であるようだ。

つまり生贄に捧げているのは、羊の肉ではなく、人間の肉である。ここでは生贄自身が自らの肉を切って捧げている。

もう少し分かり易くイラストを描き加えてみた。青年たちは皆腹を掻っ捌いた跡がある。また左の青年の頭は鉈のような、刃物のような物を当てられているし、婦人に見えた服を着た男の頭も、背後の若い女が何かして血が出ているように見える。右の薪を持つ青年の頭には大蛇が喰い付いている。

こうして詳しく見て来ると、また違って見えて来た。

ノアは真っ赤な血の色の服を着ている。上に上げた右手には何か持っている。左の若い女が手に掴んでいるのはヒトの腸ではないか。

ノアの右手。人差し指の位置と大きさがおかしい。何かを握っているのが分かる。ノアは爬虫類遺伝子が強い三本指(トカゲやトリのような)だとするとこれは人差し指・親指ではなく、指以外の何かと言う事になる。Y 字型またはU字型の刃物を持っているか、腸その物を持っていると考えられる。

ノアのやっているのは神に感謝の気持ちを表す「燔祭」なのだろうか。ただの「人肉パーティ」・「カーニバル」・「カニバリズム」ではないか。

この絵でははっきりとは見えないが、確かに画面上半分位を占める範囲で、「蛇神」の頭の形が見て採れる。ノアがその額の上にいる形になるようだ。