日曜日に畑の近くの神社でお祭りがあった。
「祭り」はカーニバルであり、カニバリズム(人肉食)に通じると誰かが言っていた。神社と言うのは生贄の人肉を保管する場所だという。「祭り」と言うのは蛇神に生贄の人肉を供与する行事であるらしい。それが今でも行われているのかどうか。秘密裏に行われているのかもしれない。
横山大観 「龍興而到雲」 1937年(昭和12年) 島根県足立美術館
日本の神は龍の形を採ったりする。今回は龍神様の絵を見てみることにした。
横山大観のこの龍は掛け軸に描かれていて、「龍興きて雲に到る」と言う画題である。岩や水のある所から龍が起き上がり、雲の中に入っている。龍の体がどうくねっていて何処から3本爪の足が生えているのか判別できない絵である。
奈良興福寺の彫刻「龍灯鬼」で以前見たが、そこの龍は蛇の集まりであった。この絵もどうやら同じく蛇の集まりであるようだ。髭の先・舌の先等に蛇の眼らしき点がある。黄色い目玉にも蛇の眼がうっすらと見える。黒目部分はその蛇の口らしい。ただ西洋絵画ほどはっきりとは見えない。
3本爪の所にも目がある。
ここでは龍本体よりも周りの雲の中に蛇画像が描かれているのに気付く。
画面を大きく見ると、どこもかしこも蛇で描かれていて、蛇の形を捉えられないところはない。巨大な蛇の顔を詳細に見ると、その中に少し小さめの蛇の顔が描き込んである。龍の体は比較的小さな蛇の集まりであり、その周りの雲の中に巨大な蛇神がたくさんいる。むしろそちらの方が主体であるようだ。
巨大な蛇神たちは例によって上から降りて来て下の方に口を向けている。下の方にあるのは・・・・
これは人間ではないか。丸顔の人間が上向きで横たわっている。左に見える体は布にくるまれているのか。両手をエジプトのミイラの様に交差し、膝を折り曲げた形で包まれている。ミレーの「晩鐘」で見たイモ袋の子供を思い出す。それがここでは横たわっている。向こうには小さな子供が口を大きく開け、右手を上にあげている。・・・・と言うより、右手を上から来た大蛇に噛み付かれている。
全体図を見直すと、この絵はこんな風に見る事ができる(上図右イラスト)。
画面下方に蛇神への生贄の人間の子供がいる。既に喰い始めている。後ろの子供は右手先を噛まれて持っていかれている。
そして龍の右下にも生贄の人間がいた。蛇の連結にも見えるのだが、同時に人間の裸の上半身にも見える。腹から下を巨大な蛇に呑まれて逆さになっている。この人の片手両足は見えないが、ひょっとして画面の中のどこかに描かれているのかもしれないが判別できない。
この絵の中の犠牲者は若い父母と赤ん坊かもしれない。
いずれにしてもこの絵もゴーギャン等が描いた蛇神への生贄の図に間違いない。
生贄の儀式の縁日、それが神社の「祭り」。