雪舟等揚筆 「紙本墨画秋冬山水画」 2幅の内「冬景図」 約40×30㎝ 15世紀末~16世紀初(室町時代) 東京国立博物館 国宝
この作品を調べるのは二度目である。前回は下の様に見えた。
絵の中に蛇・恐竜・宇宙人・髑髏・怪物が散りばめられているように見えた。この絵の作者は人間とは違う生き物だと思った。
一年ほど経って見直すとまた別の物が見えて来た。
画面中央の人のいるあたりの拡大図である。背後の山、手前の山には人間の遺体が積み重なっている。ほんのわずかな陰影をトレースしながら追って行くとこんなイラストになった。人の尻に見える所、頭に、肩に見える所を繋いで行くと人体の他の部分があるべき所にある。間違いなく隠し絵である。
ここには描かなかったが人物の背後に髑髏がぼんやりと浮かび上がっている。
絵の下半分で見るとさらに多くの人間が見付けられる。うつ伏せ・仰向け・四つん這い等様々な格好で描かれている。所々に蛇が這っている(イラストでは青色部分)。人体にも大蛇の頭にも見える部分があり、これは「天橋立図」と同様である。
大きい人間と小さい人間が共存している・・・・と言うよりは小さな人間を包括して大きい人間が出来ているらしい。言い換えると大きな人間の身体の中に小さな人間が何人か見て採れる。だからイラストでそれを示すのが難しい。
画面上半分。例によって上空から巨大な蛇が降りて来ている。生贄の人間を喰いに来たのである。何人かの人間は巨大蛇に咥えられ空中に吊り上げられている。中央の縦筋に沿って一匹の巨大蛇が垂れ下がっている(イラストでは水色で描いた)が、その頭は既に呑み込んだ人間でいっぱいである。頭の中に体内の人間が透けて見えている。
この画面を左右に切り裂く縦線は、冬の厳しさを表すのに雪舟ならではの大胆な手法と思われたが、そうでは無く人食い蛇の輪郭を示していたのである。
画面上下を繋げて全体図にすると、巨大な蛇神が生贄の人間たちを喰っている様子が良く見える。右上から降りて来るそれを見れば、比較的小さな蛇の頭が幾つも上下に連なっており、その小さな蛇を含めた中くらいの蛇の頭になっている。
そして中くらいの蛇を合わせてさらに大きな蛇神に見えるようになっている。人体と同じように蛇も小さい物から中くらい、大きい物まで何段階にも捉えられるように描かれている。
絵としても、山の景色であり、生贄の人間であり、同時に大蛇であると言う三段階くらいの重複した表現が成されている。「三」と言う数に奴らはのこだわりがあるかもしれない。
そしてこんな見方も出来るのだがどうであろう。
生贄の人間の山を大きく見ると皆尻をこちらに向けて倒れている。空の蛇神も人の尻の集まりに見える。それらの尻の割れ目から何かが垂れている。それは点景の人間であったり、隠し絵の人間の顔であったり、蛇に咥えられる人間であったりする。「人間は糞のような物」と言う事を隠し込んでいたセザンヌ・ルノワールと同じ物がここにもあるように思える。思い違いだろうか。
人間は目から入った情報を脳を介して取捨選択して思った通りの物だけを採る。思考と目に見える物は連携しているのである。僕のように心が汚れている者には汚れた物に見えると言う事なのか。
画面中央の大胆な縦線は尻の割れ目(イラストでは青色で表した)、尻から白い物が噴き出ている。生贄の人間の山は「糞」の山、という風に見えて来た。人間を食べる種族の排泄するものは人間を構成していた成分だから、「糞」は人と言うのも物質の循環と言う点で見れば間違いでは無いのだが、それは爬虫類の見方であり表現だろう。人間である僕たちから言えば見たくない画像である。
この絵はセザンヌやルノワールよりも前の時代の作品、しかも極東の日本の絵画である。制作指揮をした者は同じと思われる。すなわち地球を支配する蛇神である。
この絵が国宝になっていると言う事は、この国の現在の支配層も蛇神に操られていると言う事の証明であろう。