名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ルノワール 「ミモザのある風景」  この地球の支配者の顔が見える

ルノワールのこの絵では、巨大な蛇の正面顔が画面いっぱいに隠されているのが比較的分かり易いと思う。

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「ミモザのある風景」 1912年 ソウマヤ美術館(メキシコシティ)

ミモザはアカシアの一種だという。春先に咲く、黄色い花が美しい樹だが、山を遠景にしてそれが咲き誇っている情景である。中央に小さく描かれているのは花を取りに来ている少年と少女だろうか。切り花やリースにしたりして飾られる。

ただ収穫済みの花かご等が見当たらないし、少年たちの描写も不鮮明でよく分からない。樹の幹もどこがどうなっているのかまた分からない。

ネットで拾ったミモザの写真。日本でもこんなに大木になるようだ。

右の少年(?)は靴を履くような形でかがんでいるらしい。左の少女(?)はそれを見ているらしい。二人とも手先が真っ赤に染まっているのが異様だ。

人物の背後には必ずそれを狙う巨大な蛇の顔が見えるものだ。ここでもそれらしき物が見え出した。ここには口に何かを咥えた巨大な蛇の顔が三匹ほど並んでいるようだ。

細かい部分で蛇の正面顔が見えないと言う人がいるならば、全体図ではどうだろう。画面を小さくして、コントラストを強めたり、ぼかしを入れたりすることで見えやすくしたつもりである。樹や山の絵と思わずに、単に色の明暗の繋がりだけを追って行けばそこに隠し絵があるのが分かるはずである。半透明な存在。どんな絵画にでも隠されている、この世の支配者の姿。

信じたくはないが、実際に見えてしまうと他の人に見える事を伝えずにはいられない。何故こんな隠し絵がどの絵画にもあるのかと問えば、「これが支配者(人間には神と呼ばせている)の姿であり、それに対して人間がその食糧である。」と言う説明が最もぴったりとあてはまる。逆にそれ以外に説明が付かない。

僕にはこんな風に見えたが、どうだろう? イラストと同じように見えるだろうか。それとも全く別の形で捉える人もいるだろうが、どっちにしろ巨大な化け物の顔が正面から描かれており、その口の中に人間のような形が挟まれているのではないだろうか。

見え方は一つではなく、幾通りにも捉えられるようになっている。複数の隠し絵をコンピュータでモーフィングしたように、複雑な色の明暗が絵を作っている。

画面いっぱいに一匹の蛇の顔があるようでもあるし、三匹くらいの蛇の顔(人の頭蓋骨のようでもある)が並んでいるようでもある。皆口を大きく開け、何かを喰っている。少年たちはその口の中にいる。

三匹の化け物の顔が並んでいる様子をイラスト化した。蛇が大口を開けて威嚇している様子でもあり、人間の頭部が腐敗して頭蓋骨になって行く途中の恐ろしい様子でもあるかもしれない。人間に恐怖心を持たせたいらしい。その者を支配するためには恐怖心を抱かせるのが一番手っ取り早い。

画面中央から右下あたりの部分図。こんなイラストが描けた。少年たちがいるのはまた別の巨大蛇の頭の上である。右下手前に横たわった人間の身体が見える。上から降りて来た巨大蛇に喰い付かれている。ミモザの樹の幹の一つ一つは小さな人間(すでに骨と化した)かもしれない。

しつこく全体図を見せる。最も大きな、画面いっぱいに隠されたこの蛇の正面顔が見えると言っていただければ、それだけでも良いから。確かに名画の中には蛇の隠し絵が存在し、見える人には見えるようになっていると言う事が分かってもらえれば僕としてはそれだけでも良い。何故それが見えるのかについては一緒に考えていただきたい。

 

ルノワール 「浴女たち」 彼女たちは喰い、また喰われる存在

ブログのタイトルその他を変えてみた。これで絵画美術関係のブログである事がはっきり認識されると思う。

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「浴女たち」 1918~19年 オルセー美術館

大きさは110センチ×160センチ。思ったよりも大きい。大きさが何故意外かと言うと、浴女たちのデッサンがあまり正確ではないと見えるからである。38年前にあんなに可愛いイレーヌの肖像画が描けていたのに、なんでこんなに身体の節々が凸凹した、あまり美しいとは思えない裸婦になってしまうのか。特に気になるのが、奥の女の背中の筋肉の異様な盛り上がり、顔が小さすぎる事、腕がたくましすぎる事、手前の女の右ひじの形が変、両腕共に上腕が見えない、顔が不美人すぎる事等である。

78歳の老境にある作者は何を思って、こんなぼやけた、美しくもない女性を絵にしたのだろうか。身体もぶよぶよと太っているし、周りの景色もぼやけて色が濁っている。女性の肌の、血管が透けて赤っぽくなっているのを表現するにしてもここまでふにゃふにゃに描いては魅力が感じられない。女性の肌はもう少しつやつやときめ細かくあってほしい。

絵を小さくし、ぼかしてみると何らかの隠し絵が見えて来ると思う。どうだろう、何か見えただろうか?

僕にはこんな風に見えた。巨大蛇がとぐろを巻いて人間の女を確保し、喰っている図である。奥の女は色が若干違うので、既に喰われてその体内に摂り込まれているらしい。手前の女だけ胴体で巻き付けてそこに口を付けている。左足が既に口の中に入っている。

細かく見て行く。奥の女自身も何かを喰っているらしい。頬が膨らみ、口の中に何か赤い物を見せている。唇以外にも。頬等が赤いのは何らかの生肉を喰っているからだろう。

手前の女も口をもごもごさせている。頬が膨らんでいる。

口の中にあるのは生肉らしいがはっきりとは見えない。

二人の女の間に見えるのは、6個ぐらいの人間の頭蓋骨かもしれない。彼女たちが喰っている物の正体と思える。

女たちの周りには巨大な蛇が数匹見つけられる。彼女たちもまたこの巨大蛇によって喰われる運命にあるのだ。彼女たちの手足は全て胴体と繋がってない。微妙にずれた位置にそれはある。奥の女の右手は肘から上が巨大蛇の口の中に入っている。手前の女の両手の上腕もそれぞれ別の蛇の口の中にある。だからこの辺りでデッサンが狂っており、おかしいと感じるのだ。

画面右上、遠くで水浴している女たちの後ろにまた巨大蛇がいる。訳の分からない、ボヤーッとした表現はこういう隠し絵の為なのである。樹だか山だか空だか雲だか判別できないけれども、全く別の視点で見るとこんな物が見えるようになっている。

全体図。女たちの足先を口の中に入れて喰っている蛇もいるようだ。

もう一度全体図を小さくしたり、ぼかしてみたりする。

今度はこんな絵は見えて来た。カエルの顔にも見える、唇の厚い爬虫類の正面から見た顔である。

やはり最初に見えたとぐろを巻いた巨大蛇の方が捉え易いか。今度は女二人とも捕まって喰われている図にしてみた。奥の女は咥えられて血で赤く染まっている。

いろんな風に見えるようになっているらしい。

こんな風にも見える。二人の女は生贄の石の台に寝かされていたのを、蛇神に一人咥えられてしまった。

 

しかしどんな名画の中にも同じ主題・・・・「人間は巨大蛇の家畜であり、食糧である。」・・・・が見られるのだが、なぜこんなに発見し易く隠してあるのか。見つけてほしいのかとさえ思ってしまう。奴ら(知能の優れた巨大蛇型生命体)は自らの存在がばれてしまえばそれでもう今まで通りには生存できないのを知らないはずはないのに・・・・。

 

ルノワール 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」 可愛さの奥に恐ろしい隠し絵

山田五郎のYou Tubeチャンネルでこの絵を題材にしていた。この絵は僕も何年か前に調べて、三本指のレプティアン少女だと言ったりしていた。少なくとも現存する人間の少女とは別物であるとの思いは今でも変わらない。

山田五郎は名画に関するゴシップ的な周辺情報を面白く伝えるのが得意なのだが、絵その物に関しての評論に乏しい。この絵に関しても少女の肌の質感が非常に巧みに表現されていること以外言ってない。身体・髪の毛・背景部分は雑に描いて顔をその分際立たせているくらいしか言ってない。背景が何故こんなにもうっそうとした木の茂みなのか、髪の毛が尋常でないくらいに、実生活では邪魔になって仕方ないだろうと思えるくらいにぼうぼうと膨らんでいるのか、などの事は説明しない。

良く見てみればもっとおかしな部分があるだろうに。気付かないのか。

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」(可愛いイレーヌ) 1880年 ファンデーションEGピエールコレクション

鑑賞者は少女のあまりにも可愛く美しい事に心を奪われて。他の部分は全く見ていないのかもしれない。

今言った事に他に、肩の位置が下すぎる。尻の所に白いリボンがあるようだがそこに変な白い膨らみがある。頭に青い魚の形の髪留めがあって何か不思議だ(日本では生臭そうなので、こう言う物は無いだろう)。背もたれの無い椅子に腰かけているのか。

白い肌はただ白いだけではなく、所々に赤い斑点が見える。血管が透けて見えるのか、そばかすのような物が見えるのか。

下唇に付いている赤い色は何を意味しているのか。

閉じた口から何か赤い物が飛び出している? 

暗い背景でも唇から何か出ているらしい事が分かる。

血の滴るような生肉を喰っているのか。小さい人間が見えるようで見えない。頬に付いているのは飛び散った血痕ではないのか。

イラスト化しながらより良く観察して行くとこんな絵になった。顎の際に沿って流れているのは血なのだろう。こういう微妙な陰影の表現は、決して偶然筆先で生まれるものでは無い。どういう技法かは知らないけれども、少女の顔を表現しながらまた別の画題を重ねて表現している。作者の意図は少女の可愛さ・美しさを表すと共に「人間は蛇型生命体に喰われる存在、巨人族には実際喰われていた。」事をも表す。

三本指の手。トカゲやニワトリと同じである。

何年か前に調べた時のイラスト。解像度の低い画像しかなかったのでこれ以上の事は見られなかった。

今回、WIKIPEDIA COMMONSに高画質画像が発見できたので、イラスト化し直した。指の一本一本が蛇で出来ており、その蛇の口先に小さな人間は咥えられているのが見えた。

爬虫類生命体の思考法が分かりにくい。一つの絵での中で、二つ三つの主張を同時に描き込んであるから。ここでは少女の手を描きながら、その指一本一本が蛇や小さな人間で構成されており、、これは少女が有機生物を食糧としている事を説明している。そしてその蛇が口先に小さな人間を咥えているのは、蛇自体が人間と言う有機物を食糧としている事を表現している。少女の手の中に蛇が含まれ、その蛇の中に人間が含まれる。食物連鎖のような事を絵の中に同時に重ね合わせて表現している。

豊かすぎる赤毛の髪にはこんな画像が隠れていると思う。少女の肩の膨らみが隠された人間の尻の膨らみである。人間は四体ほど見え、上二体と下二体がそれぞれ交尾をしていると思える。

少女の下半身、スカートの部分にも同様に四体ほどの人間が後背位で交尾しながら存在している(僕にはこう見える)。ちょうど少女の両手で押さえつけられて捕まっている状態である。

画面向かって右上、背景の木の繁茂の中にこんな絵が隠されていた。

向かって左側には少女の顔に齧り付く巨大な蛇が見える(こうは見えない人も多いかもしれないが、僕にはこう見えた)。

全体図。少女の前方、後方に巨大な蛇がいて、彼女に齧り付いている。肩の所に大蛇がおり、人間の腕を咥えてあたかも少女の手であるかのようにしている。少女は頭も大蛇に咥えられている。実質少女は顔と両手が大蛇に支えられてその位置にあり、それらしく見せている。バラバラに解体され、喰われる運命にある事を示唆しているのだろう。

少女の下半身は本来あるべき所に無いとなれば、何処にあるのだろう・・・・背景の中にあった。少女の右上は上から降りて来る巨大蛇だけでなく、彼女の下半身も表現していた。少女の尻から下の部分が後ろ向きになって吊り下げられている。

もう一体下半身が吊られているのが見える。向かって左側である。想像だがこれは右の彼女の下半身に性交しようとする男の下半身ではないか。他の名画でも、必ず人間の繁殖を促す隠し絵があったから、ここでもそれがあるはずだと思う。

鑑賞者を美しさ・可愛さで虜にしながらその実恐怖の真実を隠し込んである、残酷な絵である。人間を惹きつけてから洗脳(家畜としての教育)を施す・・・・これがいつもの奴らのやり方である。

 

ルノワール「読書をする少女」 ホラー 下から生える手

ルネッサンス期の絵画から離れて、近代の印象派絵画を観る。

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「読書をする少女」 1890年 ヒューストン美術館(アメリカ合衆国)

椅子に座って読書をする少女の絵。ルノワールの絵は、時にホラー映画のような不気味な表現が見られるのだが、これもその一つ。そもそも画面下半分が赤色で染まっている事からしてその辺のことを予感させる。

右腕を椅子のひじ掛けに乗せて肩をうんと盛り上げさせているのだが、どうだろう。実際にこんなにも肩を上げながらだとこんな形になるのだろうか。少し無理が無いか。

左腕は胴体の向こう側に見えている部分か。変に真っ赤ではないか。そこだけ服の色とは違う。

衣類の中の身体だけを想像してイラスト化してみたけれども、どうもうまく身体が繋がらない。胴体と首、手が繋がってないのではないか。右肩は上すぎるし、首も後ろすぎる。左手は・・・・下から上に向かって生えている? 肩から左腕と見えるる所は真っ赤な逆向きの手? ルネッサンス期の聖母子像における幼児キリストのように、身体がバラバラに分断されているのではないか。

椅子の形がよく分からない。イラストのような形だろうか。しかしこれだと肘かけの左右の高さが違っていておかしい。

絵画は「絵空事」と言われるように、全体の主張の為には部分的に変形を許される場合があるらしいが、この絵のように形のつじつまが合わないのはどう説明されるのか。少女の左腕だか、椅子のひじ掛けだか、よく分からない。不明確な描き方がされるのはどんな目的の為だろうか(少なくとも画家の空間把握力・デッサン力の不足による物ではない)。

左手の下に続く同じ色の腕と思える繋がり。これは何だ。こんな下から手が生えて本を持っているはずが無い。この絵で一番不気味な部分である。僕には手首が切断されてそこに垂直に立てられているようにしか見えない(他に説明できる人が居たら説明してもらいたい)。

「ピアノに寄る少女たち」1982年 オルセー美術館 (右は部分拡大図)

この絵の中で、手前の少女の左手を掴んでいる別の手があり、何とも不気味であった。「読書する少女」はこれの2年前の作である。

「読書する少女」の口は真っ赤である。よく見ると口の中に何か入っている。何かを喰っているのか、血を吐いているのか。

少女の両手だけでなく、別の人間の手も何本か見つけられる。左腕と見える部分の他に、椅子のひじ掛け部分にも人間の手と思しき物体があるようだ。

それと、壁のカーテンのしわも、まるで剥がされて伸ばされた人間の足の皮のように見える。この少女も手足をバラバラにされて吊るされた食糧であるのか。横浜中華街に行くと、店頭に吊るされたチャーシューが見られるが、それと同じようにここには人間の少女の肉が分断され、吊るされている。

少女の右肩は、腕を咥えた大蛇がいて、そいつの頭の上に別の腕が乗せられているらしい。少女の頭の上にも膝の上にも蛇がいて肉に喰らい付いている。少女の身体自体も、大きな蛇であり、口に人間の頭を咥えているらしい。

大雑把に、単純化してみると、片手を咥える大蛇と、頭を咥える大蛇の2匹がいて、それがこの絵を形作っているのではないか。

何度見ても、この左手の部分は不気味だ。

 

ボッティチェリ「神の子を崇める聖母と5人の天使」 喰われる幼児と少年たち

神は人間の肉を喰い、血を飲む。それは太古の昔から今でも続いている事である。それどころか人間は神の食糧として創造された・・・・と言うのが真実なのかもしれない。なぜなら名画の中にその証拠が見えているから・・・・。人間は生まれた時からその事を考えないように教育されている。先祖代々がそうだから誰も気付かない。家畜は自分が家畜である事を信じない。信じられない思考回路が出来上がっている。

証拠のひとつとしてこんなのはどうだ。

サンドロ・ボッティチェリ 「神の子を崇める聖母と5人の天使」 1485~90年 バルチモアー美術館(アメリカ・メリーランド)

我が子であってもそれが神の子である事を知っている聖母マリアは、手を合わせて彼を崇める。背後には協力する5人の天使が見守っている。一見しただけでは敬虔なキリスト教徒をも納得させそうな美しい光景の絵ではある。

天使たちの背中には翼が無い。無い代わりに変な木の枝が後ろに生えている。木の枝が頭に突き刺さっているような感じで描かれている。ボッティチェリが良く描く美少年たちは恐らくここの幼児と同じく生贄の供物として存在しているのだろう。

全体図を小さくし、ぼかしてみた。

登場人物を無視して絵の中の色や形だけを繋いでみる。薄目にして大雑把に見ると、全く別の物が見えて来る。

僕にはこんな物が見えた(上図右)。聖母の後ろに巨大な爬虫類の顔が迫っている。幼児はそいつの口の端に咥えられて今にも呑み込まれようとしている。聖母が人間の幼児を蛇神に与えている図である。

聖母マリアの顔はどの画家の物であっても非常に冷たい表情になっている。そして口が少し開いていて、口の中の物が少し見えている。また頬が少しだけ膨らんでいる。

これは歯が見えていると言うのではおかしい。丸くて赤い何かを口に入れていると見える。

この幼児、顔は良く描けているが身体が変だと思わないか。下半身が異様に大きい。上下別々の身体を腹の所で繋いだような感じになっている。手足・首もバラバラのパーツを取って付けたようになっている。頭が無脳症のように途中から無く、木の枝が頭頂から左目の下に突き抜けるようにして刺さっている。天使が幼児の頭を支えるようにしているが、頭に当てている半透明の布が何だか脳みそのように見えて仕方がない。5人の天使にも頭に枝が刺さっている様なのは、皆脳に傷を付けられているとしか思えない(脳に刺激を与えて人間をコントロールする?)。

頭蓋を割られて脳が飛び出し、頭から木の枝を突き刺されている。枝の出口では左目が少し飛び出しているし、皮膚も棒に引っ張られて少し外に出ている。

口の中は血へどでいっぱいである。

拡大して良く見ると、天使たちは幼児に何の関心も持ってない様子だ。むしろ自分たちの頭に刺さった木の枝の為に思考が止まってしまっているかのようだ。一番左の少年の頭は脳が露出していないか。

頭にロボトミー手術を施されて意識もうろうとした少年?

新型コロナウィルス以降次々と別のウィルスが蔓延し(サル痘もその一つ)、ワクチン接種が常態となった世界では、遺伝子操作のし放題であり、思考能力を奪われた家畜人間が無数に誕生するのだろう。耳かどこかにマイナンバーを刻んだプレートを付けられ、または体のどこかにチップを埋め込まれて、ひたすら太らされ出荷を待つ存在となる。

もう一度全体図を丁寧にイラスト化した。緑の巨大蛇神が幼児を口に咥えている。また別の、さらに大きな蛇神がその後ろにいた。こいつは聖母の下で捕まっている黒い人間を喰っているらしい。

聖母の身体自体も人間の身体で組み立てられているようだ。聖母の下半身を形作っている人間は、後ろ向きで足を上に上げ尻をこちら側に向けていて、あたかも幼児(イラストで黄色)をその股から産んでいるようにも見える。産まれたばかりの幼児から黒くなった老人まで全ての人間を喰うのだと宣言しているかのようだ。

またこんな風にも見えた(上図真ん中・右)。円形の画面の中で、二匹の蛇が絡み合っている。まるで陰陽五行説の明暗の図(で良かったか、デンデン太鼓の絵柄)のようにも見えた。蛇が交尾する時も二匹が絡み合って、神社の社殿前のしめ縄のようになるらしいから、それをも表しているのかもしれないと思った。