名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ボッティチェリ 「反逆者たちの懲罰」 神を信じない奴は死んでしまえ!

僕の伝え方が良くないのか、人々の生まれながらにしての洗脳が奥深く沁みとおっていて溶けないのか、理解してくれる人は少ないようだ。普通に考えて・・・・この世の支配者は巨大な蛇であり、その食糧として人間が創られ、今でも食べられ続けている。それがこの世である。・・・・などと言う荒唐無稽な説を信じろと言う方が無理があるかもしれない。しかし僕に言わせれば、「ほら、ここにこんなにはっきりと奴らの顔が見えているじゃないか。その口先には人間が咥えられているじゃないか。何故見えないんだ。」・・・・と言う事になる。

なぜそれが見えるのか、理由は分からない。それが真実だとして、なぜ奴らがそれを見えるようにしているのか、それも分からない。分からない事の方が多い。しかし奴らがそこに見えている事は真実であり、奴らの存在を明らかにする一助になるはずだと信じて、この不人気ブログを続けて行こうと思う。

サンドロ・ボッティチェリ 「反逆者たちの懲罰」 1481~1482年 システィーナ礼拝堂

礼拝堂の南壁面にはモーセの物語が有名画家たちの手によって描かれている。多くの人は天井のミケランジェロに見惚れてほとんど見てないだろう。その中のこの絵を選んだのは、この絵に蛇神の顔がはっきりと見えているからである。

三つの場面が一つの絵に同時に描かれている。画面右側には石をぶつけられるモーセが描かれている。モーセに導かれて来た約束の地カナンに入れそうにない事に怒った民衆が彼に石を投げつけている。石を持った手を振り上げる人、怒りに満ちた顔をする人、モーセをかばおうとする人等さまざまである。

この場面の上の空には、雲・木・建物・山で蛇神の顔が形作られている。手前の人間たちをその大きな口で一呑みに呑み込んでしまいそうである。

部分図を小さくし、ぼかしを入れてみた。さらに薄目で見ると見えて来るかもしれない。

初代のローマ教皇を信ぜず反乱したコラの一族は地面に開いた穴に落とされたり、火に焼かれたりして懲罰を与えられた。この部分図の真ん中で手を振り上げているのがモーセらしい。しかし250人もの人を焼き殺したと言うのもすごい話だ。

画面左のこの絵の上方の空にも、蛇神が顔を見せている。空・雲・山・木で作られた神の顔はなかなかリアルではないか。開いた口の中は真っ黒で、下顎は黄色い。建物の向こうから侵入してくる巨大な蛇神が威圧的である。

小さくしてぼかしてみた。建物の隙間から顔を覗かせる巨大蛇。

モーセが火皿を投げ付けているのだろうか、法王を信じようとしないコラ一族を懲らしめている。モーセの後ろでとんがり帽子を被った白髭の人物が初代ローマ法王(今でもシスティーナ礼拝堂で次期法王が決められる)。法王も香炉を手前の男にぶつけるようにしている。教義の事になるとなりふり構わずに相手を攻撃するのは今も昔も変わらない。

画面真ん中のこの部分では、こんな隠し絵が見えた。ドクロである。モーセも法王も自分たちを信じない物は死んでドクロになれと言っているのか(すごい宗教だな)。

全体図。

画面全体を大きく一つにして見るとこんな風に見えた。さらに巨大な蛇の正面顔である。

小さくしてぼかす。こんな風にしても見ようとしない人には見えないのだろう。

また反対に一度そう見えた人には何度見てもそうとしか見れなくなるのだろう。

僕にはこんな風にも見えた。左右の群衆の塊が嫌に繋がりのある線を作り出している事から、この辺に意味のある形が無いかと探ってみたら見えて来た。出産シーンである。人間の女が四つん這いになって子供を産んでいる。そこを後ろから見た図だ。蛇神は人間の死だけでなく、生をも制御していると言う事を示したいのだろう。

 

ボッティチェリ 「ホルフェルネスの発見」 悪魔の顔

人間に恐怖心を抱かせる物のひとつとして「悪魔」・「鬼」と言うのがいる。いると言うのか、それは実在するのかどうか。想像上の架空の存在であるのかもしれない。あるいは神が人間を怖がらせるためにその存在をあえて想像して示しているのかもしれない。ここにもその例が見られる。

サンドロ・ボッティチェリ 「べトリアの町で首をはねられたホロフェルネスの発見」 1470~1472年 ウフィツィ美術館(イタリア・フィレンツェ)

敵将の首をはねて街を救った勇敢な寡婦ユーディットの絵は多く、男の首を持った剣を持つ女(ミケランジェロ、システィーナ礼拝堂天井画等)、または女が首切りをする場面の絵(カラヴァッジョ等)が多い。この絵にはユーディットはおらず、残された首の無い身体を部下が発見した瞬間が描かれている。聖書の中の話である。ヘブライ人よりもアッシリアの軍人の嘆き悲しむ様子が中心となって描かれている。「ヴィーナスの誕生」や「プリマヴェーラ(春)」で有名なボッティチェリだが、首の無い死体をメインに絵を描くなんてちょっと変わり者なのかもしれない。普通なら街を救った勇敢な女を絵にするのが自然だろう。

画面を明るくして一人一人の人物を色を変えて分かり易くしてみた。死体の上に覆いかぶさって倒れかけている赤毛の青年は将軍の息子だろうか。右の方には何故か馬が二頭入り込んでいる。ここはベッドのある部屋の中ではないのか。人物たちは思い思いのポーズを取っているが、それぞれ何の意味があるのか。よく分からないことが多い。

全体図をぼかして小さくし、斜めにしたりしてみた。何か見えて来ないだろうか。

僕にはこんな隠し絵が見えて来た。二つの角を持った「悪魔」の顔である。ちょっと牛のようでもある。ホルフェルネス将軍その他の人間の身体を口の中に入れている。目は嘆く赤毛の青年の甲冑と右の青い服の部下の肩が形作っている。

角と角の間の青い布はまるで魔女の帽子のようである。おまけにこの「悪魔の額には白いドクロが張り付いている。

「玉虫厨子」の背面扉絵でも指摘したが、こちらは「鬼」の絵がさりげなく全体に隠されていた。蛇の頭を二つ重ねて少しずらす事で「鬼」の顔が形作られていた。

現在でも、アニメ・ドラゴンボールZのポスターに似た様な「鬼」または「悪魔」の顔がさりげなく隠れている(目を細めて全体的にぼやかして見ると見える人には見えるだろう)。

「鬼」や「悪魔」は人間を怖がらせるために創られた架空の物である。その実態は蛇神がもたらす幻覚である。

商品を売りつけるためには「限定販売だから早くしないと売り切れるよ!」とか言って焦らせたり、「まだそれを使っているのですか! これならもっと便利なのに!」とか言って購買を押し付けるやり方があるが、それと同じである。人に危機感・恐れを抱かせて何らかの行動をとらせる方法である。新型コロナウィルス・サル痘その他をいかにも恐ろしい物であるかのように宣伝し、ワクチンを打たせたり、行動を制限したりする。騙されてはいけない。人間の元々持っている免疫力を最大限発揮できるように、世の中を自分の目でしっかりと見なければいけない。

YouTubeのニュースを見ていても、おかしいと思えるところが必ずあるはずである。最近の自然災害と言われるニュース、例えば熱海であった土石流災害も、ニュース映像で最初チラッと山上の太陽光発電のソーラーパネルが映っていた。ニュースでは業者の培土のせいで土石流が起きた事にされたのだが、本当の原因はソーラーパネル設置のために樹々が刈り取られた為に起きた災害ではないのか。何年か前の多摩川の氾濫による水害も、土手のソーラーパネルを設置した場所から堤防が決壊しているのでこれも人災であると思う。人災を自然災害であるかのように報道している。

「環境」の為と称される行為はまず疑った方が良い。「地球温暖化」も、ニュースでは盛んにその方向に持って行こうとするが、実は原因が全く違う。最近の猛暑がきついのは、単にエアコンの普及が進み、道路もアスファルトやコンクリートで土を露出させないから起こるヒートアイランド現象による暑さにすぎない。土が雨を吸い込むことが出来ないので、水害も場所によっては一時的に水没する所が出来たりするだけである。

 

ボッティチェリ 「聖母子と天使」  恐怖心と洗脳

名画の中に隠された絵は、なんて恐ろしい絵なんだろう。鑑賞者に気付かれずにその脳内に潜入してくる。人間に恐怖心を起こさせる絵をまた一つ発見してしまった。これもこの世界の真実を伝えるが為に隠し絵となっているのだろうが、それにしてもなんて恐ろしい絵だろう。そしてなんて生きにくい世の中に生まれて来てしまったのだろう。

サンドロ・ボッティチェリ 「聖母子と天使」 1465~67年 捨て子養育院美術館(フィレンツェ)

ボッティチェリがフィリッポ・リッピの工房で修行中の、20歳くらいの時に描いたと言う。一見普通の、清潔そうな聖母子と天使の絵である。

この絵、コントラストを強めてぼかしを入れて見ると、別の物が見えて来る。聖母やイエス・天使と個々の人物を見るのではなく、絵全体を一つの明暗・陰影・形の連続とみなし、薄目でわざとぼんやりとさせて見ると見えて来る。

ルーベンス 「キリストの降架」 聖母マリア大聖堂

この絵には全体的に悪魔のような角の生えたドクロのような化け物の顔が見える。

ルーベンス 「キリストの埋葬」 アムステルダム国立美術館

ほくそ笑む蛇に似た顔が画面いっぱいに描かれている。

千手観音像 平安時代12世紀 東京国立博物館

この絵などは離れて見ると、少し鳥っぽいが化け物の頭がはっきりと見える。、所々蛇が飛び出している。左右の千手の形で目が形作られ、観音の足の衣の襞で口が形作られている。その口から蛇の舌のような物が出ているので、全体的に見ると鎌首をもたげた大蛇のようではないか。

ボッティチェリの絵に戻って、ぼかした元絵をイラスト化してみた。斜め横を向いた骸骨に見えないだろうか。

上図右はアニメ「進撃の巨人」の巨人である。ネットから拾ってきたが、これが非常に良く似ている。

小さくしてさらに左右逆にしてみたりした。

細かい所も一応調べておこう。地道なトレースが新しい発見に繋がるかもしれないので付き合ってほしい。

聖母の顔はどの画家が描いても皆性格の冷たさが表情に出ているものだ。そして口が赤く汚れている(元の絵が低画質なのでこれ以上はよく分からない)。

紺色のマントの形が何となく蛇っぽい。手前の椅子の手すり(?)などは別の白蛇に見える。

聖母子のイエスは大抵その辺で捕まえて来た人間の幼児であり、生贄にされる存在である。この子も右目にあざが出来ているようだし、口から血を吐きだしそうだ。頭の後ろでマリアの左手が掴んでいるのはこの子の髪の毛か。

身体のバランスが悪い。上半身と下半身が離れすぎている。これは恐らく、切断された身体を蛇が巻き付いて隠し(布のように見せながら)ているのではないか。もしくはマリアの右手の指が幼児の身体に深く食い込んでいる事から、マリアが手で離れた身体を押さえて繋がっているように見せているのだろう。幼児の首・手・足は全て切れていると思える。

これも天使では無く捕まった人間の少年であろう。顔に打撲の跡がある。ダヴィンチの「キリストの洗礼」に描かれた少年と同じだ。口の中が真っ赤だからこれも口内が血まみれなのか。

翼の所と肩の所に蛇が這っている。左腕は不明確でありここに描かれているのは少年の手ではないのではないか。右手も両足も描かれて無いので恐らく既に喰われてしまっている。この絵の中のどこかにそれは隠れているのではないか。それはマリアの身体の中に含まれてしまっているかもしれない。

全体図

全体図にすると今度はこんな大蛇の姿が見えて来た。マリアはやはり大蛇の化け物であり、幼児と少年を一呑みに呑み込んでしまっている。

さらにその背後に大口を開けた巨大な蛇神がこちらを見ている。聖母マリアやイエス・キリスト、天使の存在などは、この巨大な蛇型生命体が人間を騙すために創作した茶番劇上の登場人物なのだろう(ただ実際には蛇神の遺伝子を伝える類人猿とのハイブリット巨人族は存在していたらしいが、それとマリアの関係はよく分からない)。

人間に恐怖心を抱かせると指示に従わせやすいのかもしれない。人間に骸骨・血・内臓等死をイメージさせるものを見せると怖がるだろう。ウィルスで死ぬぞと脅かされ、ついワクチン接種を望んでしまうのでは奴らの思うつぼだろう。

マイナンバーで一人一人番号で管理され、街中や乗り物内の防犯カメラで個別に認識され、収入もさほど得られなくなり、これからどうなってしまうのだろう。貧乏になった若者が軍隊に志願して入り、戦争で人がどんどん死ぬ世界が来るのだろうか。人は皆ワクチンを打たれて知能が働くなり、ゾンビのようになってしまうのだろうか。

 

プッサン 「人生の踊り」 誰かに踊らされて、その先にあるのは・・・・

ニコラ・プッサン絵には、例えば「アルカディアの牧人たち」(ルーブル美術館)のように人生における「生」と「死」を表現したと思える作品、言わば哲学的テーマを表現した作品が見かけられる。この作品もそうだと思う。

ニコラ・プッサン 「人生の踊り」 1640年 ウォレスコレクション所蔵(イギリス・ロンドン)

原題は「The dance to the music of time」だから、直訳すれば「時の音楽に合わせたダンス」とでもなりそうなのだが、Wikipediaでは「人生の踊り」となっている。なかなか上手い訳かもしれない。

真ん中で踊るのは、「春夏秋冬」の四季の擬人化であり、富と貧困・喜びと悲しみ等人生の様々な出来事を表しているように解説される。右側に時の翁サトゥルヌスが楽器を奏で、その手前でキューピットが砂時計を掲げている。

空にはアポロンの四頭立て馬車が駆け巡り、それを先導するのは暁の女神アウローラだそうだ。花をまき散らしていると言う。

正に人生の時の流れに応じた「喜怒哀楽」・「生老病死」を具象化した作品に見える。

ただ僕はアポロンの馬車が乗った雲に注目した。

上図左が元絵をはっきりさせた物、右がカラーリマスター版のコントラストを強めた物。この雲の形が何か別の物に見えないだろうか。僕には蛇の顔(すこしカエルっぽいが)に見えた。

上図左、暗くして少しぼかしを入れてみた。右、ぼかしを強めに入れた。

アポロンとその馬車、その周りの女たちが雲の中に溶け込んで消えてしまい、一匹の巨大な蛇の顔になって地上の人間たちを襲っている図に見えて来た。金色に輝く空いっぱいの巨大な蛇である。遠近感が分からないが、幅が10メートルか100メートルかの巨大な生き物だろう。

左、バラ(愛欲)の髪飾りをする明るい表情の女。右、冬枯れの月桂冠を被った土色の服の男(貧困・冬の象徴?)。繋いでいると思われる手は見えない。明と暗、対照的な二人だ。

髪に宝石を散りばめた裕福な女(左)と、黄色い貧相な布を頭に巻き、苦しそうな表情の女。この二人も正反対の様相を示している。

「春夏秋冬」の四季を表すと言うよりも、人生の勝ち組と負け組、捕食者と被捕食者、狩人と獲物くらいの差が有りそうだ。

上記の後ろ向きの男とこの黄色い頭巾の女はどちらも首にひもが巻き付いた様な筋が見える。

何だかブラック企業経営者と社畜の関係のようにも見えて来た。

砂時計を見つめるキューピット。

会社に縛られて人生を過ごして行く内に、一年また一年と何者かによって踊らされている内に、時は確実に進んでいる。この幼児の頃から、後ろにいるサテゥルヌスの爺さんになるまで、光陰は矢のごとく一瞬である。

画面向かって右側の空にも、巨大な蛇の姿が見える。そいつが人間の形をした物を口に入れているよう見えるのだがどうだろうか。

全体図で見ても、画面左側の空に別の巨大蛇が見えるし、地上から頭をもたげた超巨大蛇の頭も見えて来た。

奴等はよほど目を凝らして注意して見なければ見えて来ない。奴らは実際に半透明とでも言えるような異次元の世界にいるのかもしれない。ただ有機物を口から摂取するタイプの有機生命体である事は間違いないようだ。奴らは人間に対して出来るだけ自分たちの存在を隠している。ただ名画の中や音楽・文学等の芸術作品の中にヒントを散りばめている。普通家畜に「お前たちは喰われるために存在している」とか面と向かって言うバカはいない。家畜は無知なまま死んで行ってもらうのが良いので、家畜の知能が高まらない様な食べ物を与え、テレビ・新聞その他で嘘を信じさせ、為政者の指示に従うように洗脳している。生まれた時から、親の代からなので、大方の人は何の疑問も抱かない。名画の中にそんな真実が隠されているのは、「誰か秘密を暴けるものなら暴いて見ろ!」と言う人間に対する挑戦状の意味があるのかもしれない。

ワクチン四回目接種の推奨・ガンになり易い食品の宣伝・ロシアウクライナ戦争の一方への協力・中国北朝鮮に対する煽り報道(You Tubeも含めて)等色々と思考をコントロールされがちだが、どれが本当に正しいのかは自分の目で見て自分の頭で考えて判断したい。

 

プッサン 「フローラの王国」 世界を指導する者もまた操られている。

砂糖とかの甘い物、保存料たっぷりの菓子、薬品漬けのコンビニ弁当とかをたくさん食べている内に頭の働きが鈍ってくるらしい。実際自分の子供の頃の食生活を振り返っても駄菓子やコーラ等の甘い飲料をたくさん摂取していたし、20年間コンビニ経営をしながら売れ残りの弁当ばかり食べて来たので実感できる。頭がボーっとして考えがまとまらない事が多いし、怒りとかの感情をコントロールする事も出来にくいようだ。うかうかとこれまで生きて来てしまったようだ。

頭の働きが悪いのは今でも変わらないが、一つだけ気付いた事がある。昔好きで良く勉強した絵画芸術作品をじっくり見直すと、そこに不思議な隠し絵が見えて来た事だ。それはひょっとして人生の秘密を解き明かすヒントでは無いのかと思い、こんなブログを書きながら名画を読み解いている。

ニコラ・プッサン 「フローラの王国」 1630~31年 アルテ・マイスター絵画館(ドイツ・ドレスデン)

ローマ神話に出て来る女神フローラの姿が描かれている。美しい男女が戯れている庭園の中央で、フローラが花を撒いている様子である。花と春と豊穣を司る女神が笑いながら舞っている。上空にはアポロンか、四頭立て馬車が駆け巡って祝福している・・・・のか?

それにしては色が随分と地味である。経年劣化したのか。花がひも状に垂れ下がっている様子、棚に組まれている様子から花は藤の花の一種らしい。しかしその最盛期の青一色に染まる時期のそれでは無い。枯れたような、赤味がかった花の色である。おかしな絵だ。

一人ではしゃぐ女神。キューピットもあまり楽しそうには見えない。この周りの人物たちも皆うつむいて暗い。

笑顔の中にどこか狂気を感じさせるのは何故だろう。口の端が大きく裂けているからか。

肩に掛かっている青いひも状の物は蛇ではないのか。頭に巻いた花の髪飾りを見ても、そんな柄の蛇が頭に巻き付いているように見える。

戦いの神マルスか。長い剣を地面に逆さに突き立て、己の心臓を一突きして自殺しているのではないか。

マルスは3月のマースの語源となっているのに、自殺すると言うのは理由が分からない。花の女神が枯れた色の花の中にいる事と共に理解できない。

瓶に水を張って鏡にしてわが顔をのぞき込んだりして遊ぶ男女?・・・との解釈で良いのか。

手前の女の足が長すぎる。被せられた布の下で切れているのではないか。

男も女も頭の上に2本のロープのような物で吊り下げられている。首を吊っているようでもある。

男の苦しそうな顔。髪の毛を束ねられてロープ状になっているのか。

ここの二人のキューピットもロープと髪の毛の区別が付かない。

この絵は「操り人形」の舞台を描いてあるのではないか。フローラの女神以外の人物に上から垂れて来るロープが見えたり見えなかったりしている。

空の四頭立て馬車はロープを持つ手である。もう一本の手は藤棚が表している。左上に手の持ち主である巨人の顔が見える。この世界を操っている本当の神であろう。

空にいる神が地上にいる巨人たち(フローラの女神や戦いの神マルス等)を操って他の巨人たちに指示を与えてコントロールしている様子だ。

例えば世界の大統領・総理大臣等を操って新型ウィルスが蔓延しているように見せかけ、国民にワクチンを強制的に打たせて利益を得ようとする。または薬害で具合を悪くし人間の力を弱めようとする。この絵ではそんな世界の基本構造が描かれている。

画面いっぱいに隠されている巨大な蛇神の顔。その口先には人の形をした者が大勢いて喰われている。神話の神や宗教上の聖人を操ってコントロールするのは操られる者の下にいる小さな人間たちであり、彼らはこの巨大な蛇神に喰われるために存在している。

(名画の中の隠し絵には、常に二つ以上の隠し絵が重ねられており、その表す意味も二つ以上重ねられているから説明しづらい。)