名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ヴェロネーゼ 「キリスト磔刑」 「神」の顔

産まれた時から洗脳されていて、真実を見ても信じられない。子供のころから食べている食品には頭を悪くする成分が含まれているので、自分が頭が悪い事さえ気が付かない。テレビをボーっと見て有識者とか言う人の意見を自分の意見と思って復唱する。労働賃金が少なくても、物価が不必要に上がっても文句を言わない。発がん性の物質を多く摂取させられて、医者に治療とか言われて毒を盛られておとなしく死んで行く。この世に生きる事の辛さは感じてはいるけれども、何故かと言うその理由が分からない。

しかしここにそれが示されているのではないか。名画の中に見える蛇に似た形の生物が人間を口に入れていると見えるのは、人生が何故苦しいかの原因の説明になっているのではないか。すなわち人間を食糧とする蛇型生命体によって人間が支配されているからだと解釈できる。(そんな馬鹿な。そんな荒唐無稽なオカルト的な、陰謀論的な説は聞く必要は無い。と思う人は、名画の名に隠れている形を、素直な目で、見える通りに受け入れてみたら、その考えは変わると思う。一度そう見えてしまえばもうそれ以外には見えなくなる。)

パオロ・ヴェロネーゼ 「キリスト磔刑」 1580年頃 アカデミア美術館(ヴェネツィア)

神が地上に送り出したイエスが人間たちによって処刑される。イエスは人間たちの罪を一身に背負って身代わりとして死刑になるのだと聖書は語る。この絵では地上の人々は混乱の極みを示す。

イエスと同時に処刑される盗人もイエスに看板を取り付ける人の梯子も、整然と並んでいる分けでは無い。イエスの足元にいる黄色い服の女はマグダラのマリアだろうか、その右の方で卒倒している様子なのが聖母マリアか。人々はそれぞれ違ったポーズでそれぞれの感情の乱れを表している。空の雲も、黒雲・濃い青雲が不気味に漂って不安定である。

磔の丘の手前は何を表しているのだろうか。思い思いのポーズで何かをしているのだろうが、何だかよく分からない。イエスやその信者よりも大きく描いてあるのは何故だろう。籠も散乱している。

王の命令で死刑を執行する兵士たち・馬の姿勢にも統一感が無く、バラバラである。馬の足音、いななき、人々の騒ぐ声が聞こえてきそうな光景である。

罪なき神の子を処刑する罪悪感をこの騒々しい感じで表しているのだろうか。

この絵に関しては、細かい部分に隠し絵が見えて来なかった。いきなり全体図の中に、人々を口に入れる巨大な蛇の顔が見えて来た。高さ287cm×幅447cmの大きさの作品でルーブルの「カナの婚礼」の半分くらいだが、比較的巨大蛇の顔が見やすい。顔は大きくも小さくも、いろんな大きさで捉えることが出来る。複数にも見えるし、画面いっぱいの一匹にも見える。いずれにしろ小さな人間たちを口の中に入れ込んでいる。イエスもマリアも蛇の顔の端に位置しているが、巨大蛇に人々を喰わせる案内をしているのだろうか。

また僕にはこんな風に見えて仕方がない。人間の男女の交接図であり、マリアがちょうど男性器の位置にいる。僕自身性の営みの事ばかり考えているスケベな男である事もあり、目が濁っているのかもしれないが、蛇神自身が人間の繁殖を期待してあえて交接図を隠し絵にしている可能性もある。この絵を見た人間が知らず知らずにうちに子作りに励むようになるために。

蛇神の正面顔を別の見方でイラスト化してみた。どうだろう。「人間たちよ。お前たちはこうして喰われるために存在しているのだ。産めよ、増えよ、地に満ちよ。そして我々に血と肉を提供し続けるのだ。」との言葉が聞こえて来そうである。

ヴェロネーゼ 「キリストの昇天」 1585年 カピトリーニ美術館(ローマ)

以前調べたこの作品を思い出す。ここでもイエスの背後に金色に輝く巨大な蛇の正面顔がはっきりと見えている。瞳の縦線までもリアルに見えている。

「キリスト磔刑」でも比較的リアルにその姿を捉える事が出来ると思う。全体図を離れて見たり、薄目にして見たり、頭の中で見方を色々と変えて見る事でその姿が見えて来ると思う。人間たちに自らを「神」と呼ばせている爬虫類の姿である。

 

ヴェロネーゼ 「キリストの洗礼」(1550年) 人間を喰う隠し絵は神の示唆か

人間は宇宙からやって来た蛇型生命体によって創り出され、その家畜であり食糧である・・・・などと言っているのは、世界中で僕一人なのだろう。普通に教育を受けて育って来た人間ならばこんな荒唐無稽な事が普通言えるはずが無い。

ただ美術館に保管されているいわゆる「名画」を調べてみるとどうしても不自然な表現がある事に気付いてしまった・・・・絵のあちこちに蛇の画像が隠されている。人物のデッサンが狂っていると思ったらそこには別の形が隠されている。隠れた蛇の画像はその口に必ず人間の形をした物を咥えている。それは人間を喰っているようにしか見えない。

もしそれが隠された真実であるならば、何故分かるように表現してあるのか。人間がもしそんな惨めな存在として生まれて来たのなら、死ぬまで教えなければ良いではないか。だれも豚に向かって「お前は俺たちに喰われるために存在しているのだ。」などとわざわざ教える者はいない。

彼らは人間より遥かに知能が高いが、爬虫類なので暖かい心を持ってない。相手の為に真実を隠すことが出来ない。また人間の暖かい心を羨ましく思っており、それに憧れる所もある。自分たちよりも劣った生物である人間でも、いつか気付き、成長する事を願っている部分もあるのではないか。いつか気付いてくれる人が出て来るのを待っているのかもしれない。

パオロ・ヴェロネーゼ 「キリストの洗礼」 1550~60年 ノースカロライナ美術館(アメリカ)

先日調べた同名の作品よりも2~30年前に描かれている。ダヴィンチの同名作品により近い。ダヴィンチの作の70年後くらいになる。やはり蛇神の食事風景であり、人間のと殺解体現場なのだろうか。

イエスキリストの身体の上下のバランスがおかしい。腰の位置が下すぎ、左足は不鮮明で、もしこの位置に左足があったとすれば上体をもっと前に屈めるなければ後ろに倒れてしまう。左足はどうやら無いか、あるいは胴体と繋がってないらしい。

口に咥えられた何かがあり、髭や髪の毛にも何か別の形が隠されているようだが、よく分からない。

肩の盛り上がりや胸の膨らみは不自然である。こんな風に豚のように太ったイエスはあまり見ない。両肩に二人分の尻が並んでいるようだ。

イエスの右足の下にある岩のような物は、膝で押さえつけられた一回り小さな人間だろうか。

足先の川の中に、横たわっているのはイエスの左足かもしれない(僕にはこんな風に見えた)。

洗礼者ヨハネも体の上下のバランスがおかしい。腰から下に別の人間の身体のパーツを持ってきて積み重ねてある感じだ。両手両足共に大蛇の口に咥えられているらしい。

ヨハネが手に持つ盃に入っているのは、小さな人間であり、後ろにいる空の蛇神に捧げる生贄であるらしい。

画面左側で、木に抱き付いて恐れているかのような天使がいる。口から何かを垂らしている。目の周りに隈があるのはダヴィンチの少年と同じである。左目は少し変形し、口から血を吐いているのかもしれない。

天使ではなく、生贄の少年である。翼と見える部分は蛇に咥えられた2~3体の人間であり、イエスの衣と見える布も別の小さな人間であろう。上から降りて来た大蛇にそれを喰わせている。

上半身と下半身が大きさも違い、繋がってもいない。人間の身体とそれを喰う大蛇の形を組み合わせてそれらしく見せている。

少年の右ひざの地面にドクロらしき形が見えて来た。

少年の下に目を移すと、こんな物が見えて来た(上のイラストのような)。

手足を、あるいは頭を切断されてうつ伏せる人間の胴体。一番左のは顔を半ば川の水に付けている。ダヴィンチの絵では切断された手足その物が目立っていたが、この絵では手足を失った胴体の方も目立っている。

画面右側隅。でかい蛇の頭が二つ上下に並んでいる。口の中にそれぞれ小さな人間を詰め込んでいる。下の大蛇の口の下には頭蓋骨が見える。

全体図。やはり生贄の人間が無数に横たわった神の食事風景であるようだ。天使もヨハネも、イエス以外は生贄の肉としてそこに存在している。

画面に一番大きく隠されているのはこの蛇神だろうか。その目と目の中間、脳の位置にイエスがいる。イエスは神の存在を家畜たちに示す伝道者である。

こんな風にも見えるのだがどうだろうか。空の中、地上に円盤型UFOがたくさん隠れている。聖母マリアの受胎告知やこのキリストの洗礼の画題の時にはなぜかUFOっぽい形が良く見つかる。

 

ヴェロネーゼ 「アレッサンドロ・ヴィットリア」 人間を創ったのも消費するのも自分たち

新型コロナウィルス感染者が激増しているとの事だが、政府は国民に何をさせたいのだろう。ワクチンを強制的に打たせて時にその中に毒物を混入させる? 自宅に引きこもらせ、人間同士の接触を減らし、国の指示が伝えやすくする? 病気だけでなく戦争・気象の不安をも煽って税金をより高くする? ・・・・全て自作自演の茶番劇が元になっているのだろう。

人々はコントロールされている事になかなか気付けない。自分たちが単なる家畜であるとは認めたがらない。いつの間にか自分たちが宇宙の中でも最も優れた科学技術を持った生命体だと思い込まされているが、普通に考えてそんな傲慢な考えは成立するはずが無い。人間以上に知能が優れた生命体が宇宙には無数に存在すると考える方が自然である。

パオロ・ヴェロネーゼ 「アレッサンドロ・ヴィットーリア」 1524年~1608年 メトロポリタン美術館(ニューヨーク)

画面が暗すぎるので明るくしてみる。

レンブラントの自画像でもそうだが、画面を暗くして秘密を分かりにくくしている。

明るくすると・・・・あちこちに不自然な表現が見えて来る。騙されないようにしっかりと見て行きたい。ここには人間を支配している生命体の、人間に対するメッセージが隠されている。人間に対して「見つけられるものなら見つけて見ろ!」とでも言うような挑戦的なメッセージである。「この絵の中に込められた秘密を少しでも見つけられれば、その人間はちょっとはましな存在だ。誉めて遣わす。」

真っ黒な服を明るくしてみると、こんな形が浮き出てくる。男の胸には鎧をまとったような形で、別の人間の身体は逆さに張り付いている。肩の所にある蛇の頭が、男の右腕を咥えている。

男は普通の人間ではなく、別の人間のパーツで組み立てられた存在であり、蛇がそれを支えている。

男の目は何かを訴えている様であり、恐怖に満ちているようでもある。

口には何かを含んでいる。前歯が出ているのではなく、口に何かを入れて喰っている最中であろう。

例えば口の周りにこんな図像が見えて来た。この男の口に喰われる小さな人間の形、または蛇の口先に喰われた小さな人間の姿。

傍らの石像の左手は、肘から先が無い。下碗は折れて手を頭に当てているように見せているが、実は肘から先は背後の大蛇の口に入っていて見えない。

石像の足先も見えない。男の右手が何かを握っているのが分かる。男の指の向こうにあるのは石像の台ではなく、石像を伝って上から降りて来た蛇の頭であるらしい。また男の手の中にはイラストのような人間の形がうっすらと見える。男の右手は蛇に生贄の人間を与えているらしい。

男の左手は石像を支えているだけかと思ったら、指の間に何かが見える。これも小さな人間であり、背後の、上から降りて来ている蛇(上図真ん中の写真。右上に茶色い蛇が上から降りて来て咥えているのが良く見えると思う)に喰わせているようだ。

テーブルの上に転がっているトルソー。首と両腕を切った形らしいがちょっとおかしい。首が長すぎるし、その首の切断面はどうも凹部が凸部に見える。黒っぽい蛇の頭がこちらに向いているのではないか。またトルソー全体が小さい人間を何体も組み合わせて団子状にしたものではないか。つまり生贄の人間の肉の塊である。

奴等は生の肉しか食わない。生き血を好む。調理しなくても良いような強力な消化能力を持っているのだろう。あるいは蛇のように丸呑みして腹に入れてから時間をかけてゆっくりと消化するのが好きなのかもしれない。

テーブルの上は赤い血にまみれているように見えて来る。テーブルには小さい人間が尻を向けて数体横に並んでいるように見えるし、またテーブル全体を大きく見るとひとりの大きな人間の下半身(この男の下半身かもしれない)(左側が腰、右側が足)が横たわっているように見える。

全体図。

背後の壁に見える筆跡は何だろうか。男の顔を中心にした尻が見えるし、そこに同時に大蛇の顔が見えるので、蛇によって生まれる事と蛇に喰われる事とを同時に説明しているのかもしれない。つまり支配者である彼らからすれば、人間を創ったのは自分たちであり、人間を消費する(喰う)のも自分たちであると言っているらしい。

 

ヴェロネーゼ 「カナの婚礼」 巨大な蛇神の口元に人々が集まる。そして喰われる。

You Tubeで見る最近のテレビニュースは何だか安っぽい茶番劇を見るようだ。安倍元総理の銃撃事件、これも違和感だらけで素直に受け入れることが出来ない。元総理が交差点の真ん中で箱の上で応援演説? 銃撃した銃の口径がやたら大きい手製の銃? 映像で一瞬見える白煙? 他にけがした人がいないようだ? 犯人は元海上自衛官である事が即座に報道される? 統一教会を日本に入れた岸信介への恨みをその孫によって晴らす? ・・・・いったい誰が筋書きを描いているのだろう。

この絵などを見ると、この世がいかにまがい物に満ちた世界であるかが見えて来る。人間の存在価値など無きに等しい。人間の血肉は単に彼らの食糧であるにすぎない。

パオロ・ヴェロネーゼ 「カナの婚礼」 1563年 ルーヴル美術館

横幅が10メートルくらいあり、ルーヴルの展示作品の中で最も大きいそうだ。聖書の中でキリストの行った最初の奇跡が表現されている。

ガリラヤのカナで行われた壮大な結婚式(フランス・オーストリア・イングランド・オスマン帝国・神聖ローマ帝国等の王が招待されている)、そこにナザレのイエスとマリアが招待された。食後のワインが足りなくなってマリアがイエスにその事を告げる。給仕が水の入った瓶を注ぐとそこからワインが出て来たと言う事らしい。

イエスとマリア、12使徒も並んで座っていて、さながらダヴィンチの「最後の晩餐」のようだ。ダヴィンチのそれの、向かって左側にいるのがマグダラのマリアだと、ここで暴露しているのか(聖母マリアとマグダラのマリアは同一人物の可能性がある)。磔刑で死んだイエスが使徒と共にこんな豪華な結婚式に列席(それも列の中央)しているのも変だ。

新郎、新婦は画面の一番左の端にいる。しかも攻められているような厳しい表情の人々に囲まれている。「食後のワインはまだですか。」

画面右側手前に、この絵の主題・・・・瓶から出るワインの様子が描かれている。下僕の背後にいる人がワイングラスを持ち本物のワインかどうかを確かめている様子である。

瓶から別の瓶にワインを移す奴隷は、身体に棒が突き刺さっている。後ろの男が奴隷の左わきの下あたりに赤い棒を突き刺している。奴隷自ら流す血を下の金の瓶に流し込んでいるのではないか。

画面右側の客たち。テーブルの上は空の皿ばかり。何故か皆上の方を見ている。

イエスの背後、渡り廊下のような所で料理を作っているらしい。包丁を振るう人、皿に盛った料理を運ぶ人等が描かれている。

普通調理は客の目に見えない所でされるはずだがここでは良く目立つ場所で行われている。婚礼を見に来たやじ馬もこの廊下上あちこちに見える。各国の王様たちを見下ろす形である。キリストの奇跡が行われていようとも皆我関せずで、思い思いの行動をとっているようだ。何だろうこの絵は。

包丁を打ち下ろして肉を切っているポーズの男を良く見るためにイラスト化してみた。男の左手の下にあるのは、人間の横顔、頭蓋骨に見える。男の持つ包丁も刃の向きが反対で、自分の頭を勝ち割ってないか。いやこの包丁を持った右手はこの男の右手ではなく、背後にいる焦げ茶色の男の右手ではないか。背後の男がこの男の首を掴んで頭に刃を当てている。

その隣では男が女の背中に赤い棒を突き立ている。女は男の腹に皿を当てているが、赤く染まった男が流す血を受けているのだろうか。

廊下の上では、皆が殺し合いをしているのか。血(ワイン)をお互いに流すようにしているらしい。

画面左側の廊下の上。もはや料理をしている人には見えない。殺し合いをしているのではないか。

この赤い服の女などは下に組み伏せた人がそこにいるようだ(手か足が見える)。左手でとどめを刺す刃物を要求しているように見える。

画面右側の廊下の上。こんな騒々しい結婚式がある物か。奇跡を見て驚く人々にも見えない。ただお互いに殺し合い、血(ワイン)を流し合っているようにしか見えない。

廊下で流し合った血は下の宴会場に流れ込むようになっているのか。

皿などに乗せられて運ばれる肉は人肉だろう。やたら小さい人間に見えるが、それは彼らが巨人族(蛇神が地球に来て最初に創った自分たちと似た大きさの、食糧としての人間)だからだろう。

全体図を小さくして、彩度を落としたり、ぼかしたりしてみた。画面全体を覆う巨大な蛇の頭が見えるだろうか。あるいは正面を向いた巨大蛇が無数の人間をその体内に摂り込んでいる様子が見えて来ないだろうか。

僕にはこんな風に見えた。三匹の巨大な蛇が上方から垂れて来ている。地上にいる人間たちを片っ端から喰っている図である。真ん中のひときわ大きな蛇の鼻先にイエスとマリアが乗っている。

こうも見える。また正面を向いた顔にも見えたりする。いずれにしろ人間は蛇型生命体の食糧である事をこれでもかと言うくらいにしつこく表している。


ルーヴル美術館ではこんな形で巨大蛇神の口元に人間たちが集まっている。誰も真実には気が付かないのだ。

 

ヴェロネーゼ 「キリストの洗礼」 ダヴィンチ同様、蛇神の食事準備をする男の絵

レオナルド・ダ・ヴィンチがヴェロッキョ工房で描いたとされる「キリストの洗礼」の後、約90年後にヴェロネーゼが同題の絵を描いている。構図も登場人物もダヴィンチとほぼ同じだから、恐らくそれを見て描いたのだろう。

パオロ・ヴェロネーゼ 「キリストの洗礼」 1580~1588年 J・ポール・ゲッティ美術館(ロサンジェルス・アメリカ)

見やすくするために明るくしてみる。

川岸の洗礼者ヨハネと川の中のキリスト、画面左にはキリストの衣服を持つ天使が二人。右側のヨハネの足元に別の天使が一人いるのが違うだけで、ほぼ同じ構図である。

キリストのポーズ・左の天使が青年では無いのもダヴィンチとの違いだ。

左のダヴィンチの作品を調べた時、衣服を持った青年たち二人は虐待を受けていて、顔には殴られた跡があり、手足さえも切断されてそれが川の中に放置されていると言う残酷な絵であった。右のヨハネも手の皮を剥がされており、その手足も胴体と繋がってない有様であった。背後にUFOが着陸し、巨大蛇型生命体が降りて来て人間たちを生贄として喰っている図であった。

同じイタリア人であるヴェロネーゼも、90年後にこの絵の真の画題を受け継いでいるのだろうか。

イエス・キリストのポーズは、両手を広げた形になっている。右手、左手で天使とヨハネに触れている。

この目は静かに伏せているようでもあるが、イラストのように目を剝いているようでもある。口や髭の辺りは不明確でつかみどころがない。僕にはイラストのように見えた。絵の色を明るくし、強調するとこんな風に血のような赤色が浮き出てくる。

イエスの頭に水をかけるヨハネは変に腰が引けている。上半身と下半身が変な形で繋がっており、へその辺りで分割できそうだ。手前の女天使の顔の前に股間を押し付けているような・・・・(ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画「原罪」の場面のイヴを思い出す)。

女天使は右の翼しか持たないが、それは小さな人間がそこにいるのが翼に見えているのではないか。それとこの女、左足がどうなっているのか。膝から下、足先が見当たらない。途中で切れて血まみれになっているのか。不自然な表現である。

二人の足元も、よく見ると切断された手足や骸骨、それらに喰い付く大蛇などが見えて来る。

女の顔に恐怖の感情が見えて来る。口から出ている赤い物は血反吐か。結局ヨハネもこの天使もキリストの仲間の蛇たちに喰われるための存在(現在喰われている)であるらしい。

左足は途中から無く、血まみれである。右足には赤いサンダルを履いていると見えるが、足先の皮が剝がされて筋肉の筋が露出しているようにも見える。ダヴィンチのヨハネの左手のように皮が剥がされている。

左の天使二人はダヴィンチの青年二人とほぼ同じポーズである。手前の天使は左足が無く、奥の天使は腹から下の身体が無い。無い部分は手前に横倒しになっているらしい。

奥の天使の顔。左目から血を流し、口から血を吐き出している(小さな人間を口に入れているようにも見えるが・・・・)。

全体図。

キリスト以外は、上から降りて来た巨大蛇の口の中に入る存在である。

彼の足元の岩と川の中に、左右に尻をこちらに向けた人間が隠れていた。その人間の尻からキリストが産まれ出ているかのような表現が成されている。

ダヴィンチのキリストは股間の生殖器を丸出しだったが、それはキリストの子孫が産まれ存続している事を示唆しているのだろうか。このヴェロネーゼの絵では、ヨハネもキリストもその股間に女の顔が位置している事から何か生殖の秘密を伝えようとしているのかもしれない。

ダヴィンチの「キリストの洗礼」。巨大な蛇神が見えており、イエスは神の意志を伝えるべく、巨大蛇の脳の位置(目と目の間)にいる。イエスの足元の人間たちは神に喰われる為に存在し、喰われながら生殖行為をやめようとしない。

ダヴィンチの絵では、ヨハネの後ろに生贄の人間を閉じ込めておく為の石造りの牢獄が描かれていたがヴェロネーゼではどうだろう。

左側の二人の天使がいる岩場がそれであるらしい。石の牢獄の出入り口から天使二人が引っ張り出されているところと見ることが出来る。イエスの右手が奥の天使の頭を今の今まで掴んでいたのか。イエスの左手はヨハネと女天使をやはり引っ張り出して逃げないように押さえ付けているように見えなくもない。イエスは空から降りて来た巨大蛇神の為にその餌となる人間を貯蔵庫(石の牢獄、日本では古墳とか神社とか呼ばれているのかもしれない)から取り出して準備している図であろう。

蛇神の背後の空にはUFOが2機ほど飛んでいると思える。

キリスト教の中で、イエスの存在を位置づける「洗礼」の儀式の図。時代は変わり、作者も変わっても真の画題である「巨大な蛇神の食糧としての人間の存在」を明らかに表現している。宗教とは結局蛇神による支配を仮想世界を作り出すことによって人間家畜をコントロールする手段に他ならない。

 

 

ニュースでおかしな絵が流れていた。7月4日アメリカの独立記念日で、銃を乱射したと言う犯人の写真。いかにも画像加工して作り上げたかのような違和感のある写真がそれらしく公開されている。昔の3億円強奪事件のモンタージュ写真を思い出すような現実感の無い人物の写真である。初めて見た時思わず吹き出しそうになった。イエス・キリストっぽい。犯行時女装をしていたと言うがこの写真ではライフル銃も70発の銃弾もどこに持っているのかの説明が無い。髭があまりにもきれいに剃ってあるし、顔や首の入れ墨もどこに行ってしまったのか。他人の身体に顔だけを取って付けたようだ。7人死亡と言うが本当だろうか。テレビでは時々人々の恐怖心を煽る為にこんなニュースを流す。警察や軍隊の予算を増し支配力を増したいのだろう。