名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ボッティチェリ 「聖母子と天使」  恐怖心と洗脳

名画の中に隠された絵は、なんて恐ろしい絵なんだろう。鑑賞者に気付かれずにその脳内に潜入してくる。人間に恐怖心を起こさせる絵をまた一つ発見してしまった。これもこの世界の真実を伝えるが為に隠し絵となっているのだろうが、それにしてもなんて恐ろしい絵だろう。そしてなんて生きにくい世の中に生まれて来てしまったのだろう。

サンドロ・ボッティチェリ 「聖母子と天使」 1465~67年 捨て子養育院美術館(フィレンツェ)

ボッティチェリがフィリッポ・リッピの工房で修行中の、20歳くらいの時に描いたと言う。一見普通の、清潔そうな聖母子と天使の絵である。

この絵、コントラストを強めてぼかしを入れて見ると、別の物が見えて来る。聖母やイエス・天使と個々の人物を見るのではなく、絵全体を一つの明暗・陰影・形の連続とみなし、薄目でわざとぼんやりとさせて見ると見えて来る。

ルーベンス 「キリストの降架」 聖母マリア大聖堂

この絵には全体的に悪魔のような角の生えたドクロのような化け物の顔が見える。

ルーベンス 「キリストの埋葬」 アムステルダム国立美術館

ほくそ笑む蛇に似た顔が画面いっぱいに描かれている。

千手観音像 平安時代12世紀 東京国立博物館

この絵などは離れて見ると、少し鳥っぽいが化け物の頭がはっきりと見える。、所々蛇が飛び出している。左右の千手の形で目が形作られ、観音の足の衣の襞で口が形作られている。その口から蛇の舌のような物が出ているので、全体的に見ると鎌首をもたげた大蛇のようではないか。

ボッティチェリの絵に戻って、ぼかした元絵をイラスト化してみた。斜め横を向いた骸骨に見えないだろうか。

上図右はアニメ「進撃の巨人」の巨人である。ネットから拾ってきたが、これが非常に良く似ている。

小さくしてさらに左右逆にしてみたりした。

細かい所も一応調べておこう。地道なトレースが新しい発見に繋がるかもしれないので付き合ってほしい。

聖母の顔はどの画家が描いても皆性格の冷たさが表情に出ているものだ。そして口が赤く汚れている(元の絵が低画質なのでこれ以上はよく分からない)。

紺色のマントの形が何となく蛇っぽい。手前の椅子の手すり(?)などは別の白蛇に見える。

聖母子のイエスは大抵その辺で捕まえて来た人間の幼児であり、生贄にされる存在である。この子も右目にあざが出来ているようだし、口から血を吐きだしそうだ。頭の後ろでマリアの左手が掴んでいるのはこの子の髪の毛か。

身体のバランスが悪い。上半身と下半身が離れすぎている。これは恐らく、切断された身体を蛇が巻き付いて隠し(布のように見せながら)ているのではないか。もしくはマリアの右手の指が幼児の身体に深く食い込んでいる事から、マリアが手で離れた身体を押さえて繋がっているように見せているのだろう。幼児の首・手・足は全て切れていると思える。

これも天使では無く捕まった人間の少年であろう。顔に打撲の跡がある。ダヴィンチの「キリストの洗礼」に描かれた少年と同じだ。口の中が真っ赤だからこれも口内が血まみれなのか。

翼の所と肩の所に蛇が這っている。左腕は不明確でありここに描かれているのは少年の手ではないのではないか。右手も両足も描かれて無いので恐らく既に喰われてしまっている。この絵の中のどこかにそれは隠れているのではないか。それはマリアの身体の中に含まれてしまっているかもしれない。

全体図

全体図にすると今度はこんな大蛇の姿が見えて来た。マリアはやはり大蛇の化け物であり、幼児と少年を一呑みに呑み込んでしまっている。

さらにその背後に大口を開けた巨大な蛇神がこちらを見ている。聖母マリアやイエス・キリスト、天使の存在などは、この巨大な蛇型生命体が人間を騙すために創作した茶番劇上の登場人物なのだろう(ただ実際には蛇神の遺伝子を伝える類人猿とのハイブリット巨人族は存在していたらしいが、それとマリアの関係はよく分からない)。

人間に恐怖心を抱かせると指示に従わせやすいのかもしれない。人間に骸骨・血・内臓等死をイメージさせるものを見せると怖がるだろう。ウィルスで死ぬぞと脅かされ、ついワクチン接種を望んでしまうのでは奴らの思うつぼだろう。

マイナンバーで一人一人番号で管理され、街中や乗り物内の防犯カメラで個別に認識され、収入もさほど得られなくなり、これからどうなってしまうのだろう。貧乏になった若者が軍隊に志願して入り、戦争で人がどんどん死ぬ世界が来るのだろうか。人は皆ワクチンを打たれて知能が働くなり、ゾンビのようになってしまうのだろうか。

 

プッサン 「人生の踊り」 誰かに踊らされて、その先にあるのは・・・・

ニコラ・プッサン絵には、例えば「アルカディアの牧人たち」(ルーブル美術館)のように人生における「生」と「死」を表現したと思える作品、言わば哲学的テーマを表現した作品が見かけられる。この作品もそうだと思う。

ニコラ・プッサン 「人生の踊り」 1640年 ウォレスコレクション所蔵(イギリス・ロンドン)

原題は「The dance to the music of time」だから、直訳すれば「時の音楽に合わせたダンス」とでもなりそうなのだが、Wikipediaでは「人生の踊り」となっている。なかなか上手い訳かもしれない。

真ん中で踊るのは、「春夏秋冬」の四季の擬人化であり、富と貧困・喜びと悲しみ等人生の様々な出来事を表しているように解説される。右側に時の翁サトゥルヌスが楽器を奏で、その手前でキューピットが砂時計を掲げている。

空にはアポロンの四頭立て馬車が駆け巡り、それを先導するのは暁の女神アウローラだそうだ。花をまき散らしていると言う。

正に人生の時の流れに応じた「喜怒哀楽」・「生老病死」を具象化した作品に見える。

ただ僕はアポロンの馬車が乗った雲に注目した。

上図左が元絵をはっきりさせた物、右がカラーリマスター版のコントラストを強めた物。この雲の形が何か別の物に見えないだろうか。僕には蛇の顔(すこしカエルっぽいが)に見えた。

上図左、暗くして少しぼかしを入れてみた。右、ぼかしを強めに入れた。

アポロンとその馬車、その周りの女たちが雲の中に溶け込んで消えてしまい、一匹の巨大な蛇の顔になって地上の人間たちを襲っている図に見えて来た。金色に輝く空いっぱいの巨大な蛇である。遠近感が分からないが、幅が10メートルか100メートルかの巨大な生き物だろう。

左、バラ(愛欲)の髪飾りをする明るい表情の女。右、冬枯れの月桂冠を被った土色の服の男(貧困・冬の象徴?)。繋いでいると思われる手は見えない。明と暗、対照的な二人だ。

髪に宝石を散りばめた裕福な女(左)と、黄色い貧相な布を頭に巻き、苦しそうな表情の女。この二人も正反対の様相を示している。

「春夏秋冬」の四季を表すと言うよりも、人生の勝ち組と負け組、捕食者と被捕食者、狩人と獲物くらいの差が有りそうだ。

上記の後ろ向きの男とこの黄色い頭巾の女はどちらも首にひもが巻き付いた様な筋が見える。

何だかブラック企業経営者と社畜の関係のようにも見えて来た。

砂時計を見つめるキューピット。

会社に縛られて人生を過ごして行く内に、一年また一年と何者かによって踊らされている内に、時は確実に進んでいる。この幼児の頃から、後ろにいるサテゥルヌスの爺さんになるまで、光陰は矢のごとく一瞬である。

画面向かって右側の空にも、巨大な蛇の姿が見える。そいつが人間の形をした物を口に入れているよう見えるのだがどうだろうか。

全体図で見ても、画面左側の空に別の巨大蛇が見えるし、地上から頭をもたげた超巨大蛇の頭も見えて来た。

奴等はよほど目を凝らして注意して見なければ見えて来ない。奴らは実際に半透明とでも言えるような異次元の世界にいるのかもしれない。ただ有機物を口から摂取するタイプの有機生命体である事は間違いないようだ。奴らは人間に対して出来るだけ自分たちの存在を隠している。ただ名画の中や音楽・文学等の芸術作品の中にヒントを散りばめている。普通家畜に「お前たちは喰われるために存在している」とか面と向かって言うバカはいない。家畜は無知なまま死んで行ってもらうのが良いので、家畜の知能が高まらない様な食べ物を与え、テレビ・新聞その他で嘘を信じさせ、為政者の指示に従うように洗脳している。生まれた時から、親の代からなので、大方の人は何の疑問も抱かない。名画の中にそんな真実が隠されているのは、「誰か秘密を暴けるものなら暴いて見ろ!」と言う人間に対する挑戦状の意味があるのかもしれない。

ワクチン四回目接種の推奨・ガンになり易い食品の宣伝・ロシアウクライナ戦争の一方への協力・中国北朝鮮に対する煽り報道(You Tubeも含めて)等色々と思考をコントロールされがちだが、どれが本当に正しいのかは自分の目で見て自分の頭で考えて判断したい。

 

プッサン 「フローラの王国」 世界を指導する者もまた操られている。

砂糖とかの甘い物、保存料たっぷりの菓子、薬品漬けのコンビニ弁当とかをたくさん食べている内に頭の働きが鈍ってくるらしい。実際自分の子供の頃の食生活を振り返っても駄菓子やコーラ等の甘い飲料をたくさん摂取していたし、20年間コンビニ経営をしながら売れ残りの弁当ばかり食べて来たので実感できる。頭がボーっとして考えがまとまらない事が多いし、怒りとかの感情をコントロールする事も出来にくいようだ。うかうかとこれまで生きて来てしまったようだ。

頭の働きが悪いのは今でも変わらないが、一つだけ気付いた事がある。昔好きで良く勉強した絵画芸術作品をじっくり見直すと、そこに不思議な隠し絵が見えて来た事だ。それはひょっとして人生の秘密を解き明かすヒントでは無いのかと思い、こんなブログを書きながら名画を読み解いている。

ニコラ・プッサン 「フローラの王国」 1630~31年 アルテ・マイスター絵画館(ドイツ・ドレスデン)

ローマ神話に出て来る女神フローラの姿が描かれている。美しい男女が戯れている庭園の中央で、フローラが花を撒いている様子である。花と春と豊穣を司る女神が笑いながら舞っている。上空にはアポロンか、四頭立て馬車が駆け巡って祝福している・・・・のか?

それにしては色が随分と地味である。経年劣化したのか。花がひも状に垂れ下がっている様子、棚に組まれている様子から花は藤の花の一種らしい。しかしその最盛期の青一色に染まる時期のそれでは無い。枯れたような、赤味がかった花の色である。おかしな絵だ。

一人ではしゃぐ女神。キューピットもあまり楽しそうには見えない。この周りの人物たちも皆うつむいて暗い。

笑顔の中にどこか狂気を感じさせるのは何故だろう。口の端が大きく裂けているからか。

肩に掛かっている青いひも状の物は蛇ではないのか。頭に巻いた花の髪飾りを見ても、そんな柄の蛇が頭に巻き付いているように見える。

戦いの神マルスか。長い剣を地面に逆さに突き立て、己の心臓を一突きして自殺しているのではないか。

マルスは3月のマースの語源となっているのに、自殺すると言うのは理由が分からない。花の女神が枯れた色の花の中にいる事と共に理解できない。

瓶に水を張って鏡にしてわが顔をのぞき込んだりして遊ぶ男女?・・・との解釈で良いのか。

手前の女の足が長すぎる。被せられた布の下で切れているのではないか。

男も女も頭の上に2本のロープのような物で吊り下げられている。首を吊っているようでもある。

男の苦しそうな顔。髪の毛を束ねられてロープ状になっているのか。

ここの二人のキューピットもロープと髪の毛の区別が付かない。

この絵は「操り人形」の舞台を描いてあるのではないか。フローラの女神以外の人物に上から垂れて来るロープが見えたり見えなかったりしている。

空の四頭立て馬車はロープを持つ手である。もう一本の手は藤棚が表している。左上に手の持ち主である巨人の顔が見える。この世界を操っている本当の神であろう。

空にいる神が地上にいる巨人たち(フローラの女神や戦いの神マルス等)を操って他の巨人たちに指示を与えてコントロールしている様子だ。

例えば世界の大統領・総理大臣等を操って新型ウィルスが蔓延しているように見せかけ、国民にワクチンを強制的に打たせて利益を得ようとする。または薬害で具合を悪くし人間の力を弱めようとする。この絵ではそんな世界の基本構造が描かれている。

画面いっぱいに隠されている巨大な蛇神の顔。その口先には人の形をした者が大勢いて喰われている。神話の神や宗教上の聖人を操ってコントロールするのは操られる者の下にいる小さな人間たちであり、彼らはこの巨大な蛇神に喰われるために存在している。

(名画の中の隠し絵には、常に二つ以上の隠し絵が重ねられており、その表す意味も二つ以上重ねられているから説明しづらい。)

ヴェロネーゼ 「キリスト磔刑」 「神」の顔

産まれた時から洗脳されていて、真実を見ても信じられない。子供のころから食べている食品には頭を悪くする成分が含まれているので、自分が頭が悪い事さえ気が付かない。テレビをボーっと見て有識者とか言う人の意見を自分の意見と思って復唱する。労働賃金が少なくても、物価が不必要に上がっても文句を言わない。発がん性の物質を多く摂取させられて、医者に治療とか言われて毒を盛られておとなしく死んで行く。この世に生きる事の辛さは感じてはいるけれども、何故かと言うその理由が分からない。

しかしここにそれが示されているのではないか。名画の中に見える蛇に似た形の生物が人間を口に入れていると見えるのは、人生が何故苦しいかの原因の説明になっているのではないか。すなわち人間を食糧とする蛇型生命体によって人間が支配されているからだと解釈できる。(そんな馬鹿な。そんな荒唐無稽なオカルト的な、陰謀論的な説は聞く必要は無い。と思う人は、名画の名に隠れている形を、素直な目で、見える通りに受け入れてみたら、その考えは変わると思う。一度そう見えてしまえばもうそれ以外には見えなくなる。)

パオロ・ヴェロネーゼ 「キリスト磔刑」 1580年頃 アカデミア美術館(ヴェネツィア)

神が地上に送り出したイエスが人間たちによって処刑される。イエスは人間たちの罪を一身に背負って身代わりとして死刑になるのだと聖書は語る。この絵では地上の人々は混乱の極みを示す。

イエスと同時に処刑される盗人もイエスに看板を取り付ける人の梯子も、整然と並んでいる分けでは無い。イエスの足元にいる黄色い服の女はマグダラのマリアだろうか、その右の方で卒倒している様子なのが聖母マリアか。人々はそれぞれ違ったポーズでそれぞれの感情の乱れを表している。空の雲も、黒雲・濃い青雲が不気味に漂って不安定である。

磔の丘の手前は何を表しているのだろうか。思い思いのポーズで何かをしているのだろうが、何だかよく分からない。イエスやその信者よりも大きく描いてあるのは何故だろう。籠も散乱している。

王の命令で死刑を執行する兵士たち・馬の姿勢にも統一感が無く、バラバラである。馬の足音、いななき、人々の騒ぐ声が聞こえてきそうな光景である。

罪なき神の子を処刑する罪悪感をこの騒々しい感じで表しているのだろうか。

この絵に関しては、細かい部分に隠し絵が見えて来なかった。いきなり全体図の中に、人々を口に入れる巨大な蛇の顔が見えて来た。高さ287cm×幅447cmの大きさの作品でルーブルの「カナの婚礼」の半分くらいだが、比較的巨大蛇の顔が見やすい。顔は大きくも小さくも、いろんな大きさで捉えることが出来る。複数にも見えるし、画面いっぱいの一匹にも見える。いずれにしろ小さな人間たちを口の中に入れ込んでいる。イエスもマリアも蛇の顔の端に位置しているが、巨大蛇に人々を喰わせる案内をしているのだろうか。

また僕にはこんな風に見えて仕方がない。人間の男女の交接図であり、マリアがちょうど男性器の位置にいる。僕自身性の営みの事ばかり考えているスケベな男である事もあり、目が濁っているのかもしれないが、蛇神自身が人間の繁殖を期待してあえて交接図を隠し絵にしている可能性もある。この絵を見た人間が知らず知らずにうちに子作りに励むようになるために。

蛇神の正面顔を別の見方でイラスト化してみた。どうだろう。「人間たちよ。お前たちはこうして喰われるために存在しているのだ。産めよ、増えよ、地に満ちよ。そして我々に血と肉を提供し続けるのだ。」との言葉が聞こえて来そうである。

ヴェロネーゼ 「キリストの昇天」 1585年 カピトリーニ美術館(ローマ)

以前調べたこの作品を思い出す。ここでもイエスの背後に金色に輝く巨大な蛇の正面顔がはっきりと見えている。瞳の縦線までもリアルに見えている。

「キリスト磔刑」でも比較的リアルにその姿を捉える事が出来ると思う。全体図を離れて見たり、薄目にして見たり、頭の中で見方を色々と変えて見る事でその姿が見えて来ると思う。人間たちに自らを「神」と呼ばせている爬虫類の姿である。

 

ヴェロネーゼ 「キリストの洗礼」(1550年) 人間を喰う隠し絵は神の示唆か

人間は宇宙からやって来た蛇型生命体によって創り出され、その家畜であり食糧である・・・・などと言っているのは、世界中で僕一人なのだろう。普通に教育を受けて育って来た人間ならばこんな荒唐無稽な事が普通言えるはずが無い。

ただ美術館に保管されているいわゆる「名画」を調べてみるとどうしても不自然な表現がある事に気付いてしまった・・・・絵のあちこちに蛇の画像が隠されている。人物のデッサンが狂っていると思ったらそこには別の形が隠されている。隠れた蛇の画像はその口に必ず人間の形をした物を咥えている。それは人間を喰っているようにしか見えない。

もしそれが隠された真実であるならば、何故分かるように表現してあるのか。人間がもしそんな惨めな存在として生まれて来たのなら、死ぬまで教えなければ良いではないか。だれも豚に向かって「お前は俺たちに喰われるために存在しているのだ。」などとわざわざ教える者はいない。

彼らは人間より遥かに知能が高いが、爬虫類なので暖かい心を持ってない。相手の為に真実を隠すことが出来ない。また人間の暖かい心を羨ましく思っており、それに憧れる所もある。自分たちよりも劣った生物である人間でも、いつか気付き、成長する事を願っている部分もあるのではないか。いつか気付いてくれる人が出て来るのを待っているのかもしれない。

パオロ・ヴェロネーゼ 「キリストの洗礼」 1550~60年 ノースカロライナ美術館(アメリカ)

先日調べた同名の作品よりも2~30年前に描かれている。ダヴィンチの同名作品により近い。ダヴィンチの作の70年後くらいになる。やはり蛇神の食事風景であり、人間のと殺解体現場なのだろうか。

イエスキリストの身体の上下のバランスがおかしい。腰の位置が下すぎ、左足は不鮮明で、もしこの位置に左足があったとすれば上体をもっと前に屈めるなければ後ろに倒れてしまう。左足はどうやら無いか、あるいは胴体と繋がってないらしい。

口に咥えられた何かがあり、髭や髪の毛にも何か別の形が隠されているようだが、よく分からない。

肩の盛り上がりや胸の膨らみは不自然である。こんな風に豚のように太ったイエスはあまり見ない。両肩に二人分の尻が並んでいるようだ。

イエスの右足の下にある岩のような物は、膝で押さえつけられた一回り小さな人間だろうか。

足先の川の中に、横たわっているのはイエスの左足かもしれない(僕にはこんな風に見えた)。

洗礼者ヨハネも体の上下のバランスがおかしい。腰から下に別の人間の身体のパーツを持ってきて積み重ねてある感じだ。両手両足共に大蛇の口に咥えられているらしい。

ヨハネが手に持つ盃に入っているのは、小さな人間であり、後ろにいる空の蛇神に捧げる生贄であるらしい。

画面左側で、木に抱き付いて恐れているかのような天使がいる。口から何かを垂らしている。目の周りに隈があるのはダヴィンチの少年と同じである。左目は少し変形し、口から血を吐いているのかもしれない。

天使ではなく、生贄の少年である。翼と見える部分は蛇に咥えられた2~3体の人間であり、イエスの衣と見える布も別の小さな人間であろう。上から降りて来た大蛇にそれを喰わせている。

上半身と下半身が大きさも違い、繋がってもいない。人間の身体とそれを喰う大蛇の形を組み合わせてそれらしく見せている。

少年の右ひざの地面にドクロらしき形が見えて来た。

少年の下に目を移すと、こんな物が見えて来た(上のイラストのような)。

手足を、あるいは頭を切断されてうつ伏せる人間の胴体。一番左のは顔を半ば川の水に付けている。ダヴィンチの絵では切断された手足その物が目立っていたが、この絵では手足を失った胴体の方も目立っている。

画面右側隅。でかい蛇の頭が二つ上下に並んでいる。口の中にそれぞれ小さな人間を詰め込んでいる。下の大蛇の口の下には頭蓋骨が見える。

全体図。やはり生贄の人間が無数に横たわった神の食事風景であるようだ。天使もヨハネも、イエス以外は生贄の肉としてそこに存在している。

画面に一番大きく隠されているのはこの蛇神だろうか。その目と目の中間、脳の位置にイエスがいる。イエスは神の存在を家畜たちに示す伝道者である。

こんな風にも見えるのだがどうだろうか。空の中、地上に円盤型UFOがたくさん隠れている。聖母マリアの受胎告知やこのキリストの洗礼の画題の時にはなぜかUFOっぽい形が良く見つかる。