名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ヴェロネーゼ 「アレッサンドロ・ヴィットリア」 人間を創ったのも消費するのも自分たち

新型コロナウィルス感染者が激増しているとの事だが、政府は国民に何をさせたいのだろう。ワクチンを強制的に打たせて時にその中に毒物を混入させる? 自宅に引きこもらせ、人間同士の接触を減らし、国の指示が伝えやすくする? 病気だけでなく戦争・気象の不安をも煽って税金をより高くする? ・・・・全て自作自演の茶番劇が元になっているのだろう。

人々はコントロールされている事になかなか気付けない。自分たちが単なる家畜であるとは認めたがらない。いつの間にか自分たちが宇宙の中でも最も優れた科学技術を持った生命体だと思い込まされているが、普通に考えてそんな傲慢な考えは成立するはずが無い。人間以上に知能が優れた生命体が宇宙には無数に存在すると考える方が自然である。

パオロ・ヴェロネーゼ 「アレッサンドロ・ヴィットーリア」 1524年~1608年 メトロポリタン美術館(ニューヨーク)

画面が暗すぎるので明るくしてみる。

レンブラントの自画像でもそうだが、画面を暗くして秘密を分かりにくくしている。

明るくすると・・・・あちこちに不自然な表現が見えて来る。騙されないようにしっかりと見て行きたい。ここには人間を支配している生命体の、人間に対するメッセージが隠されている。人間に対して「見つけられるものなら見つけて見ろ!」とでも言うような挑戦的なメッセージである。「この絵の中に込められた秘密を少しでも見つけられれば、その人間はちょっとはましな存在だ。誉めて遣わす。」

真っ黒な服を明るくしてみると、こんな形が浮き出てくる。男の胸には鎧をまとったような形で、別の人間の身体は逆さに張り付いている。肩の所にある蛇の頭が、男の右腕を咥えている。

男は普通の人間ではなく、別の人間のパーツで組み立てられた存在であり、蛇がそれを支えている。

男の目は何かを訴えている様であり、恐怖に満ちているようでもある。

口には何かを含んでいる。前歯が出ているのではなく、口に何かを入れて喰っている最中であろう。

例えば口の周りにこんな図像が見えて来た。この男の口に喰われる小さな人間の形、または蛇の口先に喰われた小さな人間の姿。

傍らの石像の左手は、肘から先が無い。下碗は折れて手を頭に当てているように見せているが、実は肘から先は背後の大蛇の口に入っていて見えない。

石像の足先も見えない。男の右手が何かを握っているのが分かる。男の指の向こうにあるのは石像の台ではなく、石像を伝って上から降りて来た蛇の頭であるらしい。また男の手の中にはイラストのような人間の形がうっすらと見える。男の右手は蛇に生贄の人間を与えているらしい。

男の左手は石像を支えているだけかと思ったら、指の間に何かが見える。これも小さな人間であり、背後の、上から降りて来ている蛇(上図真ん中の写真。右上に茶色い蛇が上から降りて来て咥えているのが良く見えると思う)に喰わせているようだ。

テーブルの上に転がっているトルソー。首と両腕を切った形らしいがちょっとおかしい。首が長すぎるし、その首の切断面はどうも凹部が凸部に見える。黒っぽい蛇の頭がこちらに向いているのではないか。またトルソー全体が小さい人間を何体も組み合わせて団子状にしたものではないか。つまり生贄の人間の肉の塊である。

奴等は生の肉しか食わない。生き血を好む。調理しなくても良いような強力な消化能力を持っているのだろう。あるいは蛇のように丸呑みして腹に入れてから時間をかけてゆっくりと消化するのが好きなのかもしれない。

テーブルの上は赤い血にまみれているように見えて来る。テーブルには小さい人間が尻を向けて数体横に並んでいるように見えるし、またテーブル全体を大きく見るとひとりの大きな人間の下半身(この男の下半身かもしれない)(左側が腰、右側が足)が横たわっているように見える。

全体図。

背後の壁に見える筆跡は何だろうか。男の顔を中心にした尻が見えるし、そこに同時に大蛇の顔が見えるので、蛇によって生まれる事と蛇に喰われる事とを同時に説明しているのかもしれない。つまり支配者である彼らからすれば、人間を創ったのは自分たちであり、人間を消費する(喰う)のも自分たちであると言っているらしい。

 

ヴェロネーゼ 「カナの婚礼」 巨大な蛇神の口元に人々が集まる。そして喰われる。

You Tubeで見る最近のテレビニュースは何だか安っぽい茶番劇を見るようだ。安倍元総理の銃撃事件、これも違和感だらけで素直に受け入れることが出来ない。元総理が交差点の真ん中で箱の上で応援演説? 銃撃した銃の口径がやたら大きい手製の銃? 映像で一瞬見える白煙? 他にけがした人がいないようだ? 犯人は元海上自衛官である事が即座に報道される? 統一教会を日本に入れた岸信介への恨みをその孫によって晴らす? ・・・・いったい誰が筋書きを描いているのだろう。

この絵などを見ると、この世がいかにまがい物に満ちた世界であるかが見えて来る。人間の存在価値など無きに等しい。人間の血肉は単に彼らの食糧であるにすぎない。

パオロ・ヴェロネーゼ 「カナの婚礼」 1563年 ルーヴル美術館

横幅が10メートルくらいあり、ルーヴルの展示作品の中で最も大きいそうだ。聖書の中でキリストの行った最初の奇跡が表現されている。

ガリラヤのカナで行われた壮大な結婚式(フランス・オーストリア・イングランド・オスマン帝国・神聖ローマ帝国等の王が招待されている)、そこにナザレのイエスとマリアが招待された。食後のワインが足りなくなってマリアがイエスにその事を告げる。給仕が水の入った瓶を注ぐとそこからワインが出て来たと言う事らしい。

イエスとマリア、12使徒も並んで座っていて、さながらダヴィンチの「最後の晩餐」のようだ。ダヴィンチのそれの、向かって左側にいるのがマグダラのマリアだと、ここで暴露しているのか(聖母マリアとマグダラのマリアは同一人物の可能性がある)。磔刑で死んだイエスが使徒と共にこんな豪華な結婚式に列席(それも列の中央)しているのも変だ。

新郎、新婦は画面の一番左の端にいる。しかも攻められているような厳しい表情の人々に囲まれている。「食後のワインはまだですか。」

画面右側手前に、この絵の主題・・・・瓶から出るワインの様子が描かれている。下僕の背後にいる人がワイングラスを持ち本物のワインかどうかを確かめている様子である。

瓶から別の瓶にワインを移す奴隷は、身体に棒が突き刺さっている。後ろの男が奴隷の左わきの下あたりに赤い棒を突き刺している。奴隷自ら流す血を下の金の瓶に流し込んでいるのではないか。

画面右側の客たち。テーブルの上は空の皿ばかり。何故か皆上の方を見ている。

イエスの背後、渡り廊下のような所で料理を作っているらしい。包丁を振るう人、皿に盛った料理を運ぶ人等が描かれている。

普通調理は客の目に見えない所でされるはずだがここでは良く目立つ場所で行われている。婚礼を見に来たやじ馬もこの廊下上あちこちに見える。各国の王様たちを見下ろす形である。キリストの奇跡が行われていようとも皆我関せずで、思い思いの行動をとっているようだ。何だろうこの絵は。

包丁を打ち下ろして肉を切っているポーズの男を良く見るためにイラスト化してみた。男の左手の下にあるのは、人間の横顔、頭蓋骨に見える。男の持つ包丁も刃の向きが反対で、自分の頭を勝ち割ってないか。いやこの包丁を持った右手はこの男の右手ではなく、背後にいる焦げ茶色の男の右手ではないか。背後の男がこの男の首を掴んで頭に刃を当てている。

その隣では男が女の背中に赤い棒を突き立ている。女は男の腹に皿を当てているが、赤く染まった男が流す血を受けているのだろうか。

廊下の上では、皆が殺し合いをしているのか。血(ワイン)をお互いに流すようにしているらしい。

画面左側の廊下の上。もはや料理をしている人には見えない。殺し合いをしているのではないか。

この赤い服の女などは下に組み伏せた人がそこにいるようだ(手か足が見える)。左手でとどめを刺す刃物を要求しているように見える。

画面右側の廊下の上。こんな騒々しい結婚式がある物か。奇跡を見て驚く人々にも見えない。ただお互いに殺し合い、血(ワイン)を流し合っているようにしか見えない。

廊下で流し合った血は下の宴会場に流れ込むようになっているのか。

皿などに乗せられて運ばれる肉は人肉だろう。やたら小さい人間に見えるが、それは彼らが巨人族(蛇神が地球に来て最初に創った自分たちと似た大きさの、食糧としての人間)だからだろう。

全体図を小さくして、彩度を落としたり、ぼかしたりしてみた。画面全体を覆う巨大な蛇の頭が見えるだろうか。あるいは正面を向いた巨大蛇が無数の人間をその体内に摂り込んでいる様子が見えて来ないだろうか。

僕にはこんな風に見えた。三匹の巨大な蛇が上方から垂れて来ている。地上にいる人間たちを片っ端から喰っている図である。真ん中のひときわ大きな蛇の鼻先にイエスとマリアが乗っている。

こうも見える。また正面を向いた顔にも見えたりする。いずれにしろ人間は蛇型生命体の食糧である事をこれでもかと言うくらいにしつこく表している。


ルーヴル美術館ではこんな形で巨大蛇神の口元に人間たちが集まっている。誰も真実には気が付かないのだ。

 

ヴェロネーゼ 「キリストの洗礼」 ダヴィンチ同様、蛇神の食事準備をする男の絵

レオナルド・ダ・ヴィンチがヴェロッキョ工房で描いたとされる「キリストの洗礼」の後、約90年後にヴェロネーゼが同題の絵を描いている。構図も登場人物もダヴィンチとほぼ同じだから、恐らくそれを見て描いたのだろう。

パオロ・ヴェロネーゼ 「キリストの洗礼」 1580~1588年 J・ポール・ゲッティ美術館(ロサンジェルス・アメリカ)

見やすくするために明るくしてみる。

川岸の洗礼者ヨハネと川の中のキリスト、画面左にはキリストの衣服を持つ天使が二人。右側のヨハネの足元に別の天使が一人いるのが違うだけで、ほぼ同じ構図である。

キリストのポーズ・左の天使が青年では無いのもダヴィンチとの違いだ。

左のダヴィンチの作品を調べた時、衣服を持った青年たち二人は虐待を受けていて、顔には殴られた跡があり、手足さえも切断されてそれが川の中に放置されていると言う残酷な絵であった。右のヨハネも手の皮を剥がされており、その手足も胴体と繋がってない有様であった。背後にUFOが着陸し、巨大蛇型生命体が降りて来て人間たちを生贄として喰っている図であった。

同じイタリア人であるヴェロネーゼも、90年後にこの絵の真の画題を受け継いでいるのだろうか。

イエス・キリストのポーズは、両手を広げた形になっている。右手、左手で天使とヨハネに触れている。

この目は静かに伏せているようでもあるが、イラストのように目を剝いているようでもある。口や髭の辺りは不明確でつかみどころがない。僕にはイラストのように見えた。絵の色を明るくし、強調するとこんな風に血のような赤色が浮き出てくる。

イエスの頭に水をかけるヨハネは変に腰が引けている。上半身と下半身が変な形で繋がっており、へその辺りで分割できそうだ。手前の女天使の顔の前に股間を押し付けているような・・・・(ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画「原罪」の場面のイヴを思い出す)。

女天使は右の翼しか持たないが、それは小さな人間がそこにいるのが翼に見えているのではないか。それとこの女、左足がどうなっているのか。膝から下、足先が見当たらない。途中で切れて血まみれになっているのか。不自然な表現である。

二人の足元も、よく見ると切断された手足や骸骨、それらに喰い付く大蛇などが見えて来る。

女の顔に恐怖の感情が見えて来る。口から出ている赤い物は血反吐か。結局ヨハネもこの天使もキリストの仲間の蛇たちに喰われるための存在(現在喰われている)であるらしい。

左足は途中から無く、血まみれである。右足には赤いサンダルを履いていると見えるが、足先の皮が剝がされて筋肉の筋が露出しているようにも見える。ダヴィンチのヨハネの左手のように皮が剥がされている。

左の天使二人はダヴィンチの青年二人とほぼ同じポーズである。手前の天使は左足が無く、奥の天使は腹から下の身体が無い。無い部分は手前に横倒しになっているらしい。

奥の天使の顔。左目から血を流し、口から血を吐き出している(小さな人間を口に入れているようにも見えるが・・・・)。

全体図。

キリスト以外は、上から降りて来た巨大蛇の口の中に入る存在である。

彼の足元の岩と川の中に、左右に尻をこちらに向けた人間が隠れていた。その人間の尻からキリストが産まれ出ているかのような表現が成されている。

ダヴィンチのキリストは股間の生殖器を丸出しだったが、それはキリストの子孫が産まれ存続している事を示唆しているのだろうか。このヴェロネーゼの絵では、ヨハネもキリストもその股間に女の顔が位置している事から何か生殖の秘密を伝えようとしているのかもしれない。

ダヴィンチの「キリストの洗礼」。巨大な蛇神が見えており、イエスは神の意志を伝えるべく、巨大蛇の脳の位置(目と目の間)にいる。イエスの足元の人間たちは神に喰われる為に存在し、喰われながら生殖行為をやめようとしない。

ダヴィンチの絵では、ヨハネの後ろに生贄の人間を閉じ込めておく為の石造りの牢獄が描かれていたがヴェロネーゼではどうだろう。

左側の二人の天使がいる岩場がそれであるらしい。石の牢獄の出入り口から天使二人が引っ張り出されているところと見ることが出来る。イエスの右手が奥の天使の頭を今の今まで掴んでいたのか。イエスの左手はヨハネと女天使をやはり引っ張り出して逃げないように押さえ付けているように見えなくもない。イエスは空から降りて来た巨大蛇神の為にその餌となる人間を貯蔵庫(石の牢獄、日本では古墳とか神社とか呼ばれているのかもしれない)から取り出して準備している図であろう。

蛇神の背後の空にはUFOが2機ほど飛んでいると思える。

キリスト教の中で、イエスの存在を位置づける「洗礼」の儀式の図。時代は変わり、作者も変わっても真の画題である「巨大な蛇神の食糧としての人間の存在」を明らかに表現している。宗教とは結局蛇神による支配を仮想世界を作り出すことによって人間家畜をコントロールする手段に他ならない。

 

 

ニュースでおかしな絵が流れていた。7月4日アメリカの独立記念日で、銃を乱射したと言う犯人の写真。いかにも画像加工して作り上げたかのような違和感のある写真がそれらしく公開されている。昔の3億円強奪事件のモンタージュ写真を思い出すような現実感の無い人物の写真である。初めて見た時思わず吹き出しそうになった。イエス・キリストっぽい。犯行時女装をしていたと言うがこの写真ではライフル銃も70発の銃弾もどこに持っているのかの説明が無い。髭があまりにもきれいに剃ってあるし、顔や首の入れ墨もどこに行ってしまったのか。他人の身体に顔だけを取って付けたようだ。7人死亡と言うが本当だろうか。テレビでは時々人々の恐怖心を煽る為にこんなニュースを流す。警察や軍隊の予算を増し支配力を増したいのだろう。

 

ミケランジェロ 「大洪水」 神による人口削減策の一つ

 

この絵は「ノアの箱舟(方舟)」を描いた物だとばかり思っていた。システィーナ礼拝堂天井画の「ノアの燔祭」と「ノアの泥酔」の間にあるから誰しもがそう思うのではないか。しかし画題は「大洪水」である。箱舟は描かれていない。

ノアの箱舟に乗れなかった人々が描かれている。「原罪と楽園追放」の時と同じように、一画面の中に時間の異なる出来事が同時に描かれている。

①画面中央上、洪水の為ほとんど沈んだ建物の天辺で取り残された人々が争って逃げようとしている。右端のひとは斧のような物を振りかざして、殺し合いをしているのだろうか。

②画面中央、小さな丸い船の乗ろうとこれも争っている。船はもう沈みかけている。

③画面向かって右、岩山の頂上だろうか木と布でテントを作って避難した人々。他人を抱き上げて運び込む人がいて、それを迎える男女もいる。テントの奥は暗く、将来の無い事を物語っているかのようだ。

④画面中央下、わずかに残った陸地に登ってくる人々。子供やら家財道具やら友人やらを運び込んでいる。

⑤画面左下、人物が一番大きく描かれた部分。乾いた陸地にはまだ木が残されている。そこにやっとの思いでたどり着いた老若男女のほっとした様子が描かれている。ただ、着の身着のまま逃げて来ただけなので希望は無い。

ここにいる人々は「ノアの箱舟」に乗れなかった人々=神によって滅ぼされる人々らしい。

一見して中央上の木製の箱型建物が「箱舟」の上部と勘違いしてしまうが、そうでは無い。ノアの家族が中心になって描かれた絵では無いし、「箱舟」からひとつがいずつ選ばれた動物たちが降りて来る様子も無い。建物の上部に白い鳩のような物やカラスのような物がぼんやり見えるようでもあるが「箱舟」では無い。

この絵の左右にはこんな三角枠の絵がある。

そこだけ拡大して並べてみるとこうである。どちらの絵も人間の子供を何処からかさらって来て食べている図にも見えるが、暗い雰囲気の物で、病気の子供を看取る父母の様子にも見える。

世紀末には、異常気象による洪水や戦争・病気による災害が重ねて起こると言うがそれを思ってしまう。

命からがら逃げ延びた人々。子供たちは笑っているが大人たちは真剣である。神に選ばれずに滅びるべき事を知っているのか。左端のロバに似た生き物も虚ろな目をしている。

残されたわずかな陸地に這い上る人々。

逃げ延びた人々も結局は上から迫る巨大な蛇神に喰われる運命にある。

岩山の傍らで他人を助けると言う善行をしても、友を助けても結局は巨大蛇の餌となる。

沈みかけた小舟で争っても、狭くなった建物の頂上で殺し合っても救われない。神によって滅ぼされるのだ。

巨大蛇神が見えて来にくい絵だった。手前の陸地に生贄の人体が転がっているようだがよく見えない。一部剝落しているし、修復が正しくないせいかもしれない。

画面のあちこちに不可思議な、現在には存在してない様な異形の生物がいるように思える。「大洪水」で選別され、生き残れなかった生物がここにはいるのではないか。

「洪水」は「ノアの洪水」だけではない。何回もあったはずである。その度に異形の生物(実験的に創られた、エジプト壁画に有るようなワニ人間やイヌ人間等)が滅んで来たのではないか。

あちこちに布に包まれた物が見える。白い布・青い布に包まれているのは生贄の小さい人間かもしれない。神の怒りをこれで鎮めようとしたのかもしれない。

神は人間を増やすようにいつも命じている。しかし増えすぎて制御できないくらいになると「人口の削減」を試みるようだ。方法はこんな「大洪水」等の天災の他に、病気・戦争がある。今現在は「人口削減」期に入っているのかもしれない。

この絵では災害にあって他人を殺す人も他人を助ける人も、区別なく滅ぼしている。彼らから見れば人間など所詮そんなちっぽけな、価値の無い存在なのだ。

ミケランジェロ 「アダムの創造」 人間の脳を支配し思う通りに喰われるようにコントロール

「アダムの創造」 この絵を知らない人はいないだろう。キリスト教において神が地球上に「人」を創った瞬間を描いた物としてあまりにも有名である。

しかし神の手で創られたアダムに何故へそがあるのか、神を覆う布状の物の形が何故人の「脳」の断面図にそっくりなのか、とかくに議論がなされる点が多い。研究者は色々な解釈を試みているが、僕は僕なりに解釈をしてみた。もちろん結論は「神」は食糧として人間を創ったと言う物である。

「大地と水の分離」・「エヴァの創造」の間に描かれている。周りにはたくましい肉体の青年像が4体ある。

この絵の左右には、三角形の枠の中に不思議な絵が描かれている。三角形の頂点に描かれたヤギの骸骨や赤っぽい人物も悪魔っぽくて不気味だが、三角形の中も相当不気味である。

アダムの側に描かれたこの婦人と幼児の絵。幼児の顔に生気が無く、婦人が幼児の後頭部に口を当てて、まるで齧り付いている様ではないか。婦人の後ろの灰色の男の顔も薄気味悪い。

イラスト化しながらより細かく見てみると、こんなになった。幼児の身体、婦人の下半身は全て他の人間の身体が積み重なった物である。大小さまざまある。地面は血のように赤くなっている。人間を喰う光景だろう。

神の側の三角枠の中には、こんな絵がある。女が尻の下に敷いているのは何だ。切断された片足を包帯で包んであるのか、子供の遺体を白布で包んであるのか。

背後の灰色の群像も気持ち悪い。

良く見るとこの女、口元を隠しながら小さな人間を喰っていないか。背後にいる幼児の手先を喰っているのか。自分の左手は切断されて下に落ちている。

女の後ろから、覗き込むようにして顔を寄せている灰色の男が気持ち悪い。

女の右足は切断され、白い布に包まれて転がっている。右足があるべき所には別の人間の身体がそれらしく形作っている。左足も長すぎるので恐らく切断されている。

「アダムの創造」に戻って、アダムの顔。長年見て来て違和感を感じた事が無かったが、今回詳しく見ると下唇がおかしい事に気付いた。下唇だけ分離している。何か肉片を咥えているようにも見える。そして唇の右端から血が流れ出ているように見える。口の周りも血だらけである。血は肩まで滴っている。

右手の下に赤い何かがある。小さな人間を握っているようにも見えるが、単に血だまりがあるようにも見える。この右手、上腕と下碗で色がまるで違う。肘の所で切れていて、そこから出た血が見えるのではないか。

アダムのへそ。宇宙から来た「神」は地球の元々いた猿のような物のメスと交配し、自分たちの食糧としたと考える。有機生命体は有機物を摂取して生命を維持してゆく以外に無い。自分の血肉を分け与えてそれを食い物にするのも考え方としてはあり得る。

肘だけでなく、足の付け根も切断線が見える。

このアダムは手・足・首がバラバラであり、それをただくっつけてあるだけの肉の塊にすぎない。豚をさばいてまた仮にそれらをくっつけて見せたような違和感がある。普通このたくましい筋肉に見惚れて、神を見つめる真摯な眼差しに同調して、それに気付かない。

背後の岩山の中にも、なにやら人間の身体っぽい物がいくつも転がっているようだ。蛇もその中にいる。この岩は生贄の祭壇である。

映画「E.T」でも有名になった、異星人と人間の手が接触しようと言う合う場面。アダムの手。何度も見て来たはずなのに、今回違和感が感じられた。三本指の手の中に小さい人間が挟まれているように見えて来た。爬虫類遺伝子が半分入ったアダムはトカゲのように三本指であり、ここでは黒っぽく見える小さな人間を捕まえている。二人ほどかもしれない。この手は「神」から生命の息吹を吹き込められることを象徴して手先の接触を見せていると解釈されるようだが、どうやら本当は「神」に生贄の人間を捧げている場面を表しているのではないか。

「神」の顔。映画や何かでこの顔が「神」の顔として浸透しているようだ。しかしよく見るとこの「神」、白目をむいている。遠目には黒目が見えるが、拡大して見るとそれが無い。この目はアダムの方を見ているのではなく、自らの傷みに耐えているようでもある。それとこの赤い唇。特に下唇の形は、別の生物のようである。神聖であるべき「神」の唇がこんな下卑た物であるはずが無い。白髭や下唇を模した有機物(人間の肉片だと思うが)を喰っているのだろう。

「神」は周りにたくさんの裸の人間をくっつけて空を飛んでいる。なぜか赤い布に包まって。布の上の端にUFOのような形が見える。と言う事はこの赤い布は宇宙船であり、中に食糧としての生きた人間を積み込んでいると言う事なのだろうか。

この袋が人間の脳の断面図になっていると主張する人がいる。ネットから拾った脳の断面図を並べてみた。間違いなくそっくりだ。「神」の腰辺りが爬虫類脳であり、ここから「神」が出ている。「神」の差し出す手は前頭葉から出ており、額に「第三の目」があるとすればこの辺りかもしれない。

「神」の下にいて、「神」を支えるような格好の青年。髪型が不思議で、頭頂部だけ髪がカールしていない。髪を剃って頭蓋骨を切り、手術途中で脳が露出している状態にも見える。頭頂部のしわが脳のしわに似ている。この頭は位置的に脳下垂体に当たる。成長ホルモンや性ホルモン等を司る器官である。「神」はこのむき出しの脳から出るホルモンをアダムに向けて放出している?

「神」の尻の後ろにいる幼児は明るい色で描かれているが、ちょうど小脳の位置にいる。この幼児、手足がバラバラになっているのを無理やり組み立てられているような感じだし、表情も何者かに操られている表情に見える。

大きく見ると「神」の部分がこう見えた。人の形をした「神」は実は「神」で無く、「神」の本体は実はこんな姿の巨大な蛇であった。生贄の祭壇に供えられた人間を喰いに宇宙船で地上に降りて来た。

蛇型生命体である「神」は、自らの遺伝子を加えて人間を創り、人間の脳を制御し、生贄の祭壇を作らせている。時々地上にUFOに乗ってやって来てその生贄を喰う。人間たちは脳を痴呆化されているので気が付かない。