名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ドガ 「読書する女」 神による人肉食の絵

まるで悪魔の化身が描かれているようだ。

ドガのこの絵、どう見まわしても人間の女が描かれている様には見えない。

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エドガー・ドガ 「読書する女」 1885年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

原題は「Liseuse」とあり、フランス語で「読書灯」または「ベッドで読書する時に羽織る婦人用部屋着」の意味もある。何だかひじ掛け付きソファーの上に行儀悪く裸で後ろ向きに座って、光る手紙のような巻物を読んでいるように見える。しかしこの腕の太さはどうだ。下半身の形はどうなっているのか、捉えどころがない。上半身と下半身がねじれすぎてうまく繋がってない。壁に掛かった額縁も、下のソファーのひじ掛けだかベッドの縁だか分からない部分もとても理解しがたい表現である。

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上左側、ジャン・オノレ・フラゴナール「読書する娘」1775年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

「読書する女」と言えばドガの絵の100年前のこの絵が思い浮かぶ。しかも所蔵場所も同じである。フラゴナールの絵は縦82センチ、それに比べてドガの絵は縦38センチ。油絵と銅版画と言う違いもある。フラゴナールの静かな読書風景に比べてドガのこの女が素っ裸であり、動きも下品な感じがする。

ドガと言う画家は、You Tube動画で山田五郎が言っていたように、変態男なのだろうか。

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この絵は一度調べた事がある。それに少し手を加えて新しい解釈を加えてイラストを描き直してみた。「読書する娘」は人肉の寄せ集めで形作られている。上方から降りて来る蛇型生命体の餌になるべく、用意された生贄である。

娘の背後の壁に、吊るされた女の身体があるようだ。しかしこの肉体は巨大蛇の胴体の中に含まれ、娘自身の黄色い服の部分も同じ巨大蛇の頭部分に呑み込まれ含まれる。どうも説明が難しいが、娘の胸のリボンと背中のクッションの突起を両目玉とする巨大蛇の顔、娘の肘のくしゃくしゃした部分が口になる。

つまりこの絵の真の主題は、神に捧げられた人肉をその神が喰っている図となる。娘は上半身・下半身が分離して置かれている。

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女の頭と耳? 光っているのは本? なんか違うのではないか。背中の筋肉の盛り上がり方も、手のゴツさも違和感しか無い。

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尻の下に何か分からない物をたくさん置いている? 随分デッサンが下手だ。足先を犬か何かが噛んでないか。こんな状態で読書など出来るものか。

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尻の辺りにこんな物が見えて来た。人間の頭か。

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足先の辺りもイラストにすると何やら訳が分からない。

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全体図をイラスト化した。

読書する女は上半身・下半身別々の人間の身体を繋げられている。その周りのソファーの肘当てもベッドの側板らしき物も、全て人間の身体である。画面右下のソファーの肘当てと見えた部分は人間の足か何かの切断された物であるらしい。生贄の捧げものがここに集められ、積み重ねられている。壁(向かって左側)には吊り下げられた人間の背中が見えている。

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巨大な蛇神が見えて来ないが恐らくこうであろう。イラストで緑色で表した部分が蛇神の姿。左上上空から降りて来て読書する女をその顔の中に摂り込んでしまっている。こいつはさらに口先にある人間の胴体と手等を喰っている。

フラゴナールもドガも全く正反対の絵に見えるが、実際の真意は同じ(蛇神の人肉食)となっている。

全体図にぼかしを入れて見ると、壁の額縁の中にこんなドクロが見えて来た。窓から覗き見する悪霊だろうか。

 

ドガは絵の中に千切れた人肉のパーツを置いたり、胴体の切断された人間を見せたりと残酷な表現を好んで使う(ドガだけに限らないのかもしれないが・・・・。他の画家たちにも同じ表現があるのにまだよく見えてないだけなのかもしれないが・・・・。)。絵を見る人に恐怖を与えたいのかもしれない。

恐怖心を与える事は人間をコントロールする上では必須の事であるらしい。恐怖心を与えると人は思い通りに動きやすい。例えば現代ではテレビ等のコマーシャル・・・・「あなた、まだこれを使ってないんですか!」と煽って買わせる。「子に多額な葬儀費用を払わせたくないでしょう!」と言って保険に入らされる・・・・とかいくらでも例を挙げられる。「コロナに罹って人や会社に迷惑がかかる・・・・」だからワクチンを接種しなさい、と言うのもある。大多数の人が言っている事であってももし人間の恐怖心に訴えるのであればそれを疑った方が良い。

 

マネ 「死せるキリストと天使」 キリストも天使もまやかしの存在

誰もが見たとは言わない巨大蛇型生命体。ましてそいつが人間を食い物にしているなどと言っているのは僕一人だけ。それでも僕の目には、名画の中にそいつの姿が見えるのだと叫びたい。コペルニクスだかガリレオガリレイだかよく知らないが、自説を主張しながら無念の最期を迎えた偉人にあやかりたい。ただ僕は学者ではないし、この説を受け入れてくれる人がもし現れてもその後は何とするでも無い。自分たちが支配されている事をはっきりと把握でき、支配者が誰であるか、どんな形で支配されているかが分かり、家畜として生まれ、家畜として死んで行く運命を知った所でどうする事も出来ない。

しかしながら真実を把握すると言う事は、把握できずに何も知らず生きて来た者にとって何らかの変化をもたらすのかもしれない。

まずは意識の変化をもたらしたい。一人でも多くの人に、見えるものは見えるものと認識していただきたい。

自分たちは生まれた時から変な洗脳をされて本来の自分の視点・思考をねじ曲がった方向に向けられて育ってきたようだ。無垢の目で物を見、真っ正直な心でもって物を見れば真実が見えて来るはずである。時間を掛けて良い。一つの絵を数時間見つめ続ける、または数年経ってから同じ絵を見直す、そうして初めてこの世の真実が見え始める。

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エドゥアール・マネ 「死せるキリストと天使」 1864年 メトロポリタン美術館(アメリカ)

マネの絵の中には、切断されたバラバラ死体みたいな物が見えて来て何ともやるせなくなる(他の、例えばダヴィンチやラファエロの絵の中にも人体のパーツが地面に転がっていたりするが、マネの絵ではそれが捉え易い)。

この絵はサロン入選作。磔刑から降ろされたイエスキリストの死体を二人の天使が抱きかかえて悲しんでいる様子が描かれている。

聖母や他の信徒たちはどこにいるのか、画面右下に石のような物が転がっており、そこから一匹の蛇が這い出ている。それくらいが不思議に思う所で、他に何の違和感もない。人間の罪を一身に背負って死んで行ったキリストに対する哀しみが表されている。

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向かって右側の天使の絶望感に満ちた悲しい顔とイエスの血の気の無い顔が対比される。

イエスの首に注目。首の真ん中で色がはっきりと変わっている。上側に赤っぽい色が出ている。まるで切断された生首を胴体の上に乗っけたような描き方になっている。天使の右手もイエスの頭を支えている。髪の毛をひっつかんで固定させているようにも見える。

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拡大して見ると色の境目が不自然である事がはっきりする。

イエスの左耳が変に大きく、位置も下にずれているのは何故か。天使の口の先だから天使が喰っている小さい人間か何かの表現だと思うがよく分からない。

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イエスの腰布の中に人の手の形が見える。イエスの下の白布の中にも人の手や何か人体のパーツらしき形が見える。

イエスの両手は異様に黒っぽい。何故だろう。

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左手には親指が無い。欠損している。福音書にイエスの手指が切れたとの記述があったろうか。

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足先は別の小さな人間が張り付いてそれを形作っている。ふくらはぎ・踵も人間でその先に別の人間が張り付いている。このイエスと見える巨人が、小さな人間を食糧としてその肉体を保っている事を説明しているのだろう。

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向かって左側の天使。口から何かを垂れ流している。あるいは小さな人間の手か足を咥えているのかもしれない。この天使の右目の下の頬だけ色が変わっているのは、そこに小さな人間が押さえ付けられているからなのだろう。

向かって右側の天使。口から薄ピンク色の何かを垂らしているし、右頬辺りから糸状の物を出している。これとイエスの大きな耳と合わさって何らかの形を作っているらしいが、よく分からない。ひょっとしてイエスの頭の皮を剥がして喰っている? 左耳を剥がして手前に浮かしているので大きく見える?・・・・とも考えられる。このイエスはイエスではなく、単なる生贄の人肉だから。(とすると向かって左の天使もこの男の肉を摘まんで喰っているのではないか。男の左手親指を切り取って喰っているのはこの天使ではないのか。)

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気色の悪い蛇の描写だが、この蛇、尻尾の辺りでおかしな風に変形させられている。画面を大きく見た場合に必要な変形だろう。

この石も、「老音楽家」(1864年 メトロポリタン美術館)の手前の荷物の表現同様、人間の肉っぽい。石の表面に文字が書いてあるがこれについて解説してある文献は見つからない。

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画面下端左側。マネのサインの横にあるのは蛇の卵だろうか。イエスキリストは人間界に降りて来て宗教的刺激を与えて天に戻って行ったので、その宗教的刺激(地に残ったイエスの遺産)がこの蛇の卵のような物だと言いたいのか。

目を細めて大雑把に見ると、この部分は半分地面に埋まった大蛇の頭があるように見え、その両目だけをワニのように突き出して地表を見ているように見える。生贄の祭壇上に残った人肉の残渣と見るとあばら骨や頭蓋骨が無いのでそれは違うだろう。

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全体図とイラスト。

背景の上方には巨大な蛇神が数体降りて来ている。天使の羽に見せているがそうではない。石造りの生贄の祭壇上には人間たちが山と積まれている。

二人の天使は生贄を集めて積み上げて神に捧げるのだが、自分たちもおすそ分けをいただいて、つまみ食いのようにして生贄の肉を口に入れている。

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画面で一番大きく描かれた蛇神は、全ての蛇神のボス=地球の支配者であろう。地上のすべての物、生贄も、生贄を準備した物も、全ての生命体をその体内に摂り込む。

ここではキリストも天使もまやかしの存在で、イエスは生贄の断片で組み立てられた架空の存在である。天使は蛇型生命体の遺伝子を色濃く受け継いだ神の補助者ではあるが、結局は神に摂り込まれる仮の存在である。

宗教は真実に近い物を見せはするが、真実そのものではない。真実の近辺のまやかしである。宗教は神に感謝し、神を盲信する事を勧めるが、騙されてはいけない。真実はそのまやかしを払いのけた先にある。

マネ 「草上の昼食」 自分たちが神への捧げもの(昼食)

パソコンの壁紙が一定時間で過去のピクチャー画像を繰り返すように設定してある。何年か前に調べた絵を改めて見てみるとまた新たな発見がある。

この絵など、あらためて見るとより大きく捉えられた。絵を画題に囚われずに全体的に巨視的に見る事はなかなか難しい。

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エドゥアール・マネ 「草上の昼食」 1862~63年 オルセー美術館(パリ)

森の中で紳士二人が裸の婦人を伴って食事をしているなど普通考えられない光景なのだが、あえて描かれている。奥ではもう一人の婦人が薄着で水浴をしている。売春婦随伴での昼食会なのだろうか。

手前にパンや酒瓶・バスケットに入った果物などが散乱しているのは、何を意味しているのか。フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」では、手前のテーブルの上にある果物の乗った皿やテーブルクロスがくしゃくしゃに乱れていた。恐らく手紙にはお腹の赤ちゃんの父親の戦死が書かれているのを、手前の乱れた器物で象徴したのだろうと思う。マネのこの絵の場合はどうか。男女の乱れた関係を散乱した食物で象徴しているのだろうか。

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そしてこの散乱した昼食の中に、僕は人間の手足を発見してしまった。所々布を被っていて、それぞれ折り重なっており、判別しにくくなっているが何とか人間の身体のパーツである事が分かる。この部分図の奥の方に見える麦わら帽子のような物は、確かに人間の膝小僧と上肢・下肢であろう。右の方、裸の女の尻の手前に転がっているのは、切断された足首である。その他手らしい部分、頭蓋骨らしい部分もあるようだ。

この人間の身体のパーツの山積は、絵の中の登場人物四人の物だろう。絵には見えてない部分、例えば裸の女の左手・左足等は既に切断されて手前に山になって積まれているらしい。もしくは四人の少し先の未来の姿なのかもしれない。

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今回新たに見えて来たのはこの画面いっぱいに描き表わされた巨大蛇の頭である。画面左下隅にある人間の手足を口に当てて喰おうとしている。

四人の人物がこの蛇神の為に生贄となるべく自分たちをそこに置いたのであろうか。彼らは生贄の石の祭壇の上にいる。「昼食」と言うのは彼ら人間の食事ではなく、神の為の捧げもの、つまり彼ら自身の肉が蛇神の昼食なのである。

 

この有名な絵に対し、こんな解釈をするのは全世界で僕一人かもしれない。しかし自分の目に見える事を信じたい。同じように見える人が一人でも増える事を願っている。事実は事実として、見えるものは見えるものとして正直に発言したい。

 

モネ 「岩 習作」 人間を口に咥えこむ爬虫類の図

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クロード・モネ 「クルーズの岩 習作」 制作年不詳 ロンドン帝室コレクション・トラストUK(イギリス)

モネの長い画家生活の初期の絵ではないのか。Google Arts &Cultureには1840~1926年制作と幅広く説明している。丘のようにそびえる大岩が描かれてある。土気色の大岩は、大きすぎてその天辺に樹木を生えさせている。岩自体が一つの生命体であるかのような存在感を持って描かれている。

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左から元絵、画質を変えた物、さらにぼかしを入れた物となる。

僕にはトカゲが口に何かを咥えたまま、下から上に向かっている図に見える。大岩は巨大なトカゲである。その口に咥えられているのは・・・・人間、血に染まった一部損傷した人間である。

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トカゲの目は、イラストのような位置であると見て良いのか、またはその左右の黒い部分がそれと見ても良いかもしれない(こうして絵を取り込んで文字を入れていると、イラストのようではなく、黒い部分を両目であるとした方が正解かもしれないと思ったりする)。

口に咥えられた血だらけの人間には頭部が繋がってないように見える。

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いずれにしても作者は、巨大な爬虫類が人間を喰う事を表したいのに違いない。人間はこんな巨大な爬虫類にとって食い物であり、家畜として地球上に放牧されている事をこんな風に表しているらしい。一度気付いた人には分かるが、気付かない人には永久に謎である。

(やはり両端の黒い部分が目であると捉えた方がよりトカゲっぽい。)

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見方を変えてこんなのはどうだろう。二人の人間を少し小さめの爬虫類が咥えている図である。

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同時にこの絵の中には人間の性交する姿をも重ねて表してある。もちろん女の背後から覆いかぶさる後背位での性交である。男の尻からも女の尻からも子供が生まれ出ている。

普通ウシやブタ等の家畜に対して飼い主が、「お前は喰われる運命にあるのだ。」とか言うのはおかしい。言うはずが無い。と殺するまでその真実は隠される。知らせない方が良い。それをあえて知らせると言うのはよほど性格が悪い飼い主なのか。

もしくは家畜自身が万が一にも覚醒して次元上昇をするチャンスを一筋残しているのかもしれない。全ての生物には魂の上昇する可能性がある事を奴らも知っているのかもしれない。

 

モネ 「ポプラ並木」 空に浮かぶにょろにょろとした蛇の姿、人を喰っている。

最近モネの絵の中の隠し絵が少しずつ見えるようになってきた。部分的に蛇っぽい所は以前にも指摘してきたが、全体的に見て食人の巨大蛇が把握しやすくなってきた。同じ作品でも何年か経ってから見直すとより深く見えて来るらしい。

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クロード・モネ 「ジヴェルニーのポプラ並木」 1891年 MOA美術館(熱海・日本)

この絵は空から龍のごとく降りて来た巨大な蛇の姿を表している。単に道沿いに植樹されたポプラ並木を描いた絵では無い。

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画面上端に蛇の顔がある。空に昇って行く蛇の頭にも見えるが、胴体部分と微妙に色が違う。長い胴体を見せている物とは別の個体が上から降りて来ていると見る事も出来る。

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胴体をくねらせて地上に降りて来た個体は、地面に置いてある人間たちを口に入れている。一匹の大蛇にも見えるし数匹にも見える。そういう描き方がしてある。

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全体図にした。地上の人間の山を口を付けて喰っている奴、空高く喰いかけの人間を咥えて持ち上げている奴がいる。

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地上近くはこんな風に見る事も出来る。地上の人間を喰う奴の頭は大きく見てこんなではないか。

またこの地上部分が円盤型UFOのようなアイドロップ型をしている事から、着陸したUFOから巨大蛇が飛び出して、鎌首をもたげている図に見えなくもない。

巨大な蛇型生命体はUFOに乗って地上に降りて来て、生贄の祭壇に用意された人間たちを喰うのかもしれない。そう言えばアダムスキー型UFOは蛇がとぐろを巻いた姿に似ている。

 

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モネ 「陽を浴びるポプラ並木」 1891年 国立西洋美術館(日本)

連作された別のポプラ並木をもう一つ。よく似た構図だが、最上段の緑の塊が無い。

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最下段には恐らく生贄の人間が折り重なっているに違いないのだが何だかはっきりとは捉えられない。上空のポプラの葉の塊の地上に最も近い部分が蛇の頭っぽい。

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地上の人間たちを空から大蛇が襲っている。口からその一部がこぼれ落ちている。

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全体図にした。前掲の作品と同じ趣旨で描かれているのが分かる。画面全体に渡る大きな蛇の顔の上に、比較的小さな蛇が巻き付くようにしてポプラ並木を形作っている。

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この絵でも地上近い部分が、着陸したUFOに見えなくもない(イラストで黄緑色の部分)。UFOの側面に空と同じ色の巨大蛇がこちらに向かって飛び出ているようにも見える。