名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

マネ 「死せるキリストと天使」 キリストも天使もまやかしの存在

誰もが見たとは言わない巨大蛇型生命体。ましてそいつが人間を食い物にしているなどと言っているのは僕一人だけ。それでも僕の目には、名画の中にそいつの姿が見えるのだと叫びたい。コペルニクスだかガリレオガリレイだかよく知らないが、自説を主張しながら無念の最期を迎えた偉人にあやかりたい。ただ僕は学者ではないし、この説を受け入れてくれる人がもし現れてもその後は何とするでも無い。自分たちが支配されている事をはっきりと把握でき、支配者が誰であるか、どんな形で支配されているかが分かり、家畜として生まれ、家畜として死んで行く運命を知った所でどうする事も出来ない。

しかしながら真実を把握すると言う事は、把握できずに何も知らず生きて来た者にとって何らかの変化をもたらすのかもしれない。

まずは意識の変化をもたらしたい。一人でも多くの人に、見えるものは見えるものと認識していただきたい。

自分たちは生まれた時から変な洗脳をされて本来の自分の視点・思考をねじ曲がった方向に向けられて育ってきたようだ。無垢の目で物を見、真っ正直な心でもって物を見れば真実が見えて来るはずである。時間を掛けて良い。一つの絵を数時間見つめ続ける、または数年経ってから同じ絵を見直す、そうして初めてこの世の真実が見え始める。

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エドゥアール・マネ 「死せるキリストと天使」 1864年 メトロポリタン美術館(アメリカ)

マネの絵の中には、切断されたバラバラ死体みたいな物が見えて来て何ともやるせなくなる(他の、例えばダヴィンチやラファエロの絵の中にも人体のパーツが地面に転がっていたりするが、マネの絵ではそれが捉え易い)。

この絵はサロン入選作。磔刑から降ろされたイエスキリストの死体を二人の天使が抱きかかえて悲しんでいる様子が描かれている。

聖母や他の信徒たちはどこにいるのか、画面右下に石のような物が転がっており、そこから一匹の蛇が這い出ている。それくらいが不思議に思う所で、他に何の違和感もない。人間の罪を一身に背負って死んで行ったキリストに対する哀しみが表されている。

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向かって右側の天使の絶望感に満ちた悲しい顔とイエスの血の気の無い顔が対比される。

イエスの首に注目。首の真ん中で色がはっきりと変わっている。上側に赤っぽい色が出ている。まるで切断された生首を胴体の上に乗っけたような描き方になっている。天使の右手もイエスの頭を支えている。髪の毛をひっつかんで固定させているようにも見える。

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拡大して見ると色の境目が不自然である事がはっきりする。

イエスの左耳が変に大きく、位置も下にずれているのは何故か。天使の口の先だから天使が喰っている小さい人間か何かの表現だと思うがよく分からない。

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イエスの腰布の中に人の手の形が見える。イエスの下の白布の中にも人の手や何か人体のパーツらしき形が見える。

イエスの両手は異様に黒っぽい。何故だろう。

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左手には親指が無い。欠損している。福音書にイエスの手指が切れたとの記述があったろうか。

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足先は別の小さな人間が張り付いてそれを形作っている。ふくらはぎ・踵も人間でその先に別の人間が張り付いている。このイエスと見える巨人が、小さな人間を食糧としてその肉体を保っている事を説明しているのだろう。

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向かって左側の天使。口から何かを垂れ流している。あるいは小さな人間の手か足を咥えているのかもしれない。この天使の右目の下の頬だけ色が変わっているのは、そこに小さな人間が押さえ付けられているからなのだろう。

向かって右側の天使。口から薄ピンク色の何かを垂らしているし、右頬辺りから糸状の物を出している。これとイエスの大きな耳と合わさって何らかの形を作っているらしいが、よく分からない。ひょっとしてイエスの頭の皮を剥がして喰っている? 左耳を剥がして手前に浮かしているので大きく見える?・・・・とも考えられる。このイエスはイエスではなく、単なる生贄の人肉だから。(とすると向かって左の天使もこの男の肉を摘まんで喰っているのではないか。男の左手親指を切り取って喰っているのはこの天使ではないのか。)

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気色の悪い蛇の描写だが、この蛇、尻尾の辺りでおかしな風に変形させられている。画面を大きく見た場合に必要な変形だろう。

この石も、「老音楽家」(1864年 メトロポリタン美術館)の手前の荷物の表現同様、人間の肉っぽい。石の表面に文字が書いてあるがこれについて解説してある文献は見つからない。

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画面下端左側。マネのサインの横にあるのは蛇の卵だろうか。イエスキリストは人間界に降りて来て宗教的刺激を与えて天に戻って行ったので、その宗教的刺激(地に残ったイエスの遺産)がこの蛇の卵のような物だと言いたいのか。

目を細めて大雑把に見ると、この部分は半分地面に埋まった大蛇の頭があるように見え、その両目だけをワニのように突き出して地表を見ているように見える。生贄の祭壇上に残った人肉の残渣と見るとあばら骨や頭蓋骨が無いのでそれは違うだろう。

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全体図とイラスト。

背景の上方には巨大な蛇神が数体降りて来ている。天使の羽に見せているがそうではない。石造りの生贄の祭壇上には人間たちが山と積まれている。

二人の天使は生贄を集めて積み上げて神に捧げるのだが、自分たちもおすそ分けをいただいて、つまみ食いのようにして生贄の肉を口に入れている。

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画面で一番大きく描かれた蛇神は、全ての蛇神のボス=地球の支配者であろう。地上のすべての物、生贄も、生贄を準備した物も、全ての生命体をその体内に摂り込む。

ここではキリストも天使もまやかしの存在で、イエスは生贄の断片で組み立てられた架空の存在である。天使は蛇型生命体の遺伝子を色濃く受け継いだ神の補助者ではあるが、結局は神に摂り込まれる仮の存在である。

宗教は真実に近い物を見せはするが、真実そのものではない。真実の近辺のまやかしである。宗教は神に感謝し、神を盲信する事を勧めるが、騙されてはいけない。真実はそのまやかしを払いのけた先にある。