名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ドガ 「赤い衣装の三人の踊り子」 有機物である人間はいずれ他の有機生命体に摂り込まれる。

美術館に大事に保管されている、いわゆる名画と言われる絵の中には「巨大な蛇が人間を喰う」姿が隠れている。僕にはそれが見える。すぐに見える訳ではない。時間を掛けてじっくりとその絵を見続けて、絵を画像処理ソフトに取り込んで明るくし、コントラストを強調したりして次第に見えて来るのだ。物の見方を変える、思考を切り替えるので中々疲れる作業である。この作業の結果がこのブログで、結論はいつも同じ、真実はいつも一つ・・・・人間は蛇の形をした生命体に支配されている。

しかしこの生命体については誰もが知らされてないようで、それを知る事自体がタブーであるらしい。蛇の形をした「神」を騙る者、それが名画の中に隠れている。奴らは自身の存在を隠してはいるが、同時に見える者には見えるようにしてあるのが不思議な所だ。

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エドガー・ドガ 「赤い衣装の三人の踊り子」 1896年 大原美術館(日本)

この絵の背後にも、踊り子に喰い付く巨大な蛇神が隠れている。生贄となった人間を喰いに来た蛇神の姿が描かれている。

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ドガの描く踊り子はひどい顔をしている。まともに眼鼻さえ捉えられてない。ドガにデッサン力が無いのではなく、何らかの意図が込められているからだろう。それは一人一人の少女の顔形では無く、彼女たちの躍動感・生命力のようなものを描きたかったからかもしれない。

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表向きには少女たちの不安な心象風景・・・・舞台へ上がる前の緊張のようなものを感じさせているが、実際の所はどうであろうか。

化け物のような、自分たちよりもはるかに大きな、逆らっても敵いっこない様な強者に捕まった恐怖、これから喰われる恐怖を感じさせているのだろう。

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人によって様々な形に見えるのだろう。踊り子の背後の巨大な蛇は僕にはまずこう見えた。まるで恐竜が人を襲っているような形になっている。ゴジラのようにも見える。奴は口を大きく開けて踊り子を呑み込もうとしている。

このイラストとは違ってもう少し大きな姿にも見えて来た。踊り子三人をまとめて口の中に入れる形で大口を開けている巨大蛇も見えて来た。

右下にあるのは岩か。実際に岩場で練習しているのか、舞台セットの岩か分からない。どっちにしろ僕には人間を咥える大蛇に見える。

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岩の部分は、人間に喰い付く大蛇。今度は顔が横を向いているように見える。

「名画の最下段には生贄の人間の積み重ねがある」との法則の通り、他はことごとく人間の身体である。

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全体図。コントラストを強めると赤い血があちこちに散らばっているのが分かる。

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色の彩度を低めて、少し想像力を逞しくしてイラスト化してみた。中央の踊り子を咥えている巨大蛇の胴体は一旦下に向かうが後方で再び上方に向かい、向かって右方向に下がって、こんな風に顔の周りでぐるっと回転しているのではないか。踊り子に巻き付き、締め付け、呑み込む。手前の岩もその胴体の一部と見る事も出来る。

また岩は別の大蛇の人間を襲う姿と捉える事もでき、とぐろを巻いて絞めつけながら人間を喰っている図にも見える。

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隠し絵はいつも二重三重になっていて、こんな風に見る事も出来る。最も大きな、画面いっぱいに表された蛇神の親玉である。

右上から巨大な蛇型生命体の頭が降りて来ている。その額の上、もしくは神の脳内に三人の巨人族の踊り子がいる。彼女たちはこの三次元世界で神の食糧を狩り集める協力者である。彼女たちが集めた小さな人間たちが、手前に山積みにされている。右側の上に出っ張った所も(大蛇ではなく)人間の身体で、岩は全て人間で出来ている。

蛇神は次元の違う別世界(普通人間には見えない世界)に住んでいて、時々人間と同じ三次元に現れて栄養物(人間)を摂取しているようだ。奴の身体も有機物で出来ているらしく、摂り込むのも有機物(人間)である。言い方を変えれば、有機物である人間はいずれ他の有機生命体に摂り込まれる。

 

ドガ 「パリオペラ座でのバレエ」 人間を喰う奴ら

この世の中の残酷な真実を発見した・・・・と思っているが、それがどう役に立つかとか考えると何とも自信が無くなってくる。ここに真実が隠れていて、よく見ると見えて来るのだ・・・・といくら説明しても、見たくない人には見えないのだ。

気楽に、楽しい事だけを追求し、難しい事、根気がいる事はしないでいたい。世間の意見を自分の意見として、流れに身を任せていたい。誰にも教わった事の無い事実を追求するのは本当に骨が折れる。世間に無視されると気力が萎えるが、しかし反対に注目され賛美されたりすることがあればそれもまた苦痛になるだろう。それは発見した真実が信じたくないような残酷な光景を見せるからである。

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エドガー・ドガ 「パリオペラ座でのバレエ」 1877年 シカゴ美術研究所(アメリカ)

一見すると、バレエダンサーたちが舞台の上で練習しているように見える。オーケストラも前面に控えている。手前の若いバレリーナたちが奥にいる憧れの先輩たちの踊りを見ているのではないだろうか。レッスンしているところだろうと思う。

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明るくしてみた。舞台奥の南国風の樹々が見えるが、少し並びが複雑で乱雑だ。ダンサーたちも決して統一された動きを見せてはいない。皆思い思いのバラバラな動きになっている。手前のオーケストラもどうだろう? 何か不自然な形に描かれているのではないか。右端にチェロだかコントラバスだかの一部が見えるが、その他の楽器はまるで見えない。男の頭の合間にヴァイオリンの弓くらい見えてもよさそうなのに・・・・。

これはバレエの練習風景を描いてあると見せて、別の物を描いてあるのだろう。

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この部分、若いダンサーたちに齧り付く巨大な怪物が見て採れないだろうか。この部分図の左右の端に、その巨大生物の目が見えている。ダンサーたちをまとめて口の中に詰め込んでいる。

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イラスト化するとこうなる。

描いている内に、足がどのダンサーの頭と繋がっているのか分からなくなってきた。この辺はまた別の隠し絵があって、複数の隠し絵が重なって分かりにくくなっているようだ。少女たちの黒髪と楽器の黒とを繋いた所に別に大蛇が見えそうである(まだはっきりとは捉えられない)。

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画面中央の、少女たちの一番目立つ部分。至る所で「大蛇が人間に喰い付く」場面が隠れている。

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奥のダンサーも喰われているようだ。画面左端の部分は僕にはこう見えたがどうだろう? 

石の祭壇に置かれた生贄の人間たちが巨大な蛇神によって喰われる図であろう。この白い舞台の石の祭壇その物だし、ダンサーたちも全て見事に喰い付かれている。

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オーケストラの禿げおやじたちと言うよりも、巨大な蛇神の喰っている人間たちの頭ではないのか。死体の頭だけが転がっているような感じである。

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左上、元絵全体図縮小版。右下、そのイラスト。

あまりに巨大な蛇神の姿なので、画面に入り来てない部分を想像で補っておいた。四匹ほどの巨大蛇神が空から降りて来て、重なり合いながら(異次元の存在であり、三次元では見えにくい事を半透明の隠し絵で表現しているらしい)人肉を貪り食っている。若いダンサーたちの髪の毛の黒は蛇神の口の中の黒を(凸が凹を)表している。

イラストにはしなかったが、画面全体に広がる一番大きな蛇の顔も見える。

隠し絵は重なり合って複数あるが、どれを見ても蛇が人間を喰う場面を表している。

 

この世で人間を苦しめている(もしくは修行させている)存在が、これら気持ちの悪い巨大蛇である事が分かったとて何になるのだろう。奴らを退治する手段が見つかれば良いのだが、それはヤマタノオロチ退治の時のスサノオノミコトような、ドラゴン退治の時の聖ゲオルギウスのような、剣や槍を持って立ち向かう英雄を待たなければならないのか。

それとも奴らは力などはまるで無く、知恵だけで(与える恐怖だけで)人間をコントロールしているとするならば、奴らの真の姿・真の力を白日の下にさらすだけで干からびて弱ってしまうのかもしれない。

「名画の中の人喰い蛇」が少しでも人間の開放に繋がるのならばこれほどの喜びは無い。

ドガ 「踊り子」 家畜を解体して、感謝しながら食べる

巨大な蛇が背後に迫っている。バレエダンサーが今にも呑まれそうである。

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エドガー・ドガ 「舞台上の二人の踊り子」 1874年 コートールド・ギャラリー(ロンドン)

真ん中の踊り子を狙う褐色の巨大蛇の姿が捉え易いと思う。頭部の幅が2メートルほどもありそうな蛇である。

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イラスト化すると上図右のようになる。僕にはこう見える。

真ん中のダンサーの下半身は既にこの褐色の巨大蛇の口の中にあるようだ。ちょうどその下に上半身を別の蛇に呑まれた別のダンサーが繋がるように位置している。

向かって右のダンサーも同様で、上半身・下半身が別の蛇に咥えられてそれらしく見せている。つまりこの二人の踊り子は胴で切断されている。右の娘の腹の辺りに血が噴き出しているのが見えるだろう。

もう一つ別の作品。

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「緑の中の踊り子」 1883年 メトロポリタン美術館(アメリカ)

このポーズの踊り子はドガがたびたび描いている。この踊り子も同様に巨大蛇に呑まれている。しかも上半身・下半身別々に咥えられている。ドガの描く絵は常に残酷でおぞましい。

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ドガの踊り子は美しいと言う人がいるようだがどうだろう。ルノワールの描く美少女と比較すると一目瞭然、美しくはない。それにこの絵に関しては、手が異様に長く細く、気味が悪いほどである。頭の後ろに跳ね上がっているのは左足? それにしては形がおかしい。先端がちょん切られたダイコンのようだ。胴あたりの表現も、スカートの中に上半身がめり込んでいて、ちょっと違うのではないかと思う。

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右手の先。作者にデッサン力が無いわけではないだろうが、おかしな指である。まるで喰い千切られて白い骨が一部露出してしまっているように見える。

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左手の先には何か不明確なものが見える。僕にはそれが、生贄とされた小さな人間に見える。それを背後の巨大蛇が口に入れている。すなわち踊り子は巨人であり、小さな人間を蛇神に捧げている最中である。

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画面上方には別の蛇たちも生贄を喰いに集まって来ている。

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全体図で見るとこうなる。

踊り子は二匹の大蛇に呑まれている。上半身を見せている踊り子の下半身は右肩後ろにいる大蛇に呑まれている。その際、左足も同時に咥えられている。足首から先は既に無い。右足は踊り子の身体に巻き付いている大蛇によって咥えられている。つまり衣装のスカート部分は大蛇2匹で形作られている。

スカート部分が一匹の大蛇の頭で踊り子の下半身を呑み込んでいると見る事も出来るが、そうすると下に出た右足の説明が出来ない。

どちらにしろ踊り子自身も巨大蛇に襲われ喰われている。胴で切られ、手先・足先で切られ、少しづつ解体されつつある。

画面向かって右側にある白い影は別の踊り子のスカートではない。白い大蛇が人間を口に咥えている姿が描かれているのだ。

彼らも有機生命体である以上、有機物を摂取しなければその肉体を保てない。家畜を育て繁殖させ、解体してその生命に感謝しながら食べるのは至極当然の事で、はるか昔から続いている慣習なのだ。

知らないのはその家畜たちだけ。無知のまま育てられる。繁殖の為の性行為の事ばかり考えて一生を終える。家畜にとって他の有機物をよく食べ、子孫を増やす事が一番の目的なのである。蛇神たちのやっている事を人間もやっている。非難できる事ではないかもしれない。

 

レンブラント 「ペルセポネーの略奪」 これでも蛇が見えないか。

ここに写実的に描かれた蛇の絵がある。

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レンブラント・ファン・レイン 「ペルセポネーの略奪」 1631年 ゲメルデガレリー(ベルリン)

この絵(再掲だが)、一目見て蛇の横顔が大写しで描かれていると発見できる人もいるだろう。しかしそう見えてもさすがにオランダの誇る大画家レンブラントの絵なのだから、それはあり得ないと自分の目を否定してしまうのかもしれない。教育が邪魔をしてしまうのだ。素直になって見える通りの反応をすれば良い。ここには大口を開けて何かを呑み込む蛇の横顔が描かれている。

詳細に見れば、ギリシア神話の「ペルセポネーの略奪」が絵になっていると言われればそうも見える。確か話は、ゼウスが女神ペルセポネーに横恋慕し、妻のヘラそっちのけで子供を作ってしまう話だったか。確かに馬車の上で男が女に抱き付き、無理やり犯している図ではある。しかし御者たちは振り落とされ、馬も暗すぎてどうなっているのか分からない。これらの登場人物や馬車・森・空・雲などをうまく使って蛇が何かを捕食する場面にしてある。

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絵を小さくして、明るくしたり、色を抜いたり、ぼかしたりと色々画質調整してみた。蛇が餌に飛びついて咥えた瞬間の絵が実に写実的に描いてあるのが分かるだろう。これでも蛇が見えないと言う人は、学校教育やテレビや新聞等に洗脳されて自分の目で物を見るのをやめてしまっているのだろう。

レンブラントは、いかにも重厚な絵を多く描くので人格者のように思われているかもしれない。しかし実体は蛇(悪魔)に支配され、その命令にただ従っているだけの、人間としての意思を持たない弱い存在であろう。絵の技能を努力無くして得、地位や名誉のために悪魔に魂を売った、または悪魔と契約書を交わした情けない人間であろう。

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2年ほど前に描いたイラストに少し手を加えて見やすくした。僕にはこう見える。茶色っぽい蛇の咥えているのは人間である。また別の巨大蛇も上から降りて来て馬にも見える人間を襲って喰っている。

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こんな風にも見える。画面の中いたる所で巨大な蛇どもが人間を襲っている図である。

蛇型の生命体のようなおぞましい者が人間を支配しているとは思いたくない。しかも奴らが人間を食糧にしているなどとは信じられない。世界中の誰からもそんなことは聞いた事が無い。微かに龍神伝説・ドラゴン伝説等神話の中に語り続けられている話と結びつくのかと想像するだけである。はるか昔の龍神伝説が現代の世界でも実在するとは驚く。そして生贄の儀式は現代でも秘密裏に行われているらしい事もこれら名画の中の隠し絵を見る事で教えられる。

この絵の馬は石の祭壇の上に置かれた生贄の人間に見える。空から降りて来た巨大な蛇神たちがそれを喰っている図である。

 

マネの「肖像画」 見える物は見える。見える人には見える。

マネの描く肖像画を見比べてみた。するとことごとく背景に巨大蛇の顔が隠されていた。この世の支配者と思える生命体の顔である。

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「アブサンを飲む男」1859年 ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館(コペンハーゲン)

制作年順に見て行く。マネ27歳の時の作品。画面が暗すぎてよく分からない。

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画像処理ソフトで明るくし、コントラストを強めると、人物の背後にそれらしき姿が見え始める。人物の顔の両側に、巨大蛇の両目と思わしき形が現れた。人物の背中辺りにその口が当たっている。

影の表現がおかしい。人物の後方左右両方に影が出来て光源が二つある事になるのだが、人物の向かって左側に光は当たってない。左足には右後方に流れる影が無い。向かって右側後方の影は陰ではなく、イラストのような大蛇の姿であろう。よく見るとその目が見える。この蛇も人物に噛み付いているようだ。

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「スペインの歌手」 1860年 メトロポリタン美術館(アメリカ)

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この絵も明るくしなければ実態がよく見えて来ない。単に壁が描かれていると思えた背景も時間を掛けてじっくりと見続けると次第に見えて来る。上のイラストのような巨大な爬虫類の正面顔が見えて来ないだろうか。ギターの半円形のひもはその蛇の口の表現と重なっている。蛇の口は人物の腰辺りにあるが、どうもこの人物、上半身と下半身で別の人間の身体であるかのようである。股の位置が下すぎてバランスが取れてない。下半身を蛇の呑まれた人物と、上半身を蛇に呑まれた人物がたまたま重なって一人の人物のように見えているのではないか。

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「剣を持つ少年」 1861年 メトロポリタン美術館

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この絵をイラスト化したらこんなになった。少年の頭辺りを呑もうとする巨大蛇・少年の腰辺りを吞もうとする巨大蛇の二匹が上下に重ねられている。

例によって絵画の中の人物は小さな人間を手に捧げ持ち、足元に踏みつけて確保している。蛇神の食事に協力する存在である。

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この写真はネットで拾ったトカゲの正面顔で、頭部は蛇と変わらない。肖像画の背景に見られる物はこれに似ている。

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「マホの衣装を着けた若者」 1863年 メトロポリタン美術館

ここまで見て来るとこの絵の背景にもそれらしい形が見て採れないか。

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僕には上のイラストのように見える。人物の頭部辺りに齧り付く巨大蛇の顔と、人物の腰辺りに齧り付く巨大蛇の顔、二匹の蛇が上下に重なるようにいる。上半身を喰う蛇と下半身を喰う蛇が時間的・空間的次元を変えても絵の中では同時に表現される。

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こういうのはあまり載せたくないのだが、蛇の正面顔である。ニョロニョロした胴体は見ずに顔だけを見れば気持ち悪さも半減するだろうか。爬虫類の顔は目がクリっとして可愛いと言う人もいる。

今まで見て来た「名画の中の人食い蛇」の姿はまさにこの写真の蛇とそっくりではないか。今見ている肖像画の背景の蛇もこれ同様の姿である。

蛇と言うのは実に耐久性に富んだ身体を持っている。その鱗に包まれた体表は衝撃にも強いし、低温時も耐えられる。頭の大きさの穴があれば通ることが出来るし、手足が無くても実に機能的に動くことが出来る。ジメジメした薄暗い、洞窟の多い星(レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」で描かれたような)で生まれた彼らが地球にやって来て人間を食糧として生きている。地球の元々いた蛇よりも知能がはるかに高いので、人間を支配しながら、人間に知られる事無く存在している。

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「笛を吹く少年」 1866年 オルセー美術館(パリ)

日本の浮世絵の影響で平面的に描かれたこの絵は有名だ。しかしその背景は・・・・

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イラストのような巨大蛇の二段重ねが見える。少年の後ろで別の人間を喰っている?

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巨大蛇の二段重ねの図はこれ以外の絵でもよく見かける。(日本の「玉虫厨子」の裏側扉絵の須弥山入り口の図にもあった。)

蛇の正面顔の二段重ね、上の蛇の目が下の蛇の頭に生えた角のように見える事があって「鬼」や「悪魔」の概念が誕生したのかもしれない。

背景の中に浮かぶ巨大蛇の目、片目だけを取り出してシンボル化したのがフリーメイソンの「真実を見つめる目」なのかもしれない。

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「自画像」1878~79年 ブリジストン美術館(東京)

先日調べた物。今見直すと他の肖像画同様、巨大蛇の正面顔の二段重ねに見えて来た。

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「パレットを持った自画像」 1879年 私蔵

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画面を明るくすれば見える。見えると思う人には見える。見えるはずが無いと思う人には見えない。

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「アントナン・プルーストの肖像」 1880年 トレド美術館

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こんな巨大な蛇の化け物など見た事が無いから存在しないのだ。しかもそいつが人間を喰っているなどと馬鹿げたことは言うな。同じことを誰も言ってないのでそれは嘘だ。そんな風に思う人は思えば良い。

しかし自分の目を信じて、一度でもそれが見えてしまったのなら正直に見えると言っていただきたい。見える理由はその後に考えれば良い。ただ見える物は見えると言ってほしい。