この世の中の残酷な真実を発見した・・・・と思っているが、それがどう役に立つかとか考えると何とも自信が無くなってくる。ここに真実が隠れていて、よく見ると見えて来るのだ・・・・といくら説明しても、見たくない人には見えないのだ。
気楽に、楽しい事だけを追求し、難しい事、根気がいる事はしないでいたい。世間の意見を自分の意見として、流れに身を任せていたい。誰にも教わった事の無い事実を追求するのは本当に骨が折れる。世間に無視されると気力が萎えるが、しかし反対に注目され賛美されたりすることがあればそれもまた苦痛になるだろう。それは発見した真実が信じたくないような残酷な光景を見せるからである。
エドガー・ドガ 「パリオペラ座でのバレエ」 1877年 シカゴ美術研究所(アメリカ)
一見すると、バレエダンサーたちが舞台の上で練習しているように見える。オーケストラも前面に控えている。手前の若いバレリーナたちが奥にいる憧れの先輩たちの踊りを見ているのではないだろうか。レッスンしているところだろうと思う。
明るくしてみた。舞台奥の南国風の樹々が見えるが、少し並びが複雑で乱雑だ。ダンサーたちも決して統一された動きを見せてはいない。皆思い思いのバラバラな動きになっている。手前のオーケストラもどうだろう? 何か不自然な形に描かれているのではないか。右端にチェロだかコントラバスだかの一部が見えるが、その他の楽器はまるで見えない。男の頭の合間にヴァイオリンの弓くらい見えてもよさそうなのに・・・・。
これはバレエの練習風景を描いてあると見せて、別の物を描いてあるのだろう。
この部分、若いダンサーたちに齧り付く巨大な怪物が見て採れないだろうか。この部分図の左右の端に、その巨大生物の目が見えている。ダンサーたちをまとめて口の中に詰め込んでいる。
イラスト化するとこうなる。
描いている内に、足がどのダンサーの頭と繋がっているのか分からなくなってきた。この辺はまた別の隠し絵があって、複数の隠し絵が重なって分かりにくくなっているようだ。少女たちの黒髪と楽器の黒とを繋いた所に別に大蛇が見えそうである(まだはっきりとは捉えられない)。
画面中央の、少女たちの一番目立つ部分。至る所で「大蛇が人間に喰い付く」場面が隠れている。
奥のダンサーも喰われているようだ。画面左端の部分は僕にはこう見えたがどうだろう?
石の祭壇に置かれた生贄の人間たちが巨大な蛇神によって喰われる図であろう。この白い舞台の石の祭壇その物だし、ダンサーたちも全て見事に喰い付かれている。
オーケストラの禿げおやじたちと言うよりも、巨大な蛇神の喰っている人間たちの頭ではないのか。死体の頭だけが転がっているような感じである。
左上、元絵全体図縮小版。右下、そのイラスト。
あまりに巨大な蛇神の姿なので、画面に入り来てない部分を想像で補っておいた。四匹ほどの巨大蛇神が空から降りて来て、重なり合いながら(異次元の存在であり、三次元では見えにくい事を半透明の隠し絵で表現しているらしい)人肉を貪り食っている。若いダンサーたちの髪の毛の黒は蛇神の口の中の黒を(凸が凹を)表している。
イラストにはしなかったが、画面全体に広がる一番大きな蛇の顔も見える。
隠し絵は重なり合って複数あるが、どれを見ても蛇が人間を喰う場面を表している。
この世で人間を苦しめている(もしくは修行させている)存在が、これら気持ちの悪い巨大蛇である事が分かったとて何になるのだろう。奴らを退治する手段が見つかれば良いのだが、それはヤマタノオロチ退治の時のスサノオノミコトような、ドラゴン退治の時の聖ゲオルギウスのような、剣や槍を持って立ち向かう英雄を待たなければならないのか。
それとも奴らは力などはまるで無く、知恵だけで(与える恐怖だけで)人間をコントロールしているとするならば、奴らの真の姿・真の力を白日の下にさらすだけで干からびて弱ってしまうのかもしれない。
「名画の中の人喰い蛇」が少しでも人間の開放に繋がるのならばこれほどの喜びは無い。