名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

レンブラント 「夜警」 人間家畜は巨人に狩られて蛇神の生贄になる

レンブラントの絵は暗い。保存の為のニスが劣化して暗くなったと説明されるが本当だろうか。隠し絵を分かりにくくするために最初から暗かったのではないか。

f:id:curlchigasaki:20210908182435j:plain

レンブラント・ファン・レイン 「夜警(フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊)」 1642年 アムステルダム国立博物館

火縄銃組合からの依頼で描かれた肖像画だと言う。横437cmの大作だが建物に入りきらず主に左側が50cmほど切り取られている。

有名な絵だが僕にはどうもいかにもうさん臭く、ちぐはぐな姿の人々の集合写真のように見えて仕方が無い。昔のチンドン屋(死語だが、商店や催し物の宣伝の為に楽器を鳴らしながら街中を練り歩くグループ)のように見える。依頼主たちはこの絵によく金を払ったものだと感心する。実際平等に描かれなかった依頼者からの評判は散々だったそうだ。

f:id:curlchigasaki:20210908182456j:plain

画面を明るくした。手前の二人以外はごちゃごちゃと込み合っている。市民自警団が出発する姿を描いているそうだ。

f:id:curlchigasaki:20210908182518j:plain

「火縄銃組合」と言う名称だが実際にはマスケット銃(アメリカの南北戦争で多く使われた先込め式銃)で、火薬を筒先から入れ、専用の棒で突き固め、丸弾を落とし込んで・・と準備に手間がかかる物だったようだ。絵の男は火薬を入れている所だろうか。

それにしても隊長が出発するぞと左手を前に出している時に、今更鉄砲の準備をしていると言うのはどういう事か。

f:id:curlchigasaki:20210908182527j:plain

銃の組合の隊長と副隊長。隊長は左手の手袋を脱ぎ、前方を指し示しながら片足を一歩前に進めている。しかし銃は持ってない。右手に持つのは手袋と剣のみ。赤いたすきは隊長の証なのか、しかし肩からずり落ちているように見える。

黄色い服の副隊長が手に持つのは槍。恐らく副隊長の証の白いたすきを腹巻のようにして巻いている。

f:id:curlchigasaki:20210908182534j:plain

副隊長のブーツは、恐らく膝まで上がっているのが正しい履き方なのだろう。左右ちぐはぐな形でずり落ちている。

f:id:curlchigasaki:20210908182543j:plain

隊長の後ろに鎧兜を付けた少年がいるが、その少年が持った銃の先から煙が出ている。副隊長の白い帽子の羽飾りの横で見分けにくいが、よく見ると発砲炎である。後ろの男も驚いている。

自警団の中に子供がいて走り回る事もおかしいが、子供に武器を持たせてしかも発砲させるなど考えられないほどの秩序の無さである。

f:id:curlchigasaki:20210908182552j:plain

画面左下の子供も兜を被って走っている。

副隊長の後ろの老人は銃の操作が分からないのか、途方に暮れたような顔をしている。

画面右端の大太鼓をたたく男。何だか画面全体から楽器や銃声、甲冑のこすれ合うガチャガチャする音、隊員の話し声等、騒がしい音が聞こえてくるようだ。

f:id:curlchigasaki:20210908182600j:plain

左下の少年。兜を被り、短剣を握って走っているのだが、トレースしながら細かく見るとこんなイラストになった。身体の描画のあちこちで蛇が人間を咥える姿が隠れていた。

f:id:curlchigasaki:20210908182608j:plain

背後の隊員の格好も様々だが、これはどうか。17世紀の銃で戦争をする時代だと言うのにこの兜、鎧、槍。日本でさえ、1575年織田信長が武田の騎馬軍団を鉄砲の一斉射撃で滅ぼしたのに、その70年ほど後に鉄砲の本場の西洋でこの格好は無いだろうと思える。家伝来の鎧兜を蔵から引っ張り出して着ているのか。

f:id:curlchigasaki:20210908182616j:plain

家の壁に立掛けられた槍の乱雑さ。隊員の服装のまちまちさ、隊員の顔の向きも皆違う。統制が執れてないこんな自警団で見廻りが出来るのだろうか。

f:id:curlchigasaki:20210908182634j:plain

画面右下、太鼓を持つ男の足元に犬がいる。暗い中にいてほとんど見えないが、明るくしてイラスト化したらこうなった。これは犬ではなく、小さな人間数体が重なった物である。これの後ろにも地面にも人間の姿らしき怪しい形がたくさん見て採れる。これらを上から来た大きな蛇が襲っているのだろうか。

f:id:curlchigasaki:20210908182642j:plain

全体の中で良く目立つこの少女は何だろうか。Wikipediaの説明によると、この少女は組合のマスコット的な存在で、手に自警団の盃を持ち、背に獲物の鳥と自警団の銃をぶら下げて象徴物としているらしい。黄色い服は勝利の色だそうだ。しかしそんな説明とは別に、細かく見て行くとイラストのようになった。人間を喰いまくる大蛇の姿でこの少女は出来上がっている。

背中の後ろに翼っぽく見える物があって、一瞬この少女が自警団を守る天使にも見えるがそれも違う。

f:id:curlchigasaki:20210908182651j:plain

少女の手前に隊長の右手がある。外した左手の手袋の指先と剣の柄を掴んでいる。ただこの右手の形、おかしい。手の平をこちらに向けているのだが、普通こんな形にはならない。レンブラントは非常に精密な描写が出来る人で、手の平がこんなに腫れたように膨らんだ描写はあり得ない。

手に小さな人間を乗せていないか。尻を見せて頭を向こう側に隠した茶色い人間が見える。

隊長は小さな人間を大蛇に生贄として与えているのではないか(この人間が今の人間と同じサイズなら隊長自身は巨人と言う事になる)。

f:id:curlchigasaki:20210908182659j:plain

少女の背中の鳥は小さな人間の塊。ブリューゲルの「雪中の狩人」を思い出した。あれも小さな人間を担いだ巨人だった。

f:id:curlchigasaki:20210908182707j:plain

少女全体図。あちこちに小さな人間がぶら下がっている。手前の鎧兜の少年にも、隊長の手にも、左の銃を持つ男の身体にも同じように小さな人間がぶら下がっている。

f:id:curlchigasaki:20210908182717j:plain

非常に大きな絵だから細かく見て来た。細かい所に大蛇が小さな人間を喰う姿や、人物たちが小さな人間を捕まえて持っている事が分かった。

画面全体を大きく見ると、捉え難かったが、長い時間絵を見続けていると次第に見えて来た。やはり巨大な蛇の頭があちこちに見えて来た。違った見え方がする人もいるだろうが、僕にはこう見えた。隊長・副隊長辺りを鼻の上に乗せた巨大な蛇神が地面にいる人間たちを喰いに空から降りて来ている。

神の手伝いをする巨人たちも秩序ある社会を持っている訳ではなく、個々にバラバラの行動をしている。まるで今の政府のようである。コロナウィルスに対する正しい対処の仕方が分からず、あてずっぽうで施策をし、いたずらに人々を混乱させている。

 

レンブラント 「三磔刑」 悪魔教の頭蓋骨

コロナによる死亡? あり得ない。

ニュースではコロナウィルスがいかに恐ろしいものかを印象付けようとしているが、その嘘を見抜く人がいる。中京大学の武田邦彦教授はYou Tubeブログでこう言っている・・・・厚労省が病院で亡くなった患者にコロナウィルスが発見された場合、死因が何であってもコロナ死と報告せよと指導していると。

ウィルスと言うのはそもそも細菌の1000分の一の大きで、遺伝子の螺旋も一本しか無いのだから生命体とも認定できないもので、細胞内の遺伝子と結びついていわば寄生しているものなんだから宿主が居なくなると自身が生存できなくなる。人間を殺す力があるとは思えない。ニュースで煽るほど怖いものでは無い。

ただ人間に多少とも不利益をもたらす事は事実で、ウィルスに対して人間は元々備えられている免疫以外無力である。政治家が何をしようとそれはただやっている事を示すポーズに過ぎない。実際は何の役にも立っていない。国民を締め付ける時短営業や、酒類提供禁止、テレワークのすすめ、外出自粛など嫌がらせでしかない。

B 型肝炎ウィルスは、小学校での予防注射の回し打ち等によって広まり、その後50年経ってもまだ感染者の体内に残っているらしい。これに関しては終息などあり得ないようだ。

コロナウィルスが恐ろしいものだと言い聞かせ、その恐怖によって国民をコントロールしようとしている。いい加減な効果しかないワクチンを強制的に接種させるように都合の良いニュースばかり流している。おまけにワクチンパスポートの考えが広まるように国民の間からその声が(要望が)出て来るように仕向けているように思える。

デルタ株だの他の変異種が次々に出てくれば(単純な仕組みのウィルスにしてみれば変異は通常の事なのだが)、また別のワクチンが出て来るのかもしれない。そうするとそのうちワクチンの中に得体のしれないものも混ぜる事も出来る。人間を無能のままにする薬物でも入れて強制接種させれば全人類の家畜化がよりはっきりしてやりやすくなる。

f:id:curlchigasaki:20210829181237j:plain

レンブラント・ファン・レイン 「三磔刑 The Three Crosses」 制作年不明 ヨハネスブルグ美術館(南アフリカ)

レンブラントのエッチング作品。キリストの磔場面が描かれている。全体的に不明確な描写で、中央にイエス、向かって左側に共に処刑された泥棒がいるらしい。もう一人の泥棒は右側の黒い部分に少しだけ見えているのがそれか。

手前に嘆く人々? 馬に乗った兵士? 隊長ピラト? なんだかはっきりと描かれて無いのでよく分からない。

f:id:curlchigasaki:20210829181250j:plain

この作品、小さくしてみると頭蓋骨が見えて来る。画面の左側よりに、画面いっぱいに大きな頭蓋骨が人々を見下ろすように描かれている。歌川国芳の浮世絵では骸骨が人の頭上に覆いかぶさるように描かれていたが、これは頭蓋骨だけが大きく描かれている。しかも分からないように隠し絵になっている。

キリスト教は悪魔教であり、イエスと言う架空の人物を用いて死を予告するようなこんな恐ろし気な教義を広めている。人間の心の深奥に恐怖を植え付けてコントロールしようとするのは今も昔も変わらない。

f:id:curlchigasaki:20210829181304j:plain

僕にはこう見える。

f:id:curlchigasaki:20210829181319j:plain

画面右側。はっきりと描かれているところはあまり無いが、作者はこんな蛇神を表したかったのではないか。上から降りて来て人間を喰っている。

f:id:curlchigasaki:20210829181336j:plain

画面左側。正面を向いたカエルのような顔の蛇神が人間を咥えている。これも胴体が上方に繋がっている。

f:id:curlchigasaki:20210829181435j:plain

頭蓋骨の目と目の中間にイエスがいる。イエスこそ頭蓋骨の怪物の中心的人物・悪魔の子供・蛇神の子供である事を示しているのではないか。

 

コロナ関連のニュースを見て、人同士で会話し、最後に「怖いねぇ。」と言うならばそのニュースは嘘である可能性が高い。誰かに恐怖を植え付けられている。そしてそいつの思い通りの思考法になっている。いわば洗脳されている。すでに一部家畜と化している。

 

スーラ 「サーカス」 娯楽を伴う洗脳装置

スーラと言う画家、以前見た「グランド・ジャット島の日曜日の午後」もそうだったが、何か他の画家とは異質の物を感じる。何か異星人を思わせる普通とは違った感性・・・と言ったら良いだろうか。

f:id:curlchigasaki:20210824171411j:plain

ジョルジュ・スーラ 「サーカス」 1890年~91年 オルセー美術館(パリ)

スーラは91年、32歳で早世しており、その最後の未完の作品だと言う。色が薄いのでまだ点描が重ねられる予定だったのかもしれない。

しかし未完であっても画面の中の人々の表情に非常な違和感を感じて仕方がない。また他の画家たちの作品のように、神に人間が喰われる場面があまり冷酷には描かれていない事も、他とは違う気がする。喰う側の神が描かせた絵と言うよりも、喰われる人間側の立場に近い形で表現されているような気がする。

この画家は。単に色の発色を際立たせる為の点描技法を研究した画家と言うだけでなく、感情的に人間により近い同情的な感性で作画していたのかもしれない。ゴーギャンや手塚治虫に感じた物をこの画家の作品には感じる。むろんもっと研究して行かなければ本当の事は見えて来ないのだろうが。

f:id:curlchigasaki:20210824171422j:plain

画面下中央の、一番大きく描かれたこの人物、サーカス団の興行師か何かだろうか。左手にタバコ、右手にカーテンのような物を持っている。サーカスのテントの幕を開けて観客を楽しませる興行を開いているのを表しているのか。大きな口を開けて団員に指導をしているように見える。

f:id:curlchigasaki:20210824171433j:plain

絵の最下部には生贄の人間が隠れている。この絵でもこの興行師の顔、頭は人間の身体で組み立てられている。この人間の塊をぱっくりと呑み込む巨大蛇も隠れているはずだがあまりはっきりとはしない。

f:id:curlchigasaki:20210824171445j:plain

馬に片足で乗る曲芸師。デッサンが無茶苦茶で、長すぎる首、おかしな腰の形、長く輪を描くような形の腕、おかしな髪型等美術学校で勉強したとは思えない下手さである。

まくれ上がったスカートに人間の形らしきものが見て取れる。広げた両手の後ろに蛇神の頭(非常に見えにくいが)があり、そいつがスカートの人間を咥えている事を描いているらしい。

f:id:curlchigasaki:20210824171458j:plain

観客の一部。ボーっとテレビを見ている人の様な感じだ。この当時はラジオもテレビも無く、サーカス等の見世物小屋が娯楽になっていたのだろう。

f:id:curlchigasaki:20210824171509j:plain

左は馬に乗る女曲芸師のスカートの中をガン見する男。右も同じくニヤつく男。手が股間に伸びているのはどうしてか。

f:id:curlchigasaki:20210824171521j:plain

左、まるでアニメのワンシーンのような作画の婦人二人。右、まるで猿のような顔の男女。手前の男の口は(髭かもしれないが)は真っ赤であり、何かに危害を加えられているかのよう。

f:id:curlchigasaki:20210824171533j:plain

何だろう、この気の抜けたいい加減な作画は。服装、髪型、髭、実際にこんな形がある訳が無い。ただ皆手元に何かを持っているような微妙な表現になっている。小さな人間を捕まえて持っている?

f:id:curlchigasaki:20210824171547j:plain

下手な絵だ。真ん中手前の夫人など、顔形さえ捉えられない。その後ろの男は身体が透けて後ろの座席が見えている。

f:id:curlchigasaki:20210824171600j:plain

鞭を持って馬を操る男か。その後ろで宙返りをするピエロたち。

鞭の男の背後に並んでいる男たちは巨大蛇の口に生えた歯を表しているらしい。宙返りの男は上半身と下半身が別々の人間で出来ている。頭も別々で、それぞれが背後の巨大蛇(これも見えにくいが)に喰われているらしい。

f:id:curlchigasaki:20210824171611j:plain

鞭を持つ男の顔。何て狂気じみた顔なんだろう。髭は真っ赤なのでひょっとするとこれは裂けた口なのかもしれない。

f:id:curlchigasaki:20210824171623j:plain

白馬だがコントラストを強めると、馬の筋肉とは別の人間だか大蛇だか分からないがそんな形が見え出す。馬の口が赤く、何かを咥えているようにも見える。

f:id:curlchigasaki:20210824171638j:plain

全体図。見えにくいが、かろうじてイラストのような巨大蛇の頭が見えた。やはり上から降りて来て人間たちを襲う姿を見せている。手前の興行師はこの神の食事(生贄の儀式)の光景を鑑賞者に幕を開けて見せている。

後のテレビ放送の役割をこのサーカスの興行師は担っているのだろう。鑑賞者は神の生贄の儀式をそれとは知らずにボーっと見せられている。洗脳装置だからいつの間にか神には逆らわずに素直に従って命を捧げるようになってしまう。

f:id:curlchigasaki:20210824171650j:plain

何年か前に自分で描いたイラスト。NHKは人間を食い物にしている。特に子供を。生まれたれた時からだからなかなか気が付かない。

f:id:curlchigasaki:20210824171703j:plain

テレビは電波を通じて、好もしいアイドルを使って悪魔のサインを送り続けている。

f:id:curlchigasaki:20210824171715j:plain

テレビを見続けている人は自分で考える事をせず、テレビの言う事が自分の考えだと思うようになる。自らが持って生まれた頭脳を眠らされている。

 

古くは歌謡・歌舞演劇・見世物小屋にサーカス・ラジオに映画・テレビと媒体は変化しているがいずれも洗脳装置である事は同じであろう。絵画・彫刻・音楽においても人を楽しませる要素を持つ物にはそれが付随している。人間家畜を家畜のままにして置くには絶えず洗脳し続けなければならない。目覚めさせてはならない。

 

スーラの絵は狂気じみているが、そんなことを気付かせようとしているように思える。

ルノワール 「ジュリー・マネ」 猫は液体

猫は液体である・・・・としてイグノーベル賞を受賞した人がいた。土鍋の中・段ボール箱の中に猫のすっぽりとはまった写真をよく目にする。またYou Tubeで、階段を液体のように滑り落ちる猫も見た事がある。ルノワールが描いたこの猫はどうなんだろう。

f:id:curlchigasaki:20210818173129j:plain

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「ジュリー・マネ」 1887年 オルセー美術館(パリ)

エドゥアール・マネの弟とベルト・モリゾの間にできた娘の肖像画である。1878年生まれだからこの絵の時は9歳だろう。

この少女の抱く猫が不思議な形をしているのに気が付いた。頭と胸との距離があまりにも長い。こんなに首が長いはずが無いだろう。少女に抱かれて液体のように変形しているのか。それとも猫の顔と手足の愛くるしさを強調するためにあえて変形させて描いたのか。実際少女の手が無いとして猫だけを見ると頭の位置が上すぎるし、前脚の形も後ろ脚の形もどこか(解剖学的に見ても)おかしい。尻尾もどこを通っているのかよく分からない。

f:id:curlchigasaki:20210818173141j:plain

マネの描くこの娘の母(ベルト・モリゾ)も美人だが、この娘も顔立ちが整っている。少女っぽく顔がまん丸で大きい。目も横長で大きい。ただ表情が少し暗い。日本なら小学校高学年に当たるのだろうが変に落ち着いている。どこかあきらめきった様な表情に見える。猫によって癒されている最中とも見えにくい。

f:id:curlchigasaki:20210818173156j:plain

口が少し開いていて中の赤い物が少し見えている。舌ではないだろう。

顎の下の灰色っぽい縦線は何だろう。

f:id:curlchigasaki:20210818173207j:plain

猫の部分だけをイラスト化しながらよく見てみた・・・・。これは猫ではない。

前回のマネの版画と同じようにこの猫は人間の身体を組み立てた物だ。前脚の所に一人、後ろ足の所に一人(この人は左足が途中で切れており血を吹き出させている)、その奥に一人の人間がいる。奥の人間はシマシマ模様の蛇かもしれない(少女が蛇に人間を与えている様子が描かれているのかもしれない)。

猫の顔の部分は、時間を掛けてよく見ると、小さな二人の人間で組み立てられていた。向かって左側に後ろ向きの女がおり、右側にその女と交接する男がいる。男女の交接図でもってうまく猫の顔が出来ていると思う。

要するにこの猫の部分は、少女が捕まえて来た生贄の人間たちである。

f:id:curlchigasaki:20210818173220j:plain

最初は気付かなかったが、よく見ると手が異常にデカい。下半身が異常に小さい。

その理由を探りながら見て行くと、まず猫の頭に齧り付く蛇が見つかった。少女の背中から胸に回って降りて来ている大きな蛇である。次に少女の大きな両手で形作るより大きな蛇の顔である。これは画面を目を細めて見たりすると次第に見えて来た。この大蛇は猫の胴体に見せている人間たちを口の中に呑み込んでいる。

少女の両腕も蛇であるようだ。

f:id:curlchigasaki:20210818173238j:plain

さらに、少女の座るソファー、何か輪切りにされた人体のパーツに見えて来た。向かって右側あたりにうろこ状の模様が見えるから大蛇の輪切りかもしれない。いや失われた少女の下半身がここに横たわっているのかもしれない。結論は出せない。この辺はいつか見えて来るまで(もっと目が鍛錬されて真実が見える日まで)疑問点のままにしておく。

f:id:curlchigasaki:20210818173255j:plain

少女の向かって右上に、噛み付く爬虫類が見える。ソファーの肉塊に噛み付いているのか、少女自体を喰おうとしているのか。

f:id:curlchigasaki:20210818173311j:plain

全体図。

向かって左側の壁は赤っぽいから、また別の人間がぶら下がっているのか、よく分からない。

f:id:curlchigasaki:20210818173327j:plain

こんな風にも見える。猫の顔は化け物蛇の目である。

 

天才画家たちが描く絵の中の物は、全てまがい物である。猫と思わせて猫では無いものを表している。少女と見せて実は蛇の集合体であったりする。この事は今の世の中で起きている事の説明である。すなわち「コロナウィルス感染拡大」とか言って人々を恐れさせる、ワクチンがどうしたとか言って混乱させる、しかして実体はどこにあるのかは誰も説明しない。その実体が元々無いものであったならばこの騒動の説明が付くではないか。まがい物を別の物に見せているだけなのだ。

ひょっとしてこの世の中全てに実体が無く、仮想現実である可能性もある。猫は液体・お金は仮想・その他すべて自分以外の世界は脳内の意識が創り出した仮の物かもしれない。

 

マネ 「猫と花」 猫も花も家畜の肉

こんな絵があった。

f:id:curlchigasaki:20210816210543j:plain

エドゥアール・マネ 「猫と花」 1869年 ダビソンアートセンター(ウェズリアン大学・アメリカ)

エッチングで描かれているらしい。縦175cm×横130cmの小品である。

日本風の植木鉢に植わっているのは葉っぱの尖った夾竹桃だろうか。やたら葉が少なく花ばかりの不思議な植え方である。その前面に猫の半身が重ねられている。植木鉢に溜まった水を飲みに来た猫を描いた? いや実際の光景と言うよりも想像上の花と猫を浮世絵風の平面的な配置の絵にしたのだろう。

f:id:curlchigasaki:20210816210558j:plain

猫の右上に口を開けた爬虫類の横顔がある。放射状の花を目と見るとカメレオンの顔の様だ。

f:id:curlchigasaki:20210816210611j:plain

右下の植木鉢も何か有機生命体っぽい物を口に入れる化け物の顔になっている。

f:id:curlchigasaki:20210816210623j:plain

そして猫本体は・・・・僕にはこう見える。二人の人間が尻を向けて組み合わさっている。猫の胸から顎にかけての白い部分は人間の足。猫耳の部分は人間の上に這いずる蛇。大きく口を開けている。生贄の人間の身体を用いて実に巧みに猫の姿を形作っている。右側の爬虫類どもはこの人間の肉を狙っていたのだ。

イラストで黄色く描いた人間は頭を右に向けて爬虫類に頭を喰われているようにも見えるが、とりあえず顔と腕を下に見せてイラストのようにも見えた(パッと見は頭が右で尻が左のように見えるが、長い時間見続けると尻が右に顔が下に見え始めた)。もう一人の人間は足を交差させているようだがどうか。

f:id:curlchigasaki:20210816222245j:plain
猫を形作っている人間はこんな姿勢かもしれない(イラストで黄いろい方)。右足が右の植木鉢の方に流れて行って植木鉢の脚が人間の足裏になっている。

この人間は右側の巨大な爬虫類に喰われながら股から子供を産み落としている。植木鉢の側面にある花が生まれ出た子供であろう。人間も生命の危機に瀕すると生殖本能が増し、子孫を残す行為に走るらしい。

左側の人間も子供を産み落としているが、その上方にいる巨大爬虫類に喰われてしまっている。画面右上の爬虫類も既に多くの子供を喰ってその体内に取り込んでいるようだ。

 

名画を見ると、人間が巨大蛇型生命体の家畜であり、食糧であると常に語り掛けられる。僕も他の人間に向けてブログを書くのなら、もっと楽しく喜ばしい、癒しを与えられる物を書きたいものなのだが、絵画作品を観れば観るほどこんな残酷な隠し絵ばかり見つけてしまうので困っている。この残酷な真実の発見からどうやって高次元へ向かう事が出来るのか。その手順が分からない。この世は魂を鍛えるための、一種の修行の場なのだから、現実に目に見える物はすべてそのまま受け入れなさいと言う事か。