名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

マネ 「婦人とうちわ」 解体された生贄の肉

マネの絵もなかなか残酷な表現が多い。調べれば調べるほどその感が増す。

およそ人間は映像的には同じ人間の肉体が通常の形態ではなく、損傷・欠損している物に恐れを抱く。赤い血の色が伴っていればなおさらである。切断された手足が絵の正面にゴロゴロと転がっている絵などがもしあったら、作者の理性を疑うし、まずありえないと考えて信じない。この絵はどうだろうか。

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エドゥアール・マネ 「婦人とうちわ」 1873年 オルセー美術館(パリ)

当時の流行りのジャポニズムを反映して、壁に団扇が張り付けられている。ソファーに婦人が横たわる。長く伸ばされた右足の所には、同じ作者の「オランピア」を思い出させるような小型犬(猫ではなく)がいるようだ。

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黒いドレスの部分が黒すぎて足がどうなっているのか分からないので、画面を明るくした。右足を大きく屈折させて左足を真っ直ぐに伸ばしている? 向かって左方に伸びているのは左足か? どうだろう。少し長すぎやしないか。右足の靴は脱げてそこにあるのか? 靴を履いたままであるならこれも長すぎる。それに足をここまで屈曲させると言うのはどうも優雅さに欠ける。「草上の昼食」の裸の女性と言い、この作者の描く女性は普通では無い。

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口の端から何かが飛び出ている。上下の唇の間にも赤い何かが見える。

この女が巨人であり、小さな人間を口に入れて喰っていると言っても信じてくれる人は少ないだろう。この女が巨大な蛇型生命体の為に人間を捕獲し、生贄として捧げている合間に自らも人間をつまみ食いしているのが見えると言っても、精神異常者と言われるのが落ちだろう。

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この女自身も巨大な蛇神に喰われる存在としており、現に彼女の身体はバラバラに解体されている。両手両足、首と胴体が既に繋がっていない。だから足先はとんでもなく遠くにあり、肘も肩も本来あるべき所より若干ずれている。

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全体図。女の周りも全て生贄の人間が置かれている。しかも所々手や足のパーツだけで転がっている。

今まで見て来た名画は大抵そうだったが、生贄の人間は画面の下端に集められている。そして上方から降りて来た巨大な蛇型生命体がその人間たちに口を付けると言う形になっている。

名画と言うのは、蛇神にとっての食事処・食卓であり、彼らは生食を好むので調理をされず生のまま並んでいる。白いソファーだったりベッドだったりしても、それは本来石の祭壇の上に乗せられている。

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空からやってくる蛇神のうち最も大きい者(神の中の神)が画面いっぱいに隠れている。絵の登場人物はこいつの目と目の間、または鼻先にいて、他の人間たちを喰う手助けをしている。

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「レポス(休息)」 1870~71年 RISD美術館(プロビデンス・アメリカ)

この絵ではよりはっきりと生贄の身体がさらされている。 

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ソファーに座る女性の下半身、足の様子が捉えにくい。この点は黒いドレスの女性と同様である。ドレスの中がどうなっているのか皺を辿りながら想像してトレースしてみた。

ソファーのひじ掛けが女性の切断された片足である。切断面から血が流れ出ている。床面にもその血が溜まっている。

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部分図にして明るさ、コントラストを調整すると切断面の肉がよりリアルに見え出す。

こんなにも露骨な形で残酷な表現がしてある。

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「扇子と婦人」 1862年 ブタペスト国立西洋美術館

この作品でも婦人の大きなドレスの中で切断された片足が変な所に置かれている。

生贄の人間たちが白いドレスの形になって見えている。

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「オランピア」 1863年 パリ・オルセー美術館

この絵でも女性の首が切れており、左手・左足も切れている事が分かる。ほんの少しずつずれているからだ。そしてこのベッドは石の祭壇であり、生贄の人間たちが置かれているところである。ここでの食事の補助をすべく、絵の中の登場人物(この女性)は巨大蛇の鼻先に乗っている。

 

これだけ指摘しても見えない人には見えないのだろう。今まで見た事の無い事柄だからまず信じられない。その理由が理解できないから受け入れられない。拒絶するしかない・・・と言う事になる。まず自分の目に見える物を素直に認める事が大事である。見える理由は後から考えればよい。

 

ルノワール 「読書する二人の少女」 人間は喰われる者

前回のルノワールの小品と同じような観点で描かれたと思われる絵を見つけた。

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ピエール・オーギュスト・ルノワール 「読書する二人の少女」 1890~91年  ロサンゼルス・カウンティ美術館 (縦56.52×横48.26cm)

「ピアノに寄る少女たち」(オルセー美術館)とほぼ同年代で、モデルも同じ二人の様だ。

このも全体で寄せ絵が隠れていると思える。人間を食する化け物蛇の隠し絵である。

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全体図を白黒にしてぼかしを入れ小さくしてみた。すると少女二人の絵では無く、全く別の化け物が現れる。

まず最初は「カッパ」。向かって右側の少女の帽子がカッパの皿であり、左腕の白い部分がカッパの鼻となる。少女の下半身は大きなキュウリでもあろうか。

ただフランス人のルノワールは「カッパ」を知らないだろうから、これは僕の勘違い。

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左の少女の頬杖をする右手が異常に短い。右手に触れるように横たえた左手の表現が稚拙だ。首に巻き付けている少女らしくない色の物は髪の毛? 茶色い服? 何か特攻隊の飛行服の様だ。

右側の少女の手もおかしい。左手上腕が異様に長く、右手は右手で、その手首以外はどうなっているのか分からない。両手とも手指の描き方が素人の様だ。こんな変な形にはならないだろうと言うような形をしている。下半身もどうなっているのか分からない。

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ルノワールっぽいゆらゆらとした筆致の、柔らかそうな肌を持った少女たちだが、二人とも口の中に何かが入っている。頬も若干膨らんでいるようだ。

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二人の視線が落ちるのは本のあるこの部分だが、特に不可思議な部分である。手の形も服の色形も服の皺の形も皆どこかおかしな具合に変形している。

恐らくこの巨人族の少女二人が口に入れている、小さな人間がここらあたりに捕まっているのだろうが、どうもうまく見定められない。

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全体図。別の見方をすれば上のイラストのようになる。画面右下から巨大な蛇型の化け物が立ち上がって来ており、大口を開けて少女二人を丸ごと呑み込もうとしている。二人の少女は、身体のパーツがバラバラにされており、手・足・頭・胴体と解体されて呑まれようとしている。左の少女の茶色い服のギザギザは、この化け物の下歯である。

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また別の見方をするとこうである。左上から巨大な蛇型生命体が降りて来る。画面下端の生贄の人間に喰い付いている。こう見た場合、少女二人は既にこいつの体内に取り込まれてしまっている。

 

ルノワール 「帽子のピン」 契約した悪魔の姿

ルノワールもやはり悪魔に魂を売って作画技術を手に入れた一人である。その悪魔は地球上の蛇によく似た姿をしている。ただしかなり大きく知能が高い。そんな悪魔の姿がこの絵の中に隠されていた。

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ピエール・オーギュスト・ルノワール 「帽子のピン」 1894年 ワシントン国立美術館

ルノワールが知人の夫妻にプレゼントしたドライポイント(版画の一種)の小品。

女性が別の女性の帽子に花をピン止めしている。造花か本物の花か分からないが、当時の流行りだったのだろう。日常の何気ない光景が絵にしてある。

花を付けられる少女は何故か少し不安そうな表情をし、怖がっているようでもある。花を付ける女は眼鼻の形がおかしいし、髪が乱れて不気味だ。両手の形もどこか蛇っぽい。二人の帽子の上の花がぼんやりとして何の花かも分からない。

確かにルノワールの描く女性は柔らかい曲線で描かれ、顔も身体も丸っこくて好む人が多いのだろうが、どこかおかしい所がある。

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全体図を小さくして暗くし、コントラストを強めると、全く別の物が見える。絵を二人の少女の物であるとはしないで、単に目に入る形だけを追うと「寄せ絵」が見える。

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もう少し強調した。大きな蛇の横顔が見えないだろうか。大きな口を開けて少女を呑み込もうとしている。頭には王冠を被っているのか。

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トレースしながら細かく見て行くとこんなイラストが描けた。

帽子に花を付けてもらっている少女は大蛇に呑み込まれる少女。しかしその手にはさらに小さな人間が捕まっている。彼女自身も小さな人間を喰っている途中だったらしい。右手と下半身の部分には別の人間がいる。一緒に大蛇に呑まれているのか。

花を付けてやる少女はどうやら実像では無いらしい。彼女の髪は、上から来た大蛇に喰われる小さな人間たちを表している。彼女の帽子は上から降りて来る大蛇の口先に巻き付く別の蛇で出来ているらしい。

イラストでは上から来た蛇が下の蛇の頭に噛み付いているようにも見えるが、そうではなくたまたま人間を喰う蛇がそこに重ねて置かれているらしい。

 

花を付ける少女の帽子が、もう一匹の蛇の頭の上の王冠にも見えるのは、意味が有るとも思える。すなわち蛇型生命体の遺伝子を強く受け継いでいるのは王族・皇室の者たちだとの表現にも見える。

 

ルノワールの描く女性の身体の柔らかさは普通の人に表現できるものではない。柔らかい筆で何度も撫でさすった様な筆跡も女性の肌の柔らかさを、血管の浮き出るような表現も尋常ではない。こういう表現が出来るのも人間以外の存在の力を借りているからだろう。その悪魔に感謝の気持ちを伝えるためにもこんな風にして悪魔の姿の隠し絵を仕込んでおくのだ。人間は彼らの食糧であるにすぎないとの真実を知らしめなければならない。

ルノワール 怪奇な世界

まだまだ解明できない所がたくさんある。自分なりに解釈し、説明を試みてある程度納得できる所もあるが、それでも説明しきれない所が多く残る。

印象派の画家たちの残酷な表現・人間の身体を切断し、解体した姿にして人間に恐怖を与えるのは何故か。一見穏健そうに見えるルノワール作品においても理解不能な怪奇な表現がたまに見られる。例えばこれ。

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ピエール・オーギュスト・ルノワール 「ピアノに寄る少女たち」 1892年 オルセー美術館

部分図。ピアノを弾く少女の左手をがっしりと掴んでいる第三者の手がある。下の方から肘あたりを掴んでいるから後ろに立っている少女の手ではない。まるでホラー映画のワンシーンのようにドキッとする。これに気が付いて何か言う人がいないのだろうか。少女の着ている服の色と明らかに違う色の手が見えないのだろうか。

以前このブログで調べた時に自分なりの解釈を試みているので、興味ある方は検索して見ていただきたい。要するに少女の下半身部分に別の人間が横たわっていて、その人間の右手が少女の手を掴んでいるのである。つまりピアノを弾くこの少女自体も自然のままではなく損傷していると思われる。

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「プロムナード(散歩道)」 1874~76年 ザ・フリック・コレクション(アメリカ・ニューヨーク)

幼い少女二人を連れて散歩をさせている、母親と見られる女の顔、部分図。

口から何かが出ている。イカゲソのような、何らかの生き物の手足と見られる物が見えている。赤いのは血の色か。それはごく小さな物であり、これが人間の手足だとすればこの女は相当な大きさの巨人族と言う事になる。人間の誕生より先に巨人族が存在しており、人間は彼らの食糧となっていたと解釈するのが最も納得できる説明である。

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ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」 1876年 パリ・オルセー美術館

大画面の左隅、少女と顔を向き合わせている青年の顔、部分図。

口の両端から真っ赤な血のような物を垂らしている。まるで吸血鬼ドラキュラの様だ。もしくは赤い肉片を口に入れて食べているようにも見える。青年自身の目も赤黒く落ちくぼんでいるかもしれない。

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「大水浴図」 1884~87年 フィラデルフィア美術館

中央奥の女の右手辺りの大拡大図。女が手に持っている黄色っぽいタオルの縁を掴む小さな手が見えないだろうか。ネズミの手のような灰色の小さな手である。

水浴している川岸に女によじ登ってくるネズミもいないだろうから、ネズミでは無さそうだ。実はこれがよく分からない。

背景の樹に黒い部分があり、それが人間の形となっていて、その手かもしれないし、背景の黒い部分は大きな蛇の頭であり、そこの口から生えている歯(牙)かもしれない。女が上空から来た蛇神に生贄の人間(黄色っぽいタオル)を与えている図だとすれば蛇の牙と見た方がしっくり来る。

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「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」1880年 チューリッヒ、ビュールレ・コレクション

「可愛いイレーヌ」の部分図。彼女の手先の指はトカゲのように三本ずつであり、血だらけになっている。両肘で小さな人間を押さえ付けているかもしれない。彼女自身の下半身の形もどこか不自然で、あるべき位置にあるのかどうかも疑わしい。

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「Seated Bather(座る水浴者)」 1883~84年 ハーバード美術館(アメリカ・ケンブリッジ)

これは全体図。以前調べた時のイラストに手を加えた。

ルノワールの女性像全体に言える事だが、この絵でも女性の手足の位置関係が普通では無い。あるべき所よりも若干ずれている。実際に岩の上に座ってこういう風に足を組んだら左足の膝はもっと奥まっているだろうし、足の裏が見えていてもおかしくないだろう。右足もこんなに長くはならない。彼女の両足は千切れていて、その上に生贄の小さな人間が被せて置かれており、分かりにくくなっている。

両手・首の繋がりもどこか不自然で、胴体自体も上下逆さまになっているように見える。すなわち彼女の頭は岩の中に隠れており、逆立ちした尻の部分に頭が置かれている、または尻から頭が出ているように描かれている。

人間は家畜であり、解体して蛇神の呑み込みやすい肉片となるのだから、そのように描いているのだろう。

身体が上下逆さまに描いてあるのは、実際の世界が嘘に満ちている事を示唆しているのだと思っている。テレビニュースで毎回映される「コロナウィルスの写真」は本物なのか。PCR検査は既存のインフルエンザとの区別が付きにくいのにそれの陽性はすなわちコロナ感染とされるのか。そもそも感染と言って発症して患者になる前の人間を数えて何になる? 感染者の延べ人数に何の意味が有る? 他の疾病で重症化してかつPCR陽性になった者はコロナ重症者と呼ぶのは全く不正確ではないか。ワクチンが有効だから全員接種せよと圧力をかけるのはだれか? ウィルスは変異しながら生き続ける者である事を専門家は最初から知っているはずで、対抗するには個々人の免疫機構だけであるとなぜ強く言わない? 

スペイン風邪・エイズ・天然痘等、過去の歴史上のウィルス禍も、ひょっとして現在と同じような情報操作によるものだったのかもしれないと思えたりする。

人間はとにかく自分の目に見えない恐怖を恐れる生き物である。死後の世界・幽霊・妖怪等のような未知の世界が怖い。その辺を刺激して自分にとって都合の良い映像ばかりのテレビ番組・映画を見せて騙して置けばよい。人間から社会性を奪い取って一人一人が仮想現実の世界で遊ぶような、眠った状態にして置けば良い。

美術品は教養として、その表面をさらりとなぞるように見せておけばよい。名画の中に真実が隠されているが、観る人間の知能が眠っていれば知られる事は無い。家畜には死の現実を教える必要は無い。

 

ルノワール 「ニ二・ロペスの肖像」 人間は家畜であり、解体処理される存在

いくら寝ても寝足りない。医者からもらう薬のせいか。日中汗だくで農作業をするせいか。睡魔とめまい、身体のだるさとの戦いになっている。

この絵は不思議な絵である。椅子に腰かけてもの思いにふける少女? 絵の横を無理やり後から広げて繋いだような形跡がある。画面の所々に赤い色が飛び散っていてどこか血生臭い。

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ピエール・オーギュスト・ルノワール 「ニ二・ロペスの肖像」 1876年 アンドレ・マルロー近代美術館(フランス・ノルマンディー地方・ルアーブル)

最初もっと縦長だった画面を、キャンバスの木枠を外して広げ横に伸ばしたのだろうか。右手の椅子に掛けた肘の表現がうまく出来てない。右手の上腕・下腕の遠近感が全く出来てない。広げた画面の色も違ったままで違和感がある。左手は逆に肘の位置が下すぎるかもしれない。

彼女の手は何故こんなにも黒々としているのだろう。

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手の部分。明るくしてコントラストを強めると赤い色がはっきりとしてくる。

何かバラバラ死体を組み立てたような、異様な色使いである。

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右手の辺りをイラスト化しながら探ってみる。細かい部分は大蛇に喰われる人間の姿で出来ているらしい。

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唇から何かが飛び出している。

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線描きで探り探りしていると、やはり口に挟まっているのは小さな人間であるらしい。

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左手は下から来た大蛇に咥えられている。肘から先だけしか無いようだ。

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全体図をイラスト化した。彼女の胸の前で組まれた両手は胴体と繋がってないようだ。首に巻かれた薄緑色のリボンは白骨化した手の様だし、左肩にも人間がへばりついている。彼女の身体自体が人間のバラバラになった身体の部位で組み立てられている。

背景の中に人間の下半身が見える。イラストで薄緑色で表した人間の下半身(後ろ向きの尻)は恐らくこの彼女の下半身だろう。

この女は蛇神への生贄の人間を調達しながら、自分でも少しつまみ食いし、最終的には自身もバラバラにされ神への生贄とされてしまう。

家畜の解体現場のような残酷な表現は、印象派の作品によく見られる。これとよく似た表現はクールベの以下の作品にあった。

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ギュスターヴ・クールベ 「もの思うジプシー女」 1869年 国立西洋美術館

この絵でも背景に女の下半身がぶら下がっている。首の色も変わっており、左右の手も胴体と繋がってないようだ。ルノワールの先輩の7年前の作品だからこれを参考にしたのかもしれない。

人間は家畜であり、解体処理される存在である事を語っている。