名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ポロック 「ナンバー1,1949」 それが見える

20世紀の抽象絵画、この分野はなかなか入り難い。しかしたまにそれが見える物がある。この作品もその一つ。

f:id:curlchigasaki:20210306172957j:plain

ジャクソン・ポロック 「ナンバー1,1949」 1949年 ロサンゼルス現代美術館

地面に置いたキャンバスに絵具をそのまま適当に垂らした訳の分からない絵である。ニューヨークのアクションペインティングと言う事で高く評価されているのはどうしてか。子供でも作れそうな作品で、鑑賞者はこれを観て頭が混乱するだけではなかろうか。まあ色の散りばめ方が有機的で単調ではないから、観ていて何か楽しくはある・・・・ぐらいの感想を抱ければ良い方だろう。ただこれを自分たちの税金を使って大事に保管していると思うともう分からない。絵の分かる人には分かるのだろうくらいに思っている。

f:id:curlchigasaki:20210306173010j:plain

この絵のコントラストを弱めて、目を細めて全体を見る感じにしてみた。じっと見つめていると次第に何らかの形が見えて来ないだろうか。真ん中あたりに円形の輪郭を持った何かの形が・・・・見えるような・・・・。

f:id:curlchigasaki:20210306173026j:plain

僕には上図右のイラストのような形が見えて来た。蛇の正面顔である。何だか色盲検査の様で全く見えないと言う人もいるだろう。こんな風に見えるのはお前が統合失調症か精神分裂症だからだと言う人もいるだろう。しかし見える物は見えるのだから仕方がない。自分の目を信じるしかない。

少なくとも画面全体が大きくV字型に区分けされている事、そのV字の谷に丸っこい形が挟まっている事くらいは捉えていただきたい。

f:id:curlchigasaki:20210306173043j:plain

結局こんな隠し絵があると思える。人間を口に入れる巨大な蛇が正面に一匹、その周りにも襲い来る巨大蛇の群れ。人間は皆裸で多くは二人ずつ重なって性行為をし、尻から子供を産んでいる。

絵具を適当に垂らして描いた絵では無い。計画的に、恐らくコンピュータソフトのような物を使って(未知の技術を持って)プリントされたに違いない。こういう隠し絵を美術館で大勢の人間の目に入れ、潜在意識の中に刷り込んで、抵抗する気力を無くさせているのだろう。

「ワンピース」ポスター 現代の支配者が隠し絵の中に見える

アニメのポスターには不気味な隠し絵がよく見られる。これもそうだ。

このワンピースと言うテレビアニメには最初見た時から違和感があった。人体のデッサンが無茶苦茶で人間が描いた漫画とは思えない。作者の感性がどこか違うと思っていた。調べてみた結果今まで見て来た絵画芸術同様の隠し絵があるようである。

f:id:curlchigasaki:20210302193329j:plain

ネットにあった画像から拝借した。セブンイレブン限定ポスターだそうだ。先日見た「進撃の巨人」同様の隠し絵がここにも見える。こうした群像でごちゃごちゃと描かれたポスターは一人一人のキャラクターでなく、全体的に大きく見ると見えて来る。目を細めて人物ではなく大雑把に色と明暗で画像を捉えると少しずつ見え始める。

f:id:curlchigasaki:20210302193359j:plain

全体のトレース。ちょっと時間がかかった。

中央部分の主要人物の周りに白い枠取りがしてあるのに気が付く。そこが巨大蛇の正面顔になっていて、主人公ルフィー等の背後で大きく口を開けている。

f:id:curlchigasaki:20210302193431j:plain

このイラストで青い輪郭で描いた巨大蛇がそれである。この蛇の後ろにも画面の左右にも同じような巨大蛇がおり、その前面の人物たちを口に入れているようだ。

f:id:curlchigasaki:20210302193447j:plain

元絵の画像を加工してコントラストを低めるとちょうど目を細めて見た時と同じように見える。全体的に捉え安くなったのではないか。

主人公たちを口に入れる巨大な蛇の正面顔が見えるだろうか。

f:id:curlchigasaki:20210302193502j:plain

僕にはこんな風に見える。違った見え方をする人もいるだろうが、それはいろんな見え方がするように描いてあるからだ。蛇の眼に位置の特定が難しい。人物の顔部分の丸い形であったり、服の色形だったりを目に見せていたりする。

画面下端の人物は全て巨大蛇の生贄である。口の中に取り込まれている。巨大蛇の頭の上に居座るのは蛇神の補助者か。

どちらにしてもこのポスターの制作者あるいはこの漫画の作者は蛇神の助けを得てこれを描いている。

古い時代の絵画芸術でも日本の現代アニメでも全く同じ隠し絵が見られる。人間の支配は今でも同じ者によって行われている。

殆どの人間は真実を知らされずに生き、死んで行く。この世が不条理なのは奴らのせいだと思うのだがその事は知らない方が幸せなのかもしれない。繁殖用種として地上に生まれた僕としてもただ親族の繁栄を喜んでいるだけで良いのかもしれない。

肉体が滅んで魂だけになったら今度はもう少しだけ次元の高い存在でありたいと思うだけだ。

尾形光琳 「紅白梅図」 食糧としての人間を量産せよ

梅を描いた国宝がある。f:id:curlchigasaki:20210227221926j:plain

尾形光琳 「紅白梅図」二曲屏風一双 18世紀 MOA美術館 国宝

熱海の世界救世教が保管する絵である。しかし我々が思う梅とは様子が違う。

f:id:curlchigasaki:20210227221944j:plain

絵具の退色・劣化等が見られるのかもしれないので明るく修正してみた。だがそれでも違和感がある。普通現代で観梅する時の梅とはかけ離れている。梅林の真ん中に川が流れているし、肝心の梅の花があまりにも少なすぎる。

梅干しの梅の実栽培用にこの木を育てるのなら川の無い所で、人の収穫しやすいように低く仕立てると思うのだが、ここの梅の木はそうでは無いらしい。自由奔放に枝を伸ばしている。梅の実収穫用ではない。梅の木を斜め上から俯瞰して描いている。左の白梅の枝は幹の辺りまで下がっているのではなく、川の上の方に枝を伸ばしているのだろう。

この川の描き方、なんて自由なんだろう。こんな風に至る所で渦を巻いている川など見た事が無い。作者が梅に感じる心象風景(梅の生き物としての生命力?)をここに込めているのだろうか。確かに梅はどんなに剪定してもたくましく枝を伸ばし続ける。むしろ枝を剪定しないとうまく育たない強い木と言われる。

f:id:curlchigasaki:20210227222000j:plain

左の白梅の幹をイラスト化したらこんなになった。大きな蛇が上から来て人間たちをまとめて口に入れている。人間たちはどこが手やら足やら分からないほどぐしゃぐしゃに丸められている。糞か嘔吐物の様だ。

f:id:curlchigasaki:20210227222018j:plain

右の紅梅の幹も同様で、上から来た大蛇が幹の形に重なった人間たちに喰い付いている。こちらは人間の姿形が多少残されながら重なっている。

f:id:curlchigasaki:20210227222043j:plain

川の右下部分。この渦は人間の胎児を表しているように見える。子宮内に出来始めた人間の姿を表しているのではないか。

f:id:curlchigasaki:20210227222102j:plain

この川は子宮内を表しているのに違いない。あちこちで人間の胎児が出来かかっているように見える。渦の胎児は古代の勾玉そっくりである。

川の中央、右屏風の端に三つ巴紋の形になった所がある(この部分図でも中央近くに位置する)。この屏風絵のど真ん中にあるこの形は何を表しているのか。三匹の蛇が真ん中に向かっているこの形、受精卵が細胞分裂を始めたばかりの姿を表しているのか。

f:id:curlchigasaki:20210227222146j:plain

向かって右側の双。紅梅の幹が人間を取り込んでより大きな蛇に見えて来た。川も巨大な蛇がのたくっているようだし、金箔の部分もそれ全体で巨大な蛇の横顔に見えて来た。さらに金箔部分の中に梅の枝等を輪郭に使った人間の形もありそうだ。

f:id:curlchigasaki:20210227222207j:plain

向かって左側の双。梅の枝を輪郭とした巨大蛇が上から降りて来ているし、金箔部分全体でさらに大きな蛇の横顔になっているらしい。金箔の部分で同時に人間の身体をも表しているようだ。

f:id:curlchigasaki:20210227222224j:plain

f:id:curlchigasaki:20210227222246j:plain

左の双の巨大蛇の横顔(赤)・右の双の巨大蛇の横顔(青)が見える。どちらも梅の枝が蛇の眼を形作っている。川の巨大蛇(緑)はこんな形で上から来ているのではないか。画面下端の人間たちが喰われている。人間はこの巨大蛇型生命体の食糧である事を示している。

f:id:curlchigasaki:20210227222307j:plain

こんな風にも見える。左右の金箔部分の大きな人間が川に尻を向けて子供を産み落としている。川は子宮内を表しており、子供たちはまだ胎児の状態である。つまりこの絵は家畜としての人間をどんどん生産せよと思いが込められている。(当初の人間は卵の状態で出産していたのかな。)

f:id:curlchigasaki:20210227222329j:plain

尾形光琳 「太公望図」 京都国立博物館 重文

同じ作者のこの作品を以前見たがやはり似たようなメッセージが隠されていた。すなわち人間を多く生産せよとのメッセージである。ただこの絵の場合、より直接的に男根から流れ出る精液が川の中に流し込まれる様子が隠されていた。

今回見た「紅白梅図」ではこの絵程どぎつくなく、さらっと卵のような胎児を量産する様子が隠れていた。

 歴史上、戦争があり、飢餓があり、病気の蔓延があったりしても結局世界人口は増え続けている。地球温暖化だ、環境破壊だ、人類の絶滅だ、人口抑制だ、地球の危機だとか脅かされてはいてもそれでも人口は増え続けている。彼らの予定通りに事は進んでいる。今回の新型コロナウィルス騒動があっても人口の減る国はどこにも無いのだろう。

北斎 「露草に鶏と雛」 このぶっ飛んだ絵で何を伝えたいのか

 

北斎の絵をもう一枚。f:id:curlchigasaki:20210220185823j:plain

葛飾北斎 「露草に鶏と雛」 1830~33年 メトロポリタン美術館(ニューヨーク・アメリカ)

なんておかしな絵なんだろう。団扇の図柄として露草の前に雄鶏・牝鶏・雛が描いてあるようだが、その形・毛並み・尾の描き方等が普通では無い。牝鶏は雛を抱え、背に乗せており、雄鶏に対面して闘争心に満ちた緊張感が醸し出されているが、雄鶏のこの尾の描き方は何だ。鋭利な尾の先が牝鶏に向いている。まるでオスとメスが戦っているかのようだ。雄鶏は一見してオタマジャクシのような形になっているのも何か意味が有るのか。

f:id:curlchigasaki:20210220185840j:plain

オスメス共に尻の羽が蛇の腹のように見える。

写実とはかけ離れた独特な描き方のこの絵にはどんなメッセージが隠れているのか。

f:id:curlchigasaki:20210220185858j:plain

向かって右の牝鶏の中には、蛇に巻かれた人間の頭蓋骨が二つほど見える。雛の下の肩(?)の部分に丸い形がある。羽を表す線で眼らしき物が表現されている。牝鶏の頭部にもイラストの黄色部分のような骸骨があると思うのだがどうか。目は赤いビラビラのトサカの一部分であり牝鶏の黄色い目が骸骨の口である。これら骸骨を数匹の蛇が巻き付いており、それで牝鶏の形になっている。腹の下の羽毛や足は喰われる小さな人間と思える。

f:id:curlchigasaki:20210220185915j:plain

雄鶏の方も同じように蛇に巻き付かれた骸骨が見える。雄鶏の黄色い目が口であり、赤いビラビラしたトサカの一部分が目である。雄鶏のくちばしの後ろの黒い物(羽の肩?)も骸骨であるらしい。骸骨に巻き付く蛇、と同時に別の隠し絵を重ねて表わしたい為だろう、一つの形だけでは捉えられない。正直に言ってみれば分かり難い。

f:id:curlchigasaki:20210220185936j:plain

露草と言われればそれ以外には見えないのだが、どこか違う。茎の先に苞(ほう)と言うのがあり、その中から紫色の花が出ているのは正しいのだが、苞も花びらも何処か人の肉体を思わせる物がある。遠目に見ると島田に結った女性の頭がそこここに浮かんでいるようにも見える。

f:id:curlchigasaki:20210220185952j:plain

図鑑から採った露草の写真。

そうか、北斎の絵には黄色いおしべ・めしべがそれと分かるようにはっきりとは描かれて無いのだ。普通露草を人の目線で見下ろすと緑の葉の中に紫の花弁の他に黄色いおしべ・めしべがコントラストを成して目立つと思うのだが。

北斎の露草は、葉が蛇で、花や苞が人間を表しており、やはり蛇が人間を襲う場面を表しているようである。

f:id:curlchigasaki:20210220190012j:plain

全体図で見るとあるいはこんな風になる。真ん中近くに大きな骸骨がある。それを一匹の蛇(イラストでは赤)は左後ろから蛇行しながら上に乗り、もう一匹(イラストでは青)は右後ろから回り込んで巻き付いて重なっている。露草は左から来る蛇(赤)の胴体模様である。f:id:curlchigasaki:20210220190026j:plain

卵の殻を破って生まれ出る蛇たちを表す図にも見ることが出来る。二つの卵とも割れた殻部分に蛇の腹が見えている。頭はまだ卵の中にあるのか。雄鶏の尾の部分は卵から飛び出た数匹の蛇になっている。

f:id:curlchigasaki:20210220190043j:plain

雄鶏が精子の形、牝鶏が卵子の形に見える。江戸時代の、顕微鏡も無い頃に描かれたとは思えない。よく見ると卵子の中には人間の頭と蛇が一緒になっている。牝鶏の尾羽が卵子に突入する精子に見え・・・・つまり受精の瞬間を表しているように見える。牝鶏の背の雛は(これも不思議な描き方だが)細胞分裂を起こし始めた卵細胞にも見えて来る。これは人間が蛇(型生命体)の遺伝子を受け継ぎながら、精子・卵子を用いて創造された瞬間を表しているのかもしれない。地球上の類人猿の卵子に蛇型宇宙人の遺伝子を、この雄鶏の尾の先のような注射器で注入したのか?

f:id:curlchigasaki:20210220190057j:plain

伊藤若冲 「葡萄双鶏図」 1792年 メトロポリタン美術館

若冲もおかしな動物の絵を残しているが、その40年後の北斎はより不思議な絵を描いている。写実とは遠く離れている。鶏の絵だけを見比べると若冲がまともな絵描きに思えて来る。北斎はそれほどぶっ飛んでいる。

 

北斎 「鎌倉の権五郎景政 鳥の海弥三郎保則」   組み打ちの絵では無い

f:id:curlchigasaki:20210216210355j:plain

葛飾北斎 「鎌倉の権五郎景政 鳥の海弥三郎保則」 1827~32年 アムステルダム国立美術館 (上図では画面の右下にある北斎の銘を拡大して並べて掲げた)

僕も日本人だから江戸時代の錦絵に共感できるところがあるだろうし、また新たな発見もあるかもしれないと思い調べてみた。

頼朝以前の相模の国の領主鎌倉氏の若武者景政が、後三年の役で敵将を打ち取った戦いを描いている。16歳で初陣の景政は敵に右目を射抜かれながらも、みごと兜首を挙げたと言う事で英雄視され、後に歌舞伎の演目の一つにもなった。

この絵は戦う二人が複雑に組み合って、手や足がどこにあるかも分からない。ただ組み打ちの激しさ・勇ましさがよく伝わってくる。双方の長剣は二人の全面で交差し、景政は後ろに回した右手(画面最上段に右手がある)に持った矢を敵に刺そうとしているようである。右目が損傷してないのは英雄だから、若武者のりりしさを強調したいからか。

f:id:curlchigasaki:20210216210412j:plain

九代目市川團十郎の鎌倉権五郎景政 (写真)

歌舞伎十八番の一つ「暫」(しばらく)は史実上の鎌倉影正(景政)を元に創作されたそうである。

f:id:curlchigasaki:20210216210430j:plain

鎌倉の権五郎景政の若々しくりりしい顔、目の横には隈取が薄く見える。顔がよく見えるようにか兜は被ってない。

f:id:curlchigasaki:20210216210454j:plain

一方、鳥の海弥三郎保則。顔色が赤黒く口がゆがんでいる。鼻や頬を表す線もごつごつしている。鼻毛だか髭だか分からない毛まで生えている。

f:id:curlchigasaki:20210216210513j:plain

ここで二人の身体がどうなっているのかを探ってみた。権五郎の右手は矢を持って最上部にある。左手は弥三郎の首を絞めている。同様にして二人の手足のありかを探ってみる。服や鎧の色が頼りだ。

・・・・すると、上図右のイラストのようになってしまった。なってしまったと言うのは二人の体位がまるでセックスをする男女のような形になっているからである。

f:id:curlchigasaki:20210216210542j:plain

画面最上段には権五郎の矢を持つ右手があるが、その後ろにあるのは弥三郎の足先ではないか。履いた草鞋の裏が見えている。足袋の指・足首が見えている。これは左足と思える。だから弥三郎は仰向けに転がって足を大きく上に上げて、その足先がここに見えていると言えるのだ。

f:id:curlchigasaki:20210216210606j:plain

二人の前面に交差する刀。弥三郎の刀は手から離れ抜き身のまま空中に置かれている。権五郎の刀は背中にあり鞘に収まっている。・・・・と言うよりも刀身が少し見えているようだ。弥三郎の刀をここで受けたのだろうか。

全体図で見ていただくと分かると思うが、権五郎の左腕は細い。左足も細い。顔も色白で赤い刀を持っている。刀同士が交差しその一方が一種女性的な描き方がされている・・・・と言う事はひょっとして作者は男色(ゲイ)の関係を暗示しているのではないか。はっきり言えば弥三郎の抜き身が権五郎の肛門に・・・・

f:id:curlchigasaki:20210216210634j:plain

大蛇が人間を喰う図でもある。

f:id:curlchigasaki:20210216210653j:plain

別の見方をするとこうなった。作者はこういう隠し絵を世間の人に見せたかったのではないか。

f:id:curlchigasaki:20210216210713j:plain

北斎の銘の横で鬼がほくそ笑んでいる。その周りには菊の模様が散らばっている。