名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

狩りによる拉致・解体・生贄の儀式・保管

太古の昔、人間は単に狩られる存在であったらしい。教科書で習う歴史よりずっと前の神話でしか語られない時代の事である。

f:id:curlchigasaki:20200815205021j:plain

ピーテル・ブリューゲル 「雪中の狩人」部分 1565年 ウィーン美術史美術館

狩人が担いでいるのはキツネとかの獣ではない。微妙な陰影を繋いでみるとそこに小さな人間が担がれているのが見えて来る。この巨人族は小さな人間を槍で追い、短剣で刺したりして仕留めた物を獲物としてどこかへ持って行く。

f:id:curlchigasaki:20200815205045j:plain

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「ウルビーノのヴィーナス」部分 1538年頃 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ヴィーナスのいるより奥の部屋にいるこの女が担いでいるのもやはり人間である。大小の大きさの違う複数の人間を、または一人の人間を担いでいる。一人の人間として見ると女と同じくらいの大きさだから、同じ巨人族の仲間を供出するのだろうか。

f:id:curlchigasaki:20200815205105j:plain

ギュスターヴ・クールベ 「窓辺のイギリスの三人の少女(Young Englishwomen  by a Window)」1869年 ニュー・カールスベア美術館(デンマークコペンハーゲン

三人の少女のうち、向かって左側の二人の表情がさえない。意識がもうろうとしているか、もしくは死体となっているのか。二人の身体の上に小さめの人間が何体も積み上げられている。右側の気の強そうな少女(イラストでは青)がこの二人と小さめの人間たちを神への生贄として捧げているように見える。

f:id:curlchigasaki:20200815205128j:plain

エドガー・ドガ 「ベレッリ家の肖像」1858年~67年頃 パリ・オルセー美術館

家族のポートレート写真の代わりの絵ではない。手前の少女二人には足が一本ずつしかない。手も位置が少し下にずれているか全く見えないかであり、首もどこか取って付けたようにわずかずつずれている。少女たちの失われた足は背後の家庭教師(?)の女の首にマフラーのように掛かっている。後ろの机の上に上から降りて来た長い大蛇が頭を見せていて、そいつに女が何かを喰わせている。この大蛇の頭、少女たちの手を既に呑み込んでおり、その手が透けて見えているかもしれない。

どこかから捕まえて来た少女二人を解体し、神への食糧として捧げている図であろう。

f:id:curlchigasaki:20200815205205j:plain

モネ 「昼食」 1870年 ドイツ・フランクフルト・シュテーデル美術館

裕福な家庭の豊かな朝食の風景・・・・ではない。母親と家庭教師の視線の先の幼児には手足が無い。画面左下隅の、こけしのような人形が幼児の今の姿を暗示している。テーブルの左端にあるフランスパンが落ちそうな位置に置いてあるが、これは幼児の片足である。家庭教師のコートの中にいる大蛇に咥えられている。奥のメイドがこの光景をこわごわ見つめている。テーブルの上にあるのは幼児の肉や血であり、上方から降りて来る巨大な蛇神(イラストで青)の為の食糧である。

f:id:curlchigasaki:20200815205251j:plain

ムンク 「継承(Inheritance)」 1897~1899年 オスロムンク美術館

遺伝病でやせ細って死んだ子供を膝の上に乗せ、ハンカチを口に当てて泣く母・・・・ではなく、この女は拉致した子供を神への生贄として捧げているのである。供物は白い布で包み、石の台の上に乗せて捧げるのが生贄の儀式のルールであるらしい。この女は椅子に腰かけているのではない(長椅子は途中で切れている)。また生贄の儀式に協力した余禄として自らも小さな人間を口に入れている。

f:id:curlchigasaki:20200815205315j:plain

ヨハネス・フェルメール真珠の首飾りの女」部分 1664年頃 ベルリン国立美術館

窓辺で首飾りを持ち上げている女の手前に大きく描かれたこの部分、ここには神への捧げものとしての人間たちの肉体が積まれている。既に切断・解体されすぐにでも呑み込めるようにしてある。

f:id:curlchigasaki:20200815205335j:plain

ヨハネス・フェルメール 「窓辺で手紙を読む女」部分 1659年頃 ドレスデン・アルテ・マイスター絵画館

手紙を読む女の右側に何故かカーテンが大きく描かれている。ここには捕獲された人間たちが吊るして保管してある。逆さ吊りだったりもするが、この人間たちの頭部は既に切られて地面に転がっているようである。

映画に「Mid Night Meet Train」と言うのが有ってYou Tubeで見た事があるが、電車の中で人間を殺し、逆さ吊りにして血抜きをする場面があった。それとそっくりである。また同じYou Tubeでレプティリアンの地下での人間貯蔵の様子があったがそれとも似ている。

定期的に地上に降りて来て人間を喰う蛇型生命体の為にこんな風に人肉を貯蔵しておく施設がどこかにあるのだろうか。

 

今は太古の昔のように露骨に人間狩りをする事は無く、秘密裏にそれが行われているのだろう。

大方の人間は繁殖用として、一生涯それに気付かないまま死ぬ。ただ家族・親族の繁栄だけを祈願しながら何も気付かないで死んで行く。それはそれで幸せかもしれないが・・・・。

 

ルノワール「プロムナード」 人間を拉致、解体、そして食い物へ

 子供を誘拐し、神への生贄として捧げる役目の者がいる。この作品に描かれた姉妹を引き連れる女がそれだろう。

f:id:curlchigasaki:20200813113636j:plain

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「プロムナード(散歩道)」 1874~76年 ザ・フリック・コレクション(アメリカ・ニューヨーク)

この作品を観るのは2回目で、前回は2年前、蛇に絡められて拉致される少女たちの姿に気が付いた。今回はさらに詳しく調べたい。この2年間で自分の目がより良く見えるようになっただろうか。

公園の散歩道を姉が妹たちを連れて歩いている。妹たちはお揃いの暖かそうなフリル付きのコートに身を包み、姉も厚手のコートに毛皮のマフラーのような物を身に付けている。寒い時期なのだろう、皆大きめの帽子もかぶっている。画面右手奥には散歩道上で談笑する人々、赤ん坊・女の子・犬などが固まって描かれている。

疑問点としては、紺のコートの姉が異様ななで肩で、腕も長すぎる事である。スカートの裾も野外で履くには長すぎ、地面を擦っているのも変だ。3人の帽子がケーキのような形であり、少女たちの手の付け根が髪の毛やマフラーに隠れてよく見えない。右に見える少女の前に出した左足は右足と色が違う・・・・等である。右奥の群衆も、3人を引き立たせる為とはいえ、こんなにぼやかせて固めて描かなくても良いのではないか。右端真ん中のピンクっぽいのは岩か? 姉の背後の景色は低木か? 何であるかが分からい表現になっている。 

f:id:curlchigasaki:20200813113653j:plain

姉の口から何かが出ている。イカゲソを喰っているのか。頬が赤く少し膨らんでいる。

f:id:curlchigasaki:20200813113714j:plain

二人の少女の顔。おしゃれ着を着て取り澄ましているようにも見えるが、何かを頬張っているようにも見える。左の少女の目が茶色っぽく、右の子の目と微妙に違う。髪の色の明るさも違うし、ひょっとして姉妹では無いのかもしれない。

f:id:curlchigasaki:20200813113734j:plain

右の子の手に持つ人形、全く可愛くない。乱暴に扱って壊れかけた人形? 首の位置も少しずれている気がする。この部分図では見えないが全体図で見るこの人形の足はかなり下にずれていて、足が胴体と繋がっているのかどうか分からない。

f:id:curlchigasaki:20200813113800j:plain

少女二人を部分図にしてトレースしながら詳細に見てみた。まず人形の足の位置が下すぎるのが見える。二人のドレスの縁の飾りは蛇であるのも見えて来る。蛇の身体の所々にが呑まれた人間が透けて見えている。姉の袖口の毛皮もマフラーも蛇である。つまりこの二人は蛇によって首・手・胴体を絡められ縛られた状態になっている。また二人とも右腕の位置が下にずれており、肩の所を姉の手が抑えた形になっている。

f:id:curlchigasaki:20200813113845j:plain

姉の濃紺のコートは大蛇で出来ているらしい。大蛇が絡み合うようにして形作っているからこんななで肩に、また長い腕になっているのだ。やはり呑み込んだ人間が透けている。肩や首元に見える大蛇の頭が人間の足を咥えている。髪の毛やマフラーではない。恐らく切断された少女たちの足を咥えているのだろう。時間的にこの後の少女たちの運命をこうして示しているらしい。姉の首元のリボンのような物が大蛇の頭の一つであり、その上に横に流れる茶色っぽい物は少女の手かもしれない。

誘拐された少女たちはこの後首・手・足をバラバラにされて蛇神に供物として捧げられる。その手助けをしているのが、この絵では姉に見えるこの女である。いや女と言うよりも蛇の化身と言った方が良い。

f:id:curlchigasaki:20200813113904j:plain

少女たちの下半身。コントラストを強めにすると、血の赤色が浮かび上がる。ここに見える3本の足は噛み千切られ、神に喰われる。

f:id:curlchigasaki:20200813113933j:plain

画面右奥の群衆は大蛇に襲われ混乱している様子を表しているようである。同じルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(ほぼ同年の1876年作)の奥の描写と同様人々が喰われている。散歩道上に髪の長い女性が後ろ向きに横たわり(犬ではなく)、道の隅には小麦色の裸の人間が横たわっている。上方から来た巨大な蛇がそれらを口にしている。

f:id:curlchigasaki:20200813113953j:plain

全体図にしてみると、蛇で絡め捕った少女二人を蛇の化身の女が手で押しながら神の下に導く様子が見て採れる。蛇の化身の女の下半身は無数の蛇が下に向かってぶら下がっており、地面の中の人間に喰い付いているらしい。蛇神は二人の少女の左右におり、また化身の女の背後にも女に喰い付く形で正面顔を見せている。蛇の化身の女もいずれ共食いのようにして喰われるのだろう。

少女たち自身も手に小さな人間を捕まえて持っている事に気付いた。右の少女の持つ人形のスカート部分も小さな人間である。太古の時代、人間が創造された頃の世界をこう言う絵画で隠し込んである。少女たちも巨人族である。

f:id:curlchigasaki:20200813114013j:plain

最も大きく描かれた巨大蛇神の中の蛇神はこれだろうか(イラスト中青い輪郭で表した)。少女二人を口に当て、喰っている最中である事を表し、化身の女は聖母マリアのように蛇神の鼻先に乗っている。

冬の日の好日、お散歩をする姉妹を描いた絵の中に世の中に真実を隠し込んである。宇宙から来た蛇型生命体が地球上に自らの遺伝子を使った巨人を創り、さらにより地球に順応した小さな人間を創り、それらを食糧としている。この真実を何故絵画芸術の中に隠し込んであるのか、その理由はいまだに不明である。

現在この国で行方不明になっている人の数は8万人ほどだと言う。その内発見される人の数を引いても、毎年数百~数千人がいまだに見つからないと言う。そう言った失踪者の中にはこの少女たちのような形で拉致されて神への生贄にされている者がいるに違いない。




 

 

神の食事を補助する者

空からやって来た蛇神が人間を喰う時、その補助をする者がいる。今回は彼らの姿を追ってみた。

f:id:curlchigasaki:20200806192928j:plain

ポール・ゴーギャン 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」部分 1897~98年 ボストン美術館

画面中央のこの青年、木から果実をもいでいる格好をしているが、実は上空の巨大蛇に小さな人間を与えている姿である。青年はハサミも収穫籠も持っていないし、果実自体も木に繋がって生っているようには見えない。果実を収穫する姿だとしたら何故画面中央に描かれているのか意味が分からない。神に生贄の人間を捧げる巨人の姿である。

f:id:curlchigasaki:20200806192946j:plain

レンブラント・ファン・レイン 「聖ステバノの殉教」部分 1625年 リヨン美術館(フランス)

聖人に石をぶつけて殺してしまおうとする人々を描いてある。しかし空に向かって振り上げた手の先にある石は小さな人間である。それを上空から降りて来た巨大蛇が口に当てている。

f:id:curlchigasaki:20200806193007j:plain

ポール・セザンヌ 「大水浴図」部分 1894~1905年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

この寝ころんだ裸の女は異常に太っているが、どうやら奥と手前の二人の女がほぼ重なっているらしい。尻や背中の線が二人分ある。二人とも両手を揃えて上から来た神に捧げ物をしている。手に持つのは(形がよく捉えられないが)小さな人間であろう。

f:id:curlchigasaki:20200806193032j:plain

サンドロ・ボッティチェリ 「プリマヴェーラ(春)」部分 1477~1478年 ウフィツィ美術館フィレンツェ

上に向かって上げられた手の先に小さな人間がいる。彼らはどこかで狩ってきた人間たちを衣のように身に纏い、髪の毛のように頭にかぶり、上空で控えている蛇神たちに生贄を捧げている。

f:id:curlchigasaki:20200806193050j:plain

エル・グレコ 「ラオコーン」部分 1610~14年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

絵の画面右上にいるこの人々は神話上の神らしい。上空の蛇神に手先や頭の上に乗せた小さな人間を与えている。一番右の人物の顔がおかしく見えるのは恐らくこの部分が生贄の人間の塊で出来ている事を鑑賞者に気付かせる為にわざとおかしく描いていると思われる。彼らは素っ裸のように見えるがよく見ると小脇に人間を挟んで持っている。また彼ら自身も人間を常食している事を示すように、空らの身体は人間の身体の組み立てで出来ている。人間を構成していた有機物が彼らに吸収されて彼らの身体になっている事を示しているのだと思う。

f:id:curlchigasaki:20200806193118j:plain

ギュスターヴ・クールベ 「もの思うジプシー女」 1869年 国立西洋美術館

女の肘をついた左手には小さな人間が髪の毛のふりをしながらたくさんいる。それを空から蛇神が喰っている。また彼女の目線の先、画面の左下にもトカゲの横顔のような蛇神が一匹いる。うっすらと気付かれにくいような微妙な濃淡で描かれている。そいつも女の右肩に乗った小さな人間(髪の毛に見える)に口を付けている。

この絵では女(巨人)自身も喰われる運命にある事が暗示されている。女の頭に喰い付く巨大蛇神が壁の中にいるし、女の下半身が右の奥にブラ下がっているからだ。壁の右端の茶色い部分は降りて来た神にも見えるが、女の横向きの下半身にも見える。右手の肘から先の色も変わっているし左手の胴体との繋がりも不明確で、首自体も色が変わっていて赤っぽくなっている。この女は身体をバラバラに分解されて喰われる運命を示唆しているのだろう。

f:id:curlchigasaki:20200806193150j:plain

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「大水浴図」部分 1884~87年 フィラデルフィア美術館

両手の先に持った人間を上から来た神に喰わせている。

手前の女にさえぎられて分かり難いが、この女の足は異様に長い。切られた足がそこに置かれている感じで、恐らくこの女も手足を切られて呑まれるのだろう。

f:id:curlchigasaki:20200806193210j:plain

ポール・ゴーギャン 「楽しい島(Te Nave Nave Fenua)」部分 1982年 大原美術館

この女の右手先、左手先をよく見るとはっきりと何かを持っているのが分かる。背後の巨大蛇神に人間を喰わせている様子が描かれている。

f:id:curlchigasaki:20200806193228j:plain

ピーテル・パウルルーベンス「ヴィーナスの戦車」部分 1630年 スウェーデン国立博物館

ヴィーナスの銅像と見せて実はヴィーナスその物であろう。右手に持つのは蛇神を呼び寄せる通信機とも見えるが、単に小さな人間かもしれない。左手の先、右手の肘の辺りにも人間がいる。左手と身体でも人間を挟んで持っているらしい。おなかがぽってりと膨らんで見えるのはそのせいだろう。

f:id:curlchigasaki:20200802201330j:plain

エドガー・ドガ 「ベレッリ家の肖像」部分 1858年~67年頃 パリ・オルセー美術館

黒い衣服の家庭教師(?)の左手が裏返っている。後ろの棚の上にある何か分からない大きな貝殻のような物は大蛇の頭である。左手にある人間をこの蛇に与えている。肩に二つの足を乗せているが、これは手前の二人の女の子の足であり、これも蛇に与えるのであろう。この家庭教師の女のような人間の姿をした蛇神の協力者が、現在でも政治家とか、指導者とか、有識者とか言った形で社会の中に紛れ込んでいるのだろう。もちろん大昔のような巨人ではなく人間と同じサイズで・・・・。

f:id:curlchigasaki:20200806193332j:plain

レンブラント・ファン・レイン 「キリストの説教」部分 (ハンドレッド・ギルター・プリント) 1646~50年 リンクス美術館(オランダ)・メトロポリタン美術館アメリカ)等

病気の赤ん坊を掲げてイエスキリストに見せようとする若妻。この部分図ではイエスの右手辺りも見えている。イエスは別の子供を小脇に抱えており、またこの赤ん坊を若妻から受け取って神に捧げようとしているのだろう。この若妻自体は赤ん坊の母ではなく、どこかで人間狩りをして来たイエスの仲間であろう。

現在の世界で行方不明者・失踪者・蒸発者とかがたくさんいるらしいが、彼らはこう言った神の協力者にさらわれているのだろう。戦争時の戦場・疫病流行時の病院内においてさらわれる人間がいて、この絵のように神の子や神に生贄として捧げられているのだろうか。児童養護施設と言うのも怪しい。

f:id:curlchigasaki:20200806193350j:plain

ポール・ゴーギャン 「イア・オラナ・マリア(我マリアを拝する)」部分 1891年 メトロポリン美術館

女の肩に乗った子供は神への捧げものである。この子の他にも女は別の人間を両脇に抱えている。

f:id:curlchigasaki:20200806193421j:plain

エドゥアール・マネ 「鉄道」部分 1873年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー 

右の女の子はどこからかさらわれてきた子であろう。右手が無い。左の夫人がこの子を捕まえて来た。この女の左手は膝の上の本の所には無く、背後の鉄格子の奥で女の子の右手を持ち、白っぽい巨大蛇神に喰わせている。(女の左手の一部を肌色の小さい人間とおもえる物が隠しているので手っぽく見えないように描いてある)

f:id:curlchigasaki:20200806212426j:plain

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖アンナと聖母子」 1508年頃 ルーブル美術館

聖母が手を掛けている子供はイエスではなく、神の食糧となるその辺で捕まえて来た子供であろう。この子の手の中の羊は小さな人間で組み立てられている。画面右上から大きな蛇神が喰い付いている。羊型にまとまった人間たちに喰い付く地上を這う大蛇もいる。聖母とその母アンナは生贄を少し横取りして喰いながら口から血を滴らせている。神に人間を与えながら自分たちもそのおこぼれにあずかって喰うと言うのも協力者たちの特徴である。奴らは冷血動物の血が濃いから道義も礼儀も無いし、ましてあたたかい感情など全く無い。

f:id:curlchigasaki:20200806193519j:plain

ポール・セザンヌ 「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」 1904~1906年頃 ブリジストン美術館

手前に人間の女が横たわっている。股を開いて出産している。助産婦が一人の赤ん坊を取り上げ、上方に掲げている。赤ん坊は真っ黒である。死産だろうか。こんな赤ん坊さえ蛇神は上方から喰いに来る。

f:id:curlchigasaki:20200806193544j:plain

ヴェロネーゼ 「ルクレティア」 1580年代 プラド美術館(スペイン・マドリード

剣で胸を突くローマの貞淑な妻ルクレティア・・・・と見せて実はこの女、出産したばかりの赤ん坊を神に喰わせている。画面右下に四つん這いで出産している女がいる。椅子の背に衣装を掛けているのではない。出て来た赤ん坊を左手で持ち、右手の剣でその子を突き刺している。ルクレティアの視線は左下に注がれているが、そこに蛇神がいる。ここでは上方からでなく下から大きな頭を持ち上げて口を開いて赤ん坊を呑み込もうとしている。

画面右上のカーテンは大きな女の尻にも見え、彼女が左手で持っている赤ん坊はここから出て来たようにも見える。

f:id:curlchigasaki:20200806193608j:plain

ニコラ・プッサン 「アルカディアの牧人たち」 1638~1640年頃 ルーブル美術館

 まだ出産されない胎児の状態でも喰われる場合がある。

この絵では牧場の主人が若い牧童を後ろから性交してして繁殖行為をしている。墓石に見える大きな女の身体(四つん這いになって尻をこちらに向けている)の中に胎児(墓石を指さすしゃがみこんだ男の手の向こうに影があり、それが胎児の形になっている)がいて透けて見えている。それを牧童たちは指さし示している。胎児と四人の人物を巨大な神が全て呑み込むように被さっている。人間がニワトリの卵や魚の卵を喰うように、神も人間の胎児を喰うのだ。

墓石に描かれた銘の意味は、「神は出産前の胎児の肉体でさえも喰う」と言う事だと思う。

この絵に描かれた四人の人物は神への供物を調達し指し示す協力者である。

龍の上の補助者

ティツィアーノの横たわる裸婦を調べていて気付いた事がある。画面全体に隠れている神の像の鼻先に裸婦が乗っている事である。

f:id:curlchigasaki:20200801204836j:plain

テレビの「まんが日本昔ばなし」のオープニング映像にこの絵がある。空を飛ぶ龍の上に子供が乗っている画像だが、ティツィアーノの絵はこれによく似ている。龍には三本指の手や角・口ひげ・背びれ等があってもこれは大きな蛇である。これは横山大観その他の龍の絵を調べた結果、蛇である事を知っている。角や口ひげも別の蛇が絵の中でくっ付いているだけであるのが見て採れた。この子供向け番組の作者はこの世の支配者とその補助者の事を知っているのではないか。以下東洋・西洋における蛇神とその補助者の画像を列挙してみる。

f:id:curlchigasaki:20200801204945j:plain

国宝「高野山聖衆来迎図」絹本著色 三福 平安~鎌倉時代  有志八幡講十八箇院蔵

阿弥陀様が眷属を引き連れて西の空からお迎えに来る。しかしその正体は巨大な蛇神である。この画像の中で阿弥陀は膝の上に人間を乗せて神の鼻先に乗っている。あたかも神を案内して地上の人間を喰う場所に連れて来たような形になっている。

f:id:curlchigasaki:20200801205014j:plain

国宝 「山越阿弥陀図」 鎌倉時代 13世紀 京都国立博物館 

この絵でも阿弥陀が山(人間の山)の所に蛇神に案内する為に鼻先に乗っていると見ることが出来る。また阿弥陀は蛇神の頭の中に入っているので、いづれ人間と共に喰われてしまう運命を暗示していると言う事もあるのかもしれない。

f:id:curlchigasaki:20200801205041j:plain

国宝 「釈迦金棺出現図」 11世紀(平安時代) 京都国立博物館 

分かり難いが、画面全体に巨大な蛇神の頭の輪郭がうっすらとうかがえる。その眼と眼の真ん中に釈迦が、神の口先にその母がいる。地上、神の周りには無数の人間がいる。キリスト教でのイエスとマリアに相当する二人が神に人間たちを喰わせている図であろう。

f:id:curlchigasaki:20200801205101j:plain

重要文化財 一山一寧賛 「松下達磨図」 14世紀 東京国立博物館 

阿弥陀・釈迦に限らず、この絵のように達磨太子のような聖人も蛇神の鼻先に乗って食事の補助をしている。達磨自身も小さな人間を手に持ち喰っているらしい。

f:id:curlchigasaki:20200801205126j:plain

国宝「辟邪絵 天刑星」 平安時代12世紀 奈良国立博物館 

新型コロナウィルスに対抗する神として「アマビエ」と言うのがもてはやされているが、この怪物も厄病神を食い殺す神として描かれたようである。しかし明らかに巨大な蛇神の鼻先に乗って共に人間を喰っている図で、喰っているのは厄病神ではなく普通の人間であろう。

蛇神は絵の中ではこのような巨大な蛇として描かれるが、そのままの姿で地上に降りて来ることは恐らく出来ないのであろう。別の星からやって来たので地球上の生物とは身体の組成・次元が違っている。地上の既存の生命体を食糧にする為に様々な試みをし(遺伝子の掛け合わせを試し)地上の猿に似た生物に自らの遺伝子を組み合わせた生命を創った。それが神話上の神々・宗教上の神・聖人たちで、今の人間に比べて巨人であった。彼らは男女の区別なく一代限りの存在なので、より繁殖力が強くより地球に適合した小さな人間を創った。さらに免疫力の強化のために男女に分け、多様性を付けた。地上に小さな人間たちが繁殖すると、巨人たちに手伝わせて定期的に空から降りて来て食事をする。以後現在までこの状態は変わらない・・・・と、こんな風に思っている。

f:id:curlchigasaki:20200801205203j:plain

ティントレット 「聖母子を崇める二人の伝道者」 1570年以前 ベルリン絵画館

西洋キリスト教のマリアとは、蛇神が最初に創った巨人だったのではないか。もちろん地上の既存の生命体と蛇型宇宙人とのハイブリットである。この絵ではマリアは巨大蛇神の鼻先に乗りながら食糧としての幼児を手にしている。蛇神は地上の伝道者と見える複数の人間の塊を神に喰わせている。

f:id:curlchigasaki:20200801205223j:plain

ルーベンス 「聖母被昇天」 1625~1626年 アントウェルペン聖母マリア大聖堂

この絵は聖母が天に召される所を描いた物では無く、逆に神を案内して地上の人間たちを喰いに降りて来た所を描いてある。マリアの身体に食い物としての人間が何体もへばりついている。

f:id:curlchigasaki:20200801205256j:plain

ミケランジェロ・ブオナローティ 「最後の審判」 1537~1541年 システィーナ礼拝堂(ヴァチカン)

僕には神の顔がこんな風に見える。その鼻先にイエスが乗っている。地獄(地上)から巨大な蛇神が小さな人間たちを口でさらって喰っている。

f:id:curlchigasaki:20200801205319j:plain

ラファエロ・サンティ 「キリストの変容」 1520年 ヴァチカン美術館

イエスの死後復活昇天のこの絵は、日本の「釈迦金棺出現図」とよく似ている。蛇神の上のイエス(釈迦)、右下にマリア(釈迦の母)らしき女が配置され、地上の人間たちを神に与えている。

f:id:curlchigasaki:20200801205349j:plain

レンブラント「キリストの説教」(ハンドレッド・ギルター・プリント) 1646~50年 リンクス美術館(オランダ)・メトロポリタン美術館アメリカ)等

この版画でも同様の構図が見られる。巨大な蛇神の鼻先にイエスが乗り、地上の人間たちを喰わせている。

f:id:curlchigasaki:20200801205411j:plain

ラファエロ・サンティ 「ユリウス2世の肖像」 1512年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ローマ教皇の背後に恐ろし気な怒り顔の神が隠れている。教皇は神の鼻先におり、下半身の人間を喰わせている。教皇自身も後に神に喰われる。

f:id:curlchigasaki:20200801205436j:plain

レンブラント 「ルクレティア」 1664年 ナショナルギャラリー(ワシントンD.C.)

同様にこの聖人も下半身その他の所にいる人間を神に喰わせている。

f:id:curlchigasaki:20200801205459j:plain

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「荒野の聖ヒエロニムス」 1480年頃 ヴァチカン宮殿

地上に人間の身体が散乱している。獅子の身体も人間で組み立てられている。画面全体が血の赤い色で染まっている。聖人ヒエロニムスが神の鼻先で食事の補助をしている。自らの心臓を右手でつかみ取り、その血を桶に溜めて神に捧げている。神は人間の生き血を好むようだ。

f:id:curlchigasaki:20200801205525j:plain

サンドロ・ボッティチェリ 「ヴィーナスの誕生」 1483年頃 フィレンツェウフィツィ美術館

この絵での蛇神の顔は僕にはこう見えたがどうだろうか。蛇っぽくないので多少違うかもしれない。ヴィーナスが鼻先に乗っているとすれば神はこの位置にいるはずだと言う事でこんなイラストになった。ヴィーナスはマリヤと同一の物、もしくは同等の役目を持つ存在だろう。地上に横たわる人間たちの所に神を案内して来た。

f:id:curlchigasaki:20200801205545j:plain

サンドロ・ボッティチェリ 「プリマヴェーラ(春)」 1477~1478年 ウフィツィ美術館フィレンツェ

巨大な神の頭の輪郭がそれとなく見える。真ん中で少し浮き上がっている春の神プリマヴェーラが神の補助者である。

f:id:curlchigasaki:20200801205606j:plain

ウジェーヌ・ドラクロワ 「民衆を導く自由の女神」 1830年 ルーブル美術館

自由の女神が民衆を導く。何処へ導くのか。神の口元へである。

革命とか戦争とかで人々を殺し合わせるように指導するのはこの女神のような存在なのだろう。その殺し合いの混乱に隠れて神が人間を喰いに来ているのではないか。

現在米中戦争を危惧する声が聞こえるが、米中戦争は既に行われているのではないか。過去の戦争のようなあからさまな殺し合いではなく、ウィルスを世界中にばらまく・サイバー攻撃をする等で発生した騒動・混乱自体が現代の戦争の形態では無いのか。そんな中で今の日本のでは、一見魅力的に見える指導者(某都知事)が混乱に拍車をかけている状態では無いのか。

f:id:curlchigasaki:20200801205632j:plain

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「ウルビーノのヴィーナス」 1538年頃 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

前回見たこの絵では、ヴィーナスが神の口先で横たわっている。ベッドのシーツの中に隠れている人間たちを神が喰うのをヴィーナスが補助しているように見える。奥で立っている女も食糧としての人間を集めて神に提供する役目の者だろう。

f:id:curlchigasaki:20200801205653j:plain

エドゥアール・マネ 「オランピア」 1863年 パリ・オルセー美術館 

前々回のこの絵も全く同じ趣旨である。ただこの絵の場合、黒人召使の方が補助者としての役割が強く、横たわる裸婦自体は喰われる存在としての役割が強いように思える。

f:id:curlchigasaki:20200801204856j:plain

「まんが日本昔ばなし」のエンディング曲と共に流れるこの映像が、何か別の意味に思えてくる。すなわち裸の子供二人、ウサギ・クマ・キツネのペアは繁殖を願っているし、「いいな いいな にんげんていいな」と言う歌詞は「人間は喰うにはおいしくていいな」に聞こえる。

現在でも蛇型生命体の人間支配は続いている。地球上に家畜として繁殖させている。その食事の際には人間の姿の似た指導者・英雄その他の補助を得て人間には分からないようにしている。

 

ティツィアーノ 「ウルビーノのヴィーナス」 人間は生贄用の家畜

横たわる裸婦、今回はティツィアーノの作品。

f:id:curlchigasaki:20200728195135j:plain

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「ウルビーノのヴィーナス」 1538年頃 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

見やすくするために明るくする。

f:id:curlchigasaki:20200728195149j:plain

神話の女神像ではあるが、16世紀当時の室内のベッドの上に横たわらせている。綺麗な体の裸婦と背後に従者二人がチェストに頭を突っ込んで衣服を取り抱いている光景が描かれている。ベッドの足の方には犬が丸くなって寝ている。

この裸婦、よく見ると色々おかしな点がある。腹がぽってりと膨らんでいる。足が少し短く胴が長くはないか。右手に持っているのは何かの果実? 素っ裸でベッドの上で物を喰っている? 画面左下でシーツがめくれているのは何故か。

f:id:curlchigasaki:20200728195206j:plain

奥で衣料ケースに頭を突っ込んでいる、この尻の異常に大きな女、これがまず気になった。この女の両腕と頭がどうもおかしい。上のイラストのように腕と頭を大蛇に呑まれているのではないか。

f:id:curlchigasaki:20200728195220j:plain

ヴィーナスの顔。整った美しい顔だが、下唇が赤く染まっているような・・・・。高画質の元絵が手に入らなかったので核心的な事は言えないがどうも怪しい。唇の右端から何かが出ているようにも見える。

f:id:curlchigasaki:20200728195235j:plain

右肩の盛り上がりがはっきりしすぎており、僕にはそこに小さな人間が見える。またこの右手は肩の所で切断されていると思える。赤っぽい髪の毛で隠されているが、何となく切り口がうかがえる。右乳・右肩の膨らみを尻の両丘とした人間が見える。前回のマネと同じである。とすると首も切れているのかもしれない。

f:id:curlchigasaki:20200728195255j:plain

右手に持っているのは葉付きの赤い果物ではなく、小さな血だらけの人間たちであるようだ。葉っぱはそれに喰い付く緑の蛇だろう。ヴィーナスはこの小さな人間たちを喰っていたのである。

f:id:curlchigasaki:20200728195312j:plain

下に落ちているのも血だらけの人間と緑の蛇と思える。

f:id:curlchigasaki:20200728195329j:plain

左手の指の隙間から小さな人間の身体の一部が見えている。ヴィーナスの腹と左右の足が尻の形になっていてヴィーナスの下腹部に向かっている。この三方向の尻から生まれ出た小さな赤ん坊をこの左手は掴んでいるのだろう。

f:id:curlchigasaki:20200728195343j:plain

もう少し高画質の物だったら良かったが、それでも指の間から飛び出ている小さな手や足や頭らしき物が見えるだろう。

f:id:curlchigasaki:20200728195401j:plain

ヴィーナスの右足、膝の下に蛇が顔をのぞかせている。隙間から向こう側が見えると見せかけて実はこちらに出っ張った物体がある、こう言う表現をたまに見かける。

f:id:curlchigasaki:20200728195416j:plain

フェルメール 「牛乳を注ぐ女」 1658~1660年頃 アムステルダム国立美術館

この絵のミルクポットの中には大きな黒い蛇が顔をのぞかせていている。ポットの中の黒い面が見えているのではない。凸面を凹面のように見せているのである。本来なら中のミルクが見えるはずの角度で描かれているのに見えないのはその為である。

f:id:curlchigasaki:20200728195441j:plain

手前に来た左足のかかと部分や右足の指の表現もおかしい。指も長すぎる。恐らく喰われた人間の身体が含まれているのを示したかったのだろう。

f:id:curlchigasaki:20200728195457j:plain

奥の立っている女が担いでいるのは衣装とかカーテンではなく、大きめの人間である。両手でそれを掴んで持っている。蛇神の食糧を運び込む補佐的な巨人族だろう。この女が見つめる左側の跪いた女も食糧の一つであるかもしれない。

f:id:curlchigasaki:20200728195514j:plain

ベッドの上の犬。後ろ脚、前脚の表現がどこかおかしい。よく見てイラスト化するとこんなになった。小さな人間たちが固まって形作られている。生贄の食糧であった。

f:id:curlchigasaki:20200728195532j:plain

またこの犬、部分図を小さくして遠目で見ると、骸骨が横たわっているように見える。

f:id:curlchigasaki:20200728195551j:plain

ハンス・ホルバイン 「大使たち」 1533年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー 

画面の中の骸骨の隠し絵と言えばこの絵が有名である。ティツィアーノのヴィーナスと同じころの作品で、画面下の変な浮かんだ物体を絵を右斜めから見るとそれが見える。ティツィアーノはこれほど露骨では無いが、分かる人には分かるように骸骨を置いているのではないか。ティツィアーノの犬の骸骨は、奥のチェストに頭を突っ込んだ女の頭であるかもしれない。

f:id:curlchigasaki:20200728195616j:plain

ヴィーナスの身体全体を見る。過去に喰った人間の身体で組み立てられている。下腹部に集められた人間の尻から出て来る赤ん坊と、右手に持った人間を喰っている。また彼女自身も首・右肩・左肩・そしておそらく右足首が切断されている。

f:id:curlchigasaki:20200728195645j:plain

全体のイラスト。ベッドのシーツの中にも人間の身体が何体も横たわっている。これら生贄の人間たちを上方からやってくる巨大な蛇たちが喰おうとしている。

f:id:curlchigasaki:20200728195707j:plain

巨大蛇たちの内最も大きな者が画面いっぱいに描かれている。ヴィーナスはこの蛇神に人間を食糧として与える者として存在しているのか、巨大蛇の鼻先に乗っている。キリスト教のマリア像が巨大蛇の鼻先に乗っているのと同じである。

地球上に人間が創られた当初から現在まで、真実は変わってないのだろう。人間は牧場に飼われる家畜であり、時々空から来る巨大な蛇神に喰われている。その食事の補佐をするのがかつてはヴィーナス・マリア・観音等と呼ばれる巨人族たち。太古の昔(教科書で教わる事の無い歴史以前の長い時間)は人間は狩られるだけの存在だった。、現在では巨人族ではなく、より人間に近い大きさの英雄・偉人・政治家・富豪・皇族・貴族・華族たち。その手下もたくさんいるようである。現在ではより秘密裏に生贄の儀式がどこかで行われていると思われる。生贄にされない大部分の繁殖用の人間たちも奴隷のように労働を強いられている。