太古の昔、人間は単に狩られる存在であったらしい。教科書で習う歴史よりずっと前の神話でしか語られない時代の事である。
ピーテル・ブリューゲル 「雪中の狩人」部分 1565年 ウィーン美術史美術館
狩人が担いでいるのはキツネとかの獣ではない。微妙な陰影を繋いでみるとそこに小さな人間が担がれているのが見えて来る。この巨人族は小さな人間を槍で追い、短剣で刺したりして仕留めた物を獲物としてどこかへ持って行く。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「ウルビーノのヴィーナス」部分 1538年頃 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
ヴィーナスのいるより奥の部屋にいるこの女が担いでいるのもやはり人間である。大小の大きさの違う複数の人間を、または一人の人間を担いでいる。一人の人間として見ると女と同じくらいの大きさだから、同じ巨人族の仲間を供出するのだろうか。
ギュスターヴ・クールベ 「窓辺のイギリスの三人の少女(Young Englishwomen by a Window)」1869年 ニュー・カールスベア美術館(デンマーク・コペンハーゲン)
三人の少女のうち、向かって左側の二人の表情がさえない。意識がもうろうとしているか、もしくは死体となっているのか。二人の身体の上に小さめの人間が何体も積み上げられている。右側の気の強そうな少女(イラストでは青)がこの二人と小さめの人間たちを神への生贄として捧げているように見える。
エドガー・ドガ 「ベレッリ家の肖像」1858年~67年頃 パリ・オルセー美術館
家族のポートレート写真の代わりの絵ではない。手前の少女二人には足が一本ずつしかない。手も位置が少し下にずれているか全く見えないかであり、首もどこか取って付けたようにわずかずつずれている。少女たちの失われた足は背後の家庭教師(?)の女の首にマフラーのように掛かっている。後ろの机の上に上から降りて来た長い大蛇が頭を見せていて、そいつに女が何かを喰わせている。この大蛇の頭、少女たちの手を既に呑み込んでおり、その手が透けて見えているかもしれない。
どこかから捕まえて来た少女二人を解体し、神への食糧として捧げている図であろう。
モネ 「昼食」 1870年 ドイツ・フランクフルト・シュテーデル美術館
裕福な家庭の豊かな朝食の風景・・・・ではない。母親と家庭教師の視線の先の幼児には手足が無い。画面左下隅の、こけしのような人形が幼児の今の姿を暗示している。テーブルの左端にあるフランスパンが落ちそうな位置に置いてあるが、これは幼児の片足である。家庭教師のコートの中にいる大蛇に咥えられている。奥のメイドがこの光景をこわごわ見つめている。テーブルの上にあるのは幼児の肉や血であり、上方から降りて来る巨大な蛇神(イラストで青)の為の食糧である。
ムンク 「継承(Inheritance)」 1897~1899年 オスロ・ムンク美術館
遺伝病でやせ細って死んだ子供を膝の上に乗せ、ハンカチを口に当てて泣く母・・・・ではなく、この女は拉致した子供を神への生贄として捧げているのである。供物は白い布で包み、石の台の上に乗せて捧げるのが生贄の儀式のルールであるらしい。この女は椅子に腰かけているのではない(長椅子は途中で切れている)。また生贄の儀式に協力した余禄として自らも小さな人間を口に入れている。
ヨハネス・フェルメール「真珠の首飾りの女」部分 1664年頃 ベルリン国立美術館
窓辺で首飾りを持ち上げている女の手前に大きく描かれたこの部分、ここには神への捧げものとしての人間たちの肉体が積まれている。既に切断・解体されすぐにでも呑み込めるようにしてある。
ヨハネス・フェルメール 「窓辺で手紙を読む女」部分 1659年頃 ドレスデン・アルテ・マイスター絵画館
手紙を読む女の右側に何故かカーテンが大きく描かれている。ここには捕獲された人間たちが吊るして保管してある。逆さ吊りだったりもするが、この人間たちの頭部は既に切られて地面に転がっているようである。
映画に「Mid Night Meet Train」と言うのが有ってYou Tubeで見た事があるが、電車の中で人間を殺し、逆さ吊りにして血抜きをする場面があった。それとそっくりである。また同じYou Tubeでレプティリアンの地下での人間貯蔵の様子があったがそれとも似ている。
定期的に地上に降りて来て人間を喰う蛇型生命体の為にこんな風に人肉を貯蔵しておく施設がどこかにあるのだろうか。
今は太古の昔のように露骨に人間狩りをする事は無く、秘密裏にそれが行われているのだろう。
大方の人間は繁殖用として、一生涯それに気付かないまま死ぬ。ただ家族・親族の繁栄だけを祈願しながら何も気付かないで死んで行く。それはそれで幸せかもしれないが・・・・。