残酷な表現と言うのは真実をそのまま露骨に表しているともいえる。人間は家畜の肉を食べるのにその家畜の殺害現場・と殺現場を見る人は少ないだろう。
エドヴァルド・ムンク 「泣く裸婦(Weeping Nude)」 1913~14年 ムンク美術館(ノルウェー・オスロ)
赤いベッドの上で髪の長い女が泣いている。全裸である。両手で顔を覆っているらしい。ハンカチかタオルのようなものを持っているのか。顔はほとんど隠れて見えない。何があったのか。
ムンクは幼い頃、母と姉が病気で死ぬのを見、その悲しみを繰り返し画題にした画家だからこの女性もだれか親族の死に直面したのかもしれない。それとも全裸でいる事からまた足を広げている事から、男に犯されるか何かしたのだろうか。
ベッド(ソファーにも見えるが)が血の様な赤色で、長い髪が乱れて前に垂れているのが怪奇映画のワンシーンっぽい。右側にある青い物はクッションだろうか。後ろの壁の不可思議な色どりは何を意味しているのか。
髪の毛が両足の太ももまで垂れているがなぜか赤い。尻の色と足の色が若干違う。この両足は切断されているのではないか。切断面にある血の赤が見えている。ベッドも血だらけである。
女の顔。どこが目だかよく分からない。指先の黒い部分がそれだろうか。だとすると目は見開かれて黒目が光っている。
女の顔をトレースしながら詳細に見たらこうなった。女は泣いているのではなく、小さな人間を口に入れて喰っている最中である。黒髪を装った蛇たちも女が持つ人間たちを喰いに降りて来ている。
別の見方をすれば、この女の上半身は全て人間で組み立てられている。大小さまざまな人間の積み重なった山である。
画面右側の青いクッションのような物も人間の積み重なった物である。同時にこの塊は大蛇の頭になっており、女の足に喰い付いている。
画面右下にあるこの部分、判然としないが恐らく女のハイヒールを表しているのではないか。隠し絵として人間の形がいくつも見て取れる。
画面左、ベッドの端はこうではないか。イラストのように人間の胴体である。切断されてあばら骨が透けて見えている。と殺場の牛・豚の姿もこうであろう。
同時に女の尻に喰い付く大蛇の横顔にもなっている。
全体図にしてみるとこんなイラストになった。画面左側に先ほどの人間の胴体があり、画面下端に人間の尻から下の部分が置かれている。
右側のクッションはこんな風にも見える。尻をこちらに向けて座った形の人間である。ロダンの彫刻「考える人」を後ろから見た形である。この人間の身体はまだバラバラになってない。
真ん中の女は小さな人間を喰っているが、この女自身の身体も人間で組み立てられている。だから画面の下半分は大小の人間の肉が散乱し、積み重ねられている。それを上方から蛇どもが喰いに降りて来ている。
蛇の形は後ろの壁だけではなく女の上半身にも見られる。右の青いクッションも横から来た大蛇である。右下隅のハイヒールは人間の足の踵が逆さになって置かれているようにも見える。
画面全体を大きく見ると、こういう物が見えて来る。泣く女(黄色)を鼻の上に乗せて生贄の人間(オレンジ)に喰い付く巨大蛇(青)である。この巨大蛇が全ての肉を喰う「神」である。
上図右はゴーギャンの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」部分 1897~98年ボストン美術館。
生贄の人間はよく石舞台の上に置かれて表される場合が多い。それが顕著に見られるのはゴーギャンの作品だと思う。ゴーギャンのこの絵の中の人々は全て石の台の上に乗っている。ムンクのこの作品においても赤いベッドは生贄の石舞台を表していると思える。
上左ゴーギャン「美しい島」1892年 大原美術館
上右同 「アレオイの種」1892年 ニューヨーク近代美術館
どちらも石の台の上に乗っている。彼女たちは蛇神に捧げられた生贄なのだ。いづれ手足を喰い千切られ、呑まれる運命にある。
現代に生きる者はこんな生贄の儀式を見る事はない。しかし秘密裏にそれが行われている事をこれらの絵画が示唆している。