名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

クールベ 「画家のアトリエ」 人間は家畜にすぎない。

里芋の収穫が忙しい中、大作の分析に取り組んでいる。

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ギュスターヴ・クールベ 「画家のアトリエ」 1854~55年 パリ・オルセー美術館

縦約3.1m×横約6.6mもあるクールベの代表作の一つである。クールベ自身のアトリエだと言う。クールベの後ろにモデルの裸婦、キャンバスの裏に男のモデルがいる。彼自身の解説によれば、画面右側に哲学者・評論家・詩人等の富裕層の人たち、左側に貧困層の民衆たちだと言う意味の言葉が語られている。

違和感がある。非常に大きなアトリエにたくさんの人間たちを入れ、パトロンたちだけでなく貧民層の人たちまで入れて絵を描くところを見せると言うのはどうだろうか。子供や猫・犬までいる。裸婦と男のモデルは素っ裸である。画家の描く絵の中にはこの二人はいない。必要無いだろう。それに画家は筆とパレットは持っているが筆洗や絵具その他の道具を持ってない。女の服は手前の床に雑然と丸めて置かれている。右に窓が有るが、光源がそれとすれば画家の筆先は陰になって見えにくいだろう。画家の描く絵を見ているのは裸婦と子供だけであり、左右の人々は見ていない。本を読んでいたり、うつむいていたり、目をそらしたり、女を口説いたりしていて関心が無さそうである。この絵は何だ。

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細かい所を順に調べて行く。まずは一番目立つ中央の画家と裸婦。

右のイラストのように人間の形が見て採れた。裸婦は小さな人間を手に持ち、口に入れているらしい。画家の不自然に横を向いた髭の下にも人間がいる。拡大して見ると髭部分も人間であるらしい。こいつも人間を喰っている。

また画家の左手は肘の辺りで切断されている。骨が見え赤い血が出ている。パレットの上の指も切断された物のようである。

キャンバスの絵の中には大きな蛇が上から迫ってくる所が描かれているが、同時に人間が性交している所も見える。

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裸婦モデルの足元の布の塊は人間の山積みである。絵の画面の最下段には蛇神への生贄の人間が置かれるのは定石通り。大きさがまちまちの人間が置かれている。

この山積みの背後にも絵が隠れているようである。椅子の下、裸婦の持つ布の中、床の中の陰影をじっと見続けていると怪しげな絵が浮かんで見えて来る。

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不必要なくらい大きな頭上の空間。壁の微妙な陰影を見続けるとこんな絵が見えて来た(上図右)。人間が交接している。後背位である。それが四人くらい連結している。

男女の区別は出来ない(乳房の膨らみも男性器も見当たらない)。背後から覆いかぶさっている人間の尻から子供のような頭が生まれている。男女の区別が無かった時代の描写だろうか。両性具有で、ミミズのように同一の二体が交接して子孫を産む事があったのだろうか。人間の誕生の際には神による試行錯誤があったらしい。最初は蛇神のように大きな巨人族を創り、徐々に小さくして地球に適合させて行ったからこの絵の中の人間も大小様々あるのではないか。

またこの壁には巨大な蛇の顔が同時に描かれている。この部分図全体に大きな頭があり、牙を持った四角い口が左の方にある。右目は黒く左目は白い。貧民層の人間たちに喰い付こうとしている。

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その貧民層の真ん中に描かれているのがこれ。犬の後ろで綺麗な布を持って向かいの男に見せている。アトリエに来て商取引をしているのか。

男の持つ布切れの下に赤く血に染まった人間が尻をこちらに向けて倒れている。向かい合ったこの二人の男、身体が少しおかしい。僕には上図右のイラストのように見えた。真ん中のアメリカ先住民のような赤い男を含めて三人とも口に小さな人間を咥えている。布切れは下の赤い人間を襲う大蛇にも見える。

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画面左側、貧民層の部分全体を見た。大体すべての男が小さな人間を咥えている。また背後の大蛇に頭を呑み込まれようとしている。

それぞれ膝の上や手に小さな人間を持っている。部分図右端の裸のモデルの足元にドクロが置いてあり、赤犬がじゃれついているがその犬の首が無い。ドクロと犬を繋ぐと頭の皮を剥がされた人間がそこに見える。モデルは大蛇に右手の先を咥えられているようだが、よく見ると手首に小さな人間を掛けて大蛇に掲げて喰わせているらしい。絵の中のこの登場人物たちは蛇に小さな人間を喰わせる手伝いをしているらしい。皆うつむいて沈んでいるのは、蛇に人間を喰わせた後自分たちも喰われる事を知っているからなのか。

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今度は画面右側の富裕層。真ん中に綺麗な服を着た女がいてこれが一番目立つ。これのドレスの左下のふくらみが不自然である。時間を掛けて見続けるとこんな風に見えて来た(上図右イラスト)。大蛇が人間を喰っている。

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奥の窓際に描かれているのは、男が顔を寄せて若い女を口説いている場面? いや拡大して良く見ると白いドレスの女が後ろから来た大蛇に人間を餌として与えている場面である(上図右イラスト)。一人の人間の尻を抑えて背中を齧らせている。

女自身も口に赤い人間の足を咥えていて顔が血だらけである。手首にあるのはブレスレッドでは無く、蛇に齧られた跡だと思う。

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画面右側の富裕層全体。ある者は膝の上に小さな人間を乗せ、ある者は背中に人間を乗せ、また頭の上に人間を乗せて上から来る大蛇にそれを与えている。そして彼ら自身も頭を大蛇に呑まれようとしている。

真ん中の女の足元に寝そべって紙に絵を描く子供がいる。遠目には少年は鑑賞者の方を見ているが、拡大して見ると横を向いている。不思議な表現である(近づくと別の物に見えるこの不思議な表現は他の絵でもたまに見つかる。例えばフェルメールの「牛乳を注ぐ女」のポット。中の牛乳が見えないおかしな絵であるが、近づくとポットの中に蛇が入っていてその頭でポットの入り口が塞がれていたりする。凹部分が凸部分であったりする事がよくある)。この少年の首は蛇に咥えられている。紙の上に乗せられた両手はこの少年の手では無く、女の背後にうつ伏せに倒れている人間の足であろう。絵の中の登場人物はいずれにしてもその身体がまともではない。足が手であったり、首が胴体と繋がってない。体の中に別の人間の身体が幾つも入っていて、その組み立てで身体が出来ている。人間を喰うから人間の組成物が体の表面に透けて見えていると言う事なのかもしれない。またこの世は自分たちが思っているのとは違い、あべこべの物なのだと言っているのかもしれない。僕たちは生まれた時から洗脳されて今まで生きて来ている。物事の真実は親や学校から教えられた事とは別物であるらしい。

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これが元絵。明るく調整した物。

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そしてこれが全体のイラスト。何だか汚らしくなってしまったが、上空から来た巨大蛇に巨人族が小さな人間を喰わせている図である事が分かる。上半分の壁の所には巨大蛇神が表されると同時に人間のセックス場面と出産場面が描かれているようである。

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巨大蛇の食事風景と見てイラスト化するとこうなる。新たに蛇に喰われる人間の形が見えて来た。右手の窓のところ、キャンバスのところ、壁の左手にある黒い四角い所、それに左手の床のギター・帽子の所にも人間が隠れていた。裸婦の脱ぎ捨てた服も一人の人間として見ることが出来る。右側の婦人の足元も大きく見れば一人のうずくまった人間である。それらが上方から、横から来る巨大蛇に喰われている。

画面左右下端に正面を向く蛇の顔が見られる。左側はクールベのサインがある所である。クールベ自身が蛇の一族である事を暴露しているのか。それとも蛇の協力者であるのか。いずれにしても人間創造以来蛇型生命体の遺伝子が多かれ少なかれ人間に入り込んでいるのは間違いないだろう。それが多いか少ないかの違いであろう。それが多い者が富裕層になるのかもしれない。

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上が再び元絵。下が人間の繁殖を念頭に置いて見た場合のイラスト。

左に交接する人間がいる。その尻から丸い子供の頭が出て来ている。真ん中に立ったまま交接する(?)人間。この尻からも子供が生まれている。右側には出産する人間か、もしくは生まれ這い出る赤ん坊かもしれない。絵の中の隠し絵の生まれる子供は大抵こんな匍匐前進のような姿勢で描かれるようである。要するにセックス・出産が同時に描かれている。

人間の繁殖。思い浮かべるのは日本神話の中のイザナギイザナミの話である。黄泉の国で変わり果てたイザナミに驚きイザナギが逃げる。イザナミは人間を100人殺すと言う。ならばイザナギは人間をそれ以上創る・・・・確かこう言う話だった。人間を(喰って)殺した分以上に人間を創って繁殖させる。人間は神にとって家畜であると言っているような神話である。

結局人間は蛇型生命体によってその遺伝子を与えられて創られた家畜なのだと絵は語っている。

クールベ 「窓辺のイギリスの三人の少女」 やはり人間は蛇の食糧

不思議な表現方法の絵だ。最初この絵を見た時は、少女の生首が三つ並んでいると見えた。しかしそれだけでは無いらしい。

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ギュスターヴ・クールベ 「窓辺のイギリスの三人の少女(Young Englishwomen  by a Window)」1869年 ニュー・カールスベア美術館(デンマークコペンハーゲン

窓辺に三人の少女が椅子に座って並んでいる。皆画面左方向を見ている。一番幼い少女は窓の外を見ているのか突っ伏している。その肩には白い犬がじゃれついている。真ん中の髪の長い少女の座る椅子の背には赤い上着が掛けられている。

なぜ真ん中の少女は後ろ向きなのか。なぜ皆横を向いているのか。真ん中の椅子の横のグレーのひざ掛けのような物の表現がよく分からない。暗い画面の中で真ん中の少女の髪や椅子の背・ひざ掛けのような物が一番目立つように描いてあるのも理解しがたい。

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細かい所から順に探って行く事にする。まずは向かって右の少女。頬の膨らんだ肉付きの良い健康的な少女の横顔だが、僕にはこう見えた(右イラスト)。人体の寄せ絵で描いてある。同時に蛇の頭も見える。人間の尻が蛇の口あたりである。少女の口に小さな人間がいる。口から顎にかけて血のような物が垂れているように見える。少女の眼は上にいる人間の尻から生まれ出た子供の頭であるようだ。f:id:curlchigasaki:20191104095815p:plain

岸田劉生の麗子像のように大きな頭には蛇と人間が隠れていて、こういう小さな部分でも蛇による食人が表現されている。

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真ん中の少女も頬が膨らんでいてその為に口が見えない。物を喰っている事を示しているのではないか。髪の中に大小さまざまな人間が隠れている。頭頂部には人間が二人重なっていて、背後から性交する男女を表しているらしい。尻から子供を産んでいるらしい部分もあちこちにある。

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向かって左の少女。ほぼ完全に白目をむいている。瞳は上方に上がりきっているようだ。唇が血のように赤く、手前の犬も何かおかしい。眼が異常だ。

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この少女も犬も人間と蛇の組み立てで出来ており、蛇が人間を襲う場面を至る所で表現している。少女の耳の後ろの豊かな髪の部分では、男女が重なって性交しているらしい。子供も産んでいるように見える。

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三人娘を揃えてみた。

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画面の下半分。何の意味があって描かれたのか分からない部分だが、やはり人体と蛇が隠されている。

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全体のイラストにしてみるとより分かってきた。今まで見て来た小さい人間よりも少し大きな人間が少女たちに張り付いている。左右の少女の頭では大蛇が小さな人間を咥えている。真ん中の少女の背から椅子の背に掛けて、大きめの人間が山積みになっている。やはりどの絵でも大抵そうだが、画面手前部分には蛇神に捧げる生贄の人間の山が築かれていた。少女の背に張り付くように乗っている人間・その前に屈曲した人間・赤い上着の中の前屈姿勢の人間・ひざ掛けにも見えた左右のグレー部分も前かがみの人間である。椅子の背の黒い部分も前屈した人間かもしれない。少女の後頭部の方から大蛇が一番目立つ後ろ姿の一人の人間の頭を咥えこんでいる。

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これがおかしな表現だと思う所である。三人の少女は本来の椅子に座る形以外に上図右のイラストのような、別の姿勢が見られる。中央の少女の座る椅子の背に掛けられた上着は左の幼い少女の尻となっている(イラストでは赤・椅子の背を突き抜けている)。真ん中の少女は椅子に座らず尻を見せて立っている(イラストでは黄)。右の少女は椅子に座ってはいるがその足先が二人の少女の腹の下あたりにあるらしい。つまり三人の少女は生贄のように積み重ねられている。これを巨大な蛇神が一呑みにしてしまうと言うのだろうか。

三人の頭部はその身体と微妙にずれている。少し奥まって離れているから恐らく胴体と繋がっていない。

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上図左は蛇を中心に見た物。上から下から蛇が集って来ていて人間に噛み付いている。少女たちの頭にもそれぞれ喰い付く蛇が背景の中にいる。画面下部の暗い所に新たに隠れていた人間を見つけた(イラストで黄色)。画面右下には人間を咥えたままこちらを見つめる大蛇もいる。この蛇はいかにも「人間は俺たちの食糧なのだ」と言いたそうである。

上図右は大きく見た場合の蛇画像。三匹の巨大な蛇が画面の中の全てを呑み込む。左上から窓の手すりと真ん中の少女の髪の結び目を眼にした蛇(青)。右上にも巨大蛇(緑)。下からは三人を下から呑み込む巨大蛇。顎の裏を見せながらぱっくりと開いた大きな口を閉じた所である。まるでシロナガスクジラ海上に飛び上がるような形で呑んでいる(ただここはグレーのひざ掛けの左右全体で一つの巨大蛇の顔にも見え、三人をまとめて口の中に入れているようにも見える。どちらにしても同じ事だ)。

 

初め簡単な残酷表現かと思ったが意外と解析が難しかった。まだ見えて無い所が多くあるようである。

人間が蛇の食糧だなど荒唐無稽で信じられない人がほとんどだろうが、僕が自分の眼で発見した真実を今後も地道に発表して行きたい。

 

クールベ 「もの思うジプシー女」 蛇によってバラバラになって喰われる女

気分を変えて西洋画を調べてみた。

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ギュスターヴ・クールベ 「もの思うジプシー女」 1869年 国立西洋美術館

Google Arts & Cultureでは「Gypsy in Reflection」となっており、髪の長い女と言う事もあり、聖書の「懺悔するマグダラのマリア」を思わせる題材でもあるのだろう。衣服をはだけて(片方の乳首さえ見せて)髪の長い女が物思いにふけっている。身をひさいで生活をせざるを得ないわが身を思い返して何を思っているのだろうか。

画面のそこここに蛇と小さい人間が隠れている。細かい部分から順に調べた方が間違いない。

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女の顔部分。皮膚にしても髪の毛にしても小さな人間にも蛇にも見えるようになっている。蛇が人間を咥えている部分も人間が尻から子供を産んでいる部分も見える。鼻の下や唇が赤いのは人間を喰っているからだろう。鼻の下はイラストのように人間数体にも見えるが一体の蛇の頭にも見え、唇の所にいる赤い人間を喰っているようにも見える。

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左手の先。手自体も髪の毛にも人間の形が見て採れる。それを後ろの茶色い部分にいる蛇が喰いに来ている。或いは女が手に人間を掴んで後ろの大蛇に与えている。

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女の身体は過去に人間を喰っているのでその表面に人間が浮き出て見える。実際には喰った物を構成する有機物質が別の形で女の皮膚を新たに作っているのだろうが、観る者に分かり易く説明的に表現してあると思える。右乳房は小さな人間の後ろ姿で、その尻から生まれ這い出す子供が乳首となっている。

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女の左腕。肘の出っ張りは大蛇に呑まれる人間の頭である。もしくは生まれる子供である。肘の下の赤い血だまりのような部分は逃げないように押さえ付けられた人間たちと思える。

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背景部分にも人間の形が見える。蛇に喰われる人間・出産する人間が見える。

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全体のイラストにすると作者の意図が見えて来た。女の髪の毛・衣服・背景の中等至る所に蛇がいて、人間に噛み付きまた呑み込んで体内に取り入れている。喰われる人間たちは所々で性交し同時に出産している。

女の左手は肘から千切られ血を出しながら大蛇に上から咥えられている。左手も大蛇に上腕を咥えられていて、胴体と繋がっていないようである。女の背後の茶色い柱のような物は恐らくこの女の尻から下の部分だろう。すなわちこの女は両腕と胴が切断されてあたかも生きているかのように組み立てられているだけである。だから左手の下に血だまりが出来ている。横浜の中華街とかに行くと豚の丸焼きが店頭に飾られていたりするが、それと同様に奴らの食材としての人間が美術館に飾られているのだ。

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蛇を主に見て描いたイラストが上図右。蛇が何匹も重なっており判別しにくいが、右腕を咥える大蛇がいる。左手上腕を呑み込んだ大蛇は上から垂れて来て頭だけこちらに向いているのか。背景左下隅に茶色っぽい蛇が人間を横ぐわえしながらこちらを向いている。

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凄惨な食人画ではあるが、唯一の希望は人間の子供がたくさん生まれ出ている事である。生まれた子供だけを緑色にしてみた。女の頭の上にも尻から這い出る大きな赤ん坊がいる。人間を喰った分だけ増産させようとの意図が見られるが、蛇神の目論見以上に人間の繁殖力は強く、地球上に何十億もの数になってしまった現在、その数の力に戦々恐々としているのではないか。人間すべてが真実に気付いてしまう事を恐れているのではないか。

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画面左下隅の蛇は上図右のイラストのようにも見える。この蛇と女は視線が合っている。蛇の眼には睨んだカエルを動けなくするような催眠的な力を持っているらしい。この女も蛇に睨まれて抵抗できなくなり、殺されバラバラにされ喰われる事になったようだ。名画の中に隠された喰われる人間たちは全く抵抗しないのはこの目によってまず催眠術をかけられるからだろう。もし蛇と戦う段になったらこの目をつぶさないといけない。

 

岸田劉生 「麗子微笑」 不気味な食人の絵

岸田劉生は好きな画家の一人だった。物事を徹底的に突き詰めて描くその求道的精神が感じられて自分の生き方に影響を与えられた。劉生は愛娘麗子の絵を多く残しているが、その中の一枚を調べる。結論を先に言うと反吐が出そうになるほど残酷な表現が隠されていた。嫌になるほど希望が無い。

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重要文化財 岸田劉生 「麗子微笑」 1921年(大正10年) 東京国立博物館

麗子が8歳の時の肖像画で、暗い画面の中で大きなおかっぱ頭の麗子が肩掛けを掛け、右手に赤い毬のような物を持っている。この異様に大きな頭と小さな手・暗い画面に一種鬼気迫る劉生の求道精神が垣間見れる・・・・と思っていた。絵画芸術を突き詰めて真剣に絵を描いて行くとこんな絵になるのかもしれないと思っていた。映画の黒澤明監督も晩年「乱」のような救いようの無い暗い映画を作っていたではないか。

それにしても父親が愛娘をこんな不気味な姿で描くのだろうか。普通なら女の子の可愛らしい姿をもっと明るく楽しく描くのではないだろうか。この絵の不気味さの謎を少しでも解明したい。

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ああ、やはりそうだ。拡大して見ると麗子の口は小さな人間を喰っている。過去にも人間を喰ったから顔の皮膚自体も人間が元になって出来ている。血も垂れている。人間が創られた当初は巨大蛇どもは巨人族を従えていて、奴らは小さな人間を餌にしていたと想像している。名画の中の登場人物は大抵巨人族であり、小さな人間を喰っている。上図左の元絵には口の両端近くに小さな牙が見えている。

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麗子の髪の中に小さな人間が隠れている。一人の背後にもう一人がぴったりとくっ付いて、後背位で性交しているように見える。また同時に人間は蛇にも見え、麗子の右側頭部の膨らみなどは人間の尻のふくらみにも見えるが、蛇の頭のふくらみにも見える。この蛇は人間を数人咥えており、人間の足だけが口からぶら下がっている。

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右手に持つ毬のような物は蛇の頭であろう。両目が見えるし、ギザギザした歯も見える。人差し指は噛まれて血が流れている。

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手と毬の蛇の部分をイラスト化するとこうなる(上右)。毬の蛇は人間の身体で出来ている(人間を喰っているから)。

人差し指の下に赤い人間がいる。麗子に掴まれている。蛇にこの人間を喰わせるために持っているようである。小さな人間は巨人族が手助けして蛇に喰わすが、巨人族自身もいずれ蛇に喰われると言う事か。

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この右手、肘から上が無い。顔と比較して異様に小さな手だから他の娘の手を持ってきてそこに置いてあるのか、または手の大きさは正しく、麗子の頭が鑑賞者の方に突き出て大きく見えるのか。

この手の切断面の下に髑髏がある(イラストでは黄色くした)。上向きの横から見た髑髏で目・鼻の孔・口・歯も描かれている。肩掛けの下端の白い房はこの髑髏のあばら骨か手の指の骨でもあるだろう。

麗子の右手は毛糸の肩掛けの中に隠された大蛇に喰われている。

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麗子の身体の中に蛇と共に隠れているのは、少し大きな人間である。一人は麗子の胸の所に白骨化した顔を見せる前屈した人。この人の足が麗子の右手と繋がるのかもしれないがそこのところがよく分からない。この人の胴が麗子の上腕になるので麗子の上腕は下碗に比べて太い。

もう一人は麗子の左肩を尻にした人。この人の頭は麗子の髪の後ろに突き出ているように見える。この人の胴体が有る為に麗子の頭が本来あるべき位置からずれて手前に突き出ているのではないか。言い換えればこの人の背中に麗子の頭部だけが乗っている。麗子は頭部と手先だけしか無い。

またこの人の脇・麗子の髪の下端に隠れて人が見えるのは僕だけだろうか。

肩掛けの向かって右側の下端の房は人間の手の指の様だ。

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背景の茶色い壁の中に人間がいる。腹這いになって折り重なっている。頭が右を向いているのか左を向いているのかはっきりしない。性交して同時に子供を尻から産んでいる。

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全体図にした。所々蛇の頭にしか見えない所があって(イラストでは白抜きにした)、その蛇の口先には必ず小さな人間がいる。

画面右下、肩掛けの下端はイラストのように人間の手指と頭・肩ではないだろうか。

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全体を蛇中心に見るとこんなイラストになった。肩掛けは蛇で出来ている。こいつらが餌となる麗子の手や胸に集まって来ている。下端の骸骨はもう喰われてしまった人間。麗子の右手は毬の蛇だけでなく肩掛けの蛇にも人間を与えている。

麗子の後ろに巨大な蛇が大口を開けている。今にも呑み込もうとしているようである。この表現は肖像画で多用される。結局全てを最終的に喰うのは巨大蛇族だと言っているかのようである。人間に対し自らを神と呼ばせ崇めさせている悪賢い生命体である。

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この絵はレンブラントユダヤの花嫁」(1667年 アムステルダム国立美術館)の部分図であるが、麗子の手に持つ蛇の餌とこの花嫁が手に持つ蛇の餌の表現が同じである。

この女は金と宝石をもらって男に胸を触らせているのだが、右手に持つ金貨の入った赤い袋は蛇である。手の下に麗子像よりも少し大きな人間がブラ下がっている。服の中に隠れた大蛇にもこの人間を喰わせている。名画の中の登場人物たちは蛇神の為にその食事の手助けをする。17世紀オランダのレンブラントも20世紀日本の岸田劉生も蛇神の手下と言う事では同じなのだろう。

 

尊敬していた岸田劉生も悪魔の手先である事が確認出来て希望が持てない。名画の中にヒントが見つかればと思って日夜トレース作業をしているのだが、またこんな残酷な絵を見つけてどうも気持ちが暗くなってしまう。それが目下の悩みである。

尾形光琳 「太公望図」 人間を家畜として育て見守る

今回も引き続いて日本の名画を調べる。

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重要文化財 尾形光琳 「太公望図」 江戸時代 京都国立博物館

後に周の文王の軍師となり斉の始祖となる呂尚は、初め他人に認められず落胆して渭水で釣りをしていた。占いで人材を得ると言われた文王は呂尚と邂逅し、重く用いる事になった。呂尚は大公が望んだ者としてその後太公望と名乗る。・・・・と記録にある。太公望渭水で釣りをしている場面を江戸時代中期の尾形光琳が絵にしたのがこれである。

おかしな形の岩棚に乗った老人。後ろの崖も変に丸い。金箔が張られた部分は霞だろうか、これも不思議な形である。川の中に釣り竿らしき線が有るようで無い。この絵は何だろうか。一国の軍事・政治を任せられるような能力を持った自分を用いてくれる人間が訪ねて来るのを待ち続ける姿、一国の軍師と言う地位を釣り上げる為には釣り竿はいらない。ただ寝て待つのみだと作者は言っているのだろうか。

それにしてもこの絵のような岩・崖・川・霞の表現がどうして採られたか。

順に調べて行く事にする。

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太公望の顔拡大図。口の周り、髭の中だけ明らかに色が変わっている。元絵全体図では気付かないが拡大して画質調整すると、口の周りに丸く明るい色の物がある。さらに良く見るとその濃淡の中に小さな人間が数体見える。人間を喰っている事を表しているのだろう。右手となっている所も二体の小さな人間であろう。また目のところ、にこにことしながらつぶっているのではなく、白目をむいて開けているのではないか。

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太公望の身体。衣と見せているが実は食糧としての人間をたくさん貼り付けさせている。右ひざを立てているがここには正面から抱き合った人間(おそらく男女)が見える。ここは同時に(右ひざと見せて)大きな男性器なのかもしれない。

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背後の丸みを帯びた岩は、大開脚した女の出産図にしか見えない。顔らしき所、手らしき所、女性器から這い出る赤ん坊らしき物が見える。

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老人が座る岩棚の先端部分(老人の向かって左下)。人間の顔が見つかる。するとその身体も見えて来る。トレースしながらさらに良く見るとその人間の身体は上下に重なっている。どうやら後背位で性行為をしているのだと気付く。少なくとも三組の男女が性行為をしている。彼らの頭は大蛇に呑まれ、その状態で尻から子供を産んでいる。

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老人の右側の地面にも男女交合図が隠れていた。地面の中に単に人間が埋まっていると言うだけではなく、人間同士が交接し子供を作っている。

老人は巨大な男性器の上に乗っている。馬の背であるかのように鞍を乗せそれに乗っている。川に突き出たその巨大男性器の先から大量の精液が流れ出ている。老人の大きな性器から流れ落ちている液も一緒になっているかもしれない。

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画面左下、川の中に岩っぽい物がある。ここにもたくさんの人間が横になっている。岩に付いたコケに見える物はその人間の尻の所にあるので生まれ出た赤ん坊だろう。ここは同時に大きく見れば蛇の頭がいくつも並んでいるようにも見える。

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中国大陸の中の大河の一部と言う事だが、小さな池にしか見えない。僕には人間を製造するための培養液の池と思える。画質調整してもはっきりとは見えないが人間の顔か、蛇の顔の他に人間の胎児の姿が見える。赤ん坊も見える。右の老人が注ぎ入れた精液によって創られた人間がここで育まれているのではないか。

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老人の頭の後ろの訳の分からない金箔部分。太公望の大きな夢を表しているとも思えるが、細かく濃淡を追って行くとイラストのように人間の交尾図ばかりである。この爺さん、セックスの事しか考えてない。

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今まで見て来た部分図を合わせて全体図にした。金箔の部分は大きく見ると後ろ向きで出産している形の女の図になった。この女が卵子を放出し、老人が精子を出して水の中で人間が発生しているのだろう。

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蛇神による食事風景。画中の全ての隠された人間たちはこの巨大な蛇によって喰われる。老人は口の尖った龍のような顔の蛇(青色)の上に乗っている。この蛇は口からよだれを垂らしている。左下の岩も迫りくる蛇(黄色)である。全ての蛇が渭水の水に向かって集まって来ているようである。老人は人間を交配出産させ、育て、蛇神に喰わせる為に見守る役目(牧場の番人・羊飼いの役)を持っているかのようである。

 

人間は巨大な蛇型生命体の食糧であると、どの名画も示唆している。

それが真実なのであれば、それはそれで仕方がないのではないか、と思うようになってきた。人間自身も家畜を残酷に殺して食糧にしているし、それを食わなければ生命を維持できない。動物を食わずに野菜だけを食うにしても、その野菜を食う虫を大量に殺しているのは事実である。人間が地球上での食物連鎖の頂点であると言うのが間違いであるのを受け入れるのはつらいが、奴らも生きるためには喰わなければならない。認識を新たにする必要がある。

この緒方光琳の絵には残酷な表現は一つもない。隠し絵の人間はどれを取っても身体が損壊していない。裸で交配し、出産し、蛇神の体内に素直に取り込まれている。養豚場の主人に優しい人・厳しい人がいるように、蛇神にも(名画の作者にも)色んな性格があるらしい。