名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

狩野秀頼「観楓図屏風」 蛇による食人・増産、こんな風にしか見えない

台風のせいでまた被害が出、収入が落ちそうだ。農業だけでは生活できず、年金を合わせてかろうじて食って行ける状態だが、めげずにやって行くしかない。

今回は狩野永徳と同じ時代の屏風絵。少し丁寧に細かい所から調べて行く事にした。

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国宝 「観楓図屏風」(高雄観楓図) 狩野秀頼楓筆 16世紀 東京国立博物館

狩野永徳の叔父か従兄弟の「秀頼」と言う名の印が画中にある。永徳の「檜図」と同時代か少し前の作品と思われる。京都西北の高雄山にある楓の名所、清滝川のほとりで紅葉狩りをしながら宴会を開いている男女が描かれている。右上に高雄山神護寺があり、中央はその参道に架かる橋らしい。左上には雪を被った愛宕神社。鳥居や参拝する人々も描かれている。

地味な色合いで紅葉の赤はさほど多くない。土色の地面や霞が主で、人物の着物の鮮やかな色と愛宕山の雪の白、川の青色だけが目立っている。

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画面右下の女たちの部分。赤ん坊に乳をやる女、それを見て微笑む女、歩き回る子供たち、皆笑顔で楽しそうだ。酒も入っているらしい。僕としては地面のところどころにある赤いシミのような陰が気になるが。

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画面左下では男たちが宴会をしている。扇子を持っておどけて踊る者、鼓を打つ者、手を打つ者とこちらも楽しそうだ。柿のような食い物も置いてある。後ろの地面の赤いシミの付いた曲線的部分は大きな人体か。

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画面中央一番下に見える岩は、苔むした岩ではなく、人間の身体の積み重なった物である。やはり一番目立つ所にこう言う物が配置される。それが見えると川の中にも、橋板にも何やら怪しげな人の形か蛇の形が見え出す。

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右下隅の岩の部分。人間の形が見て採れる。別の人間に背後から覆いかぶさる人間は恐らく性交している。尻を向けその尻から何か丸い物を出している人間は出産しているのだろう。楽しげに遊んでいる子供たちの足元の赤いシミの中にも人間がいる。この部分図の右端の立ち上がった岩は女の尻であり、赤ん坊を産み落としている。またこの女の腹の部分に胎児が透けて見えている。

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画面左下隅。ここにも人間の山積みがあり、尻から子供を産んでいる。上の楓の樹は人間の繋ぎ合わせで出来ているが、同時にそれは上から降りて来る蛇にもなっている。楓の樹の細かい枝の中にも人体が隠されている。枝を輪郭とした空間に尻を向けた人間が何人もいる。また上から岩の人間を喰いに来た巨大蛇の輪郭も徐々に見え始める。

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画面左上の愛宕神社参道。白い雪は大きな人体であり、神社の樹々は大きな蛇である。大きな蛇神に喰われるために人間たちが参道を登って行く。神社の樹の赤い幹は今喰われている人間である。

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画面右上の高雄山神護寺空海最澄の名が関連付けられて説明される由緒正しい寺であるらしい。この絵をトレースして見ると、この寺には空から来る巨大蛇が人間を喰っている様子が見える。露出した山や木々の中には交接している男女の人間がおり、それらが蛇に喰われている。また雲の中の微妙な陰影の中にも人間や蛇の形が見える。

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画面中央の橋の架かる川の部分は最も重要な部分と思える。対岸の岩は人間が積み重なっており、川の中にも人間がうじゃうじゃといる。あたかもクローン培養液の中のようにも見える。遺伝子を組み替えて人間と言う生命体を創っている現場の光景?

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今まで見て来た部分図を合わせて全体図にした。空白部分も繋ぎ合わせて見ると、至る所で大蛇が人間を襲っており、人間は襲われながらも交尾し出産していると言う図である。

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空からやって来た巨大蛇が人間を襲い喰うと言う事を念頭に置いてイラスト化するとこうなる。画面いっぱいを埋め尽くす巨大蛇ども、その口先には餌となる人間の山(イラストでは黄色くした)がある。

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人間の増産と言う事を念頭に置いてイラスト化。

上図上は交接図。小さな交接図もたくさん受けられるがこれが一番大きく見える。青い男の巨大な性器が女の身体を貫いている。杯型の川は男性器であると共に女の子宮を表しているのかもしれない。また男の尻から赤ん坊が生まれている(女=イブが創られる前は男=アダムにも出産能力があったのか)。

上図下は出産図。こんな風に見えた。

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またこんな風にも見えた。画面全体に大きく見て採れるのは生まれ出る赤ん坊の図である。その両腕を蛇に噛み付かれている。この匍匐前進の形で這い出る赤ん坊はこの絵の中にも所々見えるが、大抵後ろ向きの女の尻の間に描かれている。だからここでも尻が見えるはずなのだが、その形が捉えられない。作者に聞いてみたいところだがそれは叶わない。東博学芸員でも答えられない(そもそもこんな風には見えないと言われてしまうだろう)。自分一人の眼で見続けてより認識を深めて行く他無いだろう。

 

 

狩野永徳「檜図屏風」再考 人間の増産による抵抗

この絵を見直してみる事にした。

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国宝「檜図屏風」狩野永徳筆 安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館

巨木の生命力の力強さが、金色の霞により省略化された背景の中で際立っている。織田信長のいた戦国時代、武将の気概や美意識をこの絵が残っている事で垣間見ることが出来る。

・・・・と美術解説者なら言うだろうが、僕はそれだけでは無く地球の支配者からのメッセージが隠し込まれていると見る。前回は巨大蛇の画像が隠れている事を見つけたが、今見直すとまた別の隠し絵が見える。

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向かって左半分(左の2曲と言うのか)にこんな絵が見えた(右イラスト)。大小の人間が性行為をしている。性行為をしながら尻から子供を出産している。西洋画と同じ隠し絵がここでも見られた。左下の池の中の岩は、先回名画の中の残酷な表現と言う事で餌としての人間の山積みとしたが、その人間たちも性行為をしているらしい。左下隅の背中を見せる女は(拡大してよく見ると小さな人間と蛇の形が集まって出来ているが)、大蛇に喰われる人間たちを呆然と眺めている。鑑賞者がこの女の眼を通して真実を見てほしいと作者は言っているかのようである。

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向かって右側の半分、檜の樹の枝にも背後の霞の中にも後背位で行為をする男女が隠れている。分かり難いが出産もしているようだ。

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上が元絵。少し明るくしてある。下が全体のイラスト。観る者に「増産に励め」と言うメッセージを伝えている。

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上元絵。下は蛇神の食事風景の隠し絵イラスト。ここに描いた蛇どもよりも大きな蛇の顔も何となくも見えて来るが、煩雑になって見難くなるのでやめた。最も大きな蛇は左下の岩場の人間を喰おうとする画面いっぱいの蛇が一匹。紺色の池が口で、画面中央にある枝の丸みが目である。もう一匹は右側の檜の幹のY字型を輪郭とする巨大蛇である。下端に口を付けている。

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上元絵。下は別の見方の性行為図イラスト。

緑の男が紫の女の背後から襲っている。女の尻から子供が生まれている。女の尻の上の尖った岩は男の生殖器にも見えるし、また別の見方で見えて来る女の尻から生まれ出る子供かもしれない。女の生むのは一人ではなく、池の中に子供が何人もいる。エルグレコの「受胎告知」(ビルバオ美術館)でも、子供が無数に生まれ出ているように描かれていたがそれと同様か。

右側の檜の樹全体は股を大開脚した女であるらしい。イラストでは赤で描いた。股の間から女の顔が見えるのだが、イラストのように僕は幹の一部をそれとした(或いは紫の女の顔と重複するのかもしれない)。やはり子供を産んでいる。

 

人間は殺されても殺されても、子供を増やす事で蛇神に抵抗していると言えるかもしれない。食糧の増産を計る蛇どもの計画よりも、はるかに多くの人口を持ってしまう事でしか対抗できないのかもしれない。

 

 

人間を恐れさせる残酷な表現が隠されている

人間は損壊した人体・腐乱した人体・白骨化した人体を見せられると恐怖を感じる。それは「死」を連想させるからである。そんな恐怖の絵が名画の中、それも画面最下段の一番目立つ所に隠し絵で描かれている場合が多い。何と言う性格の悪さだろう。いや奴らにしてみれば、人間が家畜を解体調理すると言う事と何ら変わりの無い日常の光景であるのかもしれない。人間は奴らの家畜であり、食糧であると言う現実をさりげなく名画の中に見せているのである。

過去一年くらい当ブログで扱ったそんな残酷なシーンを集めてみた。これでもかと言うばかりに人間は皆食糧となっている(イラストに少し手を加えて分かり易くした物もある)。

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国宝 玉虫厨子須弥壇右側面「捨身飼虎図」  法隆寺

画面下部に太子が虎の親子に身を捧げる場面が描かれている。太子を喰う虎は骸骨にもなっている。左側の崖にも骨が散らばっている。肉を喰われて骨になる事を見せつける絵である。

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国宝「高野山聖衆来迎図」  有志八幡講十八箇院蔵

三福の内向かって左の双下部の岩山と思える部分である。普段見かける蛇よりもはるかに大きく、頭だけで1メートルくらいありそうな巨大な蛇が人間を口に咥えている。奴らはこんな風に噛み付き、生のまま(調理などする事無く)丸呑みするのだろう。

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「地獄草子」の内「火炎地獄」奈良国立博物館

画面右下に日本の絵とは思えないほどのリアルな人体が転がっている。焼け焦げた死体だろうか。

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国宝 狩野永徳筆 「檜図屏風」 東京国立博物館

左下隅に背中を見せる長い髪の女がいる。その向こうの池の中の岩は人間の塊である。生きているのか死んでいるのか分からない。奴らは生きたまま喰うのが好きなようだから、その眼で催眠状態にして積み重ねて置いてあるのかもしれない。 

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ダヴィンチ・ヴェロッキオの合作)「キリストの洗礼」   フィレンツェウフィツィ美術館

川の中に人間の腕や足がいくつも沈んでいる。そのうちの一本は、イエスの衣を持つ天使の千切れた足であろう。蛇神と同類のイエスやマリアは餌となる幼児や子供と一緒に描かれる場合が多いが、この天使もイエスの餌であろう。

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ティントレット 「キリストの洗礼」  カピトリーニ美術館(イタリア・ローマ)

川の中の水草は人間のあばら骨である。頭蓋骨も半分見えている。衣を掛けた岩の向こうに腐乱した、白骨化途中の死骸が転がっている。

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ピーテル・パウルルーベンス「ヴィーナスの戦車」 スウェーデン国立博物館

たくさんの人物が描かれた大きな絵だが、画面中央下部を拡大するとこんな部分がある。赤・白・紺の布が単に置いてあるのでは無い。その下に人間の足、小さな子供の身体がある。この絵は蛇神の同類ヴィーナスの餌として子供がたくさん集められた現場が描かれていた。

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ピーテル・パウルルーベンス 「キリストの降架」 聖母マリア大聖堂(ベルギー・アントウェルペン

アニメ「フランダースの犬」のネロ少年が見たがっていた絵の一つ。イエスを十字架から降ろすための梯子の下(画面右下)に紙抑えの石ころが描かれている。これは明らかに人間の頭である。イラスト化しなかったが、皿の底面は小さな人間の胴体が丸まって収まっていると思える。

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カミーユ・コロー 「ナポリの浜の思い出」  国立西洋美術館 

縦長の画面の一番下にこんな絵が隠れていた。楽しそうに歩く女二人と子供、その三人が数刻後にこういう姿になると言っているようである。大蛇に襲われて呑まれている。

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ジャン・フランソワ・ミレー 「種まく人」 ボストン美術館

画面下部に人間の姿が多く見えた。死んで土となった人間を説明的に表現したものだろう。性交している男女にも見える。この絵には種まく男の手に持つ種袋に胎児も見え、性行為・出産すなわち人間の増産がテーマである事は間違いない。それにしても露骨な表現である。

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ヨハネス・フェルメールリュート調弦する女」  メトロポリタン美術館

画面左下の机の下の暗い部分であるが、ここに人間が悲惨な形で集められている。損壊した数体分の人間が隠すように置かれている。日本では人気のあるフェルメールだが、こんな一見温和な室内画を描く画家が意外に残酷であったりする。

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ヨハネス・フェルメール 「居眠りをするメイド」メトロポリタン美術館

画面最下段ではないが、左下の食卓の上が描かれた部分。皿の横に転がっているのは人間の足であろう。居眠りをしているように見えるメイドの下半身は既に無く、一部はテーブルクロスの下に、一部は皿の横にこの様に露出しているのだろう(壺の後ろの足を分かり易く手前にしてイラスト化した)。

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エデゥアール・マネ 「草上の昼食(水浴)」 パリ・オルセー美術館

画面左下、裸の女の後ろに散乱した果物バスケット・酒瓶等があるが、よく見るとここに人間の手足が散乱している。四人の登場人物の手足であるらしい。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの跳ね橋」 クレラーミュラー美術館(オランダ)

画面下部の草むらは蛇神の餌置き場である。喰われるための人間の身体がゴロゴロと転がっている。実際に左端の大蛇が喰っている。

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エドガー・ドガ 「Breakfast After The Bath(風呂の後の朝食)」スイス バイエラー財団

絵の下半分。女がバスタブから出ようと片足を上げている。

他の見方も出来るだろうが、僕にはこんな風に見えた(イラスト)。大蛇が人間の上半身を咥えている。下半身は無い。遠近法で鑑賞者のすぐ近くにまでその人間を持ち上げている。右の方でも女が二人ほど大蛇に咥えられ持ち上げられている。真ん中にあるのは切断された足か。

 

どの国の、どの時代にも、名画と言われる絵の中にはこんな残酷な表現が隠れている。実際にはこんな光景には出くわさない。なぜならばこういう光景を見た時は既に助からないからである。生き延びて他の人間に伝える事は出来ない。人間と奴らとはあまりにも力の差が有りすぎる。

奴らは余裕を持って僕たち家畜に真実を伝えている。あらゆるメディアの中にそのヒントをほのめかせながら。気付けるなら気付いてみろと言わんばかりに。

 

ゴーギャン 「我々は・・」 追加

前回のゴーギャンの絵の中で、気になる部分がいくらかあるので付け加えたい。

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画面中央下部、一番目立つ所にこんな光景がある。物を食べる子供の右側、何かを空に捧げる青年の左側である。猫が二匹いる。この猫の後ろに赤味がかった肌色の物が転がっている。

この肌色の物体は人体の一部ではないか。頭や胴体が切断されてバラバラに置かれた人肉ではないか。他の部分の隠し絵の中の人体は人の形を保っているが、これは切断され血の色をも見せている。イラストにすると上図右のようになった。猫が人肉を喰っている。

猫の身体は人間を喰っているから人間の形で構成されている。

地面の青い部分・灰色の部分にも人体が転がっているが、この肌色の部分はそう言う隠し絵では無く実物が存在する。明らかに果物では無い。すると右の青年が高く掲げているのはこの人体からもぎ取った心臓であるか。

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残酷な表現が画面の一番手前に描かれていたが、他に気になる部分がある。

画面向かって左奥の神の像の左側に、ホタテ貝のような物に包まれた女がいる。これは何か? 肌色の大蛇が大口を開けて女を呑み込もうとしている様に見える。またこのホタテ貝は女性器であり、女が生まれ出る瞬間にも見える。

ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」をも彷彿とさせる。

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拡大し、イラスト化して見るとこんな風になった。肌色部分は二人の人間である。

聖書の記述では「アダムのあばら骨からイヴが生まれた・・・。」とかあったがそのイヴ誕生の瞬間にも見える。

僕が一番強く思ったのは以下の光景である。その周りは人食い大蛇で一杯である。一人の女を大柄な男が身体を丸めて蛇から守っている。男の背や足には蛇が取り付き、上からくる大蛇に今にも喰われそうになっているが、少しでも女の死を遅らせようと身を挺してかばっている。

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この絵はゴーギャンの「 Upa Upa(The Fire Dance)」1891年(イスラエル美術館)の部分図である。女を抱きかかえる男・肩を寄せ合う男女が描かれている。

右の仰向けになった女は腰から下が既に大蛇に呑まれている。男はその女にキスをするかの如く顔を近づけている。

この絵は「我々は・・」より6年ほど前に描かれた物だが、ホタテ貝の男女と共通するものを感じる。「愛情」・「哀しみ」と言った物が表現されているのではないか。

 

同じ蛇型生命体仲間でも色んな性格の持ち主がいるらしい。自分たちには無い「愛情」とかに特に興味を示し、悲しい運命の弱い人間たちを憐れみ、畏敬の念すら持つ個体もいるのかもしれない。

ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 再考

 ゴーギャンの代表作を再び調べる事にする。今回はより細かく丁寧に見た。この絵の題はこのブログの趣旨と一致し、僕の残りの人生で解明したい事柄である。

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ポール・ゴーギャン 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」 1897~98年 ボストン美術館

ゴーギャンはこの絵を描き終えたのち自殺を図ったと言う(Wikipedia)。絵の中にそれほどの何かを込めてあるのだろう。何が描かれているのだろう。ゴーギャン自身が言うように「人生のはじまり・成年期・老年期」を表しており、左端の鳥は「言葉は無力である」事を表しているという通り一遍の説明で解説で済むのだろうか。もっと別の意味が隠されていると思う。

前回調べた時に、この絵が蛇で満ちている事を知った。蛇が人間を襲っている事を知った。絵の中の人物10人ほどのポーズがそれぞれインパクトがありすぎて意味深であるが、それを考えていると本筋を見失うので注意しなければいけない。

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一番目立つ中央の青年。顔がでかい。肩幅が狭い。左目の下にあざのように見える物がある。口が斜めに曲がっている。何を手にしているのか。そもそも何をしているのか。疑問点がいっぱいである。おそらくマンゴーのような果物を収穫しているのだろうが、樹そのものが描かれていない。

精査して見ると体の中に小さな人間が入っている。その人間は同時に蛇にも見えるように描いてある。例の「人間を喰った、蛇の遺伝子を強く持った巨人」であるようだ。顔も小さな人間と蛇で描かれている。両手で掴んでいるのは、大きく見れば蛇の頭である(赤っぽいから心臓の可能性も捨てきれないが)。その蛇の頭の中でもより小さな蛇が人間を襲っている。この巨人の青年は蛇に小さな人間を喰わせているらしい。いわば蛇神に生贄の人間を捧げていると言って間違いないだろう。

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画面中央手前の子供。この子の食べているのは人間である。この子の身体自体も人間の形の集合体で、食べた物が透けて見えていると言った描き方である。

子供の服の中・後ろのヤギの胴体・その後ろの地面には人間の交接図が隠れていた。

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右端の赤ん坊は寝ている? いやよく見ると白目をむいていて、死んでいるのではないか。この子の身体も大小の人間(同時に蛇)の組み立てで出来ている。

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画面右半分。中央の青年の身体に隠された人間は、逆立ちをしている。太い両腕を地面に着け、頭は右太ももの所に隠れている。両足を高く上に上げている。鎖骨の辺りが尻である(この表現はゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」の子供の身体でも見られた)。でかい頭が尻から出ているが、これは出産を意味しているらしい。他の人物も上下逆さまの人体が隠れているかまたは人体が数体集まった物である。皆上になった尻から頭を出産している。

人物の背後には蛇どもがたくさんいて人間に喰い付いている。中央の青年やその右に立つ二人の女は背後から大きな蛇に呑まれそうだし、右奥の遠景では人間が数匹の蛇に寄ってたかって喰われている。カラフルな地面には人間の身体が幾つも横たわっているようだ。

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画面左側。左端の老女(逆さになった人間が隠されている)は単に死の恐怖に怯えているのではない。神への生贄の人間が目の前で残酷に喰われている事に恐怖しているのだ。青い神の像の足元の台は人間で出来ている。左右のくねくねした木の枝は空から降りて来た蛇たちであり、人間に喰らい付いている(拡大してトレースしたらイラストのようになる)。手前の子供の後ろにいる猫が喰っているのも人間であるが、もうここでは赤い切断面が見えている。右の猫の喰い付いているのは首の切断された人間かもしれない。その他地面の赤っぽい所は血がしみている所であろう。この老女のように顔をそむけたくなるような凄惨な現場である。

画面右でも左でも、手前に並んだ人物たちはグレイ色の所にいるが、これは生贄の祭壇の岩の色であるからこの人物たちもいずれ贄となる運命である。f:id:curlchigasaki:20190929194134p:plain

全体のイラスト。大量の人間が大量の蛇に襲われている。空から降りて来た蛇神に喰われるために我々は生れ、死す。喰われるために我々は存在すると言っているようである。空色の神の像は蛇神の擬人化でその正体はもちろん地球を支配する蛇型生命体である。

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僕にはこの絵がこういう風にも見える。人間の交配図である。青い男が赤い女の背後から被さって交接している図が画面いっぱいに描かれている。男と女の身体は互いに透けており、その輪郭を辿る事が出来る。ちょうど女の性器の所に肩を寄せ合う女二人が生まれ出ている(小さく見て行けば男女交接図は至る所で見つかるが大きなところだけを見ている)。

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またこんな風にも見えた。今度は頭が逆に右向きになっている。女の性器の所にはホタテガイのような絵があり、男の尻の所にも神の像がある。

子供をどんどん作れと言う命令が隠されている。こんな隠し絵のサブリミナル効果で鑑賞する人間を洗脳している。美術館で長い時間この絵に見とれている人々の脳内にはこういう絵がインプットされているのだ。

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全てはこいつら蛇神の仕業である。

こいつらの手先として絵を描き続ける事に疑問を感じて抵抗するために、ゴーギャンは自殺を試みたのかもしれない。