名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

アングル「奴隷のいるオダリスク」 冷血爬虫類の食人

台風24号のせいでビニールハウスが損壊したのでその補修に時間が掛かっている。風速40メートル近くの風にビニールは破れ、パイプも曲がったので、一部解体し、曲がりを直してから再び組み立てるつもりだ。気長にやって行こう。

 

ドミニク・アングル 「奴隷のいるオダリスク」1839~1840年 ハーバード美術館

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ルーブルの有名な「グランド・オダリスク」ではないのは、こちらの方が面白そうだったから。(この絵とほとんど同じ題の絵が2年後くらいに再び描かれ、アメリカ・ウォルターズ美術館にある。)

イスラムの君主のハーレムに仕える寵姫。楽器演奏者と奴隷が描かれている。この絵にも不自然な所が多くある。

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画面右下にあるのはアヘン・ヘロイン等の薬物吸引器だろうか。

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女は薬物のおかげで別世界に憩っている。素っ裸でも平気である。目の周りが黒ずんでいるのは中毒になっているからか。

ただ気になるのは女の口。舌(?)を出しているが、上唇の下に見えるのは牙か?名画の中の人物は爬虫類人ばかりだからこの女もそれだろう。舌に見えるのは蛇の顔かも知れない。

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見事なプロポーションのこの女、股間に異様な物が付いている。薄い布に透けて見えるのはオチンチンではないか。股の間から顔を出した蛇にではなく、見れば見るほどオチンチンである。この女は女ではなく、豊胸手術をしたニューハーフ? 訳が分からない。社会的な評価の高いアングルが密かにふざけて一人楽しんでいたのか。

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前回「ドーソンヴィル伯爵夫人」で、腕を異常に下に下げて描かれていたのと同様、この楽器演奏者も手足の位置がおかしい。上図右に正しいと思われる位置に修正してみた。両腕は肩の所でずれているのでより近づけた。足は左足が長すぎる、または胴体と離れているので足首から下を右上に上げてみた.足はこれでもまだ違和感がある。この左足は切断されて床に転がされているかのようである。

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この女(胸のふくらみがほとんどないので男かも知れないが)は、口からミミズのような物を垂らしている。絵の傷みによるヒビではない。よく見ると2~3匹の小蛇が口から飛び出ている。こいつも人間ではない。

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奥の奴隷は自分のチンチンを握りしめている。真ん中で割れた着物の間から取り出し、左手の親指と人差し指の間に亀頭を見せて握っている。

ふざけた野郎だ。f:id:curlchigasaki:20181004210351j:plain

全体を見ると上図右のイラストのようになる。

楽器奏者は手足・頭を蛇に噛まれている。手足は噛み切られ、その切断面に蛇がいてそれを咥えて繋いでいる。右足は大蛇に取って代わられ何処か他所に行ってしまっているのか多分無い。画面左下の、何かの容器の手前にある茶色い物体がひょっとして切断された右足かも知れない。

横たわる女(チンチン付きの)は、髪の毛・薄い布等が全て蛇であり、それらに巻き付かれている。拡大してよく見ると体と手足の境目がはっきりしていて、蛇の食人を示唆しているしているかもしれない。

部屋の壁には上から下がってきた大きな蛇どもが例によって描かれている。右の赤いカーテンは分かりやすいが、真ん中のオレンジ色の柱も大蛇であるようだ。

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奥の奴隷が顔を向けている方に何かある。モネの「昼食」では、メイドの目線の先にはパンに見せかけた子供の肉塊があった。ここでも何かあるはずだ。

画面左側には・・・・噴水? 部屋の中に噴水?

楽器奏者の右肩のすぐ後ろに何か人間の手のような物が2つか4つ見えている。その上の物は何か?f:id:curlchigasaki:20181004210433j:plain

人間の上半身に見える。大蛇たちに齧られ、しゃぶられ、半ば白骨化した人間がそこに立っているように見える。その頭と思える場所が赤い。血の流れのようである。頭の上に大蛇が喰い付いているようにも見える。

変わり果てた人間の右側には巨大な蛇が上から降りて来て喰い付いている。またさらに巨大な蛇が後ろににもいる。大口を開けている。その後ろにまた巨大な蛇が・・・・。これらの巨大蛇どもは楽器奏者の頭に喰い付いているようにも見える。オレンジ色の帽子も白いターバンも蛇で出来ているかたそれを咥え込んでいる。

 

なんて恐ろしい表現なんだろう。アングルは几帳面に丁寧に絵を仕上げる画家かと思っていたら、こんな残酷な、崩れた死体の表現をさりげなく入れ込むなんて、冷血爬虫類を恐れて従う事しかできなかったのか。

ミケランジェロ「システィーナ礼拝堂天井画」 寄せ絵で人喰い蛇を描いてある

ミケランジェロの絵は「カリカチュア(寓意画)」だと前回言ったが、正確に言うと「寄せ絵」である。

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江戸時代の浮世絵師歌川国芳のそれが有名(上図右端)だが、ミケランジェロと同時代のアンチンボルトと言う画家も「寄せ絵」を描いている(上図左と中央)。

ジュゼッペ・アンチンボルト(1526~1593年)はイタリア・ミラノ出身の画家。・・・・静物画のように緻密に描かれた果物、野菜、動植物、本などを寄せ集めた、珍奇な肖像画の製作で世に知られる。(Wikipedia) 

ミケランジェロの没年が1564年だからシスティーナ礼拝堂の天井画等彼の 作品も見ているだろう。ミケランジェロの絵が「寄せ絵」である事を気付き、啓発された一人かも知れない。

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ミケランジェロ・ブオナローティ システィーナ礼拝堂天井画 1508~1512年 (バチカン市国

天井と壁の間の隅に描かれた「聖堂の蛇」と言う画題の絵。蛇を崇めないと災厄をもたらすぞと言う聖書の話を絵にしているのだが、ここに「寄せ絵」がある。

右の尻を向けた男とその右の横たわった男とで巨大な怪物のような蛇の顔が出来ている(イラストで黄緑色の部分)。その後ろの4~5人の群像で別の怪物が見て取れる(緑色部分)。黄緑の巨大蛇が人間の足を咥えており、そいつの頭を緑の巨大蛇がまた齧っている。

真ん中の空も蛇顔を作っていて(青色)、人間を下半身から呑み込んでいる。

左の群像も足を残して人間を呑み込んでいる蛇である(薄緑)。

最下段も多分巨大蛇が大口を開けてい人間の足に噛み付いている所だろう(黄緑)。

アンチンボルトや国芳の様に公然と「寄せ絵」である事を知らしめず、隠し込んでいるのがミケランジェロのやり方である。彼の描く人体は立派すぎ、顔も端正に整っていてそれにばかり目が行って誰も気づかない。僕も今まで全く気付かなかった。ミケランジェロの描く理想的な人体に感心させられてばかりいた。しかし別の視点で見ればこういう絵であった。

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礼拝堂天井画窓の上の三角部分の絵のひとつ。背後の子供や爺さんは「寄せ絵」の為に描かれた。この二人は手前の女に喰らい付く巨大な蛇の上あごの為にある。

女の上半身を巨大蛇が大口を目いっぱい開けて呑んでいる。女の下半身は既に蛇の体の中に入っている。女の右手が蛇の眼を形作っている。

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天井画メイン部分の「大地と水の分離」。髭を生やした人間の親父が巨大魚にも見える巨大蛇に喰われる所。赤い巨大蛇の口からピンクの少し小さめの蛇が出て来て、親父さんはそれに下半身を呑まれている。背後の子供の絵は巨大蛇の眼や牙(に見える)を構成する為に描かれた。

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「太陽・月・植物の創造」 神でも何でもなく、単なる髭の親父が巨大な蛇に喰われる図。本当の神(人間がそう思い込まされ、日夜拝んでいる神)はこの巨大蛇の方である。神の姿は親父さんの背後の訳の分からないポーズの4人ほどの人間と衣とで形作られる。親父さんの左脇の下の空間と、金髪の少年の右手の下の衣部分が巨大蛇の眼であると見た。子供の折った右足が口である。巨大蛇の右半分は同時に小さな赤い蛇が振り向いているようにも見える。親父さんの足を咥えているのは別の蛇であるようだ。左足にかぶさって右足をぱっくりと咥えている。

見方を変えるとまた別の蛇が見えて来る。右手の黄色い服の人も蛇の横顔に見えるし、この人自体も青い蛇に喰われているようにも見える。さらに親父さんの体自体のあちこちに蛇の顔が見えている。小さく見れば見るほど人喰い蛇が増えて来る。

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天井画メイン部分の横、ペンデンティブと言う所にある絵「リビアの巫女」。

男のような立派な体格の「巫女」が大きく描かれているが、この人間も上から下がってきた巨大蛇に喰われている。左ひざにかかった衣が上唇、左の子供の白い膝が右眼、「巫女」の尻の下端の不自然な白みが左目だと思う。背後の柱に挟まれた部分がこの蛇の胴体である。この人は膝から下の二本の足を残してこいつに呑み込まれている。

逆三角形の筋肉質のたくましい体・端正な顔立ちに見とれて本質的な物を見逃してはいけない。

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同じくペンデンティブの「デルフォイの巫女」。

同様に上から降りて来る巨大蛇に呑まれている人間を描いてある。下半身をオレンジ色の大蛇が呑み、上から来たものはそれごと喰っているのか。両腕と頭だけを残して巨大蛇に呑まれているらしい。

 

レオナルドダヴィンチやミケランジェロは解釈が難解である。不明確な描き方で、見方によってどうとでも採れる。今回のミケランジェロの絵に関しても、画像を縮小してみたり、薄目にしてみたり、時間をおいて見直したりしてみてやっとここまで分かった。今後見直しの機会があったらまた違う物が見えてくるかもしれない。

ミケランジェロ「最後の審判」 爬虫類の作った嘘宗教の教え

人間は死後どうなるかをずっと考え続けている。

天国行きか地獄行きか、最後の審判で決められる? 閻魔大王に生前の悪行をすべて見せつけられる? どうなるのかミケランジェロの絵に問うてみたい。

ミケランジェロ・ブオナローティ 「最後の審判」1537~1541年 ヴァチカン・システィーナ礼拝堂

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この絵、以前から上の部分がスターウォーズダースベーダーそっくりだと思っていた。この大量の人物を一人一人細かく見て行くのは面倒なので、大雑把に全体的に見ることにした。画像を小さくしてみたり薄目にして見たりしたらダースベーダー以外の物が見え出した。

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上図左は元画像にぼかしやノイズを入れる等画質調整をしてわざと細かい部分を見え難くしたものである。すると中心のキリストが例の巨大蛇の口の中にいる様子が見えて来た。半円形の両端に両眼らしき物が人の頭・人の影で作られている。人の足や腕でその牙が形作られる。これは人体を複数使った隠し絵らしい。

その巨大蛇の頭は同時に半円を描いて蛇行する蛇の体にもなっていて、左に頭と見える画像が浮かぶ。胴体は右に続いている(上図右イラスト、中央の黄緑色の部分)。

同様にしてトレースしながら巨大蛇画像を捉えてみた物が上図右イラストである。全ての人体が複数重なる事で蛇神が浮かび上がる。空の明暗のちょっとした違いも隠れた蛇画像として捉える事が出来る。

上方が天国、最下段の地面が地獄とかの説明を教えられてきたが、どこもかしこも蛇だらけである。人間はその悪魔の蛇の体を構成する一部分であるにすぎない。その巨大蛇たちが空から地上の人間を喰いに降りて来る。

キリスト教の教える「最後の審判」と言うのはどうも胡散臭い。ミケランジェロのこの隠し絵を見れば、死後神の子が一人一人の人間を裁いて天国地獄行きを決定するなど嘘だと分かる(仏教の閻魔大王の存在も同じ)。この絵は嘘宗教のカリカチュアであろう。ちょっと進化した爬虫類どもが人間を騙して支配している事を隠し絵にして教えてくれている。

結局死後の世界は分からない。少なくともこの絵の様子のようではない。爬虫類どもはいつも真実の近くで事実をゆがめて人間に伝えている。

この絵の中に奴らの存在を見つけられた事が唯一の収穫であり、奴らの存在に気付く事こそが奴らの支配の終わりの始まりであろう。

ゴーギャン 「ファイヤーダンス」 生贄の火祭り

ゴーギャンの描くタヒチの火祭り 「Upa Upa (The Fire Dance)」 1891年 イスラエル美術館

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火の周りで人々が踊りを踊っている。座って見物する人もいる。中央に大きくあるのは南国独特の樹だろうか。

この絵も神への生贄儀式の様子を描いてある。

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画面真ん中の樹は、空から来た蛇神である。頭のふくらみ、眼の表現でそれと分かる。その口先には人間の顔らしき物が二つほど見える。座って火踊りを見ている人々にも蛇が張り付き、喰い付いている。樹に擬した巨大蛇以外にも黄・ピンク・緑色をした巨大蛇が上空から舞い降りて来て人間を襲っている。画面のどこもかしこも蛇であり、人間を襲うかもしくは別の蛇に喰い付いている。f:id:curlchigasaki:20180927094723j:plain

画面右手奥の白い装束の女たちは、踊っているようにも見えるが実は巨大な蛇に襲われている。三人の女がはっきり見えるが、三人とも頭を蛇に咥え込まれており、下からも比較的小さな蛇に喰い付かれている。三人とも下半身の色が違っているのは、その色違いの部分が大蛇であって、下半身を呑まれている事を表しているのかもしれない。

右に黒い巨大蛇に噛み付かれ、体を持っていかれている人がいる。その手前には横倒しになった女がいて、これも頭や手を大蛇に噛まれている。

分かりにくいが、この画像の左の方にも巨大な蛇に喰われる人が描かれていると思う。既に着物をはぎ取られ、巨大蛇の鋭い牙で噛まれているように見える(上図イラスト左端の様に)。

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全体図を明るくしてみると分かりやすい。右のイラストで黄色くしたのが生贄の人間たちである。既に喰われて人の形を失っている者・喰われている真っ最中の者・これから喰われる恐怖に怯える者が描かれている。物理的に人間より大きく強い蛇神には抵抗しても無駄だと諦めているか、それとも生まれてきた時から生贄となることが最高の喜びであると洗脳されて来たからなのか、誰も逆らって戦おうとはしていない。

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ゴーギャン 「死霊は見ている」 1893~1894年 埼玉県近代美術館

この絵はゴーギャン木版画集「ノア・ノア連作集」の中のひとつ。皿の上に乗った人肉料理にしか見えない。人間は蛇型爬虫類人の食糧である事をゴーギャンはこれでもかと言うほど露骨に見せてくる。

 

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「The Fire Dance」に戻って、画面右に描かれているこの人物たちを見る。

手前の男女二人は肩を寄せ合い、その向こうの二人は蛇に下半身を呑まれて瀕死の女を男が抱き上げている。

人間はこんな悲しい運命を黙って受け入れるしかないのだろうか。

いや妻や恋人・友を想う愛だけが、この地球を支配している蛇型爬虫類人に打ち勝つ武器になるのだと思いたい。ゴーギャンも奴らの手下に違いないが、奴らに対抗する唯一の手段をこんな形で露呈しているかもしれない。冷血爬虫類である奴らには人間だけが持つ熱い愛の感情には、理解できないものとして畏敬を持ち、脅威をも感じているのかもしれない。

横山大観 「龍興而到雲」 お祭りの生贄儀式

日曜日に畑の近くの神社でお祭りがあった。

「祭り」はカーニバルであり、カニバリズム(人肉食)に通じると誰かが言っていた。神社と言うのは生贄の人肉を保管する場所だという。「祭り」と言うのは蛇神に生贄の人肉を供与する行事であるらしい。それが今でも行われているのかどうか。秘密裏に行われているのかもしれない。

横山大観 「龍興而到雲」 1937年(昭和12年) 島根県足立美術館

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日本の神は龍の形を採ったりする。今回は龍神様の絵を見てみることにした。

横山大観のこの龍は掛け軸に描かれていて、「龍興きて雲に到る」と言う画題である。岩や水のある所から龍が起き上がり、雲の中に入っている。龍の体がどうくねっていて何処から3本爪の足が生えているのか判別できない絵である。

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奈良興福寺の彫刻「龍灯鬼」で以前見たが、そこの龍は蛇の集まりであった。この絵もどうやら同じく蛇の集まりであるようだ。髭の先・舌の先等に蛇の眼らしき点がある。黄色い目玉にも蛇の眼がうっすらと見える。黒目部分はその蛇の口らしい。ただ西洋絵画ほどはっきりとは見えない。

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 3本爪の所にも目がある。

ここでは龍本体よりも周りの雲の中に蛇画像が描かれているのに気付く。

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画面を大きく見ると、どこもかしこも蛇で描かれていて、蛇の形を捉えられないところはない。巨大な蛇の顔を詳細に見ると、その中に少し小さめの蛇の顔が描き込んである。龍の体は比較的小さな蛇の集まりであり、その周りの雲の中に巨大な蛇神がたくさんいる。むしろそちらの方が主体であるようだ。

巨大な蛇神たちは例によって上から降りて来て下の方に口を向けている。下の方にあるのは・・・・

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これは人間ではないか。丸顔の人間が上向きで横たわっている。左に見える体は布にくるまれているのか。両手をエジプトのミイラの様に交差し、膝を折り曲げた形で包まれている。ミレーの「晩鐘」で見たイモ袋の子供を思い出す。それがここでは横たわっている。向こうには小さな子供が口を大きく開け、右手を上にあげている。・・・・と言うより、右手を上から来た大蛇に噛み付かれている。

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全体図を見直すと、この絵はこんな風に見る事ができる(上図右イラスト)。

画面下方に蛇神への生贄の人間の子供がいる。既に喰い始めている。後ろの子供は右手先を噛まれて持っていかれている。

そして龍の右下にも生贄の人間がいた。蛇の連結にも見えるのだが、同時に人間の裸の上半身にも見える。腹から下を巨大な蛇に呑まれて逆さになっている。この人の片手両足は見えないが、ひょっとして画面の中のどこかに描かれているのかもしれないが判別できない。

この絵の中の犠牲者は若い父母と赤ん坊かもしれない。

いずれにしてもこの絵もゴーギャン等が描いた蛇神への生贄の図に間違いない。

 

生贄の儀式の縁日、それが神社の「祭り」。