名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

藤田嗣治「カフェ」 食人の隠し絵

東京都美術館で「没後50年 藤田嗣治(つぐはる)展」と言うのが開かれているそうだ。作品の著作権は作者の没後50年で消滅するらしいからネットで拾った画像でもってこの人の作品を調べることにした。ポスターにも使われているのがこの作品である。

「カフェ」1949年 フランス国立近代美術館

藤田嗣治カフェ1
藤田嗣治カフェ1 posted by (C)カール茅ヶ崎

フランスの美女と結婚し、フランスに帰化した人と言う事で、あこがれの存在ではあった。ただ今思えばこういう有名な人は、やはり蛇型宇宙人の力を借りてそうなったんだろう。人を驚かせる描画力を得るのと引き換えに、人間たちに彼らのメッセージを伝える役目を負っていたのだろう。

この作品はカフェに憩う女を描いているが、女の服の黒さが怪しい。

女の左手が異様に細く、顎を支える位置が変にズレている。本来ならもっと左頬に手のひらを付けるのではないか。

テーブルの上で手紙を書いているらしいが、紙にインクをこぼしてシミになってしまっている。この女何しているんだ。

藤田嗣治カフェ2
藤田嗣治カフェ2 posted by (C)カール茅ヶ崎

高画質な写真が手に入らなかったが、上瞼の両端に蛇の眼があるのが見える。眉毛には蛇の頭のふくらみと白い点の眼がある。鼻梁はその両端に目が見えるからそこが蛇の頭になっているのが判る。

髪の毛は蛇の顔の三段くらい重なったものになっている。

顎に当てた左手は三本指である。耳の上部が四本目の指のように見えるがそうではない。

藤田嗣治カフェ3
藤田嗣治カフェ3 posted by (C)カール茅ヶ崎

黒い服は画質を調整してみると蛇がたくさん見えた。両腕共に蛇同士が互いに呑み合い繋がって連結する事で出来ている。右乳房のふくらみは蛇の正面を向いた顔で出来ている。頭だけで10センチはあるだろう大きな蛇である。細い蛇もあちこちに這っていて気味が悪い。

藤田嗣治カフェ4
藤田嗣治カフェ4 posted by (C)カール茅ヶ崎

右手の拡大図。くねくねした指が三本ある。一番奥に見えるのは指ではなく別個体の同色の蛇の頭。

藤田嗣治カフェ5
藤田嗣治カフェ5 posted by (C)カール茅ヶ崎

新聞ラックの向こうにいる紳士もやはり蛇で出来ている。顔中・頭中蛇で占められていて、帽子までもが蛇で出来ている。窓の桟のふりをした細い黒い蛇が上から降りてきてそのまま帽子の縁を作っている。この男の右上方にはデカい半透明の蛇が口を大きく開けて喰い付こうとしている。

藤田嗣治カフェ6
藤田嗣治カフェ6 posted by (C)カール茅ヶ崎

カフェのマスターらしき人物は後ろ向きだが、禿げた頭が変にごつごつしている。蛇の頭が浮き出てしまっているようである。黒い服と見えるのはかなりデカい黒蛇で、男に喰い付いているし、また肩から垂れ下がっている。左腕には細い白蛇が何匹も垂れ下がっているし、右腕は大きな白蛇が喰い付いているか、細い白蛇が巻き付いている。頭にも茶色い蛇が乗っているし、窓の外の屋根のふりをした大蛇に狙われている。

この男は蛇で形作られたレプティリアンと言うよりは、外部の蛇に喰い付かれ、喰われている最中の人間ではないか。両腕もまだあるのかどうか分からない。男自身も生きているのか死んでいるのか分からない。

藤田嗣治カフェ7
藤田嗣治カフェ7 posted by (C)カール茅ヶ崎

女の前のテーブルにある便せんらしきもの、インクがこぼれているのは何を意味しているのか分からなかったが、画質を調整し、イラスト化してゆく過程で気が付いた。

どうやらここには大蛇に喰われている人間が表されているらしい。

黒いシミが人間。向かって左が大人、寝転んで頭が左を向いている。腰から下は蛇に呑まれていて見えない。右が子供。寝転んで頭が右を向く。片足だけ見えている。どちらもたくさんの蛇に囲まれて喰われている。上図右がそのイラスト化したもの。

モネの生贄の池「睡蓮」を思い出す。たくさんの大蛇小蛇が先を争って人間を喰う。その周りに別の蛇たちが集まって来る。

蛇の眼はたいてい白い点か黒い点で表されることが多い。その点に結び付く蛇の頭を見つける。たくさんの蛇が集まっているその先には必ず餌となる人間の体がある。寄ってたかって口を向けている図は生贄の現場に他ならない。この絵もそうであろう。

藤田嗣治はこんな方法で蛇神による食人図を隠し込んでいた。

ゴヤ「自画像」 冷血な爬虫類の暗示

多くの人が大事にする名作絵画には、必ずと言っていいほど蛇の顔が隠されている。特に肖像画にはその背景に巨大な蛇の正面を向いた顔が描かれている。誰も気が付かないのだろうか。気が付いたのは世界で僕だけなのだろうか。

フランシスコ・デ・ゴヤ 自画像 1815年 スペイン・マドリード・王立サン・フェルナンド美術アカデミー

ゴヤ自画像1
ゴヤ自画像1 posted by (C)カール茅ヶ崎

スペイン最大の画家のひとりと言われるこのゴヤの自画像にも、背景に現実には見たこともない巨大な蛇の正面を向いた顔が描かれている。ひどく暗い背景の中に、Photo Shopで画質を変えなければ見えないほどの微妙な陰影で描かれている。実際に美術館でこの作品の前に立っても、よっぽど目を凝らして、しかもそれが描かれていると思ってみなければ見逃してしまうだろう。人々は皆だまされているのだ。

ゴヤ自画像2
ゴヤ自画像2 posted by (C)カール茅ヶ崎

上図左は暗い部分を明るく変更した物。レベル調整の暗い方のボタンを右にずらし、真ん中のボタンを左にずらすと明るい部分はそのままで、暗い部分だけが明るくなり、微妙な陰影が見えてくる。

頭の周りに一段と暗い部分が、頭を囲うようにしてある。これは巨大蛇の開けられた口の中の暗さだろう。背景上方の左右に蛇の眼がある。上図右にイラスト化した。

背景画面いっぱいに一匹の巨大蛇の顔が見えるが、より細部を見て行くと一匹の蛇の顔の中に別の蛇の顔や胴体が見えてくる。巨大な蛇の顔は上下に三匹ほどが並んでいるようである。達磨落としのように、お供え餅のように、上下に重なっている。上から垂れてくる者もある。巨大蛇の口の中の暗い部分には別の小さな蛇の顔がいくつも並んでいる。ひとつの絵で同時に二つ以上の画像をとらえる事が出来る。

前回の写楽や前々回のムンクの絵の背景と全く同じである。国も時代も違ってはいるが描かれている(隠されている)絵は変わらない。巨大な蛇が人間を喰ってやるぞと脅している。

ゴヤ自画像3
ゴヤ自画像3 posted by (C)カール茅ヶ崎

人物の眼の部分拡大図とそのイラスト。

画質を調整してじっくり何分もかけて観察すると、次第に見えてくる。眼の上下瞼に蛇の頭の形と眼の点。トレースしイラスト化して行く過程でまた別の蛇をとらえる事が出来る。蛇の頭は必ず隙間なく並んでいる。ちょっとした隙間にも蛇の頭がある。絵は全て蛇の形で埋め尽くされている事に気付く。

背景も人物も全て蛇で形作られている。(「森羅万象に蛇神が宿る」・「八百万の神」等の仏教のまたは日本神話の説話通りであるかもしれない。)

黒目部分は正面を向いた黒蛇である。こういう表現は絵筆に絵の具を付けてキャンバスに描いたのではない。何かより進化した写真加工ソフトを使っていると思う。それは電気のオンオフを基にした現代のコンピュータではなく、何か精神の力を加えた念写のような技術かもしれない。(あるいは四次元上に実際に蛇で立体を組み立ててこの三次元に投影している?・・・よく分からないが色々と考えている。)

ゴヤ自画像4
ゴヤ自画像4 posted by (C)カール茅ヶ崎

口の拡大図とイラスト。

絵の所々に蛇の眼を表す白い点や黒いシミが見える。(岸田劉生の「麗子像」でも気付いたが、これは絵の汚れでは無い。意図的な表現である。)その眼を頼りにして蛇の頭が判別できるようになり、右のイラストのようになった。口の隙間に何かが挟まっている。写楽の絵同様、小蛇が顔を覗かせている。その眼を示す白黒の点が見える。小蛇は四匹ほど見て取れる。また口の左右の端から、ミミズよりも少し大きいくらいの蛇が飛び出して長く垂れている。(ダヴィンチの「モナリザ」の口からもこういうのが垂れていて、一度これに気付くと「モナリザ」を見る都度それが目に付く。)

巨大な蛇に喰われようとしている人間が、その口の中に小さな蛇を入れて喰っている。この世は喰うか喰われるかしか無いとこの蛇神は示唆している。冷血な爬虫類の考え方である。

ゴヤ自画像5
ゴヤ自画像5 posted by (C)カール茅ヶ崎

服の部分拡大。ゴヤは1874年生まれだからこの絵を描いたとき59歳。宮廷画家として地位も財産もあるだろうにこのよれよれの服、何の意図があるのだろうか。

それはともかく、この服の暗い部分にも蛇がうんざりする程たくさん描き込まれている。非常に微妙な濃淡で、画質を変えてもなかなかはっきりしない。ただひたすらどこに蛇がいるかと長い時間をかけて見つめているとかろうじて見えたのが上図下のイラストで描いた物。胸の前で3~4匹ほどの蛇がこちらを向いて並んでいる。その頭の上に首の後ろから垂れてきた蛇が頭を乗せている。画面左端には人物と背景にまたがって半透明に蛇顔があり、やはりこちらを向いている。画面右側のぼんやりした部分にも上から真っすぐに垂れてきている蛇が半透明に描かれているようである。

こんな微妙な濃淡の蛇画像は肉眼では全く見えないのではないか。美術館に行っても光の反射や他の人が気になって見えないだろう。しかし実際に人の眼はこれを見せられているのだ。サブリミナル効果と言う物があって何らかの影響を我々は受けている。現代のテレビ等にも蛇画像がいっぱいあって見たくなくてもそれを見せられている。

奴らは人間に恐怖心や従順な心を植え付ける。何千年も前から行われて来た事である。ただ最近奴らの支配に気付き始めた人間が出始めている。

奴ら冷血な爬虫類には理解できない力を人間は持っているらしい。あったかい血の通った人間の持つ「愛」の力は奴らに打ち勝つ唯一の武器であるらしいが、美術品の中に奴らに勝つためのヒントがあると思って研究を続けて行きたい。

写楽「市川蝦蔵の竹村定之進」 背景に人間を食糧としている者の顔が見える

写楽の役者絵の背景にも巨大蛇の正面顔がある。以前に見た「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」には、東博の物・メトロポリタン美術館の物共に背景画面いっぱいの正面顔があった。この作品も同様である。

写楽蝦蔵1
写楽蝦蔵1 posted by (C)カール茅ヶ崎

東洲斎写楽 「市川蝦蔵の竹村定之進」 1794年 アムステルダム国立美術館

東博にも同じ作品の別刷りがあるが、こちらの方が背景の印影が見やすい。

(また、この役者は四代目蝦蔵の前に五代目市川團十郎を襲名していたようでその名前でこの絵が掲示されることがある。) 

写楽蝦蔵2
写楽蝦蔵2 posted by (C)カール茅ヶ崎

背後に巨大な蛇の顔がこちらを睨んでいる。その口のあたりに人間の頭があり、これから喰おうとしているかのようである。

あらゆる美術品にこの表現がある。古代のエジプト壁画から現代アートまで、また広告宣伝用のポスター写真からテレビ映像に至るまでこの表現が採られる。この事は何千年も前から今に至るまで、人間を支配しているのはこの背景に描かれた生物であることを示している。

この絵は版画とされているが、版木に絵の具を乗せて紙に刷る事でこのような微妙な陰影の蛇顔画像が表れる訳はない。人間の描いた物ではない。

巨大な蛇が一匹こちらを見ているように見えるが、二匹以上にも見える。細かく見ると無数の蛇が上から垂れてきたり、人間の頭に登っていたりする。ムンクの「地獄の自画像」は1903年の作だからこちらの方が100年ほど前の作品ということになる。蛇顔の表現が非常に似ている。蛇神工房には国の違いはなく、時代の違いもない。

写楽蝦蔵3
写楽蝦蔵3 posted by (C)カール茅ヶ崎

役者の髪の表現。黒蛇がうじゃうじゃと固まって髪を形作っている。

写楽蝦蔵4
写楽蝦蔵4 posted by (C)カール茅ヶ崎

顔の肌にもごく薄く蛇の眼や頭が見える。画質を変えたり、拡大したりしてみると何となく見えてくる。左目の横にあざのように黒ずんだところがあって、そこにいる蛇どもが比較的見易い。こめかみの上でこちらを向いて口を開けて威嚇するようかのような奴もいる。眉毛は二匹くらいの黒蛇で出来ているし、眼も黒蛇と白蛇で作っている。目玉は黒蛇の正面を向いた顔で、その両目がうっすらと見える。

歌舞伎役者の「見栄」の顔はこいつら蛇どもが引っ張り合って作っているらしい。

写楽蝦蔵5
写楽蝦蔵5 posted by (C)カール茅ヶ崎

口の部分を拡大すると、口は黒蛇と茶色蛇が横に這って作っている。茶色蛇の頭と眼が右向きになっているのが見える。少し開いた口の中に見えるのは歯でも舌でも無く、赤蛇が三匹ほど顔をのぞかせているようだ。こいつらは役者レプティリアンに喰われているのではないか。

蛇神が画家や絵師に描かせた絵には必ず法則のようなものがある。それは巨大な蛇が中くらいの蛇を飲み込み、喰い、その蛇が人間の姿をした者を喰い、その人間の姿をした者も小さな蛇を喰っていると言う、食物連鎖のようなような関係が必ず描き込まれていると言う事である。高画質画像が手に入った肖像画の人物の口の中には大抵小さな蛇が入っている。そいつを噛んで人物の口の中は真っ赤である。

人間は食物連鎖の頂点に立ち、全ての動植物を食べると教わってきたが、実は人間の上にも連鎖の頂点がいる事を絵画等に隠し込んでいるらしい。すなわち人間もその生物の食物であると言う事を・・・・。

写楽蝦蔵6
写楽蝦蔵6 posted by (C)カール茅ヶ崎

上図、上がアムステルダムの物。下が東博の物。アムステルダムの物は画面左下部分が損傷しているので東博の物も参考のためにここに掲げた。

共に画質調整して肌の陰影を見易くした。

三本指のはずだがここでは判別しがたい。ただ右手の揃った指三本には関節がなく、蛇っぽい。左手の指は人間の指にしては長すぎる。作画上の変形ではなく、実際のレプティリアンの手をそのまま描いたのだろう。爪の表現もおかしく、普通と逆だろう。丸みを帯びた方が指先に来るはずだ。爪の周りを蛇が囲っているようである。

この手の形、右手の指先の小蛇どもが何かを喰っているようにも見える。左手の指先の小蛇どもも右手を齧っているのではないか。レプティリアンの体を構成している蛇同士も喰い合う。この世界は喰うか喰われるかしか無いのだと蛇神は言いたいのかもしれない。

ムンク「地獄の自画像」 画家を通して人間をコントロール

ムンクの作品をまた一点。

「地獄の自画像」1903年 オスロムンク美術館

ムンク地獄の自画像1
ムンク地獄の自画像1 posted by (C)カール茅ヶ崎

地下深くにある洞窟のような場所、背後に業火が燃えている。そこにたたずむ裸のムンク自身。顔に死への不安と恐怖が表れている・・・・といった図ではあるが、実はそれだけではない。巨大な蛇に今まさに喰われようとしている人間を表している。ムンク地獄の自画像2
ムンク地獄の自画像2 posted by (C)カール茅ヶ崎

画質を変えてイラスト化してみた。背後に顔だけでも人間の背丈ぐらいはある巨大な蛇の正面顔がある。画面いっぱいに描かれている。画面上方左右にその眼がある。口がちょうど人の頭のあたりの所にある。ちょっと牛の顔にも似た蛇の正面顔である。こういう形で描かれる巨大蛇の正面顔はあらゆる国の、あらゆる時代の肖像画に見られる表現である。写楽の役者絵ににもあった。また写真でも(例えば手塚治虫の古い写真にも)あった。蛇神様はいつでも人間を支配・監視しているぞと言わんばかりの表現である。

ただこんなに大きな蛇に実際に迫られたとしたら、とても抵抗できるものではないだろう。その眼力に惑わされ、恐怖の中で見動き出来ず、ただされるがままだろう。ムンクはおそらく実際にこの巨大蛇を見たのだ。

こんな巨大蛇に人間以上の知能が備わっていて、語り掛けられ命令されたら、それに逆らう事が出来るだろうか。ただただ神のごとく畏れ敬い従うのが多くの人間ではないのか。ムンクはこの世での地位・名声・財産等を強く望み、この異次元の悪魔を呼び寄せてしまい、それらと引き換えに肉体改造されてレプティリアンにされたのかもしれない。(人間には爬虫類脳があり、そこを活性化されたかもしれない。)そして一度改造されてしまったら(体中に蛇を張り付けられてしまったら)もう元には戻れない。地獄の恐怖を味わいながら一生を終えるしかないのだろう。

画面いっぱいの蛇の顔の中に少し小さな蛇の正面顔がある。そしてその顔の中にさらに小さな正面顔があり、まるでロシアのマトリョーシカのように表現されている。それらの表現も小さな蛇の集合で描かれている。横に這うもの、下に向かうもの上に登っているものが無数に集まっている。

ムンク地獄の自画像3
ムンク地獄の自画像3 posted by (C)カール茅ヶ崎

頭から上の部分だけで見ると背後の巨大蛇の顔がとらえやすいかもしれない。一度見えてしまえばもうそれにしか見えない。

ムンク地獄の自画像4
ムンク地獄の自画像4 posted by (C)カール茅ヶ崎

人間の顔部分の拡大図。耳・鼻・口・眉毛・眼の白目部分・黒目部分で蛇の形が見える。どこもかしこも蛇で表現されている。筆のひと塗りで立体的な蛇が出来上がっているようである。

蛇で形作られた顔の表情は・・・・「不安」と「恐怖」である。

そうだろう。自分より圧倒的に力の強い、知能も高い生命体に喰われるかもしれないという思いは作者にとって一生付きまとう思いであろう。

そしてムンクは蛇神工房の画像処理ソフトを借りて絵を強制的に描かせられる。人間に内在する精神の不安を表面的テーマにして、実は巨大蛇型悪魔的宇宙人の人肉食を裏テーマにして・・・・。

彼らの目的は、画家たちを操って魅惑的な絵画を描かせ、その中に人間への威嚇・恐怖心の植え付け・マインドコントロール等を含ませているのだろう。

ムンク「叫び」 蛇神に喰われる恐怖

ムンク「叫び」は5点あるそうで、その内の最も後年の1点を調べてみた。

ムンク叫び1
ムンク叫び1 posted by (C)カール茅ヶ崎

エドヴァルド・ムンク 「叫び」テンペラ画) 1910年 オスロムンク美術館

友人2人と一緒に道を歩いていたムンクは、ノルウェーフィヨルドの夕焼けの空に血の色を見つけ、「・・・・私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」(Wikipedia ムンクの日記より)

外から聞こえてくる恐ろしい叫び声を聞こえないように耳を塞いでいるらしい。

ムンク叫び2
ムンク叫び2 posted by (C)カール茅ヶ崎

作品全体は蛇の寄せ集め画である。人物の顔から体から、欄干・遠景・空も全て蛇がのたくって形作っている。

ムンク叫び3
ムンク叫び3 posted by (C)カール茅ヶ崎

人物の顔部分。単純化した筆線で描かれているが、ところどころ、例えば両手に蛇の眼が付いている。これは手ではなく、二匹の蛇が人間を左右から挟んで噛みついているのだろう。

ムンク叫び4
ムンク叫び4 posted by (C)カール茅ヶ崎

右眼を拡大すると、意外にも精緻な蛇画像が浮かび上がってきて驚く。眉毛は三匹くらいの黒蛇が連結して形作っている。白い点が蛇の眼である。人物の見開かれた眼は肌色の蛇が呑みあって連結して円形になって作っている。円形の中心には別の蛇の正面顔が見える。

一見乱暴な筆致で一筆で描いたような描き方だが、蛇の頭の形や眼等が割とリアルである。他の写実的な描き方の画家と大して変わらない。筆でもってこんな風に描けるものではない。人間の知らない蛇画像ソフトを用いた蛇神工房の作品である。

ムンク叫び5
ムンク叫び5 posted by (C)カール茅ヶ崎

この人物自身が蛇で構成されたレプティリアンであるが、蛇に喰われる人間をも表している。頭の上の蛇、ほほを伝って這う蛇、耳を塞ぐ手のふりをした蛇が人間に喰いついている。口の中からも白っぽいのが顔を出している。たくさんの蛇に噛みつかれた悪夢のような光景である。

ムンク叫び6
ムンク叫び6 posted by (C)カール茅ヶ崎

口の中にいる蛇の眼が見える。上方を向いた横顔である。

手のふりをした肌色の蛇もまた服のふりをした紺色の蛇に呑まれている。

ムンク叫び7
ムンク叫び7 posted by (C)カール茅ヶ崎

この人物の体は下方から登ってきた大蛇に喰われている真っ最中である。下に流れる鮮血の色が生々しい。この人物とこれを喰っている大蛇を下から口を開けて喰い付くさらに大きな蛇が、半透明に白っぽく描かれている。

ムンク叫び8
ムンク叫び8 posted by (C)カール茅ヶ崎

空には横に流れる巨大蛇が何匹も描かれているが、同時に超巨大蛇の正面顔にもなっている。画面最上部の左右にその蛇の眼がある。(・・・・蛇神はいつでも人間を観ている。)最上部左右の眼の下にも巨大蛇神の眼が並んでいる。目を凝らしてよく見ると左辺・右辺にそれが並んでいる。お供え餅のように上下に並んだ蛇神の正面顔は他のどの時代の絵画作品にも共通した表現である。

ムンク叫び9
ムンク叫び9 posted by (C)カール茅ヶ崎

奥の二人の人物を見ると、これも蛇どもが目指して集まってきている様子が見える。道や欄干を手前の人物中心にみると、手前の人物に蛇が向かってくるように見え、奥の二人を見ると同じ線が奥の二人を目指す蛇に見える。

手前から、横から、後ろから、空から大小さまざまな蛇が二人に喰い付こうとしている。

ムンク叫び10
ムンク叫び10 posted by (C)カール茅ヶ崎

向かって左の男は下から赤い大蛇に喰い付かれている。三匹はいるだろう。頭にも首にも青い蛇が巻き付いて人間の部分はまだ残っているのだろうか。

右の男は、紺色の大蛇に下から喰い付かれほとんど体全体が飲み込まれている。人間の顔ももう見えない。

この男の頭には遠目にはシルクハットがあると見えたが、拡大図を見ると違う。ヤギの角を持った悪魔そのものの姿に見える。

ムンク叫び11
ムンク叫び11 posted by (C)カール茅ヶ崎

こちらは17年前に描かれた油絵作品。オスロ国立美術館蔵。もっとも有名なムンク「叫び」はこちらの方。ただ今回見たムンク美術館の方が人喰いのコンセプトがはっきりと表されていたのでそれにした(高画質画像も手に入ったので)。

 

ムンクは母や姉の死を目の当たりに見、その死の恐怖を絵に表した・・・という事もあるだろうが、人間の力ではとてもかなわない強力な巨大蛇に喰われる恐怖を視覚化して人間に見せている。あるいは実際に巨大な蛇に喰われる人間の姿を見、その叫び声を聞いたのかもしれない。