名画の中の人喰い蛇

美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

ゴッホ 「カラスのいる麦畑」 理想の生き方が崩れた

ゴッホにはかなり影響を受けた。特に他人の眼を気にせず我が道を行くところを若い頃から参考にしていた。僕は今もこんなブログを世間に公表し、このページを訪れる人はおそらく「なんてオカルト趣味の狂った人間の書いたブログだろう。」と毛嫌いしてさっさと通り過ぎて行くのだろうが、それでも僕はゴッホの様に我が道を行きたいと思っている。誰にも理解されなくても自分の信じるところを追求したい。ただこのゴッホも蛇神に魂を売った情けない人間の一人であったらしいので指針を失いかけて困惑している。 

フィンセント・ファン・ゴッホ 「カラスのいる麦畑」 1890年7月 ゴッホ美術館(オランダ・アムステルダム

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ゴッホの死んだ月に描かれた有名な作品である。この絵の中に人喰い蛇が隠されていることを発見した。こういう筆跡の荒い作品の中にも非常に巧みに隠し込んである。

麦畑が黄色く色づいている。空にはカラスが群れ飛んでいる。真ん中に奥に通じる一本道が通っている。夕方の景色だろうか、空は暗くなり始めている。いや雲が真っ白だから昼間の情景であり、空の青・麦畑の黄色を故意に強調してあるのか。筆に絵具を乗せそのままキャンバスに擦り付けたような描き方だが、この場合色の鮮やかさがそのまま見る人の眼の中に入って来て新鮮で気持ち良い。

道の描写が変である。蛇行した道、左側の盛り上がった土、右側の凹凸の激しい道(?)。ゴッホはこんな道の遠近感もまともに描けないようなデッサン力のない画家ではない。特に左側の土盛りか草の生えた小山のような物に秘密がある。

この絵を最初見た時は遠くの麦畑の黄とカラスの黒の、また空の鮮やかな青と雲の白コントラストに目を奪われて近景の土色の部分はまったく目に入らなかったがそこが一番大事なところであった。

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蛇行した真ん中の道はうつぶせた人間である。尻を見せた一人とその右にもう一人、左側には千切れた手や足が転がっている。

麦畑の中に黄色い大蛇がいてこの人肉を喰っているらしい。

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画面右下には人間が横たわっている。乳房っぽい所・へその様な所があるので仰向けの女かもしれない。右下隅にも足のようなものが置いてある。やはり黄色い大蛇がこの体に口を付けている。この人の身体は全体が赤く血だらけである。だいぶ損傷している

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画面左にある土饅頭は、大蛇の頭である。人間の腕を横に咥えている。さらに左端には人間の横顔が見える。血だらけのだいぶ溶けたような顔である。2人分くらいの顔が並んでいるのではないか。

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全体図である。画面にわざとノイズを入れてみた。左端の大蛇は部分的に見たら腕を横咥えした大蛇がこちらを向いているように見えたが、全体の中でこうしてみると真横を向いているようである。横向きのイグアナのような顔である。皮を溶かされ真っ赤になった人間の顔は別の大蛇が近景で咥えているのか。それともこの大蛇の体内にすでに入っていることを示しているのか。このイグアナの眼の部分に人間が一人入っているようにも見える。

道にはほとんど全て生贄の人肉が置いてある。画面手前の一番目立つところにそれを置くのが奴らの常套の手法である。

麦畑は黄色い大蛇である。大蛇であり、巨大な蛇でもある。大蛇が二つ重なって巨大な蛇を作っている。画面上には左右に一匹ずつ巨大な蛇がいる。

空も雲も全て巨大蛇である。食料を求めて異次元から集まってきている。

 

ゴッホの様に力強く我が道を行き、モネの様に豊かな晩年を迎えるのが僕のかつての理想であったのだが・・・・。この人生、一筋縄では行かないようだ。