長谷川等伯 「松林図屏風」紙本墨画、六曲一双 安土桃山時代 国宝 東京国立博物館蔵
右隻・左隻の二枚の屏風絵。上は右隻。
美術史上日本の水墨画を自立させた傑作で、遠くの雪山をのぞみ朝霧の立ち込めた松林を描いた日本的な情感豊かな絵(Wikipedia)とか解説される。
確かに墨の濃淡だけで水蒸気の多い日本の松林の絵が表現されるのは僕も嫌いではない。絵の表面をボヤーッと眺めるだけなら気持ちが落ち着くような気がする。
しかしこの絵の霞んだ部分に蛇の顔が隠れているのにどうしても気付いてしまう。
画質を調整するとこんなになった。松林の後ろ、上の方に巨大な蛇の顔が並んでこちらを向いている。
部分部分を拡大しながら詳細にトレースしてみるとこのイラストになった。空間にはびっしりと蛇がいる。
松の木自体も蛇の集まりである。木の天辺辺りでこちらを向いているもの、中ほどからぶら下がっているものと様々な動きを見せる。背後の空間の巨大蛇どもは松の木の蛇を食べているように見える。
左隻の原画。右上に雪山らしきものが見える。
これを見た時点で既に四匹ほどの巨大蛇が見える。松の枝葉が蛇の眼になっていたりして、その蛇は松に口を当てている。
画質調整。右の雪山は巨大蛇のへの字型の口であるらしい。
そしてイラスト化。右隻同様松も蛇で出来ている。後ろの蛇が前の蛇を喰い、前の蛇は松の蛇を喰う。松の蛇同士も喰い合う。
これが地球を支配している「神」の姿。
この空間を満たしている巨大な蛇が「神」と呼ばれるもの。有名な絵画には必ず描き込まれている。現代もテレビに、ポスターに、本の表紙に、あらゆる印刷物に描きこまれている。そしてこいつらは常に他の生き物を喰っている姿を見せる。時に共喰いもしている。あたかも喰い・喰われることがこの宇宙の法則であるかのようにそれを人間に見せ付けている。人間も自分たちの食い物のひとつにすぎないのだと示し続ける。
ただ奴らは冷血な爬虫類だからこんなものを人間に見せ付けるのだろうが、熱い血が流れている人間としての僕には共感できない。いつか奴らよりも高次元の存在となって奴らを憐れんでやりたい。
奴らが創り出した「金」という物の為に苦しい労働を奴隷の様にさせられる今の生活を脱したい。奴らの影響の及ばない世界が早く訪れてほしい。
まずは人間皆に気付かせたい。