名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ゴッホ 「ひまわり」 産めよ!増やせよ!

今回はゴッホの「ひまわり」。連作の中で一点。前回はアメリカの個人蔵の作品を見て、子供の周りに蛇たちが寄ってたかって喰い付いているのを発見したが、今回は別の「ひまわり」である。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「ひまわり」 1889年 アムステルダムゴッホ美術館

この作品と全く同じ構図の作品がナショナルギャラリー(ロンドン)・東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館にもある。よほど気に入ったテーマであるらしく自作を何度も模写したらしい。Wikipadiaによるとこのアムステルダムの作品が最も後の作品のようだ。

この絵の隠し絵は見つけ難かった。どこがどうなっているのか、何時間も悩み、格闘し、ようやく一つの結論を導き出した。ただ確信が持てない。今後も研究を続けなければならない。

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画面上部中央のひまわりの花四つほどの部分。どうしてひまわりの種の部分がこう見えるのか。種の並びはもう少し整然と幾何学的配置であり、僕だったらそのように描くだろうが。ゴッホはこんな風に何の秩序も無い描き方である。花びらも皆違う大きさで形も皆違う。花の黄色が背景にまで及んで、むしろ背景の黄色の方が鮮やかである。花びらの黄色を見せたいのなら背景の色をもっと押さえたら良いのにと思う。ただこの背景の黄色が絵を見る者の眼を刺激し、一種の心地良さを感じさせる。

細かく見ると例によって蛇に襲われる小さな人間たちの図が見えて来る。大きく見ると・・・・僕には女(赤)の背後から言い寄る男(青)の図に見えた。男は右手を女の肩に乗せ、女の手を後ろ手にさせて赤い手錠をかけているようにここでは見えた。

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画面右側の上方に開きかけ(?)の花がある。ここでも大蛇が小さな人間たちを喰っている図が見えた。左側の花弁は人間の山積みの描写となっている。

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ここでいきなり全体図に行く。ゴッホの絵は一筆一筆に人間の形が見えるので、細かく見て行くと切りがない。また細かい食人図以外に大きく見た像が見えてこないので苦労した。全体図にして初めてそれが垣間見える気がする。

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イラストをもっと分かり易くしてみた。

女(赤)は男(青)に背後から性交されているらしい。画面中央少し下に三つの花が重なっているが、その右側の花が女の尻である。男の性器が背後から突き刺さっている。女性器から子供が生まれ出ている。女の肩の所の花、これは切断面ではないか。肩の所で輪切りにされ骨が見えている。左腕はここには無い。また上半身と下半身が繋がって無い。男も同様に上半身と下半身が分断されている。首も切られている。左手は肘の所で切れ、真っ赤な断面を見せている。男の両足は女の尻と重なっているが膝から先が無い。切断面が花になって骨を見せている。

画面下端のテーブル面をコントラストを付けて拡大して良く見ると、手足がゴロゴロと転がっているのが見えた。上の男女の手足だろうが数がこの二人分よりも多い。他の隠し絵の人間の手足もあるのだろう。

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はっきりとは見えないが恐らくこう言う絵が隠されているのだろう。上から降りて来た巨大蛇が人間を口に当て喰っている。巨大蛇は何匹も重なっており区別しにくいが、上からの他に横からも喰いに来ている。ここのひまわりの花は人間で出来ており、その周りにもより小さな人間が花弁のようにくっ付いている。下端のテーブルの上でも大蛇が人間を喰い漁っている。

他の見方として全体図が女の大開脚図にも見えるのだが、どうも自信が無いのでイラスト化しなかった。花瓶が子宮であるらしいのだが、男性器に当たる物が見えて来ない。

花の周りの黄色い花弁は卵子に群がる精子にも見えるのだがどうだろうか。どちらにしてもこの絵は人間の生殖行為に重点が置かれて描かれているらしい。大開脚図と見るとひまわりの花は七人ほどの赤ん坊が生まれ出ている様子を表しているのではないか。

すなわちゴッホは人間の繁殖を強く薦めている。産んで数を増やす以外に人間に生き延びる手段は無いと言っている。

モネ 「散歩 日傘を差す女性」 世の中の不条理

僕が十代のころ好きだったモネの絵、この絵には草原に春風が吹いているような爽やかさが感じられた。確か妻と息子をモデルにした物だったと思うが、丘の上に立つ婦人が日傘を差してこちらを見ている。逆光の中、背中や尻に当たった光が眩しい。

この絵を一度目に調べた時、婦人の下半身が大きな男性器になっているのを発見してショックを受けた。背景の雲の形にも大蛇の顔などが隠されていてとんでもない絵だと思った。今回はより詳細に丁寧に見直す事にする。

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クロード・モネ 「散歩 日傘を差す女性」 1875年 ワシントン・D.C. ナショナルギャラリー

雲の形と共に、画面下端の草花の表現が不明確で怪しい。他に日傘はなぜこんなに緑が濃いのか、少年の顔が無表情なのは何故か、婦人の尻の辺りの服はどうなっているのか、スカートの下端は裏地が見えているのか、赤い花がそこにあるのか等の事を順に調べて行きたい。

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まず日傘。この中に大蛇が小さな人間をたくさん咥えているのが見えた。一口で10人以上を放射状に咥えている。婦人の顔や身体には小さな人間がたくさん張り付いている。顔のヴェールに見える水色の物は身体を伸ばした人間もしくは蛇であろう。雲の中にも人間を口にする大蛇がいる。

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夫人の身体は数体の人間の積み重ねによって出来ている。スカートの中の人間は一人の背後からもう一人が覆いかぶさって性行為をしているようだが、今の段階でははっきりと見えない。注目したいのはその下端である。四つん這いになった人間(青)が向かって左を頭にして尻を見せているが、スカートの下端でその人間の四肢が切られているように見える。切断面は真っ赤な血の色をしている(上図左の画像は元画像にコントラストを付け色を強調してある)。この人間の背後から覆いかぶさっている人間(青緑)も足が途中で千切れている。右足は太もも辺りで切られているようである。こういう残酷な表現はルネサンス期の絵にも見られたが、近代の印象派の絵の中に頻繁に見られる。マネ・ドガ等の絵にはこのブログでもそんな手足が切断された人間の表現が隠れていた。

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この少年の顔、目ばかり大きく口や鼻が無い。生きているのか死んでいるのか分からない。顔や体の中に小さな人間がおり、それがことごとく蛇に咥えられている。少し大きく見ると少年の身体自体が下から頭をもたげた大蛇になっている。両肩の所に両目があり、下顎を見せている。この大蛇が小さな人間たちや少年の首を呑み込んでいる。

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少年の背後には巨大な蛇が大口を開けて少年を狙っている。雲の中でも赤っぽくなっている部分がそれである。別に真上から降りて来た巨大蛇は少年の頭を既に丸ごと呑み込んでいるようである。

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絵の下端には必ず喰われる人間たちが無数にいる。ここでもそうで、大蛇の形、それに喰われる人間の形がこれだけ見て採れた。所々、喰われながら後背位でセックスしている人間もいくらか見える。

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左が元絵、右が全体図のイラストである。画面中で大蛇が人間を襲って喰っている。スカートの下半分の四つん這いの人間はこんな風に頭を右を右にした形にも見えた。セックスをしているのがうっすらと確認できるが、やはり四肢がその下端で切断されている。草の中にうじゃうじゃいる蛇たちに喰われたのだろうか。

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少し大きく見て、分かり易く色塗りして見た。草の中に大きな蛇がいて人間を喰っている。真ん中の人間は手足を大蛇に喰われながら子供を産んでいる。スカートの上半分の所にいる人間(黄色)は下の人間の上に馬乗りになり、男性器を下に突き出している。これら婦人のスカートの人間たちの背後の空の中にもセックスをする人間が隠れている(緑とピンク)。地上から少年を下から呑み込む大蛇の他に、画面右には鎌首をもたげる大蛇もいる。空からは大きさもまちまちな巨大蛇が降りて来ており、婦人や少年、隠し絵の人間たちを喰っている。重なり合って見難いが一番大きな蛇は婦人を丸ごと呑み込んでいる(青)。

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分かり難いかもしれないが僕にはこう見える。

一種の「春画」だろう。喰って減った分だけ家畜を増産しなければならないので、その性欲を刺激してセックスに励まさせる。美術館でこの絵を鑑賞する人間家畜たちの潜在意識の中にこういう画像を刷り込ませる事を目的としている。

婦人の下半身は以前見たのと同様大きな男性器である。今回これに付いた男の身体も辿れた(青い輪郭)。草の丘と背景の空の中の赤っぽい雲が繋がって男の形を作っている。男が横座りになって尻をこちらに向けている。大きな顔は少年の上に赤い雲が形作っている。右手は腰の上に、左手は大きな男性器を掴んでいる(手先の表現の捉え方には少し自信が無いが・・・)。

この男と重ねて表されている女の形も見える。画面いっぱいに大きな尻を見せている。顔は画面の左上隅にあるのでこの女も横座りである。右手は腰の上で日傘をも兼ねている。左手は婦人の上半身で、大きな女の股の間から出ていて女性器を広げるように片尻を持ち上げている。男の男性器の亀頭部分に女性器がある。少年の顔は尻の穴である。

男性器の先から精液が噴出している。この精液が、逆光の中で日を浴びた美しい表現とも見えた部分である。恐らくこの噴出は女性器の中での事を透かして見せているのだろう。

女性器から、また男の尻からも子供が産まれ出ている(男女の区別が無かった太古の時代の表現?)。

ふざけた性表現で人間を馬鹿にした絵かとも思っていたが、意外と残酷で、意味が深い作品であった。名画は見れば見るほど調べれば調べるほど世の中の不条理の理由が明らかになってくる。

 

ダヴィンチ 「モナリザ」 この絵も人間が家畜であると言っている

日本の国宝級絵画を研究してもアクセス数が伸びず張り合いがないので、超有名なこの絵を観る事にする。三度目になる。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「ジョコンダ夫人」または「モナリザ」 1503~1519年グラン・パレ フランス

以前見た時にはこの人物が蛇の集合体に見えた。口・目・手や衣類に蛇の形が無数に見えたからだ。蛇が寄せ集まって人間の形を作っていると見えた。後ろの蛇が前の蛇を呑み込み連結して集合し写真を撮ったと思えた。

しかし今は違う。確かに蛇に満ちてはいるがそれぞれの蛇の口先に小さな人間が咥えられている事に気付いた。蛇の頭は同時に人間の身体をも表している事に気付いた。この人物は人間を喰ったからその身体に人間の形が浮き出ているのだと思っている。人間が蛇に喰われる事をそこら中に表現しているのである。

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画像を明るく調整して見ると分析しやすくなる。特に下端左右のもやもやっとした部分が怪しい。有名すぎて小さい頃から観て来たせいか、パッと見何の違和感も抱かないが、この人の身体、肩が異常になで肩で肩が少し下にずれている。眉毛が無いのも、服を不思議な形で肩にかけているのも今思えばおかしな所である。窓の外を背景にしているがどうしてこうも荒涼とした風景なのか。窓枠の柱の下端の瘤らしき物は半分透けてないか。右手の指の書き損じた跡は何故消さなかったのか。等々疑問点がいくつも湧いてくる。

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口のあたり。以前は口から小蛇が飛び出しているのが見えたが、今回は咥えられた人間が見えた。口はほんの少し開けられていてその中に赤い人間がいる。口角が上がって微笑んで見えるのは口の両側に人間の一部(多分頭)が飛び出しているからである。牙も見える。蛇と同様に上あごから二本出ているようだ。

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左頬は確かに膨らんでいる。口の中にある物を咀嚼しているのだろう。

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眼の瞼は両目とも口を開いた蛇の顔になっている。その口の中に小さな人間がたくさんいて白目黒目を形作っている。

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右手の黄色い袖口の皺は小さな人間の積み重ねである。上着は大蛇でありその人間を呑み込もうとしている。この腕は既に切断され大蛇に腕だけ咥えられているのかもしれない。

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左手の肘の辺り。はっきりしない表現である。厚塗りの修復用ニスが反射して光っているのか、傷んでいるのかと思ったがどうなんだろう。故意に判別しがたい表現を採っているとは考えられないか。こう言う所に二重三重の隠し絵があったりする。ひとまず見えたのがイラストのような大蛇が小さな人間を呑む隠し絵(緑の大蛇と青い大蛇が重なっている)。その下方には人間が大勢ぶら下がっている。

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上半身の衣の中には大小の蛇が纏わり付いていてその口先にはそれぞれ人間が付いている。

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画面最下端の手先と椅子の部分。全ての部分に人間の形が採れた。大蛇に喰われる人間である。指先も蛇であり、その先にごく小さな人間が咥えられていたりする。喰われる人間の中にはセックスしているらしい格好の者もいる。子供を産んでいるらしい者もいる。

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モナリザ」の全体図イラスト。僕にはこう見える。画面至る所で蛇が人間を襲って喰い付いている。彼女の口には小さな人間が咥えられており、その右腕の所(先ほど大蛇の顔と見た所)に人間が巻き付くように乗っており、左腕にもより大きな人間が尻を見せて乗っている。腹の所にも人間を集めており、手の下にも人間がいる。左手では人間を掴んでいるようである。肩から下りて来た蛇や椅子の手すりも見える蛇は人間たちを喰っている。また彼女自身も背景の巨大蛇によって喰い付かれている。

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大きく見るとこんな風になった。背景の部分は巨大蛇であり、彼女を一呑みにしている。黄土色の地面も巨大蛇である。窓枠の柱の下端の瘤らしき物が目である。婦人の腹から上の部分を残し身体を既に呑み込んでいる。椅子のひじ掛けの柱の木はこの巨大蛇の歯かあるいは下顎の表現かもしれない。

結局この有名な絵も「蛇が人間を喰う」と言う事を至る所で表現したものである。

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こんな画像も同時に隠れている。人間の繁殖行為の図である。赤い女の背後から青い男が覆いかぶさって子供を作っている。同時に子供が生まれ出ている(女だけでなく男からも)。

人間は他の動物・植物同様食物連鎖の中にあり、その頂点に立つ者ではない。その事実を名画は教えてくれる。ショッキングな事実ではあってもこうして突きつけられれば逃れる事は出来ない。人間を食糧とする生物がいても不思議ではない。人間を家畜のように繁殖させ、喰っている。

日本では現在年間二千人くらいの失踪者がいると言う。届け出のあった行方不明者が発見されないままの数がこのくらいらしい。世界では何万人になるか分からない。大抵の人は家畜として労働し繁殖活動をし、何も知らないまま死んで行くのだろう。ごくわずかの人が蛇神の犠牲となって今も喰われていると考えられるのではないか。

 

 

「辟邪絵 天刑星」 病気を退治すると言う事

インフルエンザが流行っているらしい。僕はこの「インフルエンザ」と言う言葉に何かうさん臭さを感じる。昔からある「風邪」の一種をいかにも重篤な病気のように言って医者や薬屋を儲けさせるために創られた言葉ではないか。「風邪」の原因や治療法は今でもよく分かっておらず、それが分かればノーベル賞ものだと言われる。分からないのを良い事に新型のウィルスが誕生したとか言って次々に新しい治療法・新薬で患者から金を巻き上げているとしか思えない。「風邪」に限らず病気を治療するのは患者自身が持っている免疫機能であろう。医者と製薬会社はマスコミをも動かして人を騙しているに違いない。普段から土に触れ、適度に不衛生な環境に身を置いている僕などは免疫機能が常に活発に働いており病院に行く事はめったにない。

今回は厄病神を退治してくれる善なる鬼の絵を観た。

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「辟邪絵 天刑星」 平安時代12世紀 奈良国立博物館 国宝

元は絵巻物であった物を五福の掛け軸にした物の一つである。邪気を退治する善神が5種類描かれているが、ここに揚げたのは厄病をもたらす牛頭天王に刑罰を与える鬼神だと言う。巨大な体の鬼神が座って邪鬼を踏みつけている。四本ある手で邪鬼の髪の毛を掴み、足を掴み、タライに入れた水で攻め、身体を喰い千切っている。口には下から猪のような牙が生えている。まるで地獄の獄卒が人間に責め苦を与えているような恐ろし気な光景であるが、病気を退治してくれているという説明を聞けばむしろ頼もし気である。この絵の描かれた頃はこういう絵を人々に見せながら加持祈祷をし、病気平癒を願ったのだろうか。

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善神とはいえ、顔部分の画像を明るくし、コントラストを付けて拡大して良く見れば、人間の形が至る所で捉えられた。初めはよく見えなかったが、トレースしながらそれっぽい所を辿って行くと人間の形になる。同時に蛇の頭も見えて来る。唇も牙も人間の身体が形作っている(イラストは僕が創作した物では無い。拡大した微妙な陰影を忠実に辿って描いた物だ)。こいつは人間を喰う巨人である。そして蛇が人間を喰う事をも表している。

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画面の一番下には小さな人間が無数に存在する。厄病神も善神もその身体は小さな人間で形作られている。人間は所々で蛇に喰われている。

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天刑星の上半身も同様で、人間とそれを喰う蛇で出来上がっている。

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左が元絵、右が全体のイラスト。邪気を喰う善神の図と言うよりも他の絵と同様な人間を喰う鬼の図である。こういう絵を見せて当時の祈祷師は患者から金をむしり取っていたに違いない。怖がらせて金を奪い取る・・・・現代の医者・製薬会社・保険会社・坊主のやり方と同じである。

そのくせ真実も盛り込んであるのが面白い。食人の真実を隠し絵で描き込んである。

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別の見方をすればこうである(上右イラスト)。少し大きく見れば天刑星の身体は数体の人間の身体で出来上がっている。上半身には二人の人間が交差している。両肩がそれぞれの尻である。二人は片手片足を伸ばすようにしているので天刑星の手が四本あるように見えているだけだ。足はそれを手とする人間が隠れている。胡坐をかいて突っ伏している。髪の毛の中にも一人見つけた。善なる鬼神の存在が嘘である事を暗示している。

これらの存在にも四方八方から蛇神が口を付け、喰おうとしている。

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上図右イラストは画面全体を覆う巨大蛇神のイラストである。間違いなくこう見える。天刑星の足を二本残して身体を呑み込んでしまっている。邪気たちも蛇たちに呑まれようとしている。右上の蛇は口を大きく開けた正面顔を見せているし、右下あたりにも口を大きく開けた蛇の横顔が見える。

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上図右イラストは人間の繁殖を促す図である。画面下端に男(水色)が仰向けに寝ている。画面右上にこの男の巨大な一物が直立している。右手で掴んで押さえているようだ。巨大な一物の先から精液が噴き出ている。二手に分かれた精液は流れて天刑星の腹の辺りに溜まっている。女(赤)も仰向けになって大きな尻をこちらに向けている。天刑星の髪の毛は女の陰毛であるらしい。天刑星の首が産まれ出て来る辺りが女性器である。他にも生まれ出たばかりの子供(黄色)が二人見える。尻の下に匍匐前進の形でいる左右二体がそれである。男性器と女性器は結合していないが男性器からあふれ出た精液の溜まった辺り(子宮内部が透けて見えているのかもしれない)に出来かけの人間のような形が見える(色あせが激しくはっきりとは見えないが、精子のような胎児のような形に見える)。

性の別の無い人間から男女に分かれた生殖に移って、より病気に強い人間が出来た。単一の遺伝子のコピーを続けるよりも、男女の遺伝子を混ぜ合わせる事で免疫機能が向上した。男女の遺伝子の混ぜ合わせで人間の繁殖が安定的になった。人間の子孫は繁栄し、言わば永遠の生命の継続の仕組みがこの時出来たのだろう。病気を退治はこんな自然の生殖から生まれた免疫機能で出来ている。医者や薬屋では無い。

絵の中に発見した巨大蛇神が人間を喰うと言う恐ろしい事柄から、絵の中にその先の自然の根本摂理のような物をも見られる気がする。

 

一山一寧 「達磨図」 禅の悟りとは?

正月だから日本人の心に根付いている画題を選んでいる。今回は「ダルマ」。禅宗の開祖と言われるインド人仏教僧と言う事である。

僕は若い頃丹沢の大山で木彫りの達磨像を買い、未だに手元に飾っている。自然の木の根の造作を衣に見立ててその上に顔を彫った物である。目的のために口を引き締め「我慢」・「辛抱」する精神性が気に入っており、常に手元に置いてきた。

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一山一寧賛 「松下達磨図」 14世紀 東京国立博物館 重要文化財

一山一寧(いっさんいちねい)は、鎌倉時代元寇の少し後に来日した中国僧である。書家であり、この絵の賛を書いたが絵の作者かどうか分からない。しかしそれはどうでも良い。この絵の隠された意味を十分に知っていると思われる。一山一寧は初め伊豆の修善寺に幽閉され、のち鎌倉の建長寺円覚寺の住職を務めたと言うから地域的に僕には親しみやすい。昔建長寺の座禅教室に言った事もある。

中国の少林寺で岩壁に対面して座禅を組み9年に渡ったと伝わるが、この絵は岩に面してはおらず松の木の下で座禅をしている。険しい山上の岩棚なのか背後には霧のような物が流れている。ただひたすら座禅を組み、瞑想する事でこの人は「悟り」を得る事が出来たのだろうか。

呼吸を整え、「気」を充実させる事で冷静に物事を見れるのは僕も知っている。このブログでも僕はへそ下丹田に「気」を集め、絵を何十分も見続ける事を自然に心掛けている。それも「禅」の心なのだろうか。

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顔の拡大図。眼を大きく見開き、髭を蓄えているというのは「達磨図」の定型だが、この顔の表情からは「恐怖」または「苦痛」を感じる。まるで背中を短刀で刺された時のような表情をしている。詳細に見ながらトレースして行くと上図右のようになった。顔全体に大蛇が人間を喰う図が散りばめられている。開いた口の中の赤っぽいのは小さな人間だろう。

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頭や肩に被さった衣はもう少し大きな人間である。西洋画にもあったように予備の餌としての人間を身に纏っているのだろう。胸の中にも背景の霧の中にも大蛇が人間を喰う図がある。

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腹の辺りには小さな人間をまとめて持っているのか。これらを時々口にほうり込んで喰っているのだろう。衣は全て人間だが、特に大きいのは両足を包んでいる部分である。人間が背中を向けて横倒しになっている。

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画面下端の岩棚の部分は、例によって蛇神への生贄の人間が山積みになっている。

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最上部の松の木辺りにも大蛇の姿とそれに喰われる人間の絵がたくさん見える。こういう水墨画の背景の微妙な陰影は老朽化の為のシミや劣化では無く、初めから付けられていたのであろう。全ての陰影に意味が有る。

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全体図とイラスト。蛇に喰われる人間の絵に間違いない。

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画面を大きく見れば上右のイラストのようになった。上から降りて来た(緑の輪郭の)巨大蛇、口に人間を咥えている。右上からくる(赤の輪郭の)巨大蛇は達磨自体に噛み付いている(だから苦痛の表情をしていたのだ)。そして画面いっぱいに(青い輪郭の)巨大蛇がいて、画面下端の生贄を喰っている。こいつには並びの悪い歯と牙が有るようである。

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人間を殺して喰った後は増産させなければならない。画面の至る所でセックスをしている人間の図がある。こう言う隠し絵を見せて潜在意識の中に繁殖を心掛けさせなければならない。達磨の腹には直立した男性器があるようにも見える。背景の中の男女は立ったままの後背位であるが、男の向こうの女の身体が透けて見えている。

この隠し絵、男女ともに目から涙を流しているように見える。作者は、蛇神に家畜として繁殖させられる人間たちに哀れを感じてこんな表現を採るのだろうか。・・・・・「♪~人生って悲しい物ですね」、こんな歌を歌っている人もいた。

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また別の見方をするとこんな風に見えた。女が仰向けに転がって女性器をこちらに向けて足を上げている。両手でその足を押さえている(右手の形がよく分からなかったが)。男が仰向けに寝て大きな男性器を直立させてこちらに見せている。達磨の上半身が陰茎で胡坐を組んだ両足が睾丸である。陰茎は半分女性器の中に入っているらしいが透けて見えている。

禅の悟りとは何だろう。蛇型生命体に支配されており、人間は奴らの家畜であり素直に餌になる事を認めるのが「悟り」なのだろうか。人間は繁殖して数を増やす以外生き延びる方法が無いと言う事を知るのが「悟り」なのだろうか。

いや多分真の「悟り」は奴らの描く絵の中のメッセージとは違って、人間を悲惨な目に会わせている奴らをも一つの生命体として尊重し、共により高い次元に向かう事だろう。有機生命体は有機物を体内に取り込むことでしか生きて行けない。だからどうしても他の命(動物・植物・微生物等)を奪わなければ己を維持できない。奴らが人間の肉を常食とするのも許して初めて「悟り」が得られるのではないか。

僕にはその境地には当分たどり着けそうにない。