名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

セザンヌ 「川沿いの田舎家」 蛇の人食いを残酷に描いた物

いろんな時代のいろんな画家の作品を観る事で、別の物が新たに見えて来ることがある。今回のセザンヌの作品では、セザンヌがいかに残虐性を持った悪魔的画家かと言う事が再確認できた。

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ポール・セザンヌ 「川沿いの田舎家」 1890年 イスラエル美術館

大きな木に挟まれた田舎の家が描かれている。手前の川面にその家と木が映っている。木の茂り方が尋常ではない。家をも包み込みそうなくらいに茂っている。夕日か朝日かを浴びているのか絵全体がオレンジ色がかっている。僕はこの絵を見た時何か不気味な物を感じた。

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左が元絵。右が僕の眼に見えた画像のイラスト。画面左で大きな化け物が振り向いている。その右腕は肩から千切れて無くなっている。右目から蛇が飛び出し、口には小さな人間を咥えている。画面右では大きな蛇が赤ん坊を頭から咥えて持ち上げている。赤ん坊の下半身は下からまた横から噛みつく蛇に喰われて無くなっている。ホラー映画のワンシーンの様だが以下検証してみる。

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左の振り向く化け物の所は、大蛇が人間を襲って食う場面である。蛇は大小さまざまで折り重なって高く積み上がり、人間を咥えて空中に持ち上げている。上の部分図の左下にも大蛇が人間を咥えている。赤い屋根の家も人間の身体の積み重ねになっている。

ひどく直接的な残酷な絵である。ブリューゲルの時代よりもこの印象派時代の方が、見る人間を怖がらせる要素が多くなっている気がする。

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画面右上の赤ん坊に見えた部分。細かく見ると別の人間が多く見つかり、大小の蛇に襲われている。人間の身体は同時に蛇の頭にも見えるように描かれていて、人間の身体だけで画面を埋め尽くすようにも捉えられるし、全て蛇で表されているようにも見える。「蛇が人間を喰う」と思ってイラスト化するとこんな風になった。

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画面左下、川面の部分。巨大な蛇が人間たちをまとめて口の中に入れようとしている。そのギザギザの歯で人間を容易にかみ砕きそうである。田舎家の水面に映った辺りにも人間がいるが、性行為をしているようである。また左の尻をこちらに向けた人間は子供を出産しているらしい。尻の辺りに子供の眼鼻・頭の輪郭が見える。

巨大な蛇どもは人間より遥かに長い寿命を持っているのかもしれない。高々100年足らずの人間を見るにつけ、その誕生・生殖行為・出産・死など一瞬の間に行われている物との認識なのかもしれない。いわば人間がカゲロウ等の昆虫を見る時のように思っているのか、すべて同時に一つの画面に描き込まれている。

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画面下方右寄りの、赤ん坊を下から喰い千切る大蛇に見えた部分。大蛇は2匹以上に見えるが、その口元にはやはり人間たちが大勢捕まって喰われている。ただこの人間たちはセックスしながら、出産しながら喰われている。

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部分的に見た物を繋げて全体図にした。人間たちが上から下からあらゆる方向から大蛇どもに襲われ喰れている。

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上図左、巨大蛇を観点に別の見方をしてみるとこうなる。右方で上半身だけになった赤ん坊が咥えられ、持ち上げられているのは最初眼に入った画像と変わらない。左は巨大な蛇が人間を二人ほどまとめて口の中に入れて持ち上げている図である。その下でも大蛇が後ろ向きの人間を咥えている。こう言う直接的な残酷な表現が見られるのは珍しい。セザンヌの性質がもともと残虐なのか、この世界に恨みを持つようになってこんな絵を描くようになったのか。

上図右、人間の繁殖、セックス・出産の観点から見たイラスト。後背位での性交図がたくさん見つけられた。男を青、女を赤で表そうとしたのだが、所々どちらか判別できない人間がいる。両性具有の巨人族かもしれない。女の背後から性交する男と思えたが、その男の尻から子供が出産されている。画面右の中ほどに男性器が3本ほど見られる。これがどの体に付属しているのか判別できなかった。

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またこんな絵にも見えた。例によって大開脚・出産の図。両足を上げて足裏をこちらに見せている。青いのが這い出す赤ん坊である。

 

ブリューゲル 「農民の婚宴」 人肉食の宴

ピーテル・ブリューゲルは、僕の高校時代に美術に関心を持ち始めたきっかけになった画家なので少し時間を掛けて細かい所まで調べて見る事にした。しかし実際にこの作業をしてみるとこの絵は細かい所まで実に描き込まれており、絵筆の跡も絵具の単色の溜まりさえも見つけることが出来ず、細かく見れば見るほどミクロの世界に入り込むようで、まるで絵では無く現実世界ではないかと思うほどであった。

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ピーテル・ブリューゲル(子) 「農民の婚宴」  東京富士美術館

同じ画題の絵がウィーン美術史美術館にある。それは1568年 同名の父の作品と言われる。この絵は長男のブリューゲルが父のブリューゲルの作品を模写したとされている。大きさも父の物は114×163cmなのに対してこの作品は73×104cmと一回り小さい。模写は5点ありその内の1点だそうだ(Google Arts&Culutureによれば)。本当だろうか。僕に言わせればウィーンの父の作品よりもこれの方がこのブログの趣旨をよく表していると思える。すなわち人食い蛇が人間を喰い、人間の増産を勧める為の絵である事がより分かり易い。父の作品の模写にしては絵の隅々までしっかりとしたコンセプトが貫かれている。父の作品かこの作品かはどうでも良いがこの絵は同一の作者がウィーンの絵の習作として描かれた物のように思える。

野外で結婚披露宴が営まれている。近親者以外にも招待客が大勢来ており、プディング等の御馳走が配られている。ポットにビールを注いでいる男も左に描かれている。花嫁は中央奥の垂れ幕の前でしおらしくしている。花婿は・・・・どこにいるのか分からない。当時の習慣として花婿は客を持て成さなければならないので、プディングを配っている茶色い服の男かビールを注いでいる男かまたはここには来ていないともされている。

ブリューゲルは農民画家とも言われ、農民に愛情を持って絵に描いた様な事を言う人がいるらしいが、この絵を見る限り作者は「農民は馬鹿だ」と思っている事が伺える。絵の中の農民たちの馬鹿面はどうだろう。花嫁も不細工だし、皆てんでバラバラに意地汚く料理を喰っている。右の方ではささやき合う怪しげな男女。何と言っても手前のプディングを運ぶ二人が馬鹿だ。戸板に棒を渡して料理を運んでいるのだがそのバランスの悪い棒の当て方。たぶん一皿を男が取り上げたとたんにこの戸板はひっくり返るのではないか。

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招待客(上左)も料理を運ぶ男(上真ん中)も手前の子供(上右)も、皆なんて馬鹿面なんだろう。まるで知能が無なさそうである。

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花嫁は背後の巨大な蛇に呑み込まれそうである。髪の毛も蛇で出来ているらしい。またその上半身の中にM字開脚した女の姿が隠れている事を発見した。

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プディングを配る男(花嫁の視線がこの男に向いているので花婿はこの初老の男かもしれない)。皿の中に入っている物をよく見ると(長い事見続けてやっと見えて来たが)小さな人間である。四つん這いのようになって入っている。この婚礼の席で食事をしているのは人間よりも遥かに大きな巨人たちらしい。しかも喰われているのは人間。男の口先から何か飛び出している。テーブルの上のチーズとパンのような物にも人間の形が見て取れる。テーブルの下の暗い部分にはおこぼれの人肉を狙う蛇たちがいると思える。

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この男の身体デッサンが狂っている。腰が後ろに膨らみすぎ、膝小僧の位置が高すぎ、腕が太すぎる。調べて見るとこの身体は二体ほどの人間の身体の組み立てで出来ている事が分かった。右腕は上半身を作る人間の左足で、両足は下半身を作る人間の腕である。腰の辺りで二人の身体が重なっているから厚くなっている。手と足が逆さまになっているこんな表現はよく見かける。ルノワールの「舟遊びをする人々」の人物もこうであった。「人間の眼で見ている事は逆さまなんだよ。」と言われているようだ。

後ろのテーブルには食糧としての人間がたくさん置かれている。 

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この男も身体が変である。上半身が大きすぎ、頭が小さすぎる。これも上下二体の人間で出来ている。上体の人の尻の割れ目から頭が出ている。これは出産を表しているらしい。

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楽器を演奏することを忘れている男。花嫁の方を見て欲情しているのではないか。股間のプロテクターと言うのか、当て具が異様に尖っている。バグパイプの袋も睾丸の様だ。下卑た口元には小さな人間が咥えられている。上半身は逆さになった人間であり、その足が男の腕になっている。イラストで黄色くした部分は全て人間である。

隠し絵の人間は、同時に蛇の集まりにも見える。例えば腕と見せた足は蛇の連続で出来ており、その先端の蛇の口先には人間が咥えられている。人間でもあり蛇でもあると言う表現は、人間と言うのは蛇の遺伝子をも持っている事実を伝えているのではないか。太古の昔、蛇型宇宙人が地球にやってきてそこにいた猿と自らの遺伝子を混ぜて人間を創って家畜とした事を教えているのではないか。蛇の口先には必ず小さな人間が描かれるが、これも蛇が人間を食糧としている事を教えているようである。

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ビールを注ぐ男。男の腹の所にあるのは壺の胴体部分であるらしいが、何かおかしい。この肌色の物は人間の尻である。上半身が別の人間の下半身であるし、口から何か喰っている物が飛び出している。左足の上肢が大きな男性器に見えるのは気のせいか。

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地べたに座り込んで空の皿を舐める子供。よく見ると舐めているのは自分の指ではなく、小さな人間の足である。ひざ元のチーズも人間で、身体も大小の人間で出来ている。腰のナイフで人間を刻んで喰っているらしい。

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全体のイラスト。神話時代、巨人たちが小さな人間を食卓テーブルに乗せて宴を催している図である。こうしてイラスト化して行く内にさらに怪しげな隠し絵が見え始める。花嫁の背後に大股開きの女が見える。その左横に見えるのは胎児か。右の方にはセックスをしているらしい人間が二組ほど見える。画面上方から降りて来る巨大蛇神が見え出す。

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左元絵。右蛇神のイラスト。小さな人間たちを喰っている巨人族たちもこの巨大蛇に喰われる。

・・・・生きて行く事は喰って行く事である。巨大蛇神たちも有機物を食糧としている限り他の生き物を殺して喰って行くしかないのである。現代の人間は家畜を残虐に殺して喰っている事を自覚していない。家畜を切り刻んで元の形が分からないようにして火を通して調理して喰うがやっている事はこの蛇どもと同じである。生き物を殺して喰う事でしか生きて行けないのは同じである・・・・

と人間のように暖かい血が流れていない蛇どもは名画を通して言いたいようであるがどうだろう。

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画面を大きく見るとまた別の絵が見えて来る。眼を細めたりして時間を掛けて捉えた隠し絵がこれである。左は男女交合図。女(赤)が四つん這いで尻をこちらに向けている。その背後から男(青)が覆いかぶさるようにしている。花嫁がちょうど女の性器の位置にある。

右は大開脚の出産図。プディング(子供)が女性器からたくさん出て来ている。

人間をいくらたくさん殺して喰っても、セックスさせ、子供をたくさん産ませれば元通りに増えるから問題ないのだと言っているかのようである。

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最期に気になるのがここの画像である。画面左下隅のポットの存在が怪しい。男が大瓶から子壺にビールを分け入れている図だが、かごの中に乱雑にほうり込まれた子壺を前面の目立つ所に配置すると言う不自然さがある。

拡大して精査すると右のイラストのように見えた。壺は人間で出来ている。その口から赤ん坊の頭が覗いている(口の中の暗い部分は凹凸が逆である。フェルメールの「牛乳を注ぐ女」のミルクポットの口と同じ表現である)。子壺の人間は尻を壺の口の方に向けて赤ん坊を産んでいるように見える。右の瓶には人間がいっぱい入っている。瓶の下の地面は人間の血で真っ赤だ。ビールを注いでいる男の持つ瓶からは蛇が飛び出し、子壺の赤ん坊に注がれる。

男は猿の赤ん坊に蛇の遺伝子を注いで、人間を創っているのではないか。画面の一番目立つ部分に描かれているのは作者にとって重大なテーマであってもおかしくない。人間はこうして創られたと暗示しているのではないか。

確かに今の人間には爬虫類脳があり、その発生時子宮内で爬虫類を経由して人間の赤ん坊の形になる。人間に体毛が猿ほど多くないのは蛇の遺伝子が混ざっているからだと思えなくもない。さらに人間は口から肛門までの蛇であり、その外側に大きな運動機関である手足が付いているのだと思えなくもない。その手足に付いた肉こそ蛇神が求めた食糧なのかもしれない。

人間は本当の事を全く知らない「馬鹿な農民」なのだ。

 

ブリューゲル 「雪中の狩人」 人食い蛇がセックス・出産を勧める

ブリューゲルの名画に挑戦。この絵の中に何が見えたか。

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ピーテル・ブリューゲル 「雪中の狩人」 1565年 ウィーン美術史美術館

横幅が162cmもある大作である。ほとんど白と黒の画面に家壁の赤・火の黄・犬の茶だけが色付けされてアクセントになっている。寂しい冬景色の中、狩人が犬と共に歩いている。得た獲物は背中に担いだ狐一匹のみ。誰しもがうつむいて家を目指す。火を燃やす農夫たち、スケートで遊ぶ子供たちが見える。我が家で待っているであろう家族を思うと気が重い。遠くの雪景色・空の鳥たちが狩人たちの心を表すかのように寂しく厳しい。

北欧ルネサンスの巨匠ブリューゲルの代表作とも言えるこの作品に素直に感じた疑問点をいくつか挙げてみる。

狩人たちの歩く道はどうなっているのか。崖の上から急斜面を降りて行くのだろうか。

左の三本の木の間をわざわざ縫って歩くのは何故か。

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狩人が背に担いでいるのは狐? パッと見トカゲにも見えるが。狐にしては耳が無い。拡大して明るくしてトレースしてみて初めて分かった。これは狐でもトカゲでも無く小さな人間である。三人ほどの人間がいる。二人は腰の辺りを紐か板かで吊り下げられている。巨人の狩人の獲物は人間であった。狩人の身体自体も数人の人間の身体を組み立てて出来ている。すなわちこの男も人間を常食しているので身体が人間で出来ていると言う事なのだろう。

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Wikipedia等でも「猟銃を持った狩人」云々と解説されるがこれはどうだ。三人の男が肩に担いでいるのは「猟銃」ではなく「槍」である。拡大図を見れば一目瞭然である。16世紀の西洋に鉄砲が無かったはずはない。日本の種子島に銃が入ったのよりも後であるのにこんなおかしな事は無い。誰も気付かないのか。

「槍」と「犬」を使って人間狩りをしていた大昔の巨人族時代(神話の時代)の事を描いた絵ではないか。人間狩りならば「弓矢」なりの飛び道具をも持たず「犬」と「槍」と「ナイフ」くらいで狩りを出来たのだろう。

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最後尾の犬、子犬が母犬の腹の下にもぐり遊んでいる? いや明るくしてよく見るとこの犬も人間数体の身体の組み合わせで出来ている。耳や尻尾は蛇である。

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他の犬も人間の身体で組み立てられている。

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画面最下段中央の草場には何やら尻から生まれ出る赤ん坊のような物が見える。

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画面右下、凍った水路で遊ぶ三人ほどの子供がいるが、その水路の微妙な陰影の中に蛇の顔のような物が見える。三人の子供それぞれに喰い付く大蛇である。

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画面左で火を燃やす農夫たち。火が家に近すぎて家が燃えそうである。またこんなに火の近くにいてよく熱くないものだ。このくらいの大きさの火であれば少なくとも3~5メートルは遠ざからなければとてもいられるものではない。炎の向こうの農婦は身体が透けている。

この火は左上から降りて来た巨大蛇の頭であろう。炎の向こうの農婦は別の蛇に下半身を呑まれているらしい。そして焼いているように見えるのは・・・・人間だろう。火の中に黒い焼け焦げた様な人間の顔が数個見える。右の男が火の中にくべているのも人間だろう。巨大蛇に人間を喰わせている所、空から人間を喰いにやって来た蛇の手伝いをしている所であろう。f:id:curlchigasaki:20190830171057p:plain

屋根に掛かった看板が落ちかかっている。文字は読めないが恐らくキリスト教の聖者が祈りを捧げている図だろう。教会の権威もこの村には無く、その教義もないがしろにされている事を表しているのか。教会など何の価値も無い事を言っているのか。

僕には巨大蛇に人間が呑まれようとしている図にしか見えない。教会とは巨大蛇に喰われることを最終の教義にしている、人間にとって害悪でしかない物だとの真実を伝えている。信じてはいけないとの作者からのメッセージである。

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画面右上の飛ぶ鳥。尾が長いから「カササギ」だとの解説もあるがどうだろう? 画面の中の他の鳥は全て「カラス」なのに一羽だけ「カササギ」? 黒い羽根の中に白い点がいくつも見えるがこれは人間の眼であり、ここにも人間が隠れているようだ。また絵を大きく見た場合、この違和感のある鳥の形は巨大蛇の眼であったりするのだろう。

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絵の上半分。イラスト化する過程でまたいろいろ見えて来た。遠景の野原や山は人体で一杯である。地面は人間を構成する有機物が変化してできた物である。人間の身体は死んで土に帰る。

人間たちを巨大蛇どもが空から喰いに来ている(青い輪郭)。

中景の雪を被った家の屋根にもまた人間の形が採れる。なにやら後背位でセックスしているでようあり、股から子供を産んでいるようでもある。

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絵の下半分。狩人が歩いている地面はうつ伏せになった大きな人間の身体。その尻から子供が生まれ出ている。あちこちで蛇が人間を襲っている。

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全体図イラスト。巨大蛇が地上の人間たちを喰いまくる。巨大蛇は大きさがまちまちで、しかもその存在が重なっている。「カササギ」はやはりこの蛇の一匹の眼であった。

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左元絵。右はセックス・出産を念頭に置いてみた場合の見え方。これだけの男女交合図が見て取れた。狩人が歩く丘と一つ向こうの丘を合わせて人間の尻になる。この尻の間から子供が数人生まれている。

食人・セックス・出産が同時に絵の中に隠れている。家畜を喰った後は増やさなければいけないので、セックスを奨励する。美術館にある、皆に大事にされている名画と言うのはこう言う隠し絵で人間を誘導していく為のものであるらしい。この絵を見て「感動した!」とか言っている人はこの誘導にまんまと引っかかっている人である。知らず知らずに子作りに励みたくなっている自分に気付かない。

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左元絵。右、大きく見た場合のイラスト。「ご開帳・出産」の図。

これがブリューゲルの絵の真実。世界中で僕以外に気付いた人はいないのだろうか?

 

歌川広重 「王子不動の滝」 人間を喰う「神」

今回は「東海道五十三次」で有名な歌川広重の絵。昔は安藤広重と言われていた。この浮世絵師の作品の中にも「人食い蛇」が良く見える物があった。

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歌川広重 「名所江戸百景 王子不動の瀧」 1856年~58年 静岡市東海道広重美術館

東京武蔵野、石神井川にかつてあった不動の滝が描かれている。両側に岩がそびえ、一筋の滝が力強く真っ直ぐに落ちている。滝壺近くでは五人ほどの男女が茶を喫している。茶釜等の道具は持ってきたのだろうか、茶を差し出している婆さんがここで商売をしているのだろうか。立っている女たちは滝のしぶきが掛かるのか傘を半開きにして持っている。男の一人は裸で滝つぼに入っている。滝の上部にはしめ縄が張られている。

滝の直線性、その青い色、中心から外へのグラデーションが目を引く。

左右の岩の下部の黄色い所は何だろうか。滝に削られてむき出しになった樹の根だろうか。しかし上の樹の幹とは色が違う。この辺が怪しい。

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滝壺右奥の描写拡大図。黒い壁面に白っぽい曲線が何本も走っている。版画だから紙に絵具を擦る時に馬連(竹の皮)で円を描いて擦ったその跡かとも思えるが、どうも規則性(もう少し螺旋形になっても良いと思うのだが)が無い。北斎の「凱風快晴」でも山の頂上等に白い線があってそれは隠し絵の中で意味を持った線であったから、ここでもそうなのだろう。尻か蛇の頭の輪郭かもしれない。滝壺の波を表す線もそれらを合わせて遠目で見ると何か形が出来るようである。

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画面下部を見ると、滝壺の左右の黄色い所に人間の身体が見えて来た。岩の部分にも奥の壁にも人の形が採れる。人々が茶会をしている地面にも人型があり、茶釜を乗せた黒いコンロのような物も人間であるらしい。ただ地面の中にある微妙な色の変化に何かの形を捉えることが出来ない。大きな蛇の頭が並んでいるようでもあるし、大抵の絵では画面一番下には生贄の人間たちがゴロゴロ転がっているはずなのだが、どうもはっきり捉えられない。

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画面最上段。左の岩の上の立木は人間であるらしい。上部の大蛇に頭を咥えられて両手両足をだらりと垂れた人間がいる。足の形が変だがそこには上から降りて来た蛇が形を補って木の根元のように見せている。その他人間の形が採れる所が多くあり、それら人間には必ず大蛇の口が喰い付いている。上の方にいる大蛇が人間を吊るし上げて喰っている図である。

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画面真ん中。滝の左右の岩は大きな蛇の頭である。その口先からは半分呑み込んだ人間が下半身を見せている。黄色い部分は人間の下半身であった。木の根っこでは無い。しめ縄も吊るされた人間かもしれない。

滝裏の壁にも人型が見られるがこれは同時に大蛇にも見える。人のようにも見え、蛇にも見えると言うのは、人間は類人猿と蛇型生命体との掛け合わせで生まれた事を言いたいのではないか。

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左が元絵。右が全体のイラスト。あちこちで蛇どもが人間を喰っている。大蛇だけでなく、人間の数倍の大きさの蛇、それよりも大きな巨大な蛇が人間を喰っている。滝の後ろの黒い壁にも巨大な蛇が隠れていた。水色の滝自体も上から降りて来た蛇である。その頭は人々の並びで形作られている。滝壺の男・茶を出す婆さん・茶道具・女たちを繋ぐと見えない蛇の頭の輪郭線が見えて来る。

この滝の青い蛇、人間を創造する為の試験管またはフラスコのようにも思えてきた。

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画面を大きく見るとこんな絵が見え出す。

上図左、男と女の性行為の図。青い滝の流れは長い男性器、または精子の流れを表しているらしい。滝壺は女性器、または子宮を表していると思える。男(青)は股覗きするような形で背後から描かれている。両側の男の足、上方に男の顔がある。女(赤)は足を上に上げて大股を開き男性器または精子を受け入れる体勢である。両手で足を掴み、顔をこちらに向けている。茶釜コンロの辺りが肛門である。

滝の後ろの壁自体は膣を表しているようだ。男性器が入ってきて子宮に精子を注入する。ちょっと抽象的・説明的な表現である。

上図右。出産の図。人間があちこちで出産をしている。滝の後ろの壁も女の背中・尻であり、その下に小さな人間がいる。滝の左の岩の下の黄色い部分は今度は尻から生まれ出る人間の表現となる。

こうしてセックスを奨励し、出産させ、増殖させれば人間をいくら殺して喰っても構わないと言う考えなのか。

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左元絵。右、全てを呑み込む蛇の王者、すなわち人間が「神」と崇める存在の姿。西洋では「天のお父様・父なる神」と呼ばれ、ギリシャ神話のゼウス。日本では「大日如来」とか「天照大御神」とか呼ばれる最高神。こいつは人間に自らの事を「神」と呼ばせているが神では無い。遠くの宇宙からやってきて地球を支配し、人間を餌にしている生命体である。こいつは全知全能ではない。こいつ以上の生命体が宇宙にはいくらでも存在するらしい。人間はこいつの為に飼い慣らされている。知能が発達しないように食べ物の中に有害な薬を混入し、テレビや何かで洗脳し、宗教で素直に生贄になる事を強要している。こいつがいなければ良いのだ。 

北斎 「凱風快晴」 赤富士は人間の血の赤色を表している

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葛飾北斎 「冨嶽三十六景 凱風快晴」 1831~33年

スペンサー美術館(アメリカ)の版を選んだ。

北斎の代表作であり、誰でも見た事がある作品だろう。「凱風」とは「夏に吹く柔らかな南風」の事だそうで、朝日か夕日か分からないが山肌を赤く染めた富士が画面いっぱいに描かれている。裾野に樹海、頂上付近には夏の富士にしては不自然な残雪がある。晴天の空には秋空の象徴であるいわし雲がある。この絵は何だろう? 

昔から教科書等で目にする事が多かった絵だが、考えて見ると不自然な要素が多々ある事に気付かされる。毎日のように富士山を見るがこんな急角度の山ではないしこんな赤い山肌は見た事が無い。夕日の照り返しにしては空は青い。季節も時間も超越した観念上の富士と思われる。人々に大事にされ続けて来た訳は「私にはこんな風に見える」と自由奔放に描いた作者の心の中の心象風景とも言うべき所に共感を抱かせるからなのだろうか。

僕自身も多くの人がこの絵が名画であると言うのでそう言う物かと何となく思っていた。山肌の赤のグラデーションが綺麗だとか、空の青とのコントラストが際立っているとかの感想を持ち、皆が崇拝する富士山はこんな風に山頂が急傾斜に描くとありがたみが増すと思うだけである。この絵に感動するとかそう言う物はあまりない。

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山肌の部分のコントラストを強調するとこんな絵が見えだした。右のほうに人の眼や頭の形が見えると手足もそのあるべき位置に見えて来る。今までに検証してきた名画の中の人体を考え合わせるとこうであろうと思い目を凝らすとこのイラストのように見えた。微かな陰影をトレースしながら時間を掛けて見続ける、必ず隠し絵があると思って見るとまた次の人体が見えて来る。その人体は同時に大きな蛇の顔であったりもする。

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同じ部分を別の見方で見るとこんな風なイラストになった。人間の出産風景である。上のセックス場面と同時に隠れている。大蛇が人間に喰い付く絵にも見えるから計三種類以上の光景を同時に描いてある。

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山頂には人間のセックス場面を三種類ほどの形で捉えられた。不自然な残雪はこれら人型の輪郭になっている。また赤い山肌の中に紙の皺にも見える白い線があり、この線も人型を形作る線の一つになっている。残雪の白い点は人間の眼になっている。時には残雪の形が男性器だったり、その先からほとばしる精液だったりもする。

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いわし雲の中の細かい切れ目等を繋いで行くとこんな絵が見えて来た。ちょうど新聞上の写真がドットの連続で出来ていて遠目に見るとその物に見えると言う手法を思い起こされる。眼を細めて見るとその形が少しずつ見えて来る。手を動かしてイラスト化して行く過程で描いたり消したりする中でまた形が判明してくる。雲の向こうの青い空にも濃淡があり、それも併せて形が取れる。

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画面最下段、右寄りの部分に横たわった人間の顔や身体が見えた(上図中段イラスト)。大蛇に喰われる人間たちである。同時にそれは人間の尻から生まれる子供たちの図でもある(上図下段イラスト)。

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左下の樹海はこんな風に見えた。

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左が元絵、右が全体のイラスト。人間が至る所でセックスをしている。また同時に出産している。食糧として、家畜としての人間が増産に励む事を奨励する絵である。

この三角構図の単純化された絵の中にこんな隠し絵があったとは我ながら知らなかった。驚いている。

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大きく見ればこんな絵も見て取れる。左は二人の人間が並んで出産している。右では富士をまたいだ人間が複数の赤ん坊を産み落としている。

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参考のためにもう一度元絵。

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空からは巨大な蛇が降りて来て人間を喰おうとしている(上図左)。これは画面上に非常に微妙な陰影の縦線があって、それを辿るとこうなったと言うイラストである。

全てをその身体の中に包み込む巨大な蛇神の王者(上図右)。

「赤富士」の赤は人間の血の赤であった。