名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ゴーギャン 「おいしい水」 新鮮な生き血をすする蛇神たち

今日は西洋画に戻ってゴーギャンの作品を見る。収入を得る為ではないので自由気ままに対象作品を選べる。

聖徳太子絵伝」で人間の遺体だらけの残酷な絵を見、辟易したので気分を変えたいと思った。

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ポール・ゴーギャン 「Te Rape Nave Nave(Delectable Waters)」  1898年 ワシントンD.C.国立美術館 74×95.3cm

画題は「おいしい水」と言う訳で良いと思う。

名画と言う物がどんな画題であれ生贄の儀式を描いた物である事を最初に知ったのはゴーギャンによってであった。この絵でも南の島の神の像の前の石舞台の上に生贄の女たちが数名いる。

湧水が出る場所なのか神の像の前あたりからきれいな水が川になって流れている。像の隣に子供連れ、黒い犬も2頭ほどいるらしい。4人の女たちはほとんど裸で布で体を拭いていたりする。のんびりと水浴してるように見せて実は彼女たちは大蛇に喰われて既に尋常な姿では無くなっている。

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左側の2人の女がいる場所は生贄の岩棚の上であり、そこには解体された人間が散乱している。微妙な濃淡を見分ければイラストの様に見える。立っている女の足の下にうつぶせた人間がいてその首の所に足を乗せている。背後の川の中にも生々しい遺体が置いてある。鳥のような黒い物が見えるが、それは人間の頭である(イラストの様に)。人間が顔を下に向けて画面端から飛び出すように見えている。大蛇に咥えられて振り回されているのだろうか。背後の樹を装った大蛇が大きな口を開けて2人を呑み込もうとしている。

2人とも頭を大蛇に咥えられ、それが髪の毛のふりをしている。座っている女は右手・右足が既に無く、立っている女は左足の付け根を切られている。流れる血が岩棚を赤く濡らしている。布で押さえたくらいではとても止まらない。

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右の女2人は岩棚の上でよりはっきりした血だまりの中にいる。左の女は腹から下の表現が変に稚拙になっているが、そこら辺は大蛇に喰われて既に無く、大蛇自身がそこに成り代わっているからである。そいつらが足の膝から下の部分を咥えている。右の女も同様に腹から下が大蛇に成り代わっている。左足を白蛇が咥えている。

岩棚の上は何処もかしこも生贄の人体でいっぱいである。川の中も川の向こうも人体で出来ている。川向こうの身構える黒犬は実は伏せた女の髪の毛である。

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画題は「おいしい水」と言うが、4人の女の表情はおいしい水を飲んだ人の物ではない。唯一赤毛で一番目立つ、立っている女は他の女たちを懐疑的な眼で見ている。まだ生きた人間の意識が残っているのかもしれない。

他の3人の女はもうすでに観念して諦めたかのような顔をしている。(一種の催眠状態なのかもしれない。)

あまりにも巨大な蛇に小さな弱い人間が適うはずが無いと、こんな状況だったら普通思うだろう。

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画面中央上方奥に親子連れがいる。母親(多分)は中世の騎士のような、巫女さんのような格好で裸の子供の片手を掴んでいる。しかしその子供は頭を大蛇に咥えられてしまっている。母親は神の像の横で、片手を立てて拝むような仕草をしていると見える。或いは黄色と赤の花を手向けているのか。神に祈りを捧げているのではないか。

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結局この作品も人間の遺体だらけの残酷な絵であった。画面の半分くらいを生贄の人肉が占めている。巨大な蛇が空から降りて来てこの生贄の人肉を喰っている様子も日本の1000年前の絵と何ら変わりが無い。

「おいしい水」と言うのは蛇神にとって「新鮮な人間の生き血」であるらしく、イラストで黒線で表した巨大な蛇神たちは川や岩棚にある血をすすっているようである。

 

「聖徳太子絵伝」(東博) 日本国の治め方の指針 

日本の歴史を大化の改新以前に方向づけた聖徳太子の伝説を絵にした障子絵を見る。

秦致貞(はたのちてい)筆 「聖徳太子絵伝」 平安時代1069年 10面ある中の第9面・10面 東京国立博物館 国宝  f:id:curlchigasaki:20190211104936j:plain

6世紀の聖徳太子の数々の逸話を絵にしたもので、その内の四天王寺建立・摂津難波の湊・小野妹子の遣隋使派遣が描かれていると言う。1000年も昔の絵で色褪せており、至る所に剥落があるのでどこまで真実が見れるか心配になる。逸話自体もよく知らず、にわかに勉強してみたがどうか。

この絵伝には聖徳太子が幼い頃空を飛んだとか、甲斐の黒駒に乗って富士山を見に行ったとか、皇后に会ったとか、法隆寺を建立したとかの画題が他にあったが、なぜこの難波の湊のある絵を選んだかと言うと、画面右下に怪しげな塊が描かれていたからである。山の間を流れる川であろうか、僕にはこれが巨大蛇の頭にしか見えない。また同時に生贄の人肉の山にしか見えない。

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まず他の部分を見てみる。画面中央、重要人物らしき男が祭壇の上にいる尼さんのような女(よく見えない)に向かって手を合わせている。傍らにいるのは袈裟を着た坊さんたちだろうか。詞書が這ってあって何やら書いてあるが読めない。手前に寺の建物の絵があり四天王寺の字があるから、ここでは恐らく四天王寺建立の報告を偉い人にしているらしい。聖徳太子蘇我馬子と共に物部氏と戦い勝利したが、その際に四天王の協力があったのでその寺を建てる事にしたと言う。

聖徳太子と思われる男の向かいにいるのはその四天王だろう。僕には巨大な蛇の上に乗った妖術使いに見える(上図右イラスト)。巨大蛇の後ろにもさらに大きな蛇が口を開けている。周りも蛇だらけで、大使自身も大きな蛇に繋がっているように見える。

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画面左端には中国が描かれ、上部に遣隋使として行った小野妹子が三人の老僧に会う場面が描かれていると言う。

確かに妹子らしい男が三人の坊さんと会っているように描かれてはいるが、周りが巨大な蛇だらけで従者は皆喰われて(蛇の体の中に取り込まれて)しまっている。三老僧自体も巨大な蛇の顔の一部である。小野妹子は中国から仏教と言う蛇信仰の悪魔教を取り入れて来たのだ。

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画面右下の山の描写は全て人間である。皆うつ伏せ、折り重なって頭や手を水の中に入れ、「水漬くかばね」のようになっている(上図色を付けた物全てが人間またはそのパーツ)。左の方の木の根に見える所は人間の髪の毛である。頭を水の中に突っ込んでいる。

右の方にも裸の人間が転がっている。あばら家の前にも人間が小さく描かれ、これと比較すると倒れている人間はよほど大きいとも思えるが、あるいは巨大蛇が口に咥えて人間を振り回している所が大写しになっている(ドガの「風呂の後」の様に)のかもしれない。それとも蛇に喰われる人間を描くために方便として遠近法を無視してあるのかもしれない。

それにしても大量の遺体である。昔映画の「明治天皇と日露大戦争」と言うのをテレビでやっていて、二百三高地奪取のために日本兵がロシアの機関銃にバタバタ倒され死体の山を築くシーンがあった。それを思い出す。

明治と言う時代は、日本人が「国」と言う物をしっかり自覚し、天皇の為に命を捧げる事を第一にした時代であった。そんな「国」の大本を定めたのは聖徳太子であったと思う。仏教を国教として天皇制を中心にした「国」を彼が作った。

そもそも「国」と言うのがあるから領土争いや何かで戦争が起こる。「国」と言うのは大量の死体を生じさせるために奴らが作ったものではないのか。

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全体の画質を変えてみると、巨大な蛇が人間の遺体の山に口を付けているのが見えて来る。

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イラスト化するとこうである。右下だけでなく、左下・真ん中下・画面中央から右にかけて等至る所に人間の死体がある。全て蛇画像の口の所に配置される。こんなすごい地獄絵図は初めて見た。

画面右上から中央下にかけて龍の顔が見える(四天王寺の建物の柱を龍の口の歯に見せている。イラストでは明るい黄緑色にしてある)。角や耳に見える部分もある。日本は龍の国とも言われるが実体は蛇の集まりで架空の生き物に見せているだけである。

小さな蛇・中くらいの蛇・大きな蛇と縦横無尽に画面を蛇画像が占めている。見る人によってどのようにも見えるようになっている。一番大きいのは画面全体に広がる巨大蛇の顔で、画面中央下の生贄の人肉を喰っている。

この絵にはこの国の形を決めた蛇神一族の最初の指針のような物が示されている。殺しまくり喰いまくるぞと言う蛇どもの意気込みのような物を感じる。

狩野永徳 「檜図屏風」 どう戦ったら良いのか

自分が家畜である事に気付いてしまった豚はどうしたら良いのだろう.豚舎から逃げ出す? このままじっと耐える? 仲間にこの事を教えて共同で飼い主と戦う?

敵の正体もよく分からず、力も強そうなので動揺している。全く初めて経験する事なので対処の仕方はこれで良いのか不安になる。とりあえず自分の眼に見えるこの現実をブログを通して発表する。

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狩野永徳筆 「檜図屏風」 安土桃山時代16世紀 東京国立博物館 国宝

この絵の実体がやっと見えて来た。言わずと知れた、蛇神に捧げる生贄の人間が描かれている図である。画面手前に生贄の人肉の山が置かれている。それを空から来た巨大な蛇が喰っている。ダイナミックな構図で檜の樹の枝ぶりや池の水、岩等を荒々しく描いてあるのは人を惹きつける為の見せかけである。本当の主題は「人間たちよ。お前たちは我々が餌として飼っている家畜なのだ。いずれ喰われるのだ。」と言う物である。 

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左側の隅手前に人肉の山があたかも岩山の様に描かれている。イラストで黄色くした部分である。その周りには蛇の顔が囲んでおり、皆口を付けているので蛇の顔が見つけられれば人肉だとすぐ分かる。背中を上にして突っ伏して重なっているのが見える。頭を水の中に突っ込んでいる人もいる。手前に髪の長い女のようなのが背中を向けて座っているように見える。遺体だらけの中でまだ生きているのだろうか。

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手前中央、左隻と右隻にまたがって人が横たわっている。大きすぎて最初見えなかった。頭を木の根に隠すように突っ込んでうつ伏せになっているらしい。右わきの下に木の根が刺さっている。

その上方にも人体が並んでいる。池の縁の崖に見えるが人の尻から下の足等が並んでいる。金地で描かれた大蛇に喰われているので上半身が見えてなかったりする。

右側隅にも人間の裸の遺体。じっと見ていれば次第にその陰影がイラストの様に見えて来た。

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屏風絵全体を見るとこんな感じ。黄色が生贄の人肉、その他は檜であろうと金地であろうと池であろうと全て巨大な蛇の画像である。見事なほど巧みに人肉の所に口を持ってきて喰っている図である。蛇は前の蛇を後ろの蛇が呑み、互いに連結するようにして繋がって空に続いている。

生きる事は食べる事、または食べられる事であるとこの蛇神たちは絵の中で言っているかのようである。彼らは爬虫類種族なので人間のような感情が無い。心の温かさ、悲しみ、喜び、怒り等冷血な彼らは感じる事が出来ないのだろう。

日本では古くから「もののあはれ」と言う言葉がよく使われたようだ。爬虫類たちは人間を支配しながらこういう感情を理解できず、おのれの課題としてきた。西洋でも聖書にある「愛」と言う言葉を自分たちが持ち得ない物として重要視して来ている。逆の見方をすれば、これらの感情が彼らの弱点であろう。「あはれ」を感じる人間、「愛」を持つ人間には彼らには持ち得ないパワーがあると言う事だ。

・・・・と言葉では言えるが実際にはどういう行動が良いのかよく分からない。まずは自分の眼に見える真実を一つ一つ着実に検証して行くことだ。

 

黒田清輝「舞妓」 やはり喰われている

「e国宝」と言うサイトを発見してから、日本の名画を最近よく調べている。

今日は明治日本の美術界をけん引した画家、黒田清輝の作品。

以前同じ作者の「湖畔」で絵が蛇で組み立てられている事や人物の指が三本である事を示した。

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黒田清輝 「舞妓」 1893年 東京国立博物館 重要文化財

鴨川の流れを背景にして若い舞妓が窓辺に腰かけている。紺や赤その他色とりどりの柄の綺麗な振袖を着ている。何事かを告げに来た少女の方に顔を向けている。右手は後ろの手すりを、左手は窓の桟を掴んで凛とした表情である。次の仕事でも入ったのであろうか。川の水面、着物の鮮やかさ、女の引き締まった顔が光を浴びて気持ちの良い作品である。何の違和感もない。

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肌に張りのある美人ではあるが、拡大してみると顎のあたりがちょっとおかしい。顎が出すぎている。舞妓さんの白塗りのおしろいが顎の部分にだけ施されているのか、逆光にしてはそこだけ白く抜けているようである。休憩しているときの舞妓さんは顎以外のおしろいをふき取ってこんな感じになっているのか。いや逆に口や頬が赤すぎるのかもしれない。顔が赤く汚れているのか?

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このカラフルな着物は蛇で出来ていた。直径10センチ前後の大蛇が女の身体にまとわりついて着物に見せている。帯の所も白い大蛇が巻き付いているのである。首、手その他あちこちにある赤い色は血の色である。顎の白い線は白蛇が張り付いていたらしい。

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女の左手拡大図。蛇の頭を掴んでいる。それともか蛇に手のひらを齧られて血を流している。窓ガラス越しに見える着物の袖は袖では無く蛇の顔である。蛇がこちらを覗いている。手首の下に血の色が見えるのでここで切断されているかもしれない。

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この少女、存在感が希薄である。若い舞妓を主人公とした絵の中の副次的な存在だからそれなりに雑に描いているのだろうか。

よく見ると髪から顔から着物まで全て蛇の形成物である。少女と言う人間を描いてあるのではなく、蛇神の形を形成するためにそこに置かれた物であろう。上図右のイラストで半透明の蛇神の輪郭線を辿ってみたが、その蛇神の表現の為にあるようである。

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女の腰の横に座布団のような物が置かれているが、これは奥の桟と合わせて人間の身体の一部だろう。

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女の足のあたりに横たわった青白い物は人間の足であろう。上図のイラストの様に見たがどうだろうか。女の両足の間に見えるのは赤い腰巻ではなく、大量に流れ出ている血である。何故そう見えるのかと言えば、その肉片の上や横に大蛇の口が付けられているからである。大蛇が喰い付いている先にあるのは人間の肉と言うのが今まで見てきた中での定番表現である。

その他女と少女の間にも人の手のような物が見える。とすると窓辺の桟の所の肉は手であるかもしれない。舞妓の失われた両手両足2本ずつが隠れているとすればこの4つだろう。

ただ画面左下の足の上に手のような物がもう1本見えるのだが、これは違うだろうか。そこには大蛇の頭があるだけかもしれない。

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画面全体図とそのイラストである。絵の中の人物は全て蛇で組み立てられているが、大きく大雑把に見るとまた別の物が見えて来る。舞妓の身体・少女の身体・障子の桟・後ろの川等にまたがって画面を横切る蛇神の姿が見えて来る。それは必ず空から降りて来る。そして生贄の人肉のある所に口を持って行き・・・・喰う。

この絵でも生贄の供物は画面左下に集められている。

蛇神は人間を喰うとき必ず手足を千切って呑みやすくしてから呑み込むらしい。名画の中の生贄の人間は大抵手足は根元から切断されているし、首も切られている。生のまま大体円筒形の部分の肉にしておいてから呑んで時間を掛けて消化するらしい。蛇族だからそんな喰い方になる。人間が家畜を喰う場合だったらもっと原型が分からないくらいに切り刻んで火で調理してから喰う。種族が違うから喰い方も違う。

 

 

羅稚川 「雪汀遊禽図」 大量の人肉が生贄としてお供えされている

今日の研究対象は中国、元の時代の作品。

羅稚川(らちせん)筆「雪汀遊禽図(せっていゆうきんず)」14世紀 東京国立博物館 横幅77cmの小品で絹に着色されている。重要文化財 

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中国人の作品を日本で重要文化財として保管しているのに少し違和感があったが、考えてみれば大英博物館は展示物をエジプトやギリシャから奪ってきた泥棒博物館である事を考えればおかしい事でもない。

東洋絵画には暗くよくは知らないがこういう水墨画を江戸時代の池大雅等が真似ているのは想像がつく。

画面が黒くてよく見えないが冬景色のようである。

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明るくしてみた。老木の生えた湖畔の荒涼とした冬景色だろうか、木の向こうは雪の積もった平原だろうか。国立博物館の国宝・重文をネット上で紹介した「e 国宝」と言うサイトでは「寒林平遠図」のひとつとしているから平原なのだろう。

異様にねじくれた松のような老木が中央に配置されている。こういう樹は強風に晒されてこんな風になったのだろう。後ろの樹はほぼ垂直に立っている。樹上のあちこちに鳥が止まっている。その鳥だけに彩色がされている。老木の根元にも何羽かの鳥がいる。空を飛んでいるのは別の種類の鳥か、黒一色で描かれる。

この絵を見た時、老木の曲がった枝の作る線の中に大きな蛇の頭を見つけた。眼もあり、画面左下の木の根元あたりに口を付けている。従ってそこら辺に蛇の餌があると見た。

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画面下方、手前に生贄の人肉を配置するのが何時何処の名画でも定番になっている。この14世紀中国の絵でもその法則に従っている。・・・と言うよりこれらを描かせている大元の蛇神が何千年も生きていて指図しているのかもしれない。

裸の人間が山積みになっている。うつ伏せであったり、足をまげて背中や尻を見せていたりしている。老木の根元には人間の骸骨らしき物がいくつか転がっているのが僕には見える。中央手前の手の形の物は、右手の大写しかもしれないし、尻を向けた人間が横になっているのかもしれない(識別できなかった)。

老木も木々の間の空間も全て巨大蛇の頭であり、これら人肉に口を向けている。

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全体を見るとこうである。左下の貢ぎ物を巨大蛇神たちが空からやって来て喰っている。画面は隙間なく全て蛇である。

 

毎日こんな生贄の絵の解析をしていると現実と空想の境目が良く分からなくなってくる。本当に絵の中にある人肉食が行われているのか、だた単に絵の中の虚構の世界なのではないのかと思えてくる。

しかしそれでは名画と言われる物ことごとくが蛇の食人図なのはどうしてなのか説明がつかない。人間を怖がらせるために食人の絵を隠し絵にしてその潜在意識の中に入れ込んでおくのは実際に食人をしているからなのではないか。

ニュースで行方不明者・事故死の人・自殺者の報道がされるとそれが生贄になった人では無いかと疑ってしまう。報道はそのほとんどが真実を伝えない。

テレビや何かでマスコミを通して報道される事と、自分がこの眼で発見した名画の中に隠された事実を比較すれば、自分の眼の方を信じるしかない。

また蛇神は人間を食糧とする悪魔であるかもしれないが、同時に人間が次元上昇するためのヒントを与えてくれる天使でもあるのではないか・・・・とも思え始めてきた。